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気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

あらゆるすべては波動(8)空(くう)こそが存在の根源

2017-02-10 07:07:29 | 宇宙時代の考え方

これは面倒くさい物理科学の話ではなく、我々が・・在る・・事実の1つの説明だ。

わたしとは何か?・・世界とは何か?・・時空間とは何か?を問いかける場合には欠かせないことでもあろう。

●空間とは何か
何度も言うが、自分の身体というのはほとんどが”空っぽ”だということである。
物質とされる事物は、分子やさらに小さな原子でできており、
その基本要素である原子は、原子核と電子でできており、その密度はとてつもなくゼロに近いものだ。
それらのミクロ素粒子はクオークと呼ばれる、振動・エネルギーとでもいうしかないもので構成されている。

さらに原子のその背後にあるのは<真空>と言われ、またそれを「空間」ともと言っているが、つまりそう、文字通り「空間」とは物質と物質の <間> のことだ。
あなたの体も周囲もすべて空間である。
我々は、肉体の塊などではなく、ほとんどが「空間」といっていい。

まっとうな現実として、科学的に言えば、
我々とは・・空間・・そのものであり、
そこにわずかな「揺らぎ」としての振動エネルギーがあるということ
だ。

日常の等身大の世界だけでの感覚、我々は・・重く緻密で濃厚な肉体・・という
今までの常識の観念は、20世紀の科学ですでに崩壊しているのである!

これに気付いている人たちは、あの「マトリクス」という映画のネオだけではない(笑)


我々の意識する=観察する宇宙には、つまり空間には「物質」があるために、
そこに相対的な「距離」があり、そして「方向」を割り当てることができる。
方向がXYZの軸として独立座標として3つあるために3次元空間と言っている。

●時間とは何か
また人の観測する世界、宇宙では、そこにある無数の物質が「運動」している。
そして、運動とは物質相互間の・・距離の変化であるが、
実は、その”変化”のことを「時間」と呼んでいる。



宇宙が、何も変化のない<静止系>ならば、そこに時間が観測されるわけもない。
そう、時間とは、空間のエネルギー相互間の運動の変化のことなのである。
カレンダーや時計が・・時間を生んでいるわけではない。(笑)

人が観測する宇宙の物質、つまりエネルギー相互間の運動、あるいは相互間の振動、
それをまとめて「時・空間」としているのだ。

つまり時空間・・とは、<エネルギーの運動、振動>によっているわけだ。
波動としての存在物がば何もなければ、空間も生まれない。

●どこにもある、何でもないもの、つまり空(くう)
物質=エネルギーが存在しなければ・・空(くう)という、何もない無次元の<・・・?>
だけが・・ある?あるいは無限(∞)の次元・・?

空間といわれるスペース・・も、物質なる振動エネルギーが何もなければ、
無であり、からであり、またそんなことも何も・・ない・・非存在とも言えない・・何か?
変な話・・。

●定義も何もできない・・空(くう)
空(くう)とは、
定義も何も出来ない・・何でもない・・それ・これとも言えない・・、
なんでもないもの事・・・でもない・・。
意味不明だが、説明できないために、理解出来るとも、理解してほしいとも言えない(笑)

しかし、それが・・そうであるがゆえに、・・・
真っ白なスクリーンに鮮やかな映像が映し出されるように、
空(くう)が自らを押し出して、無限に自己を表現している。

いま我々は存在している!・・
あるいは在ることを・・実感しているのである!
在ることの実感・・それが「意識」だ。

さまざまに在る・・ことの実感・・
それは存在感であり、また生命と言われているものだ。
あなたの身近な動物たちの愛くるしい姿態も、生命の表現なのである。
彼らは落ち込んだ人間のそばに助け舟を寄越し、
「嬉しくなくてどうするの?」と言っているではないか。



地球という、歪んだ小さな物質的観念の中に自己投入し、
歪み切った世界という、汚染された世間というスクリーン映像を観ている者はだれか?

空(くう)という無限次元のスクリーンに映し出される、
この世界を、観ているのは誰か?


●わたしとは本来・・無限の空(くう)
我々の肉体の存在密度は0.0000・・・1%のエネルギー、
殆どが真空であるという事実を観るならば、

わたしは元々空(くう)であり、
そこに微小の波動エネルギーによって描き出されている存在であると知るだろう。
そう、空(くう)は無限の可能性、あらゆるすべての充満なのである。

何でもなく、何にもないように見える、空(くう)
それはすべての完全無欠な充満なのである!
実に、何ということか!

空(くう)というしかない、
何も定義もできない、何でもないそれ・・でもない・・それが、
その・・無限を・・自らで・・意識的に気づく行為、目覚めによって、
それをかたちとして押し出して、創造という・・楽しい遊びをしている。

楽しくないものをいったい誰が造るものか?
そうではないか?

あなたやわたしたち、ここの世界の魂・意識達は、
幻想の籠の中の、きわめて不自由な鳥を演じていたが、それは、
母なる根源意識、父なる意図を使って、
自らで演じることが出来るからこそのことであった。

無限であるものだけが、有限、局限を演じることが出来るのである。

世界に覆いかぶさる重い想い、マインドの扉、
その幻想の扉を開ける時が来ている。

幻想とは・・想いの幻のことである。

想い、マインド自体・・は、わたしが描くものであって、わたしではない。
わたしとはなにか・・もうわかろうもん!





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