気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

マインドの話(4)いつも、すでにそれ・・

2016-12-03 12:02:43 | 宇宙時代の考え方
希望している何かが得られた時は、
誰でもうれしいと感じるものだ。
「あー良かった、良かった・・嬉しい・・」
そんな思いが沸き上がるものだ。
誰でも経験しているはずである。

例えば、子供のころに欲しいものがあって、
親に買ってもらったとか、お金ためて手に入れたとか、
希望校に受かったとか、恋する人も自分を好いていると知ったとか、
そういう瞬間は、有頂天になるくらい、実にうれしいものである。

希望する何かが実ったとき、
あるいは手に入ったとき、
人は「幸せ」を感じるということだ。

そうではないか?

ところで、多くの人は毎日のように、実は幸せを感じてはいない。
毎日毎日、「あー幸せだ・・」などとはつゆとも思えず、
逆に、年がら年中、私は不幸だ・不機嫌だと思っているかもしれない。

人によっては、そんなに不幸とも思わないかもしれないが、
少なくとも、何かが少し不安で仕方ないかもしれない。
そうではないか?

お金が十分でないから?
愛する誰かがいないから?
ライバルに負けているから?
やたら忙しいばかりで暇がないから?
子育てが終わっていないから?
ローンがまだまだ残っているから?
家族の中が不和だから?
・・
こういう、様々な条件が・・満たされていない、
そういう現状を見て、「どこが幸せなんじゃい!」
そう思っているかもしれない。
そして、それが正しいと思っているのかもしれない。

条件が満たされなければ、決して幸福ではない・・!と。

つまりは、自分を幸福ではないと「密かに」宣言しているわけだ。
あれが無い、これが無い、まったく足りない、・・・
だから幸せではない・・!
なので、幸せになるために・・あれを求め、これを貯め、
さらにこれを集めて・・それを手に入れる・・まで、
不幸のどん底にいる・・というわけだ。
とはいえ、不幸のどん底といっても、
別に生きるの死ぬのというレベルではないが、
少なく見積もっても、
「今は決して幸福ではない!」・・・
そう思っているのである。

違うだろうか?

馬の前にニンジンをぶら下げられて、
永遠にそのニンジンを追いかけている馬のようなものだ。


だって!、お金ほしいじゃないの・・!
誰でもセレブになりたいのとちやう?
地位は高いほどいいというじゃないか?
そういう世の中なんだから仕方ないじゃないの?
それとも、あんただけ別とでもいうのか?
周りの人に聞いたらいい、みんなそう言っているよ・・。

・・
とあくまでもそう思っているのである。
いつ仕込まれたかわからない様々な条件を、
金科玉条のように奉っている。


幸せには条件が付くものだ、
その条件が満たされていないからには、
まったく幸せではない・・。
そういう固まった常識観念に気づけるだろうか。

そして、だから、いつも不幸で当たり前。
というか、実感として、いつもまったく幸福なんかではなく、
それどころは、どこかいつも不安なのである。
でも同時に、その不安を嫌っているのだ。


これはマインドでできた閉鎖ループというものだ。
あなたは閉鎖ループの中で、
気づかず知らず、とはいえ、それほどでもなく、
でも、昔からもがいてきたのかもしれない。

だからいつも、外側の何かを探し、誰かに期待し、
自分に好都合な・・何かが外から起きることを、
ひそかに待ち望んできた。

自らのマインドで、自らを閉じ込めて、
外の何かのせいにして、
そうして、外の何かが変わるのを、
「心待ち」にしていたということだ。

OH! NO!(笑)

・・・
幸せは人によって異なるとも言われるが、
それは人によって望みが異なるからなのだが、
ところで、望みが叶うことが幸せだと・・
それだけが幸福を感じるものだと・・いったい誰が言ったのか?

責任者はどこかの総理大臣か?
どこかの大統領か?

いつもながら、責任者は誰もいない。
あなたの人生にあなた以外に責任者などいるわけもない。

その深い意味を感じ取ってもらいたい表現だが、

わたしとして生まれたのは・・わたし・・しかおらず、
生まれてきた、この世界、
わたしの意識する世界には、わたししかいない。

わたし以外に、わたしの見晴るかす無限の宇宙に、責任者など、どこにもいないのである。
創造主の顕れ方は・・実に・・意外であり、かつ「粋(いき)」ではないか?(大笑)

しかしながら、あなたの「鏡」である他の人たちも、
まったく同じようにそうなのである。



かように、
宇宙で唯一のわたし・・達・・、
とんでもなく奇跡的な存在である・・わたし・・は、
まったく無条件に幸福である以外になにがあろう?
今すでにそれ、まさしく幸せなのだ。
比較も、勝ち負けも、大小も、すべてマインドの作った幻想。

今この瞬間・・いま・・瞬間ゼロでは、マインドは存在していない。
しかしながら、その今の連続によって、
マインドは幻想のごとく展開し浮かび上がるのだ。
それが多次元宇宙となって、
多くの遊び場を提供しているのである。


マインドとは悟りの階梯、十牛全図でいうところの、牛さんだったように、

地球というこの次元世界は、マインド(こころ)を習得するための魂の遊び場、
お花畑も修羅場も含んだ、大いなる遊び場だったのである。

そう、今までは。
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