気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(45) 夢と眠り その2

2017-11-16 05:08:10 | 真我実現シリーズ
人間は肉体、こころ、魂だということに気づいている人もいるだろう。
あるいは、人生・生活、存在とは、
様々な諸現象と、それを知覚認識する働きで作られていることも理解可能だろう。
そう・・知覚しているのが・・わたし・・である。

意識の進化というか、気づきの拡大に伴い、
肉体、物質、物量で終始していることから”意識的”に脱して、
魂・こころの観点から見ることが極めて重要である。

意識を・・外側の現象世界から、中心にひきもどすこと。
台風の外側の暴風雨、荒れ狂う刺激の世界も良いのだが、
その中心の空(くう)あればこそだと・・気づくということだ。

世界を観ているのは・・誰なのか?
生きているのは・・誰なのか?
幸や不幸を感じているのは誰なのか?
苦痛や快楽を味わうのは誰なのか?
考えるのは誰なのか?
生きているのは誰なのか?
死ぬとされるのは誰なのか?
生まれるのは誰なのか?
笑うのは誰なのか?
泣くのは誰なのか?

大勢の世間ではない。
目の前の物体ではない。
会社のトップではない。
どこかの大統領ではない。
火山や地震ではない。

そして、身近な私の肉体ではない。
もっと身近な思考・感情ではない。

それらはすべて・・
<わたし>の・・・知る・感じる”対象”なのである。

そのわたし・・が内面といわれるものだ。

多くの人は、幼いころから仕方なく、
世間一般の観念に合わせて、
わたしを・・単に頭脳を持つ肉体個人だとして育てられた。
そして、若いころには様々な疑問があったとしても、
あとは知らない、とにかく目先を生きるだけだと・・、
そういう風に流されていくわけだが、

世間一般の人生の惰性、慣性そのままならば、
それらの人生の繰り返しが、
時空間、時代、地域を超えて輪廻転生という形で引き継がれる。

I AM THAT i am.だからだ。
自己創造は、宇宙すべてがそうであり、
あなたやわたしも・・例外ではない。、

それぞれのわたしは・・至高の存在である証拠だ。
わたしは・・在る・・創造の根源のその息吹だ。

しかしながら、それ自体に気づかないのは、
自らの何たるかを・・真剣に知ろうとしないからである。

わたしはね・・世の中の多くを知っているよ・・とする場合も、
対象、現象の多くを観察し、考察していることを示すが、
それを観察・考察している・・当事者・・わたし・・のことはどうだろうか?

その・・わたし・・を観察することは、
あらゆるすべての・・
より根源の方向に気づいてゆくということなのだ。

それをより高次元の方向というのも、何か階層、階級的なイメージがあるものの、
それは無限なる・・わたしの本質に気づいてゆくということだ。
肉体の突然変異の進化のことではない。

わたしは男だ女だ、身長は、性格は、生年月日は・・、
それらで簡単にわたしを規定してそれがすべてだと、
いったい他者の誰が責任証明できるのか?

わたしは・・在る・・ではないか。

様々に立ち現れては消えてゆく現象を追いかけるのではなく、
それを認識している、知覚している、
もっと根源的な・・意識・・という観点からの話である。

あらゆるすべてに”気付いて”いる・・働きがなくて・・
どうして現象が、そこにあると認知できるのか・・
いいや出来はしない・・ということだ。

宇宙創造は創造物だけが勝手にワーワー騒いでいるだけではなく、
それを観察・観照するからこそ、そこに宇宙があると知ることができる。
たとえば、
あなたが絵や彫刻やあるいは写真、小間物、文章などを創作する、
出来上がり具合を見て評価する・・、良いの悪いの、もっとここが・・、
それと本質的には同じことである。

・・・
さて、夢の話だが、

夢を見ているときは、”わたし”感覚は明らかに存在しているが、
それがアバウト、おぼろげではあっても、
いわゆる現実と全く異なる環境にあって、
それでも何か真剣に対応しているはずである。

夢の中の環境や色々な人たちが居て、以心伝心でやり取りしていながら、
あなたは何事かを経験しているわけだが、
「これは夢だ」とは思っていないだろう。
不思議なことに、「これは夢だから・・」とは思っていないのだ。
「へっ、夢だからね」とは扱わないはずだ(笑)。

これはつまり、夢見の意識では、
日常の目覚めた後の現実生活の思考形態が、
そのまま出ているわけではないことを示す。

常識からすべてを、あれこれ判断しているわけではないわけだ。
・・
もしそうであれば、これが現実とは違う単なる夢だ・・と、
完全に認識しているはずである。
夢での意識は、現実での意識と違うというよりも、
現実での様々な観念が・・希薄になっているということだ。

現実という目覚めた後の日常生活で培った様々な常識観念が、
夢見という意識レベルでは、
それが希薄になっているということである。

意識・・わたし・・は・・存在していることを知っているが、
わたしが・・在ることは自覚しているが、
こころ模様、様々な観念の覆いが少ないということだ。

夢見の状態は、その意識レベルが異なっている・・ともいえよう。
その時の”身体”の脳波を、外部の人が測定したならば、
確かに脳波測定では・・シータ波が優勢になっている。
またそれは、瞑想時の脳波に近いとも言われている。

あるいは、その状態は霊能力、超能力、遠隔認識、リモートビューイングなど、
そういう意識的能力が起きる状態ともいわれている。
(これはもちろん、教科書的公認情報ではないが・・)

エジソンは様々な発明を行ったが、常に意識して眠りの状態、
詳しく言えば半覚醒意識に入っていたといわれている。
既成の常識観念の被い、障りのない意識に移行していたということだ。
自らの意識を、創造のより根源に近いレベルに移行せしめる努力をしていたということだ。
99%の努力は、何も汗水たらす肉体努力だけではない。

誰に言われるわけもなく、気づくことは、
意識の状態、あるいは意識レベルは、目覚めと夢見の間では違うということだ。
意識は意識であっても、その知覚対象、様相、可能性などが違うのである。

眠りや夢というものを全く価値のないものとする、
世間一般の観念の中で終始している間は、この事実になかなか気づかない。

24時間といわれる常在の経験において、
目覚めた後の、それぞれの”わたし”の世界は、
わたし意識の現象化された世界である。

色即是空の「色」であり、つまり諸現象ひいては世界、宇宙だ。
なので、現実が、現実が・・と騒ぐ世界とは、
色・色・・・つまり”いろいろ”なのである。

しかしながら、そればかりに終始していれば、
外部刺激ばかりに巻き込まれ、
肉体感覚以外は、何が何だかであり、
どうして世界は酷いのか?・・
なぜ彼はあーなんだろう・・、
なぜ、私は幸せではないのだろう・・・
でも、いつかきっと幸せになるだろう・・、
そんなことで終始するかもしれない。

そして、
それすらも・・わたしが在る・・が故である。

外側の観念から自分を規定し、わたし以外の何かになること、
あるいは物質・肉体の中で、永久に惰眠することは決してできない。

なぜならば、
わたしは・・・常在・・・時空を超えて在る・・
わたしは、わたし・・なのであるからだ。





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