京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

絵解き

2023年04月23日 | 催しごと・講演・講座
慶讃法要が勤まる西本願寺の門前。


向かいのミュージアムでは法要に関連した春季特別展開催中で、土曜日だけ〈三河すーぱー絵解き座〉による絵解きの実演があるので昨日出かけた。この座は僧侶もそうでない人もいて、20年の活動歴があるという。琵琶の音とともに語りは始まった。

9幅の太子絵伝(複製)が掛けられ、差し棒で示しながらのお話は、
聖徳太子の誕生、握ったままの指が開かれた2歳のときの合掌、その姿像、開いた手から零れ落ちたという仏舎利、仏教伝来による蘇我氏と物部氏の対立、太子の教え、長野の善光寺、善光さんのこと、四天王寺建立、六角堂での親鸞との関わり…等々。

〈絵解き〉と言えば『那智山熊野権現曼荼羅』を絵解きして、熊野への信仰を掻き立てた熊野比丘尼が浮かぶ。
物悲しい節回しで諸国に「熊野の本地」の物語や熊野権現の霊験を語り伝えた女たち。
かつて熊野古道を歩くツアーに参加していた折に、善男善女の涙を絞ったという比丘尼の話を読んだこともあった。


この日絵解きを披露された座長さんは「絵解きはエンターテイメント」とお話のようだ。どう伝えるか、絵伝を穴のあくほど見つめ考え抜いて台本を書く、のだとか。
太子の教えも、親鸞聖人の教えも、弟子たち、あるいは志ある人々の書や語りを通して広まる姿を見ることができる。『論語』もそういうことだ。
一度聞いてすべては記憶に残らないし身に添えない。誤って解釈することもある。だからこそ教えを聞き問答し語り合うという姿勢が問われてくるのだろう。

『金剛の塔』を思いだし書架から取り出した。昨年秋、初発の感想は作品の構成も含めてイマイチだった。
「わかりやすいことは薄っぺらでもある。なにも考えさせない小説に良質な読後感は期待できない」と乙川優三郎氏が作中の人物に言わせていた(『この地上で…』)。
あのときのモヤモヤ。絵解きが再読へといざなってくれているのか。太子のお導きか。
どこかに聖徳太子のストラップが落ちているかもしれない。

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