黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

新・武漢便り(7)――「国と国の関係」に思う

2013-03-26 09:07:04 | 仕事
 宿舎の窓から見えるプラタナスの巨木(僕の部屋は3階にあるのだが、その高さは木のちょうど半分ぐらいになる)も、いつのまにか一斉に黄緑色の若芽を吹き出しており、海棠の花も気がついたら散り始め、ああやはり確実に春は来ているんだなと思わせられたが、生来の貧乏性の故なのか、外の景色をゆっくり眺める余裕もなく、毎日を過ごしてきた。
 そんなここ2,3日でも、文字(簡体字)を頼りにテレビを見ていて、中国の「外交」についての報道が日本での報道と大きく異なることに気付いた。それは、日本の外交は歴代の政権が「日米関係の重視」を言ってきたことに象徴されるように、欧米中心――これは、明治時代の初めに福沢諭吉が「脱亜入欧」を唱えて以来の伝統と言ってもよく、結果的に「アジア蔑視」(中国・朝鮮蔑視)に繋がるものである――になっているが(それに加えて日本が「島国」であることとも関係するのかも知れない)、GDP世界第2位に上りつけた「経済大国」(内実は決してそのようには言えないと、生活してみて実感しているが)中国の場合は、国土が広く多くの国と国境を接しているということもあるのだろう、非常に多岐にわたっており、少しずつ変わってきているように思われる。
 例えば、現在習近平主席は、中国経済界の面々を多数引き連れてアフリカ諸国、ロシアを訪問しているが、アフリカ諸国に多額の援助をしている(及び次々と「資源外交」を繰り広げている)余裕と自信なのか、習主席は始終笑顔を絶やさず、相手国首脳の緊張しきった顔と対照的な印象を受け、「へえ」といった感想を持った。前にも伝えたが、僕が暮らす外国人教師専用宿舎は留学生会館に隣接しているが、その留学生会館に住む留学生の大半はアフリカ系の黒人やアラブ人で、彼らがどのような階層出身なのか分からないが、中国では高額所得者の印でもある車を持っている学生もおり、多くの学生が電気オートバイを乗り回していて、中国とアフリカ・アラブとの関係が大変深いことを推測させたが、「援助する代わりに中国の世界における地位を支持してほしい」といったテーマを掲げている(とされる)今回の習主席のアフリカ外交を見て、さもありなん、と納得した。
 もう5,6年前になるだろうか、筑波大学図書館情報メディア研究科とベトナム国立図書館との「交流協定」を結ぶためにハノイに行ったとき、その前年に小泉首相(当時)が経済界のお歴々を300人引き連れてベトナムとの経済協定を結び、その結果各地の大学(特に、関西のある大学が九州に設置した国際学部には数百人規模のベトナム人留学生が在籍するようになったという)にベトナムからの留学生が増えたと言うことがあったが、同じことが今の中国の外交政策にも感じられる。
 ロシアとの関係についても、中ソ論争―中ソ紛争以来決して友好的だとは思われなかった「中―ロ」関係の修復が急がれているようで、ロシアとの関係が改善されれば、国際舞台における中国の発言権が増すことは確実で、それは対北朝鮮政策の微妙な変化にも通じている。
 今朝鮮半島では、北朝鮮の「休戦協定破棄」→「(金正恩の)ソウルを火の海に、発言」、及びそれに呼応米韓合同演習によって、緊張が仮構されているように見えるが、中国のテレビはそのような朝鮮半島の状態を「冷静」(ということは、北朝鮮に対して厳しい態度で臨んでいることを意味する)に伝えているように思える。つまり、いたずらに「米・韓・日」を刺激するような北朝鮮の「瀬戸際外交」を戒めているのではないか、ということである。
 どうも「大人の外交」に変化しつつあるのかな、と思われる。こんなことを書くとまたぞろ「左翼」とか「中国びいき」などと言われかねないが、それは日本(安倍首相)のやたら「愛国心」をもてあそぶような「危険」な外交とは相当違うのではないか、という印象を与えるものである。安倍首相の尖閣諸島問題に関する言動を見ていると、北朝鮮の金正恩の「瀬戸際外交」と同質なものを感じられる。「外憂」を作って「内患」を粉塗する、何ともいじましい外交である。
 春なのに、……。