黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

新・武漢便り(5)――忙しい日々の中で

2013-03-24 09:42:25 | 仕事

(講演会の看板)

(講演中の僕)

(着手発表会の後、みんなで) 


先週は、18日(月)、19日(火)が授業(講義とゼミ)と「着手発表会」のための相談、そして20日(水)~22日(金)まで済南の山東師範大学に招かれての講演、更に23日(土)は修士の「着手発表会」、朝8:30~午後4:00まで、その後新潟大学と長崎純心女子大学へ留学する学生8名の壮行会を兼ねた慰労会(打ち上げ)、と慌ただしい1週間を過ごした。
 山東師範大学の講演「村上春樹は何故ノーベル文学賞を受賞しなかったか」は、昨年の10月頃に企画されたものが、例の尖閣諸島の国有化問題で緊張の度を深めた日中関係のあおりで「延期」にされていたのを、沈静化されたので実施したものである。周知のように、昨年のノーベル文学賞は中国の莫言が受賞したが、山東省は莫言の故郷で、別にそのために講演の標題を選んだわけではなく、山東省と言えば、青島の中国海洋大学で一時は村上春樹の専属翻訳家として名前の知られた林少華氏が教鞭を執られているところで、彼とはまだ会ったことはないが、メールでは何度も情報を交換した中であり、そのようなことがあるからなのか、中国でも村上春樹のファンが多い地域と聞いていたからである。現に、このような演題を提案したとき、講演会を企画した大学の責任者も「学生も楽しみにするだろう」と言ってくれた、ということもある。
 実際講演を行ってみると、授業中の時間設定であったにもかかわらず、山東師範大学の学生・教員だけでなく、近隣の山東農業大学や山東交通学院(大学)外国語学院などの日本語かの教員や学生が多数詰めかけてくれ、終わった後に、今まで聞いたことのないような講演だった、と一応「好評」だった。
 本当は、講演の後「質疑応答」があるはずだったのだが、「儀式」が長引き、また僕の話が長かったからか、その時間がとれず、話を聞いてくれた人たちがどのように受け止めてくれたのか分からなかったが、壇上から見る限り、つまらなそうにしている人たちはあまり見受けられなかったので、「結果オーライ」だった、と自分では思っている。
 講演会の慰労会(食事会)の席で、日本語科の先生たちの話で、この次(というのは、僕は前から話があったのだが、山東師範大学「山東省日本学研究センターの客員教授に招聘されたと報告された)には、黒島伝治の『武装せる市街』や大田洋子の『真昼の情熱』などの舞台ということもあるので、「山東省と日本近代文学」というような内容で話をしてほしいと言われ、機会があればということで山東省への「小さな旅」は終わったのだが、山東料理はあまり辛くなく、日本人(僕)の口に合うように思い、また来たいと思わせること大であった。また、武漢に比べて街が「きれい」なのも、印象的であった。

 修士の「着手発表会」は、18名中、文学が14名「文学領域」、4名が「文化領域」の発表、教師の参加は僕を含めて6名、なかなか活発な議論(質疑応答・アドバイス)であったが、結果として、多少の手直しが「文化領域」の4名で、「文学領域」は全員が一発合格になったので、文学担当の僕としては、内心ほっとしている。いずれまた、華中師範大学の大学院について箱の欄で各予定だが、それとなく伝わってきた前日までいた山東師範大学の日本語科大学院の現実(研究方法や主題設定のやり方、等)とは、相当違っているという感想を、僕は持った、
 ともかく疲れた1週間であった。