最近は単純な労働であれば、その仕事は機械(ロボットなど)に奪われるようになるということが話題になったりする。今人間がやっているほとんどは、たとえサービス業の仕事であっても、機械による代替が将来的に可能になるだろうという話だ。それは大変にいいことだなと、僕なんかは直感的に感じるが、どうもそういう趣旨ではなく、多くの人々はロボットに仕事を奪われ、失業してしまうということらしい。機械に代替できない弁護士などの仕事は残るというが、そういう困った人が弁護士に相談して金を払えるんだろうか。
こういう話の気分というのが今一つ僕には分らない。ロボットや機械が人間の敵であるということを言いたいのだろうか。機械を操っているのもお仲間の人間だろうし、じゃあ、仲間割れの話じゃないか。
それにしてもどんどん働いていた人間をクビにして生産性があがるならば、その企業は儲かっていい話である。さぞかし潤沢にお金を使えるだろうから、その周辺は潤うだろう。その使う金全てをロボットに支払うのなら別だけれど。ロボットに支払ったとしても、受け取るのはその雇い主だろうけど。
要するにお金を使って喜んでいる癖のあるのは人間であって、みんな失業して金を使わなくなると、そもそも何も生産する必要もなくなる。ロボットなんか使っても何の意味も無いのではないか。失業した人だってロボットを使って何かやったらどうだろうか。
こういうのを心配する人は、いったい何を心配しているのだろう。いや、失業が怖いということなのかもしれないけど、ライバルロボットのおかげで空いた時間に、もっとやるべきことが見つからないのだろうか。
特段ロボットのいなかった時代から仕事はいろんなところから奪われてきたはずだ。近年では周辺国からだったろうし、周辺国はそのまた周辺国からだったろう。それぞれどうしてきたかは僕らは目の当たりにしてきたはずで、いろいろ仕事は変えて、何かやってるんじゃないだろうか。もちろん昔ながらの職人さんというのも僅かながら残っておられるかもしれないが、わずかだから残っているのかもしれないではないか。
まあ、そう言うことで、有り余る仕事の中から何かをまた選択するという面倒を別にすると、心配事は減るんじゃなかろうか。もっとも真っ先に必要とされなくなるのは、他ならぬこんなことを言っている自分自身であるというオチも待っているかもしれないが。