八月の狂騒曲(ラプソディ)/黒澤明監督
黒澤監督作品中でも特に評判の悪い作品。はっきりと愚作とくさす人も多く、そういう意味でも貴重な作品かもしれない。
被爆者の祖母の家に孫が四人遊びに行く。世代間ギャップもあって、子供たちは必ずしもお婆ちゃんに全面的に好意的という訳ではないが、原爆資料館やアメリカ人の訪問などがあったりして、徐々に過去にあった悲惨な被爆の体験を感じ取っていくというお話。
特にこの作品は外国人からの批判が大きかったのだが、アメリカからやってきた青年(リチャード・ギア)が、被爆者に謝罪する場面が特に気に障ったというのが実情らしい。狭量で偏見に満ちた西洋人らしい反応ということに過ぎない。確かに作品としては地味で、楽しい作品ではない。名作かと言われたら、たぶんそうではないだろう。しかしながら批判されるのは黒澤作品だからということと、そのような外国人の偏見に根差すものであることを考えると、少し表面的に残念であると思う。何故なら随所に黒澤監督らしい非凡さが見られ、なかなか面白いからだ。批判された米国人の謝罪というファンタジーも、戦争批判や反戦モノとして大変に素晴らしいメッセージ性がある。被爆者の思いがこれほど汲み取られて表現されている作品は少なく、それだけでも貴重である。反戦を真摯に願う外国人のために、残されるべき作品と言えるだろう。
映画としても、戦争で残されたものの無言の会話であるとか、被爆で溶けかかったジャングルジムの周りを整理する本当の被爆者の人たちの集まりだとか、妙な公民館のようなところで集団で祈る姿だとか、浮いた野バラの歌だとか、妙に印象に残る場面も多い。やはりこれは、黒澤監督の強烈な個性と優れた才能があふれ出ている演出だと思う。小賢しい日本の大人たちのいやらしさと対比して、お婆ちゃんの純粋であるがゆえに狂っていく姿を、子供たちはどのような思いで見ていたのだろうか。このようなファンタジー作品が反戦モノであるというのも、独特の皮肉が効いていて、いい映画ではないだろうか。少なくとも戦争を体験した大人たちは、観てみてはどうだろう。