ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

旨辛

2019年04月28日 23時33分46秒 | Weblog
初めは指の筋力保持と、手慰みにと始めた折り紙であったが、
今では机の上が乱雑になる程度にはハマっている。

以前に比べると指の筋力もかなりついてきたと感じるが、結局
絵を描く時に線が震える頻度は変わらないので、歩く筋肉と自転車を
漕ぐ筋肉が違うように、別物なのだと今更気が付く。
とは言え、特に弊害がある訳でもないので良しとする。

そんな折り紙であるが、毎度完成にまでこぎ着けられるものではなく、
度々失敗もする。
折り紙と言えば、折り図に沿って進めていくだけの、完全に一本道
RPGのようなものと思われるが、実際には数多の試練が待ち受けている。

まず、用紙の大きさ、厚みが適切でない場合。これが頓挫する最大の
要因であるが、どんなに力を込めても折れない、と言うか折れる前に
割けるといった、物理的な障壁である。

次が、折り図が難解、もしくは不親切で進めないパターン。
折り紙作品は折り図までを含めて扱われると言われており、実際
確かにかなりの差がある。作業そのものは難しいが、無駄なく進められる
ものもあれば、用紙を酷使するような工程が大量にあり、しかもそれが
時に無駄になるような、頭を抱えたくなるものまで様々である。

折り紙の作品を一つ折り上げるのに、大体2時間強かかるが、失敗した
場合文字通りの紙屑となる。金銭的なロスは殆ど無いのが救いではあるが、
ゲームの2時間分をリセットで持ってかれたような喪失感は変わらない。
しかし、上に述べたうちの物理的要因で失敗した場合はまたやるかという
気持ちが湧いてくるのに対して、不親切が元で失敗した場合は
もう二度とやるかという気持ちにさせられる。

人に何かを挑戦させるにあたり、適度な難易度を設定するのは良いが、
そこに無駄があったり、不親切さ(往々にして制作者が難易度と意地悪さを
はき違えている場合がある)が感じられると、躓いた際に一気にやる気が
損なわれる。これはおそらくゲームでも同じであろう。

意地悪と感じるような、必要性に乏しい無駄な難易度は、難しくて辛い
というその辛さを味わう一部の奇特な愛好者が喜ぶものでしかなく、
そのようなコンテンツの行く末は、音ゲーのような超人育成ゲームの
ように、道の途切れた崖である。 気をつけねばなるまい。
コメント
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