華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪10年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

老いては子に…

2009年07月09日 23時20分09秒 | Weblog
我が家には御年86になるばーちゃんがいる。年齢のわりにはしっかりしてて、家事全般から庭の手入れなど何でもしてくれていて、働きに出ている両親もかなり助かっている。
ただ、やはり寄る年波には勝てない場面もあって、その一つとして外出の量がめっきり減った。70歳を越してからも海外旅行へガンガン行くような、80歳で10年パスポートを取るようなばーちゃんだったけど、さすがに今は足腰に来るので、近所のスーパーが精いっぱい。それでも十分すごいと思うけどさ。移動手段は徒歩か公共交通機関で、車は持ってないんやし。
というわけで、買い物に行かない日は家にこもりっきりで、せいぜい庭いじりをする程度。誰とも口をきくことなく私や両親の帰りを待つことも多々ある。

ゆえに、私たちが帰宅すると、機関銃のように話が始まる。

今日は母から夕御飯のおかずに肉じゃがを作っておいてと頼まれたのに、休みだった父のリクエストはカレーライス。でも祖母はカレーを作る自分の腕に自信がなく、迷いながらも肉じゃがを作り始めた時に私が帰宅。荷物を置く間も、着替える間も与えることなく、母から頼まれたこと、父のリクエスト、自分の料理の腕、現在進行形の料理について怒涛のように話し始めた。

(※)
「肉じゃが作ってって言われてん」
「カレー食べたいって言うねん」
「カレー作るの苦手やねん」
「あんたしてくれるか?」
「おばあちゃんはどっちでもええねん」
「あんたに任せます」
(※)

絶え間なく続く話に、私は荷物を持って突っ立ったままうなずくこと数分。やっと解放されて、着替えに自室へ。それから部屋でメールチェックとか横になってボーっとするとかしていたら、階下から痺れを切らしたように
「Yoshimiちゃーん、カレー作らんのかぁ??」
と叫ぶばーちゃん。

…へーへー、作らせていただきます。

年を重ねたからなのか、本来の性格なのか、ウチのばーちゃんは今思ったことがすぐに実行されないとイライラするタイプ。直接言ってももう無駄なので、「私にも私のペースっちゅーもんがあるんですよぉ」と心の中で独りごちながらカレーライスの調理を開始。
私がキッチンに立ったら立ったで、今度は私の腕が信用できないらしく周りをウロウロ。狭いスペースに二人もいたら正直ジャマなので、私の手が止まる。それを見たばーちゃんは、どうも私がイヤイヤ料理をしているように感じてしまうよう。

そして言いわけ(!?)が始まる。
「おばあちゃんな、お母さんに肉じゃが作っといてって言われてん」(以下、※部分繰り返し)

今日は※部分を3回ぐらい繰り返し聞いて終了。ま、平均値かな。

年を取ると同じことを何回も言うのはよくある話。まして、母の期待と父のお願いに挟まれた今宵の祖母のプレッシャーは結構なものだっただろう。3回のリフレインで済んで少ないぐらいだ。

工場で疲れて帰ってきた途端、祖母の話のリピート再生はときどきしんどい。でも、86歳で元気でいてくれるだけでも十分“子孝行”“孫孝行”なばーちゃん。またしばらく離れて暮らすんやし、話相手ぐらい喜んで務めさせていただきます。
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元かしまし娘

2009年07月08日 20時32分14秒 | Weblog
今週で工場を辞める。なので、同時期に入社した同僚とランチを食べに行った。私を含めて8人が早上がりか休みを取ったので、工場としてはかなり迷惑な話やけど。

私もここまでバイト先のことについてチョコチョコ書いてきているけど、何もそれは私だけが感じているわけではなく全員共通。席についた途端、まー出るわ出るわ、日頃のウップン。料理を注文し、食べ放題のパンを食べ、料理を食べ、デザートを食べ、コーヒーを飲み終わっても話は止まることを知らず。正直言って、私は何を食べたか覚えていないぐらいだ。
話の内容は工場における各自の経験談。あの人に怒られた、この人に助けられた、あの人いい人、この人感じワルイ人…などなど。同じ人について話すにしても、それぞれが持つ印象は違うので、そういう話をすり合わせていく過程はとても面白かった。それに加えて、悪口にはならなかったのも楽しく話せた理由。みんな、事実を比較的淡々と受け止めていて、それぞれに不満はあるものの愚痴愚痴言うことなく、最終的に「いろんな人がいるよね」。この調子だったのでイヤな気持ちは残らずスッキリとした。
そんな感じで、お店の人にいやな顔をされながらも、1時前から4時過ぎまでノンストップでおしゃべり(水も替えに来なくなった!!)。“女が3人よればかしましい”というところ、8人もいたんやから当たり前よね。こうやってマイナスの気持ちを吐き出すことでスッキリし、最終的にプラスとなって返ってくるんだから、おしゃべりって一番安くつくストレス解消なんでは? 女性が世界各国の政権を握ったら武力闘争ではなく、「アメリカ腹立つねーん」「最近、イランが生意気じゃなーい?」ぐらいの文句の言い合いで終わって、世界平和がもたらされるかも。

みんなと共に働いた期間は約3か月。同時期に毎週のように新しい人が入ってきたけど、中でもこの人たちと仲良くなれて良かったと本当に思う。なぜなら、ちょっと上からモノ申すけど、楽しようとする人がいる中で、今日一緒にランチを取った人はよりよい仕事をしようとする努力をする人ばかりだから。自分たちがちゃんと努力しているという自負があるからこそ今日の会話は愚痴にはならず、実際に起こるやや理不尽とも思えることを笑い飛ばせるんだと思う。
私は工場で働き始めた当初、不満ばかりがたまり、仕事をまったく楽しめなかった。けど今は、みなで過ごすランチの時間を楽しみに頑張っている。私の入社が一週間早かったり遅かったりしたら、環境はずいぶん変わっていたはずで、そういうことを想像するにつけ「私は人運に恵まれている」と思う。

さて。
私の勤務もあと2日。今日でたまったものはスッキリ出し切ったのでもうひと頑張りするかな。
写真はランチの後の一枚。
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七夕に寄せて

2009年07月07日 20時14分35秒 | Weblog
今夜はあいにくの天候の七夕さん。残念ながら天の川は見えないけれど、願いがかなうように夜空を見上げてみる。私は他力本願のわりにはゴウツクバリなので願い事がたくさんある。短冊が何枚あっても足りないだろうし、笹も一本ではダメだろう。

さて。その願い事やけど。

実は私は、来週オーストラリアへ再度渡ることにした。そこで何をするかというと、大学に入って2年間勉強し、看護師の資格を取ろうとしている。さらに書けば、卒業後は現地で看護師として働き、永住権の取得も目指すつもり。これが40歳までにしようとしていること。現在35歳、間もなく36歳。足掛け5年計画である。

退職してから、ブラブラと気の向くままに英語を学び、導かれるままにCreative Industries科(芸術系のコースだと思ってほしい)で勉強していたけど、本当に次にやりたいことが見つからなくて、毎日を楽しみながらも、心のどこかではずっと苦しい日々だった。特に帰国してからは日本での就職にまったく興味がなく、かといって豪州に戻る理由もなく、焦りばかりが先行して眠れない夜もあったりした。ただ、幸いにして私は、苦しいときにアドバイスをくれたり、ヒントを与えてくれる大勢の友人・知人に囲まれているので、そんな人たちに心情を吐露しながら気持ちを整理し、要所要所で貴重な出会いを経験しながら、最終的にこの新しい目標にたどり着いた。
まぁ、詳しく書いたらすげー長いブログになるので端折るとして、悩んだ末に出会った新たな目標は決して妥協ではなく、これに関して私は至ってHAPPYだと言っておこう。

で、この目標は“願い”ではなく“予定”。私の願い事はというと

「何事にもくじけない強い心をください」。

これである。
この先には結構な苦労が待ち受けてる。勉強もこれまで以上に大変だし、他にもいろいろと悩みや憂いはある。でももう決めたことなので、とりあえず今はグチャグチャ考えることを止めて、目標に向けて走っていく。そのためには強くあらねばならない。自分に甘く、かつ寂しん坊の私が、くじけず迷わず歩いていけるだけ強くあれることを切に願う。

ついでに書くと、上記の目標をクリアした後には次の目標が控えている。40代、50代それぞれに達成したいことがある。なのでこの先5年の目標はあくまでステップ。

デカいステップやで、ほんまに。

我ながら、なかなかハードな人生を選んでると時々思わざるを得ない。

今回、ここで自分の目標を発表することはどうかとも思ったけど、言霊を信じているので、積極的に口にしていくことで自分を発奮させ、かつ情報や機会を得る可能性を広げていこうと思った。安室奈美恵によると

“夢なんて見るもんじゃない、語るもんじゃない、叶えるものだから”(「Chase the Chance」)

ということのようやけどね(正確には小室哲哉!?)。40代、50代の目標についてはまたいずれ機会があれば書くとしよう。

さて。
夜空でも眺めてくるかな。上記以外にも
「頭が良くなる」「苦労なく痩せる」「宝くじが当たる」
などお願いせんとアカンからさ。
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人心

2009年07月06日 22時58分18秒 | Weblog
今日も工場でバイト。以前にも少し話題にしたことがある、いつも元気に新人や同僚を叱り飛ばすベテランのおばちゃん・Aと同じラインで、朝からプチブルー。でも午前中はヤイヤイ言われながらも大きな失策を犯すこともなく、大声で怒鳴られることなくつつがなく作業を終えた。
そして昼食後。同じラインだけど持ち場が変わって(一日中同じ作業をすると疲れるし集中力も落ちるので、このように午前と午後ではたいてい作業内容が変わるのです)、しゅくしゅくと作業を続けていた。すると、Aさんが一人ラインから外れて作業をしている。何してんのかと思って隣に座っていた先輩格の方に聞いたら、「Aさん、午前中箱詰めしてやん? 全部、逆方向に詰めてたらしくて一人でやり直してはるねん」。

やりおなし!?

しかも一人で??

午前中の3時間、おそらく何百個と箱を組んだはず。それらを全部開けて詰め直して封…なんてすごい労力。私なんかはみんなで手伝わなくていいのかな?と思ったんだけど、今日一日のノルマがあるためラインの稼働を止めるわけにもいかないから、Aさんが一人でやり直すしかなかったよう。

Aさんがミスをした話は、他の人にとっては、まぁ、ちょっとした話題になる。だっていつも偉そうにモノを言ってる人が不注意によるミスを犯し、ひとりでやり直してるんだから。かといって「いい気味!!」というような話題のなり方ではなく、あくまでヒソヒソ。ほんの少しだけ話題にして、あとは口をつぐんでいる。万が一本人の耳に入ったら、あとからどんな返しがあるかわからんもんね。ま、あとは、そのヒソヒソ話をした人たちが、他人の失敗を肴にお茶を飲む…という意地悪な人たちではなかったということでもあるけど。
ちなみに断言する。
この失策を私が犯していたら、私は十中八九、Aさんに「何やってんのよ!! 説明の何を聞いてたん!? 基本やろ!! 信じられへんわ!!」と完膚なきまで叱り飛ばされ、さらに周りに吹聴されたはずだ。

Aさんが一人でポツネンと作業をしている間、結局、誰も声をかけにいこうとしなかった。プライドを傷つけるかもしれないし、もしくは「放っておいて!!」と怒鳴られるかもしれないし。良く言えば“そっとしておこう”。悪く言えば“さわらぬ神にたたりなし”。

そんなAさんを見て思った。
「やっぱりこれは人心掌握に失敗してるからじゃないかな」と。
だって私だったら超落ち込んで一人で作業してるから、「頑張れ」とか言ってほしいもん。

Aさんが叱ったり怒鳴ったりすることを全否定するわけじゃない。たまには必要な時だってあるだろうから。でもそれには叱る人への愛情が不可欠で、残念ながらこの方は愛情を感じさせる叱り方をしない人だったりする。ゆえに今回のような状態になったんではないかと思う。誰からも声をかけられなかった状況を、Aさんがどのように感じているか知らないけど(まったく気にしてない可能性もある)、私の目には寂しいことのように映った。これは別に、Aさんに態度を改めてほしいと思ったわけではない。「もし私なら…」と考えたとき、困った時に誰からも声をかけられないなんて、単純に寂しいもん。周囲の人とちゃんとした信頼関係を築いていかないといけないんだ、もし築けなかったらこうなるんだ…というようにいい反面教師になったというか。あくまでAさんが寂しいと思っているかどうかは謎だけど。

ひとつの狭い空間で大きな変化もなく基本的に同じ仕事をして過ごす日々。入れ替わりが激しく、かつ大勢の人に会う職業に就いていた私にとって、この工場でのバイトはいろいろと発見すべきことが多い。学んだことを活かしていかんとなー。

それもあと3日なんだけどね。
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客商売

2009年07月04日 23時16分50秒 | Weblog
今日、とあるお店に行き、店員さんと話すことがあった。向こうは客商売のためだろうか、私が何をしているのか、どういうものが好きかなどを質問してくる。こういう場合、私はたいてい自分の話は小出しにして、相手が本当にお客の話を聞く用意があるようなら続けるし、ないようなら適当に打ち切るようにしている。だって、向こうも話を聞くばっかりで疲れてるだろうと思うから。

正味の話、今は豪州帰りであることを話すとたいてい食いつきはいい。でも、確かにはたから見たら変わったことをしているかもしれないけど、私はそれを自慢したいわけでもないし、事実いいことばかりでもないので、望まれれば話すが積極的ではない。ましてや親しくもない人に。しかし、今日も話の流れ上、この件について触れることになり、やっぱり相手はグイグイ聞いてきた。けど、質問はしてくるのに、それに関して回答したら「すごいっすね」のみ。声のトーンもややテキトー感が漂う。なので「あぁ、興味ないんだなー」と思って話題を変えようとしたんだけど、なぜかこの店員さん、またその話題に戻って「すごいっすね」。

思ってへんよねぇ?

そのうち話をしていてだんだん疲れてきてしまった。

ちょっと上から目線でモノ申すけど、私は、よくも知らない人に自分の貴重な経験談を披露するほどお人好しではないし、自分の話に興味のない人の質問に一生懸命応えるほど親切でもない。
結局、あまりいい気分ではないままお店を後にすることになった。おそらくこの店には、よほどのことがない限り行かないと思う。

帰り道、店でのやり取りを思い出していた。客商売である以上、本当に相手に関心を持たないとダメなんじゃないか…ということ。私は、人間は基本的に自分に関心を向けてほしい生き物だと思っている。なので逆に、適当な返事や相槌は残酷なぐらい相手に伝わると思う。客商売は人心をつかんでナンボなんで、これらの心掛けはマストなんだろうなーなんて考えていた。

私は近い将来、人に接する仕事に就きたいと考えているので、こういうシチュエーションは実にいい学習の場となる。こういう小さな経験をこの先の自分に役立たせたいと思う。
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プチと呼ばれたい

2009年07月03日 23時43分17秒 | Weblog
私にはいろんな夢や希望、憧れがある。現実的なものから夢想的なもの。具体的なものから抽象的なもの。実にさまざま。

そんなものの中のひとつといえば。

“プチ”と呼ばれたい。

私は小さい頃から縦にも横にも標準以上の体型を維持している。となると、私に課される形容詞はだいたい

“デカイ”

なのである。

悲しいかな、バランスよくデカい(!?)ので、背が高く細い人に使われがちな“大きい”ではなく、“デカイ”と表現されることが多い。
ちなみに元野球選手の野茂英雄投手も同じことを言っていた。

プチ(petit)は“プチうつ”“プチ整形”というように近年日本語外来語として普通に使用されているが、もとはフランス語で“小さい”という意味。三十余年の私の人生で、痩せていた時期なんてないけど、少しダイエットに成功してほっそりした瞬間でも身長とふてぶてしい態度のためか、“小さい”と形容されることとは無縁の生活を送ってきた。
そんなわけで“プチ”と形容されることに憧れるのである。ないものねだりとはよく言ったもんで。

で、実はこの話を、バイト先の一緒にご飯を食べているヤマさんに話した。するとひとしきり「おもしろーい」と笑った後に「わかった。私がそう呼んであげる」。
憧れていたとは言え、自分には日本とアルゼンチンの地理関係ほどに遠い形容詞。こっぱずかしい思いとともに「呼ばれるとどんな感じなんやろ?」とちょっとワクワク。そして先日、その瞬間がやってきた。

「おはよう、ポチ」。

…犬!?

ヤマさんはきっと“プチ”と言ってくれたに違いない。でも私の耳には“ポチ”にしか聞こえなかった。自分自身が“プチ”と呼ばれるはずがないと信じてるから、深層心理で“プチ”と呼ばれることを、知らず知らずのうちに拒否してんのかしら?なんて思ってしまった。

とりあえずひとつ夢を叶えたけど、それを現実のものとして感じるのはもう少し先になる様子。

だって実際デカくて、小さくないんだもん。

せめてダイエットでも頑張るかな…。
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本日のおコトバ

2009年07月02日 21時11分13秒 | Weblog
私は“言葉”が好きだ。というか、言葉の持つ力にとても興味を持っている。物書きを志したのは高校生の時。幸い、言葉に携わる仕事に就き、ある程度の満足を得たため退職したものの、今でも言語に対する興味が尽きることはない。それどころか、今度は英語という言語を学んだことで、余計に興味が広がったと言えるかもしれない。

そんなわけなので、私にはお気に入りの言葉、文節、文章がいくつもある。昨日書いた「“絶対”などあまりない」もそう。今日はそんなお気に入りのうちの一つを書いてみる。

「ゼロよりマイナス」。
この言葉を発している私に遭遇した友人・知人は数多いのでは?
どんなしんどいことでも悲しいことでも、また辛いことでも、そういう経験がある方が、なーんにもない人生を送るよりもいいと私は思っている。たとえば失恋をして「もう恋なんてしたくねー」って思うけど、でもその恋愛から学ぶ経験ってたくさんある。自分がどんなに弱いかを知ったり、話を聞いてくれる友達の存在に気づいたり。また次の恋愛をした時に過去の経験が生きたり。でも失恋をしなかったらそういうことは知らないまま。そして人間としての幅は広がらない。

何度も書くけど、現在、私は工場でアルバイトをしている。誤解を恐れずに書く。ここでの仕事を見下したいわけではない。でも勤務10年以上のベテランさんでも入社2週間の新人さんでも、“誰でもできる”仕事をしていることが、私には満足できないことだった。もちろん長く勤めてるからこそできるという技はたくさんあるし、かつそれらの技を実践するには頭を使うことも必要。さまざまな能力が要る。でも私は、“もっと自分でいたい!”という欲求が強い。要は、おこがましくも自分個人の知識や経験、能力が問われる仕事に就きたいと思って、かつそれを目指している。前からこういう自分の性格は知っていたけど、この工場で働くようになって、改めてその思いを強くした次第。

入所当初は工場の仕事がイヤだった。でもこの仕事に就いたことで自分の希望を再確認できた。

マイナスの出来事がプラスへ転換。

=“ゼロよりマイナス”。

あら、いい日本語があることに今気づいた。

災い転じて福となす。

これこれ。

毎日が勉強で、すべての人が教科書のようなもの。そのように考えて生きると人生とはなかなか興味深い。そうそう“人の振り見て我が振り直せ”も好きな言葉。

ちなみに。
工場での仕事は来週で終わることになった。やっと要領を得てきたところで辞めるのは少し惜しい気もする。文句をいっぱい書いたけど「すごいな」って思う人もいるし。でもまぁ、決まってしまったものは仕方ない。ここで得た経験が少しでも次に活かせるように頑張ろ。
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なにもない

2009年07月01日 23時35分10秒 | Weblog
PCに向かい、今日は何を書こう?と考えること20分。

何もネタが浮かばない。

今日はバイトに行って、昨日と全く同じことをして、新人さんたちのおしゃべりにイライラし、体よりも精神的に疲れて帰ってきた。昨夜、知人と夜中に長電話をしたため寝不足で、夕食後にうたた寝。その後風呂に入ってテレビを観て今。

なーんにもない一日だった。

あ、ひとつ変わったことといったら、私が通っていたオーストラリアの大学に用事があって、出勤前に電話。久しぶりに英語で会話をして、朝から変な汗をかいた。でも不思議なもんで、ひとたびスイッチが入ると、しばらく頭の中が英語モードになる。こうなると、もちろんすべてではないけど、何かを考えるときも英語で考えていたりする。
それにしても、自分の英語能力の低下の著しいこと。やばいなぁ。私の、人生もっとも充実していたと思われる1年9か月が無駄になってしまう。

そういえば、話は全然変わるけど、最近座右の銘が増えた…っていう表現もおかしいか。自分の中で指針となる文言が増えた。

世の中に“絶対”はあまり存在しない。

これこれ。科学的なことはこの際おいとくとして。

賭け事に絶対負けると決まってるわけじゃない。
70歳を越えてからのローラースケートが絶対無理なわけじゃない。
絶交した友人との関係回復が絶対あり得ないわけじゃない。

なんかそんな感じ。

現在、人生行路を進む中で、年齢的なこと、世間的なこと、性格的なこと、家族的なこと…と取り組まなくてはならない課題や乗り越えなくてはならない問題がいくつかある。私は結構小心者なので、希望に反して安全パイを選びたがる傾向にあったけど、すでにいわゆる安全パイからほど遠い生活をしている今、上記の文言を信じて突き進むしかない。「絶対無理!」なんて思わず、なんでも挑戦してみようと思う。

そういえば小学校の先生が「“もうダメだ”は今際の際にいう言葉」って言ってたな。

どこまでやれるかわからんけど、適当に頑張ろっと。

「なにもない」からとりとめなくダラダラ書いたなー。
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