華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪17年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

好き・嫌い

2009年12月03日 21時56分22秒 | Weblog
実習も残すところあと一日。今週は午後シフトやったけど、明日最終日は全員で午前出勤をすることになったので、5時起き。現在11時。早く寝なくては。

今回、私を含めて6人の生徒が婦人科で働いている。そして3人ずつ午前と午後に分かれている。私が一緒に働くのは18歳の香港人・Mayと19歳のオーストラリア人・Jess。若いけど二人ともとてもしっかりしていて、また知識も豊富。彼女たちに教えてもらうことは毎日たくさんある。

午後シフトは忙しい日とそうでない日に差がある。たとえば水曜日は基本的に手術デーなので、手術を終えた患者さんが戻ってきた夜の病室はとても忙しい。逆に昨夜・木曜日などはそうでもなくて、できることの限られている私たちはヒマをもてあましがちとなる。
私たちは常に教育係とともに行動するようにいわれているけど、看護師の中には実習生の面倒を見たがらない人もいる。自分のことで精一杯やのに、右も左もわからん子らの面倒なんてみたくないらしい。その気持ち、わからいでもない。生徒も常にいい生徒ばかりではないだろうしさ。それでも引っ付いていなければならないので、私なぞは心の中で「ごめんよー。でもこれも仕事の一環だと思って頑張ってちょ」と、“申し訳ない気持ち・2:あきらめて頑張って・8”ぐらいの気持ちでそばに引っ付いている。

ところが若い二人はちょっと違う。
「あの看護師、すげー失礼。私、嫌い」
「もっと実習生のことを考えて教育すべき」
「っていうか毎日何も学んでないし!!」
とやや怒り気味。もちろん100%本気で言っているわけではないだろうけど、比較的プリプリしていることが多い。

ここで考えた。

「嫌い」って言い切り、怒りを覚えるのは若さゆえだろうか?

なんてことを。

30も越したら多少処世術を身に付けて、人様との折り合いをつけるのがうまくなる。相手サイドにも立てるようになる。そうして激しく「好き」「嫌い」と思うことが減っていく。別に人間関係にとどまらず、たとえば嫌いだった食べ物もちょっと試してみようかな…なんて思えるようになるのも、年を重ねて経験を積んだがゆえの挑戦ではないかと思う。だから、「嫌い」が減ることは別に悪いことではなく、相手の状況も理解できるようになるので、すべてが自分の思い通りにいかないとしても、少しの出来事から何かしら学ぶように努力もできるようになるだろうし、また相手に対する感謝の念も抱くようになると思う。
まぁ、ごちゃごちゃ書いているけど、「あの人嫌いやから話聞けへんねん!」なんていうのは若さゆえの損失なのかなーなんてことを、今日の帰り道で考えていた。

そして自分が若かった頃のことを少し思い出してみた。

いきがってたよなー。

「自分が一番!」ぐらいに思ってて。

恥ずかしいったらありゃしない。

MayとJessの言い分が間違っているとは思わないけど、もう少し経験を重ねたら今ほどプリプリしないのではないかな、と彼女たちの倍ほど生きている私は思った。

ささ。
明日最終日。
がんばるでー。
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