土佐の高知にありがとう(Ⅷ)、道草
No.178、高知ファンクラブ、3(2017)
再婚を理解して貰うための、高知での家族会議の時の様々な思いのメモである。
漱石の「道草」 (記:2002/8/12)
夏休みに娘の葉子と孫の樹ちゃんがやって来ました。会話が途切れがちです。私がお見合いをしたことがお互いの口数を少なくしています。この際、会って欲しいと思っていますが、具体的な予定の相談はできません。前もっての電話でも、葉子の気持ちは二転三転していました。複雑な思いであることは想像できます。裏切りと映るのでしょうか。売り言葉に、買い言葉の状態ではありませんが、必要なことしか言わない、聞かない、の状態に近いのです。もう少し親しみを込めてくれれば、一言相談してくれればと、お互いに思っているようです。
夏目漱石の小説「道草」を思い出しました。確かめたくなり、段ボール箱を開けて探しました。何度かの引っ越しでも開けることのなかった「文庫本」と書いてある段ボール箱です。この中にありました。くしゃみが出そうな古本の匂いです。
思い出せなかったのですが、主人公の夫婦の名前が健三とお住であることが判りました。優しい一言をその時に添えてくれれば、こちらもそれなりに嬉しい顔ができたのにと、お互いに思っている夫婦なのです。お前が、貴方がそのような態度ならば、敢えて口を利く必要もないと思ってしまうのです。だんだんと必要最小限の会話だけの夫婦になります。このように相手の所為にしてしまうのは普通にあることです。この小説の主人公健三と漱石自身が重なり合っているとの解説が付いています。
これだけはお互いに止めようねと、ちえ子と話し合った記憶があります。この小説では「二人はお互いに徹底するまで話し合うことはできない男女のような気がした。従って二人とも現在の自分を改める必要を感じ得なかった」とある。私たちの場合、徹底するまでの話し合いは出きませんでしたが、「改める必要」はお互いに感じていましたし、改める努力もしていました。もちろん、ちえ子の証言も必要ですが、何と言うでしょうか。
親子でそのような状態にならなくてもと反省しますが、親子だから遠慮がないと云うこともあるでしょう。将来のことは、今は触れないようにしています。時間が解決すると思っています。明日13日に息子の夏志夫妻が崚斗くんを連れて高知にやって来ます。
樹ちゃん(たっちやん) (記:2002/8/16)
息子や娘と込み入った話をしようと思っても、樹ちゃんは寝てくれません。話を持ち出せる雰囲気にはなりません。お互いに言い出せないでいる、避けたいと思っていることもあります。明日17日は夏志達の帰る日です。この機会に何も話し合わないことは、却って不自然であると少し焦っていました。
朝食の後、10分で手短に話すから聞いて欲しいと話し始めました。お母さんを失った子供達と妻を亡くした私との痛手の違いの言い合いになります。葉子は涙を浮かべながら話します。夏志も意見を述べます。お母さんを忘れたいと思っている筈がないこと、そしてそれを相手の人にも伝えてあることを説明します。黙って聞いているのは嫁の敦子さんと孫の樹ちゃんです。崚斗ちゃんはお父さんの膝の上でうちわを舐めています。話が途切れた時、樹ちゃんが「みんな自分のことを言っている」と言ったのです。鋭い観察力と要を得た表現力に吃驚しました。「けんかは終わったの?」で家族会議は穏やかに進みました、樹ちゃん、有難う。 註)樹ちゃんはこの時4歳です。
鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~
鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)
鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年)
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