風の子広場

特別な意味はありません。近くの広場です。
考えごとをするのに最適な場所です。
エッセーを中心に書いてゆくつもりです。

本当のプラス思考

2006-10-30 18:30:36 | 五木寛之の言葉
五木寛之著「大河の一滴」より、抜粋する。

本当のプラス思考とは、絶望の底の底で光を見た
人間の全身の驚きである。そしてそこへ達するに
は、マイナス思考の極限まで降りていくことしか
出発点はない。私たちはいまたしかに地獄に生き
ている。しかし私たちは死んで地獄に堕ちるので
はない。人はすべて地獄に生まれてくるのである
。鳥は歌い花咲く夢のパラダイスに、鳴り物入り
で祝福されて誕生するのではない。

こんなことが書かれていました。確かに、この世
が地獄なのかも知れない。そんななかに、希望や
夢に輝き感謝することもある。その一瞬を極楽と
いうのだ。

この世が地獄だと覚悟してしまえば、思いがけず
明るい気持ちになるときもあるはずだ。

宿命と運命

2006-10-24 17:53:02 | 五木寛之の言葉
五木寛之著「夜明けを待ちながら」より、

宿命というのは必然です。さっき言った遺伝子も
そうです。必然というのは狂わないものなんです
人間は宿命によってどこの家に、どの時代に生ま
れてくるとか、自分の体質、体型、いろいろのこ
とがありますが、これは変えようがない。

しかし、そこにもうひとつ、今度は人間の運命と
いうものがかかわりあってくる。この運命という
のは他から宿命に向けて働きかけてくるものであ
るから偶然が働く余地があると考える。ですから
、人間の未来には宿命という必然と、運命という
偶然が働く余地がある。

人間の運命は変わりうる。途中で生を投げ出して
しまったら、変わるはずの運命と出会うこともで
きない。どうも、宿命と運命を同一視している人
が多い。宿命と思ってあきらめないで、生きつづ
けることに、意味があるようです。こんな考えも
あるのですね。

生きる力

2006-10-22 17:14:18 | 五木寛之の言葉
五木寛之著「夜明けを待ちながら」より、

人間に生きる力を与えてくれるもの、それは大き
な輝かしいものであると同時に、ぼくたちが日常
どうでもいいことのように思っている小さなこと
、たとえば、自然に感動するとか、夕日の美しさ
に見とれるとか、あるいはあの歌は懐かしいなと
言って、そのメロディを口ずさむというふうな、
ぼくたちが日常なにげなくやっている生活のアク
セサリーのようなことが、じつは人間を強く支え
てくれこともありうるんだということなんです。

五木さんはこんなことを書いています。日常的な
ことの中に、生きる力を与えてくれるものがある
ということを言いたいのでしょう。小さなことに
感謝するということを現代人は忘れてしまってい
るような気がします。

人間は

2006-04-29 15:29:28 | 五木寛之の言葉
五木寛之著「気の発見」より抜粋する。

五木「人間はどこからきて、どこに行くのか。」

望月「私も、宇宙の大いなるエネルギーにもどっていくと
  考えています。」

私にはまだよくわかりません。宇宙の大いなるエネルギー
とは、何なのかもわかりません。

「人間の生命の源は、大河のようなもので、個々の人間
というのは、大河に流れ込む一滴の生命である。この人生
では、一滴一滴に分かれているけれども、亡くなったあとは
ふたたび大河に合流し生命の海に帰ってゆく。」 

生命は海から生まれ海に戻るということですか。まだ、「気」
についてもよくわかりません。「気」の存在を感じたことが
ないし、あるいはわからないだけかも知れませんが。左脳
だけで判断するのは難しい。

直感的に「気」は感じるものかも知れない。 

「気」とは?

2006-04-22 14:48:46 | 五木寛之の言葉
「気の発見」(幻冬社文庫)より抜粋する。

五木 そうですね。訪れてくる力というものを
   私は他力と呼んでいるわけで、特別に宗教的な
   言葉として、使っているわけではないのです。
   目に見えない力が万人に働きかけている。それを
   「気」と呼ぶかは別として。

望月 私は宇宙の無限のエネルギーと考えていますが…。

「自分が学んだ科学というものが、すべてを解明解決
できるかのような言いかたをするんですね。そういう
謙虚さを忘れた人間の傲慢さというものが、いま、この
地球を覆っているような気がする。近代人の最大の欠陥
は、証明されるものしか信じないということだと思いま
すね。」

「気というものは、右脳の働きなので気や祈りのエネル
ギーを左脳で理解しようとしても無理がある。」

「気」は今のところ科学的に存在証明ができていない。
存在証明できていないことを信じるかどうかは本人の
自由といえるが、不存在の証明もできてはいない。
現代医学はひとつの壁にぶつかっているような気がする。

「気」は気になるが、正体がつかめないでいる。時々、
こんなことを言っている。

 ひかりより早いものは? のぞみ
 のぞみより早いものは、ジェット機
 ジェットより早いものは、音
 音より早いものは、ジェット戦闘機
 ジェット戦闘機より早いものは、スペースシャトル
 スペースシャトルより早いものは、光
 光より早いものは、望み

この望みは、ひょっとすると「気」かも知れない。
時間をかけて、気を勉強をしよう。「元気で」


「気の発見」

2006-04-15 09:59:45 | 五木寛之の言葉
昨日から五木寛之さんの「気の発見」を読み始めた。
「気」とは何か、私には理解できていない。
存在さえもわからない。まったく白紙の状態です。

この世の中には、存在証明さえできないことは、
「ない」ことと思っている人が多い。そういう私も
その一人です。さてこれからどうなるのでしょうか。

ただ、日本語の中ににも「気」を使う熟語がたくさん
あります。たとえば、「元気」、「勇気」、「根気」。
この三つがあれば、毎日楽しく生きていけるような
気がします。

それに、「天気」という未知の不確定要素が加われば、
人間社会が説明できるとさえ思われます。まずは、
電車中か、待ち時間を利用して詠んでみます。

ストレス

2005-11-17 20:53:41 | 五木寛之の言葉
五木寛之著「養生の実技」より。

「要するにストレスは避けることができない。
『世間病むがゆえに、われ病む』
という言葉を、もう一度思い返してみよう。

いまの時代に人間らしく生きようとすれば、
必ずつよいストレスにさらされるはずだ。」

たまには、ストレス発散の旅に出かけるのも
いいだろうと、勝手に決め込んで、明日、高知
に旅立ちます。

坂本竜馬に会ってきます。時間の壁を乗り越え
て、竜馬の感性に触れることができたら良いと
思っています。

脳死は人の死

2005-10-10 18:32:28 | 五木寛之の言葉
「脳がストップしても体の中では免疫の働きは
続いています。生きていなければ移植などは
できないはずです。」

五木寛之さんは、脳死は人の死とは考えていな
いようです。当然といえば当然です。
免疫機能が、脳死と同時に機能を中止すること
はないはず。

「首から上が止まった後は物体であるという
考え方を法律として成立させてしまったことと、
遺体の首を切断して校門にさらした異常な行為
とは、ほとんど重なっているように感じられて
なりません。」とも書いています。

現実の問題として、脳死患者の内臓を待って
いる患者さんもいることも確かなのです。
私は、脳死移植は、必要悪だと考えています
がいかがでしょうか。

講談社文庫「他力」より抜粋しました。



他力(2) No.10

2005-09-28 21:01:14 | 五木寛之の言葉
「他力」五木寛之著 講談社文庫より。

「仏教には、〈他力〉という考えがあります。
自分以外の他者が自分という存在を支えている
と謙虚に受けとめることが重要なのです。他力
とは言葉を替えると、目に見えない大きな宇宙
の力と言ってもよく、大きなエネルギーが見え
ない風のように流れていると感じるのです。」

「自分ひとりの力でやったと考えるのは浅はか
なことで、それ以外の見えない大きな力が自分
の運命にかかわり合いを持っている。」

「それは運命論でもなければ、宿命論でもあり
ません。人はそれを知るとき、自己を超えた
大きな自由を感じるのです。」

まだよくわかりませんが、他力とは言わない
までも、宇宙の意志とかサムシング・グレート
などといっている人は多い。確認できた範囲
では、司馬遼太郎、稲盛和夫両氏は本の中で
書いています。

にわかに信じるとはいいませんが、なんとなく
そうなのかなと思うようになりました。

転がる石 (No.9)

2005-09-21 21:08:33 | 五木寛之の言葉
「たしかに、みんなと一緒、同じなら寂しく
ないかもしれません。島国に住む日本人は、
これまでムラ社会のなかで折り合って暮らし
てきました。それでも、やはりそういうこと
から離れて、自分はひとりだと考えることが
大事なのです。」

「唯我独尊」で生まれてきたのですから、生きか
たも死にかたも一人ひとり違っていい。自分の
オリジナリティというものを選べばいいのです。
「犀のごとく独りゆけ」ということです。

「ぼくは転がる石のように生きていきたいと
思っていました。そのためには、どこかが歪んで
いたり、傾いていたほうがいいのです。」

「不安の力」五木寛之著 講談社文庫より