夏鳥のコマドリの画像・・・(三鳴鳥の一角)
夏鳥のコルリの画像・・・(瑠璃三鳥の一角)
一段上の野鳥作品にするには・・・(+α次第)
野鳥撮影は他の被写体(人間・鉄道・飛行機・車〈F1等のモーターレース〉・建物・景色・花・動物・虫・有機質なもの等)に比べると奥深いもの(大きな猛禽類などを除くと、小さくて動きが速くて暗い場所に生息している)と思いますが、被写体である野鳥だけでなく、野鳥+α(花・新緑・苔・滝・海・河川・水・雪・氷・木の実等)の画像は一段上の野鳥写真(一般論として芸術性に低いと言われており、プラスαが必要不可欠となる)となるため、常にそんなことを考えながら撮影することに心掛けている。※自然界に生息している野鳥撮影(高額な撮影機材を調達するというイニシャルコスト面があり、大人の趣味となっている)やバードウォッチング(双眼鏡一つで楽しむことが出来る)は老若男女がマイナスイオン(森林浴)や自然環境のよい場所での活動が皆さんに支持されていることだと考えられている。※自然界に生きているものなので、今日いても明日いるかどうかが全く分からないリスクの高い撮影(被写体との出会いだけでも奥深さの一つかも知れない)を余儀なくされるため、ある種の野鳥を撮るために10年間も掛かる場合があったりもすることがある。
芸術性の低いと言われている野鳥写真を偶然性(然しながらその場に居なければとれない嘉造なので、観る人の心を動かすことになる)のものを含めて、どう高めていくのかが、プロアマの野鳥カメラマンに課せられた命題(暑さ寒さの中、長い時間撮影スポットで待って撮ったものなど又動きのある画像などがそんな野鳥写真と言えるかも知れない)なので、只珍しくもない野鳥(野鳥CMが一度は撮ってみたいという珍鳥などはそれだけで価値があるため、そんな話からは外れる)が木止まりしているだけの写真を誰が感動するというのかと思わなくてはならない。※見学者(特に寒い中等で、想像がつかない待って撮った画像などがそんな写真〈展示作品〉と言える)が自分には撮れない写真だからこそ、プロアマに関係なく、そこには感動するものがあると信じている。※コサギとチュウサギ・ダイサギ・アオサギ等を捏ね繰り回した画像を見ても誰も感動を覚えることもないし、写真展などの人前に晒す写真展はないと思う。
日本画科の巨匠の特徴・・・(横山大観や東山魁夷等)
横山大観の花鳥図の絵には写真で撮ったのかと思わせるような野鳥(日本の固有種のセグロセキレイが載っている)が描かれていたり、又、東山魁夷の絵の中には新緑や紅葉の景色の中に白馬が描かれており、それぞれの巨匠の絵には特徴的なものが描かれている。※横山大観はあまりインパクトがないセグロセキレイを描いているのは日本の固有種(珍しくもないセグロセキレイだが、日本の固有種を作品の中に描いている)なので、セグロセキレイをわざわざ花鳥図として描かれたものと想像できるし、東山魁夷は日本画の風景の中に動物(新緑の林の中、湖畔の白馬が水面に写り込んでいるのが特徴的だ)が描かれており、作品を見ると白馬が絵画れているため、直ぐに東山魁夷の絵と分かる。
花鳥風月の精神・・・(基本中の基本)
プロアマに拘わらず「花鳥風月」の伝統的な精神を忘れずに常に意識の中において活動することが大切であり、前述の我国の日本画壇の巨匠とは比べる事態がおかしいかも知れないが、先人の知識や知恵と我々日本人の情緒なので、常に頭の何処かにおいて、野鳥撮影をすることだと思っている。※難しいと思えば全て難しい(10年前と比べると、撮影機材も飛躍的に進化している)が、そんなシャッターチャンスを狙って、撮った画像は観る者が感動する一枚(写真展に展示する野鳥の作品となる)となるのだと思われる。
個展開催・・・(箱が小さ過ぎるため、中止)
「高尾駒野木庭園」のギャラリーに現地確認に出掛けて来ましたが、あまりにも箱(いろいろ工夫しても10点も飾れない)が小さ過ぎ、今回の個展は見送りとしました。※築90年の古民家を市が民間から寄贈を受け、市の施設(市役所の公園課が所轄している)として管理運営しており、茶房やギャラリーを併設している。※施設の中には茶房があり、休憩やお茶(コーヒーが400円で飲める)が飲める場所があり、日本庭園を眺めながら歓談が出来る。※女性に人気の施設らしく、訪問した時にも女性同士やご夫婦連れの来場者が多いように感じました。※親子連れが娘の晴れ姿を撮ろうと、着物姿の娘を庭園の石垣の花木を背景に記念写真を撮っていたのが印象的だった。