明治三十八年…“角聖”常陸山の土俵
態度を遠慮会釈せずに批判した『東洋日
の出新聞』の大正二年十月末の記事より。
△土州山に放駒は當日隨一の好取組とて
看客は熱狂して之を迎ゆ双方離れて仕切り
立上るや激しく突合つて右四ツ、放例の
如く一氣に寄進まんとすれば土州掬ひ投
にて殘し結局放の下手投にて同体に倒れ
軍配は土州に揚がりしも物言附て預り
〔後略〕
なんで転載したかと云えば、「軍配」に
「ぐんばい」に非ず、「うちわ」とルビが
ついているのである。〔旧仮名遣ひならば
「うちは」が正確。〕
明治・大正期の相撲記事スクラップを
多数所蔵しているが、「團扇」ではなく
軍配にそんな読み方をしているのを初めて
みつけた次第。
尚、逆に「團扇」に「ぐんばい」と読ま
せた事例はあるまい。
態度を遠慮会釈せずに批判した『東洋日
の出新聞』の大正二年十月末の記事より。
△土州山に放駒は當日隨一の好取組とて
看客は熱狂して之を迎ゆ双方離れて仕切り
立上るや激しく突合つて右四ツ、放例の
如く一氣に寄進まんとすれば土州掬ひ投
にて殘し結局放の下手投にて同体に倒れ
軍配は土州に揚がりしも物言附て預り
〔後略〕
なんで転載したかと云えば、「軍配」に
「ぐんばい」に非ず、「うちわ」とルビが
ついているのである。〔旧仮名遣ひならば
「うちは」が正確。〕
明治・大正期の相撲記事スクラップを
多数所蔵しているが、「團扇」ではなく
軍配にそんな読み方をしているのを初めて
みつけた次第。
尚、逆に「團扇」に「ぐんばい」と読ま
せた事例はあるまい。