堰を切ったようにCCPMについて書いてみたのは、突然スイッチが入ったとしか言いようがないのだが、
その思考自体は、なにも突然始めたものでもなく、
頭のなかで混沌として渦巻いていたものが、ある時ひょこっと顔をのぞかせる気配を見せたのをいいことに、
すわチャンス!とばかりに書いてみた、
というだけのことである。
そこで、ふと思い出した下書きの存在。
いつだったか、書きかけたまま、まだ考えが熟成してないぞと寝かせていた草稿があったはずである。
ということで、ブログ編集ページの「記事一覧」を遡ると、
思ったより以前にそれはあった。
2014年4月28日18時20分49秒、
『ホントの意味でCCPMの見える化が凄いことについて』
イマイチ気に入らなくて留め置いていたテクストだが、
きのうの稿をアップしたあとならば、そのままでも理解してもらえるかなと思い、
加筆修正をせずにアップをしてみる。
きのうに至るまでの途中稿てな感じで、読んでいただければ幸いである。
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CCPMを使って何をするか?
という問いに対する答えは、もちろんのこと一つではない。
だが、どうしてもひとつだけ。
と言われれば、今ここにいる私ならこう答える。
各自の頭のなかにある工程(段取り)を「見える化」して組織全体で共有するところから、コミュニケーション(伝え合い)し、コラボレーション(協働する)をする。
こうも言える。
ベテラン技術者の経験知を「見える化」するところから、経験や(経験から得た)知識が乏しい若手に具体的イメージを持ってもらうことで、問題や課題を浮かび上がらせ、それを組織全体で共有し、コミュニケーション(伝え合い)し、コラボレーション(協働する)をする。
どっちにしても、スタートは「見える化」である。
今朝、犬の散歩をしていてふと、その「見える化」の効能について考えていると、違う視点が見えてきた。
つまりその、「CCPMによる見える化」というやつは、何も他人さまに対してだけではなく、
自分にも向けられているのではないか、ということに気づいたのである。
「これがオレサマの経験と勘なのよ」、とかなんとかホザイてみたところで、
私を含め多くの人は、自分自身の行為について、わかっているようであまりよくはわかってない。
暗黙知を形式知に、と言えば簡単なようだが、生半なことではでき得ないのが現実なのである。
積み重ねた経験と、その所産としての勘。
CCPMを実践することでそれと向き合う。
まだまだ考え方としては練れてないが、備忘録的に記しておくことにした。
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以上、ひのさんのCCPM講座、
ナント、「その5」までつづいてしまった。
こうなりゃ明日もあるかも知れないし、ないかも知れないが、
ひとまずお付き合いいただいた読者の方々に感謝して、お礼の言葉で終わりたい。
お粗末さまでした。
そして、どうもありがとうございました。
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