答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「ある」工程表と「ない」工程表について考えた

2014年10月23日 | CCPM

現場はこのあとどんなふうになっていくのでしょうか、

と私が問うたとして、

例えばこのような工程表を出されると、

少し哀しくなってしまうのである。

 

 

たしかにこの工程表からは、どんな工種にいつ(ごろ)取りかかっていつ(ごろ)終わるのか、

というのは読み取れる。

だが「”つながり”のある工程表」を共通の言語として会話をすることに慣れ親しんでしまった私の脳ミソは、

いや脳ミソのみならず身体が、コイツに対して明らかな拒否反応を示すのだ。

「”つながり”のある工程表」とは例えばこのようなものである。

 

 

上の「ない」も下の「ある」も、同じ現場のものである。

つまり、「何がどうしてああしてこうなる」がわからない工程表と、一目瞭然に見える工程表と、

どちらがより優れていますかということであり、

私なんぞに言わせてもらえば、それはもう圧倒的な大差で後者に軍配が上がってしまうのだが、

ところがどっこい世の中はさにあらん。

前者を選択する人が圧倒的に多いのが現実なのである。

それについて、何年も前から折にふれ考えてきた私は、

多くの場合、「”つながり”のある工程表」の優位性は認めても、手間ひまがかかりすぎるからだとか、面倒臭いからだとか、

あるいは、役所が提出を義務づけているのが「”つながり”のない工程表」だから、とか、

消極的もしくは消去法的な理由で採用しているのだと、ずっと思っていたのである。

ところが最近、そりゃチト違うんでないかい?という疑念を抱き始めている。

ひょっとしたら好き好んで使っているんではないか?と思い始めたのである。

「どちらがより優れていますか?」

と質問する私は、その時点ですでに「コッチに決まってるだろう」という答えを(それも自信満々で)用意しているが、

その問いを、「○○という目的に対して使うツールとして、どちらがより優れていますか」と変えてみると、

その答えが違ったものになったとしても何らおかしくはない、

という考えてみれば至極当然のことに気がつき始めたのである。


「”つながり”のない工程表」を採用する人は、たとえば私のように、

工程表を情報共有ツールとして、あるいは共通の言語として使う意思がないのではないか、

(前出のような消極的理由で使わない人もそりゃたくさんいるでしょうが)

断定してしまえばつまり、(本当のところは)自分さえわかってりゃええやないの(説明するのってけっこうヤヤコシイし)という考えが根底にあり、

それ故に、工程表に「つながり」を求めていないのではないか、という仮説を持つに至ったのである。

この場合、自覚しているかしていないかは別である。

多くの人が無自覚的だろうとは思う。

だが、私たちの仕事において「工程を引く(計画する)」という行為は、ロジカルシンキングでなければならないと私は思う。

そのロジックを他人に伝えることで、「自分ひとりじゃな~んにもできない」土木の仕事が「うまくいく」。

「経験と勘」は土木の仕事にとって肝要かつストロングなポイントである。

だが、その「経験」と「勘」を、自分でも「よくわからないもの」にとどめて(他人にとってはなおさらわからない)おくべきではない。

「”つながり”のある工程表」はそれを可能にしてくれる突破口なのだ。

その工程表を構成する一つひとつのタスク(作業)から安全余裕(バッファ)を抜き出し、

プロジェクト(工事)でもっとも守られるべきもの~納期(工期)~の前にひとまとめにしたとき、それは、

「”つながり”があって安全余裕をひとまとめにした工程表(=CCPM工程表)」となり、

「つながり」を「見える化」したことによって、それはさらにパワフルなツールとなる。

暗黙知を形式知に変換して伝えることができる工程表。

それがCCPM工程表なのである。

 

と突然、火がついてしまって一気呵成に書き上げた朝。

それを加筆修正してアップする夜。

点火したキッカケはどうであれ、

こうやって自分の考えを整理するのは、

すこぶる良いことなのであります。

ということで今日もまた、ブログを書く日々に感謝。

 

 

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