ホッとしたい時間! *** yottin blog ***

何かに目覚めかけて彷徨っています
想いが多すぎてまとまらず
ストレス? そうなんだろうか?

母の死

2017年08月18日 09時21分41秒 | 心 思い

母が死んだ

今夜が通夜だ

16日の深夜、転院後たった12時間で亡くなった

前の病院で呼吸器が取り付けられ、もう時間が無いと言わた

せめて最後は故郷でと思って、手を尽くし16日に地元病院に転院となった

昼11時に病室に入った、安心したのか、転院の疲れなのか夜10時に容体が悪化して

1時間後の11時に亡くなった

父の入院手続きが終わり病院から戻って1時間後、私と妹は再び病院に駆けつけた

母は苦しそうに息をしていた、それでも地元に来たおかげで同じ病院に入院中の父にも見とられ

約40分ほど9ヶ月ぶりの父との再会を果たし、きっと笑顔で逝ったと思う

涙も出なかった、悲痛な気持にもならなかった、悔いなく母を見送れたという安心感があった

そして92年も生きるとは、こんな事なんだと思った。

 

 

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20年8月16日からの父 つづき

2017年08月17日 08時02分56秒 | 短編

桧山には、仕事始めを自分の戦後処理を終えてからにしてほしいと言って承諾を得た

そして千住大川町に住んでいる叔父の達次郎を訪ねた

達次郎は母と共に爆死した(だろう)義父の弟で、良く出来た先妻を追い出して、芸者

だったとかカフェの女給だったとか言う妖艶な女、龍子と再婚して3人の娘をもうけた

一体何をして暮らしをしているのか全くわからない男で、この時すでに40代後半だった

貧乏暮らしでありながら、それなのに着ている物はスカッとしてなかなか洒落者である

傍目で見ても明らかに遊び人であることがわかる。

「よお除隊か、ご苦労さんだったなあ」背を少し丸めて下から顔をのぞき込む

ニャリとした表情にはどこか小ずるさが潜んでいて気持ちの良いものではない

そこは父も生まれつきのひねくれ者であるから、負けては居ない、にやりとやり返した

「今日はいってえ何の用だい、まさか米でも持ってきたんじゃないだろうよ」人を食った

物言いだ。

父はリュックの中から小袋の砂糖を出して渡した、「おっ!こりゃあすまねえな、

ありがとうよ」真実嬉しそうに笑った。

「おーい、龍子!」奥に向かって声をかけると 「なにさ!」ととがった声を出して龍子が

顔を覗かせた、そして父の顔をみると「あら・・・」とだけ言った

「おい、こいつをもらったぜ、礼でも言えよ」と達次郎が砂糖を渡すと

「あら、これはご馳走ね、ねえ米なんかも持っているんじゃないの」と猫なで声になったが

米は食い扶持として全て宿の布袋屋に渡した後だった。

それにしても龍子の冷たい美しさはますます増していた、貧しさの中でも乱れた髪がなお

妖艶さを強調する様だった、たしか30を少し出たばかりのはずだ、達次郎とは15歳くらいは

離れているだろう。

「叔父さん、親父たちの葬式をしようと思うんだが」と言うと

「そうかい、ならば先立つものはあるのかい」と聞いた、「ああ、少しばかりあてがついたんでね」

そう言って、銀行の件を話すと、達次郎の目の色が変わった

「おい!そいつを独り占めはないぜ、いいかい、おめえの分はおめえのものだ、だがよお、兄貴の

分は弟の俺にも取り分はあるぜ、遺産相続って奴さ、どうでえ全部いただきたいとこだが、折半で

どうだ」と言って睨み付けてきた、(しまった)と思ったが後の祭り、150円をみすみす取られてしまった

「まあ、後のこたあ俺にまかしてくんな、寺にもちょいと顔があるからよ」

たしかにそれは本当で3日後には浅草の日輪寺に出向いて、父母の葬儀(といっても読経と

戒名をつけてもらって位牌をいただいただけだが)達次郎と二人だけの葬式であった、勿論遺骨もない

寂しいものだったが、それでも心のわだかまりが一つ消えた。

それから父は達次郎に「長野の伯母さんに会ってこようと思う」と言った

「一体何しに姉さんのところへ行くんだい?」

「叔父さん、それはないだろ!、叔父さんが佐知を許嫁にしたからこうなったんじゃ無いか、もう

親父もお袋も死んで、家さえ無いのに、今さら許嫁もないだろう、解消しに行ってくるんだ」

「そうかい、そいつあすまないな、おれが余計なことをしちまったからな」

達次郎は4人兄弟だったが、兄と妹は空襲で死んでしまい、長野に嫁いだ姉と自分だけが生き残った

 

 

 

 

 

 

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まだ世捨て人にはなれない

2017年08月16日 18時27分45秒 | 

思いどおりにならないなんて言うのは「うそ」

何だってできる    やらないだけ

いつも自分の心を欺いている  自分は一生懸命にやっているんだと

やらなくてもいいことまでやって、一生懸命だなんて 笑止!

 

本当はゆっくりと花を育てたり  山歩きをしたり  温泉に行ったり

日本一周したり  夜の繁華街で豪遊したい

オープンカフェでお茶したり ゆったりした時間を過ごしてみたい

 

それもこれも「忙しいから」と嘘ばかりついているから出来ないでいる

もう 一皮むいたらどうだい 67歳は若いとはいえない

いつか30代に戻れる気がしてるんだけど 戻るわけが無い

 

ラストチャンス  そうだラストチャンス・・・・・・まだ煮え切らない

ああだ こうだ と言い訳を今日も探してる

 

 

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昭和20年8月16日からの父

2017年08月16日 08時00分37秒 | 短編

8月15日に3年10ヶ月に渡った、大東亜.太平洋戦争は終わった

太平洋全域でアメリカ.オーストラリアと戦いアジア大陸では中国、イギリス、フランス

オランダと戦った。

極東の小さな島国、7000万の日本人は世界の大半を、ドイツとたった2カ国で請け負った

ドイツは第一次大戦の敗北で天文学的な賠償を請求され、国家が行き詰まった

そこに独裁者ヒットラーが台頭して欧州各国に攻め込んだ。

日本は第一次大戦ではドイツの青島要塞を攻撃して勝者側だったが、その後、満州に

進出して中国と戦争になり、世界は日本を非難した、それでも満州から撤退しない日本に対し

今、世界が北朝鮮に行っているのと同様の経済制裁を行った

北朝鮮には密かに支援している隣国がある様で、なかなか経済封鎖はうまくいかないが

当時の日本には支援する国はなく、孤立無援であったから石油などの資源は奪うしかなかった

そして東南アジアでイギリス、フランス、オランダが長い年月、植民地としていたベトナム、インドネシア

ビルマに攻め込んで欧州人を追い払った。

開戦前のアメリカは日本と戦争をするための直接的な損害を日本からは受けていなかった

だから太平洋に於いては中立を守っていたが、母国であるイギリス.フランスに味方して参戦するのは

明白であった、日本はそれを危惧してハワイを先制攻撃して太平洋戦争は始まった

そして大陸ではビルマ作戦の失敗以外は大きな損失が無かったが、太平洋でアメリカに徹底的に

敗れてしまった、そして20.8.15敗戦、制空権を失い、原爆を好き勝手に落とされて

もはや戦争の継続は無理だった。

 

調布の高射砲大隊も航空隊も解散した、兵士は国民に戻って焼け野原の故郷に戻っていった

しかし通信兵の父(当時は21歳のひとりもの、便宜上父と書いておく)には除隊の命令は出なかった

敗れたとはいえ、軍隊の序列、組織は宿営内にはあいかわらず生き続けているので、父には

敗戦後の未だ上官の命令が生きている。

1ヶ月後の9月15日ようやく父の戦争は終わった、除隊の命令が出たのだった

部隊に父同様残っていた物資担当の石川兵長は、日頃からきかん気の父を可愛がっていてくれたが

この日も炊事場の倉庫から、砂糖と米といくばくかの食料をリュックに詰め込んでくれた

この兵長との交流は現在も続いている、兵長殿は高齢で亡くなったが息子さんとの交流が続き

大田区で町工場の事業に失敗して彼が自殺した後も、女で一つで工場を引き継いで頑張る

嫁さんを父は応援して借金ゼロまでたどり着いた、今でも手紙や電話でのやりとりが続いている

 

兵舎を出て真っ先に考えたのは、今夜のねぐらだった、亀戸の自宅は3月10日の大空襲で

両親共々無くなっていた、戦争前に働いていた品川田町の軍需電気部品の工場も空襲被災は

免れたが音信不通になった。

京王線で新宿に向かい上野に出ようと考えた、上野に行けば同じ隊の上官だった藤原兵長の

家がある、一足先に除隊した藤原兵長は、その時「困ったら尋ねてこい」と言ってくれたのだ

藤原は親と同居していたが独り身であった、その日はこの家に泊めさせてもらい、翌日近くの

車坂で下宿「布袋屋」を見つけて、そこに逗留することになった。

兵長からもらった砂糖の小袋を挨拶代わりに渡すと、布袋屋の主人は「こんな貴重な物を」と

たいそう喜んだ。

 除隊の時に軍隊の給料をもらったが、到底今後がおぼつかない、それで再び藤原を訪ねて

相談すると、「それなら俺と一緒にどうだ」と言った。

話しを聞けば、これも調布の部隊の先輩だった桧山兵長が農機具関係の商売をやっていて

おまえ一人位は雇う余裕があるとのことだった、それで渡りに船とその話に乗ったのだった。

 

桧山兵長は部隊の中でも毛色の変わった男だった

配属されるときに自ら炊事係を希望した、その理由は何かと食べるに不自由しないとか

食べ物を扱う者は何かしら優位に立てると言う感と、もう一つは最大の理由、買い出しのため

しょっちゅう外出出来るということである。

自由奔放な性格の桧山には、軍隊の規律や兵舎のよどんだ空気には息が詰まる様であった

結局、桧山の感は当たった、買い出しに行くうちに仕入れ先の店の看板娘と恋仲になり

結婚に至ったのである、そして終戦と同時に嫁の家に入り込んで、食料統制の今は

商いの形態を変えて農機具関係の店に変わった、しかしどうにも胡散臭い商いだと

父はすぐに感じた、その感は当たっていたのである、そして父の生き様も変わっていった。

 

経済的には、独り身故差し迫っては居なかったが楽でも無かった、そんなとき布袋屋の主が

「おかしな事を聞いて申し訳ないが、もしかしてあんたの得になるかもしれないから聞くが

終戦前に貯金とかはしてなかったかい?」

「ああ、親父がしてくれていたが通帳も何もかも焼けてしまって無くなったから・・・」

「それじゃ兵隊の身分証明とかあるかい?」「それならありますが」

「じゃあ、それを持って貯金していた銀行に行ってご覧なさい、これこれしかじかと言えば

多分払い戻ししてもらえると思う」

それで安田銀行に行って、言われたとおりにしたら親父の名義で300円、自分名義のが

300円払い戻しされた、昭和20年にはこれはなかなかの大金だった。

父はこれで目の前が開けた気持ちになった、そうすると急に親の葬儀をしたり、長野の

善光寺の伯母さんを訪ねようとか様々な考えが浮かんできたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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おかず あれこれ 蒸す

2017年08月15日 16時50分00秒 | 食・レシピ

最近は自分の事より、社員の従食つくり、近所の老人のおかず、父の夕食

そんな簡単おかず作りに目覚めた

他人が食べるためのものを作るのは、自分のものを作るより楽しい

しかも営業用の割烹料理で無く、家庭料理。

ちょっとした主婦感覚、こんな楽しい家庭料理を作らない主婦もいると言うから

「目覚めれば楽しいのに」と思うのでありました

簡単料理、15分料理ばっかりです

 

ご老人用、歯が無くても大丈夫セット

モロヘイヤでビタミン補給してください

蒸したキャベツと人参にさつま揚げとパプリカ

この頃は蒸すことを基本に作る様になりました

芯まで柔らかになって、含ませるだけで味付け出来ますから

南瓜の味噌汁、これも崩れやすい南瓜を蒸してから入れるので

崩れません

斑尾高原の畑でもいできたもぎたてトウモロコシ

今年は暑かったせいか、とても甘いです

これもスチームコンベクションで30本ほど一度に蒸し上げました

 

 

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母の容体が・・・・電話

2017年08月15日 08時03分20秒 | 高齢者と介護

昨日は妹と隣町の母が入っている施設へ行ってきた

認知の老人が数十人暮らすこの施設では、様々な程度の人たちが居て

程度の軽い人は、明るく広い談話室でお茶を飲みながら語り合い

けれど母の様に、呼びかけても反応がほとんど無い老人は病室で点滴を受けている

昨日行ったのは、母の酸素濃度が70以下に下がったという連絡が入ったからだった

電話では酸素吸入を始めたら安定したと言うものだったが、それでも「はいそうですか」と

それで済ますわけにも行かず、二人で行ったのだ

地元病院への転院を16日に控えての出来事

盆は私の商売にとって忙しい日ではあるが、母と取り替えるわけには行かない

国道は思ったより空いていて、60kmですいすいと行くことが出来た

この数日は曇ったり、雨が降ったりで海水浴も寒くてイマイチの人出だった

猛暑猛暑といいながら、日照時間が少ないという傾向もあるとか、不思議な今年の夏だ

介護タクシーで転院の予定だったが、酸素吸入の必要も出てきて、救急車の要請も五分五分に

なってきた

むくんだ足と、骨と皮だけになった下肢、顔だけがつやつやと、そして酸素のおかげか楽そうな顔

呼びかけても答えず、口だけが何かを語り続けている、夢の世界に住んでいるのだろうか

もう兄妹は悲しいとか、刹那いとかの領域は超えてしまった

定められた運命を、いかに安らかに受け入れるか、今はそれしか感情は無い

 

 

 

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今頃の地魚

2017年08月14日 17時42分49秒 | 食・レシピ

ようやく、鯛は姿を消しつつある、しかし今年は獲れる期間が長かったなあ

だいたい5月頃が旬なのだけれど、その後もずっと型の良いのが獲れていた

お盆前の市場ではこんな位の鯛が競りにかけられた、なかなか美形

春には大きくなると5kg位の物も獲れるけれど、皮が固く、身割れも起きやすいので

3kg以上の鯛は値が安い、一番良いのは1~2kgの鯛である

最近多くなってきたのが「赤むつ」だ、新潟市周辺では「ノドグロ」という

たしかに、赤むつの咽と腹は黒い薄皮に覆われている

1kgを超えるものだとふっくらとして丸みを帯び、皮目には脂が浮き出ているのではと思う様な

色合いが見られる。

山陰地方では大量に赤むつが獲れるらしい、わりと小ぶりの物も多くて値段も北陸のものより

遥かに安い様だ。

ただ北陸のノドグロはブランドだ、新潟市の有名料亭で大きなノドグロの塩焼きをコースの中で

食べた事がある、あれだけ大きい物は、私の地元では見たことが無い

脂肪たっぷりの皮のうまさときたら、例えようが無いなあ・・・

焼き魚は身より皮と背びれが美味くて好きだ

牡丹エビがさかんに獲れている

大きなところで20cmほどのサイズも獲れるが数は少ない

見た目ほど身が多いわけでは無く、甲羅(殻)が大部分を占めている、それより体の

半分が頭だ、卵が美味しそう、焼くと美味しそうだ

あまりこのエビは食べない、値段が良い割に食べるところが少ない、

でもはったりはきくエビだ

車エビの方が好きだが、今年は車エビが異常に少ない

居なくなったのか、それとも漁業者が居なくなったのか、何でも衰退していく時代になった

 

 

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早朝の出来事

2017年08月14日 07時00分00秒 | 今日の出来事

一昨日は世界陸上の400mリレー決勝があるというので8時頃から眠かったのを我慢して

12時まで起きていたのに、リレーは朝5時半頃ですと突然言った

そんなんなら9時に寝れば良かったと悔しがったが、すぐに寝てしまった

目が覚めたら4時半で、いくら何でも早すぎるので2度寝

今度は夢を見た、デパートの様な大きな建物の中に自分は居た

外では空から宇宙人のUFOがこの建物目指して攻めてきた

それはかなりの数で、まずいことにこの建物の中に乗り込んで来るのだった

人間もあちらこちらに大勢居るが、宇宙人の敵ではない、兵士も居ないし武器も無い

だいぶ宇宙人にやられている様だが、不思議と流血の様子が無い

私も最初は怯えて逃げ回ったが、いつしか宇宙人の攻撃をかわす技術を身につけていて

それを人間たちに教えながら逃げている。

「直角に曲がれば、宇宙人は曲がれないからついてこれずに壁に激突する」などと

普段は逃げ惑うこんな夢では恐ろしさで胸が締め付けられて息苦しくなるのに

今日の夢は何だか宇宙人をおちょくってるみたいで気分の良い夢だった

そんな気分のまま目が覚めたらちょうど400リレーのスタートだった

まさにバッチぐーのタイミングで目が覚めた

ボルトのラストショーはずっこけで幕を閉じた、気の毒と言うより滑稽な感じがした

ボルトにとってはやりきれない最後だったけれど、どうなんだろう例えて言えば

クールファイブの前川清はニコリともせずに直立不動で歌っていたけれど

途中からバラエティ番組に出てギャグの連発、あんな感じかな?

世界中に愛されたボルトらしいラストランだった 

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盆と墓参り

2017年08月13日 14時36分07秒 | 時代検証

私は盆に自分の直系の墓参りというものをしたことがない

そもそもわが家は数百年の歴史がある家だとわかっているのに、わが家にはお墓が無い

だから盆になると、地元にある母の実家のお墓参りに行く

父が成人した頃には、茨城の古河に父の義祖父が建てたお墓があったけれど、戦争に

紛れて無縁仏として処理されて、お墓は無くなってしまった

それより先の先祖代々の墓が栃木県の大田原にあるはずだが、明治40年代に

没落して、父の祖祖母、祖母、まだ幼児だった父の母の女3人で宇都宮~古河へ移って以後、

その先祖の地を訪れた形跡が無い、だからお墓も所在しれずだ

栃木で1000年近く続く本家から分家して私で15代目だという、生きてきた先祖の名前と住所が

8代前が生まれた日から250年間までわかっているのに、お参りする墓が無い家

父も私も直系で有りながら、そういった様なのである。

だから父は決断した、お墓は建てない、「共同墓地に入る」と

最近良く耳にするのは「誰がお墓を守っていくかということだ」、子供が1人か2人、大概田舎と

親を置いて都会に出て行く、新しい家族を持って帰ってこなくなる

あるいは結婚しないで気ままな生活を送る、もうそういった子供たちは墓掃除などにやってこない

来たとしても、その次の世代は父の田舎など忘れてしまう。

こうして田舎の墓は雑草に覆われ、崩れ去る。 だから共同墓地はいいと・・・・

だがこれからは、村そのものが過疎になり、廃村になっていく

この地域でも数十年後には住民が一桁になると予測された集落がある、そこには新入生1人という

現実が既にある。

 

 

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世界陸上ようやくメダル獲得

2017年08月13日 11時22分11秒 | スポーツ

前回オリンピックは男子400mリレー銀メダルの快挙

そして今回はジャマイカのボルトのアクシデントも有り、銅メダル獲得

いずれにしても日本人が不得手な、陸上短距離で得た唯一のメダルだ

日本人の肉体構造が変わってきたのかもしれない

ケンブリッジやサニーブラウンのように運動能力が高い人種の血が混じった選手の

チームだから多少は強くても・・・と思ったが、今回の決勝は100%日本人種だけで

得たメダルだ、そう思えば日本人短距離能力は確かに上がっている

サニーやケンブリッジも含めて第一線で世界と戦える選手が6名以上もいるというのは

過去には無かったこと、これからは9秒台も出るだろう

リレーでもアメリカやイギリス、ジャマイカと互角に競り合って東京で金メダルをとってほしい

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