福島第一原発の事故は、まさしく核攻撃を受けたことと同じであり、本来であれば、強制疎開を始めとする、あらゆる措置が講じられるべきなのである。それができないのは、日本人が平和惚けしまっていたからだ。避難一つにしても、放射性物質による汚染のシュミレーションにもとづき、現場の自衛隊の判断で対応をすべきであった。石原莞爾によると、戦闘隊形について、古代は集団密集方式、中世時代は各個戦闘、火薬が発明されたルネッサンスの時代は横隊戦術、さらに、フランス革命を境にして散兵戦術が中心になったのである。そして、第一次世界大戦では持久戦にともなって面としての分隊となり、石原が想定していた最終戦争では、個人が全面に出ると予測したのである。そこでは面から体への飛躍ということがあり、飛行機を重視するとともに、各部隊、各指揮官の独断能力の必要性を説いたのだった。民主党政権は、シビリアンコントロールを振り回し、全てを掌握しようとした。第一線の自衛隊の判断に任せていれば、飯館村の人々を避難させることができたのではなかろうか。機動力に優れ、通信設備を備えている自衛隊であれば、それこそ、小隊レベルで、縦横に動き回れたはずだ。核攻撃から生き延びるには、軍事組織を活用するしかないのに、それを継子扱いするサヨクが政権の座にあったのが、日本にとっての一番の不幸なのである。
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