かぶれの世界(新)

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男の権利

2018-01-11 14:33:17 | ニュース
往年の仏大女優カトリーヌ・ドヌーブが、最近の米国発セクハラ告発を行き過ぎだと非難したニュースを見て、私はその通りだと喝采した。彼女のいう通り「男には女性に言い寄る権利がある」と私は信じる。それと共に90年代に米国に住み「米国女性は強い」という体験的実感から連鎖する告発には違和感がある。

最初に声をあげたハリウッド女優達は、中でも成功し「強い女性」を代表する人達だというのが私の最初の印象だ。実際彼女達が具体的にどういうハラスメントを受けたのか知らないので印象だけの議論になるが、私には頭をかしげる部分がある。それも映画を見ただけの印象が大部分と断っておきたいのだが。

訴えは「成功を求める女性」が更に成功する為には言うことを聞けと上司に性的な意地悪をされたというものと理解するが、「その時点で彼女達は既に成功してた」のではと思う。ビジネスの世界でも男性も同じ目に遭うことはあり(性的ではないが)、競争の結果として女性が昇進したように見えた人事も見かけたことがある。

更に言うと私の目には美人は特に有利なように映った。だが、男性がクレームしたとは聞かなかった。その時昇進した女性は通常の能力競争にプラスして性別、つまり女を使っているかもと感じた。当時も今もニュースで報じられた彼女達も「強い女」というのが印象だ。それほど根拠はないが特に「米国女性は強い」と感じた。

厄介なのは「セクハラかどうかは、彼女がどう受け取ったかで決まる」という難しさだ。これは決定的だと今でも思っている。女性が昇進や出演の機会をエサに上司に言い寄られたと感じるか否かも、彼女がどう感じたかでセクハラが決まるとしたら不公平だ。今ならせめて小型マイクとか録音機で証拠を出せと言いたい。

60年代に起こったウーマンリブ(女性解放運動)も米国発で、男性社会に対して女性の役割を拡大する動きで、兵役を含め男性だけの職業を女性に解放し男女共学が進んだ。この時は目に見える形で男女平等が進んだ。極めて公平な運動だったが、この時から私には「米国女性は強い」という印象が生まれた。

私が米国で仕事をすることになった時も、事前教育で米国がどういう文化の国なのか教わり、その一環としてセクハラの具体例を示して教育を受けた。その時に受けた教育内容には違和感はない常識的なものだったと記憶する。だが、今回の#Meetoo運動は行き過ぎて一方的になる恐れがあると憂慮する。しかも男からは声を上げにくいテーマだ。ドヌーブさん、よくぞ言ってくれた、有難う。■
コメント
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