京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

八十三歳の誕生日を迎えて・神社にお礼参りに行く

2021年09月03日 | 日本人が幸せになるには
 
本日9月2日目出度く元気に83歳の誕生日を迎えることができました。
これも、「神さま仏さまご先祖さまと周囲の皆様方」のオカゲと感謝しています。
人と言う字の如く人は支えあって生きてゆくものだと思います。
この歳になって他人を支えることよりも人に支えられることが多くなってつくづく思います。
特に身近な肉親、親戚、友人の大切さは若い頃はあまり気にしないで過ごしてきた私ですがこの歳になって感じております。
これからは言葉だけででも人の支えになれるなら頑張りたいと思っています。
年寄りがウザイと言われても神主ですから神道信仰について緩やかに説いて行きたいと思っています。
 
もう、20数年前になりますが商売を終わり多額の借金を抱えて10年近く耐えていた頃に「野あそび」の仲間の一人が送ってくれた
サムエル・ウルマンの「青春」という詩が誕生日を迎えるごとに思い出されます。
この詩の最後の部分「頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にして巳む。」が、どんな場合でも頭をタレない事が大切なことを。
 
もう八十歳もだいぶ過ぎましたが今日になってやっと悟りました。
「もう先がないから」ではなくて「まだ先は無限にある、死ぬまでは自分の時間が」に切り替えます。
「結果を急がないチャレンジこそ年寄りの特権であるということ」を。どこまでやれるかは「神さまが決めることです」私の関知することではありません。
(無責任ですが、その内バチが当たるかも?)気軽に人生の残りを楽しめる良い方法と思いますが?(間違ってるかな?)
 
お昼から雨の中を私に関わりのある神社にこれまで受けた神さまのご加護のお礼参りに行ってきました。
まず最初は私の産土神 松尾大社・我が家の先祖が社家として仕えてきたお宮さんです。父も学校を卒業して支那事変で出征する前はご奉仕していました。
私もお宮参りは松尾大社でした。
次は伏見稲荷大社・父が支那事変から帰って勤めていた京都府庁の社寺課が終戦後廃止されお稲荷さんに権宮司(当時は少宮司)として退職までご奉仕していました。
続いて最後に実家の若一神社・弟が宮司で甥とともにご奉仕しています。私が生まれ育った処です。
節目ふしめにお宮さんにお参りして積もった世俗の垢を払うことは子供の頃から習慣になってしまっているので幸せです。
 
神道は「随神の道」(かんながらのみち)として日本人の心の中で伝わってきた道(習慣?)です。
この習慣に沿って生きてきたものを戦後GHQの指令で放棄さされて独立後も戻らなくなったのが今の日本人の心の不幸につながっていると私は考えます。
堅苦しい宗教という規制のないこの神社信仰(神道)を日本人の心に復活させることがいちばん大切な神主の仕事と思っています
戦後神道を宗教と位置付けされたのが日本人の不幸だとも思っています。
 
話がそれましたが3社のお宮さんにお礼参りを済ませて今日からまた楽しい一年が始まります。
昨日から降り続いている雨で身体と心にこびりついた不浄は洗い流してくれています。
これでまた明日から新しい一年が始まる。神社信仰とは身近で、優しいものなのです。本来は。(他の宗教と言われるものに比べればですが)

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