忘備録の泉

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高野房太郎伝(1)

2016-11-05 10:14:57 | Library

日本の労働運動は、1897年の「労働組合期成会」によって興ったが、封建社会が残ったままの藩閥政府により弾圧され、発足間もなく解散させられてしまった。
しかしこのときの萌芽が日本における労働運動の草分けであったことは間違いない。

18世紀の後半から起こった産業革命は、イギリスを中心に、社会の仕組みを大きく変えた。
しかしながら日本は徳川時代の長い鎖国政策により、産業革命を「文明開化」として受け入れたのは、明治維新以降のことであった。
産業革命と新興資本主義の勃興で生まれた労働運動は、イギリスにおいて、すでに労働法の制定や十時間労働の法制化を実現させていたが、いまだ日本ではペリー艦隊の来航で国内が大混乱を来しているときであった。

1897年に結成された「労働組合期成会」は、アメリカ労働総同盟(AFL)のサミュエル・ゴンパースに指導を受けた高野房太郎らによって結成された。
高野房太郎は、「明治」が誕生したまさにその年、長崎で生まれた。
高野家はその後東京に引っ越すが、房太郎10歳の時に父親が急死、しかも1年後には家業としていた旅人宿を火事で失うという不幸に見舞われる。
房太郎は小学校を卒業すると横浜の叔父の家で住み込み店員として働きながら、商業学校で学んだ。
横浜商法学校では特に英語教育を重視していたというからここで房太郎は英語力を身につけたのであろう。

(つづく)

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