忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

学びのピラミッド

2020-06-30 11:48:14 | Library
人間にとって学びとはなんだろうか。
子ども時代の学びといえば、教科書で教えられたことをひたすら学ぶこと。
その学びは、教えられたことを覚えるという学びであったように思う。
そうしないといい学校に行けないから、いい会社に行けないから、ひいてはいい人生が送れないからと、親や先生から言われてきたような気がする。
そのころは学び=勉強であり、私は勉強が少しも楽しいと感じたことはなかったが、社会に出てから学びについて意識が変わりはじめた。

学びによって自分自身を高めることができると思い始めた。
そうなると不思議なもので、学ぶことが楽しくなってくる。
学びの根本は意識である。

学びによって人間力を高めようと考えた。
人間力とはまず自分を好きになるという自己肯定感。
そのうえに立つ自己実現の欲求。
私にとっては、人のために役に立ちたい、社会のために役に立ちたいという欲求だ。
意識が変われば行動が変わる。
行動が変われば現実が変わる。
困難な時代だからこそ学ぶことがますます重要になる。

そして正しい学び方にいつか気づいた。
それが「学びのピラミッド」だ。
受動的な学びから、積極的な学びへのチェンジである。
学んだことを自らが体験し、そのことを自らの口や、自らの筆で人に伝えていくということだ。
講演することやこうしたサイトで他人に教えていくことで、自分自身の理解度も高まるのである。
インプットしただけでは足りず、アウトプットすることで学びが深まるのである。


世界が急速に変化しているのだから、私たちが知っていること、知っていると思っていることは、どんどん無価値にどんどん不正確になっていく。
今でさえ「知らない」ことがこれほどあるのに、世界がこれだけ変わっていくのだから、学びの終わるときは決してない。

満たされない心をかかえて生きる

2020-06-29 14:27:06 | 読書
心が満たされないという感覚は、人生のその時点において取り組むべき課題があることを示している。
人生のある時点に到達し、次に追求すべき課題が潜在的に存在するにもかかわらず、それがまだ明確に自覚されていないか、あるいは自覚されていてもその達成に向けて具体的に動いていない状態であることに起因する。
だから、満たされない心が自分にささやいているものを、しっかりと受けとめることである。
満たされなさの感覚を手がかりにして、いっそうの自己実現の道を開いていけばよい。

マズローは、十分に自己実現していると考えられる人々について研究し、そうした人が比較的共通して持っている特徴を指摘している。
①有効な知覚
現実を適切に認知し、判断している

②受容
自己、他者、自然をあるがままに受け入れている

③自発性
思考や行動が自発的であるので、単純であり、また、自然である

④課題中心的
不安定な人では関心が自己に向けられ、悩みや心配として体験される。
これに対し自己実現した人は、関心がもっぱら課題に対して向けられるために、有効な行動がとれる

⑤超越的
外部の出来事に右往左往することなく、いつでも自分を保っていられる

⑥自律的
欠乏動機よりも成長動機によって動かされるので、不必要な社会的価値観などに縛られることがない

⑦認識の新鮮さ
繰り返し体験したことでも、喜びや驚きが色あせることがない

⑧少数の人との深い結びつき
付き合いの相手も自己実現した人であることが多いので、交友関係は意外に狭い。
しかし、結びつきは深い

⑨民主的性格
自己実現者は権威主義的でない


人は生きていく限り、完全に満たされることなどあり得ない。
その時々を懸命に、自分なりに満たされた人生と生活をめざして努力するしかない。
そして、実はその努力の過程こそ、私たちが希求している心満たされる時なのである。

(「満たされない心」の心理学より 根本橘夫著)



慢性的に満たされない人

2020-06-28 09:25:13 | 読書
基本的な欲求が満たされなかったために強迫的な欲求が形成され、その結果、慢性的に心満たされない人がいる。

足元の良さを見られない人
基本的な欲求が強迫的な性格をおびると、自分がすでに得ているものを肯定的に見られなくなってしまう。
「隣の芝生は青い」と、いつでも他の人をうらやむことになったりする。

過度に依存する人
安全欲求、愛と所属の欲求、承認欲求は、他の人によってのみ満たされる。
このために、こうした欲求に過度の執着が形成されてしまった人は、他の人に過度に依存するようになる。
過度の依存とは、相手に自分の望む行動をとることを要求することであり、人に奉仕を求めることである。
人は自分のために犠牲になって当然だという意識である。

完璧主義の人
完璧主義の人は、なにをやっても不全感にとらわれてしまう。
傍から見て優れたことを成し遂げても、本人は満足できない。
完璧主義は、安全欲求が満たされないことに起因する。
完璧であることによって他の人から受ける非難を徹底的に避けようとする心理である。

物欲の強い人
物欲とは、物を獲得したい、所有したい、溜め込みたいという欲求だ。
金銭欲もこれに含まれる。
物への欲求が過度に強いと、満足に達することはできない。
なぜなら、物は無数にあるし、また、それ以上の物が存在するからである。
そもそも物的対象は本来の欲求の代替物なのであるから、それによって本来の欲求が存分に満たされることなどあり得ないのである。


(「満たされない心」の心理学より 根本橘夫著)

避けられない出来事による「満たされなさ」

2020-06-27 11:28:06 | 読書
心の満たされなさは、人生において避け得ない外的要因によって引き起こされる。

更年期障害
更年期とは、若い身体を卒業して、老年期のための新たな身体バランスの形成が始まる時期である。
やがて、再び身体のバランスがもたらされ、更年期障害から抜け出ることができる。
その一過程であると信じることである。

空の巣症候群
空の巣症候群は、子どもが大学に入学し一人暮らしを始めたとき、学校を卒業して就職したとき、あるいは結婚により新しい家庭へと身を移したときなどに生じる。
こうしたとき、親は肩の荷が下りたという開放感を一方で感じるのだが、それよりも、空虚感のほうが強い場合に空の巣症候群ということになる。
自分がもう必要とされていないという淋しさ、なにで心を埋めればよいのか分からないよるべなさ。
空の巣症候群はなぜ生ずるか。それは親が子どもに依存しているからである。
そこから脱し、むしろ子どもに束縛されない自由を手に入れたと、人生におけるチャンスの時期だと受けとめたい。

退職
「やり遂げた」という充実感。
「終わった」という開放感。
「用済みになってしまった」という無価値観。
いろいろな感情で退職を迎える。
できれば「やり遂げた」という充実感と、「さあ、自由にしたいことができるぞ」という喜びが大きく心を占める状態で定年を迎えたい。
「もう終わった」、そう思わないで、定年後も、それにふさわしい形で、いっそうの自己実現をめざして生きていたい。

伴侶の死
夫や妻の死は、結婚している人の半数にとって、逃れられない体験である。
だからこそ、今は、後で後悔しないように伴侶との生活を大事にして、浸りきっても浸りきっても尽くせぬほどの思い出づくりをしよう。


(「満たされない心」の心理学より 根本橘夫著)

満たされない心の底に潜むもの

2020-06-26 10:43:11 | 読書
マズローの理論にしたがえば、満たされない心とは、その人の欲求がなんらかの形で妨害されている状態である。
現状に満足しているとしても、次の上位の欲求課題がなんであるのかが明確になっていない状態である。
あるいは、明確になっていても、その行動にとりかかれていない状態である。

下位の欲求がある程度満たされることが、より上位の欲求へと人を向かわせる必要要因であるが、逆に、満たされていない下位の欲求があると、その欲求への過度の執着が生ずることがある。
そのために、それが解消されないと、ますます満たされない思いを強めることになる。
上位の欲求の満たされなさを、生理的欲求に変えて満たそうという場合もある。
過食症は、満たされない愛情欲求や自尊欲求を、食べ物で代理的に埋め合わせようとするものだ。

気がかり、心配事、漠然とした将来への不安。
こうしたものがあると、なにをやってもどこか心残りで、満たされない。
不安とは、それから逃げようとすればするほど、大きくなる性質を持っている。
不安には逃げずに対面して、その根源を解き明かし、それに対処する具体的な行動をとることが必要だ。

心満たされるためには、愛し、愛されているという確かな実感が必要である。
夫や妻、家族、恋人、友人、地域社会などと「しっかりとつながっている」という感覚が必要である。
所属欲求が満たされないと、違和感、疎外感、孤立感、孤独感、などの感情が生まれる。
所属欲求を満たすために、自尊心をずたずたにされながらも、グループから抜け出せない若い人がいる。
そのくらい所属欲求は強力である。

自らが設定した目標や、他から設定された目標に向かって努力することで、まわりから承認され、そして自尊心が高まる。
マズローは、最も安定した、最も健全な自尊心とは、他の人から受ける「正当な」尊敬に基づくものだと述べている。
自尊とはまったく自己完結的なものではない。
多かれ少なかれ他の人からの評価や社会的地位など外的な価値づけに依存するものなのである。
「評価を気にするな」「名誉欲を持つな」と助言する人もいるが、これができる人もいるが、しかし大多数の人にとって困難であろう。
誤った方向でのがんばりは無駄であるが、正しい方向でがんばることは人間にとって必要なことだ。
それは、自分の夢を実現させるためのがんばりである。

満たされなさとは、換言すれば、活動性の欠如であるか、意味の欠如であるか、内発性の欠如である。
マズローはこう述べている。
「これらの欲求がすべて満たされたとしても、人は、自分に適していることをしていない限り、すぐに(いつもではないにしても)新しい不満が生じて落ち着かなくなる」
目標をもって自己実現に向けて動いていても、あるいは、めざしていた目標が達成されたとしても、それが自分の内からの自己実現的欲求に合致したものでないことが明らかになってくると、しだいに空しさの感覚に襲われることになる。
さらに、自己実現に向けて動いていたとしても、人は自分のすべてを発揮し、発達させることはできない。
それくらい人の可能性は無限であるということかもしれない。

(「満たされない心」の心理学より 根本橘夫著)