忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

世界全史(11)

2016-12-31 11:13:06 | Library
101、イギリス議会は毛織物業者を保護するために綿布の使用を禁止。綿布はもっぱら対外貿易用に生産された。大西洋三角貿易が綿布生産の拡大を促し、産業革命を呼び起こす。既得権益の厚い壁は、いつの時代にも、どこにでも存在する。

102、化石燃料に依存する社会の始まりは、今から見ると極めて素朴で、紡績機のエネルギー源が必要になったことにある。モノづくりには、社会的要請の分析が前提になる。

103、産業革命以降、人類社会は石炭、次いで石油という化石燃料にエネルギーを依存する異次元の時代に突入した。

104、経済環境の激変は、一時的に経済格差を極大化した。しかし、労働運動、労働者の選挙権獲得などにより格差の解消が進み、社会は安定に向かう。グローバル化が進む現在も格差が世界規模で広がっており、その克服は日本だけではなく人類の共通課題になっている。

105、急速に進んだ「動く道路」、鉄道ネットワークの拡大は、世界をヨーロッパ中心につくりかえる役割を果たした。

106、地球規模での鉄道ネットワークづくりに、技術、機材、資本を提供したのがイギリスだった。イギリスは鉄道、蒸気船の定期航路の世界化で、「世界の工場」の地位を獲得した。地球規模のインフラ整備で、巨利を得た。

107、産業革命により都市が「生産の場」となって膨張を続ける。都市を支える鉄道・蒸気船の高速ネットワークが地球の姿を一新させる役割を果たした。

108、ボストン茶会事件後に本国軍の駐屯が始まり、レキシントンで軍事衝突が起こり、「コモン・センス」(トマス・ペインのベストセラー)が「独立」を自覚させたことで独立戦争への転換の動きが強まる。いきなり独立戦争が起こったわけではない。

109、植民地ではイギリス国王の支配を否定するための論理として社会契約説が援用され、民意を集約する議会を中心に据えた最初の国民国家が成立することになる。法治主義が封建的な人治主義に代わっていく。

110、教科書の記述では、フランス革命から市民革命が始まるような印象を受けるが、広い視野でとらえるとフランス革命は政治的にも思想的にもアメリカ独立戦争に連続して起こった事件だ。

世界全史(10)

2016-12-30 11:06:17 | Library
91、オランダの東インド会社は、世界で最初の株式会社だ。やがて経済システムが変わる中で企業などの民間組織の力が強まっていく。

92、宗教戦争は、商人国家オランダを誕生させただけではなく、神聖ローマ帝国を無力化させ、ヨーロッパを主権国家体制に移行させた。

93、ピューリタン革命は、外から迎えられた王の横暴な支配を、イングランドの在地の勢力が打倒した変革で、市民革命のイメージとはかなり離れている。

94、英蘭戦争でオランダを追い落とし、フランスとの長期に及ぶ植民地戦争(第2次百年戦争)に勝利して、イギリスは海洋帝国としての地位を確立していく。

95、「公海の自由」を主張したオランダ、自由貿易主義を掲げたイギリスが、「大きな世界」のシステムとルールをつくりあげていった。

96、イギリスは国債の償還に焦るあまり、課税問題から植民地支配に失敗し、アメリカ独立戦争に敗北して、大西洋をまたぐ大帝国の建設は挫折することになる。

97、現在は資本主義の時代だから、世界史の最も重要な課題のひとつが資本主義という経済システムの誕生プロセスの説明になる。しかし、伝統的な農業社会の解体、再編で資本主義の誕生を説明するのは無理がある。資本主義を海が生み出した人工的経済システムと考えるとすっきり説明できる。

98、大西洋の大規模な三角貿易により、カリブ海における砂糖生産と商品としての奴隷(砂糖農場の働き手)の貿易を長期間持続したことが、資本主義経済の普及につながった。三角貿易が、資本主義経済の成長を強力にサポートした。

99、サトウキビ・プランテーションの拡大が、大西洋海域で資本主義経済を成長させた。そして18、19世紀にはアメリカの独立を契機に国民国家が広がっていく。

100、大西洋の三角貿易が一挙に拡大するなかで、ヨーロッパから輸出する手工業品が決定的に不足した。そこでイギリス東インド会社はインドから綿布を大量に輸入して対応し、大成功を収めた。そしてイギリスでも綿布の生産が始まり、綿布が戦略商品になった。

世界全史(9)

2016-12-29 13:53:49 | Library
81、ポルトガルのインド洋商圏は、商業力ではなく商船の舷側に備えつけられた小型の大砲により勝ちとられ、維持された。インド洋ではイスラム教側が圧倒的な経済的優位に立っていた。

82、ポルトガルは勘合貿易の衰退期に東アジアの密貿易に参入し、石見の銀を利用する日明間の貿易(明からするならば密貿易)で巨額の利益をあげた。日本は銀により、ポルトガル、オランダとの関係が深まった。日本の近世、近代は、海の世界に牽引されていく。

83、コロンブスは、カリブ海を最後まで東アジアの海と思い続け、前後4回の航海を行った。夢を最後まで見続けたわけだ。それがスペインの新大陸支配の基礎を築いた。

84、海の世界を陸の世界と同様に勢力圏として分割しようとしたところに、スペイン、ポルトガル両国の限界が見て取れる。両国は海の世界を生かす方法を知らず、陸地と同様に扱おうとしたのだ。もちろんこれは失敗した。

85、マゼランは、地球が球形であることを実証し、海と陸との大まかな配置を明らかにしたという点で、人類社会に多大な貢献をした。世界観の大転換だった。

86、1490年代に大西洋、1520年代に太平洋に航路が拓かれ、世界史の舞台が一挙に地球規模に拡大する。

87、世界史上の最大の悲劇ともいうべき天然痘の大流行が、ラテン・アメリカのスペイン化が急速に進む一因となった。ペスト、チフス、マラリア、黄熱病、そして現代のエボラ熱など、疫病との闘いは世界史の重要なテーマである。

88、スペイン人の征服、天然痘の大流行、エンコミエンダ制による支配の下でメキシコ以南の新大陸では先住民社会が破壊され「第二のヨーロッパ」への改造が進められた。

89、新大陸で産出された大量の安価な銀は、新大陸・ヨーロッパ・アジアを大西洋、太平洋で結ぶ、最初のグローバル経済を出現させた。

90、オランダは、プランテーションの普及、「公海の自由」を原則とする海のルールづくり、の2点で世界史に大きな足跡を残した。

世界全史(8)

2016-12-28 16:56:59 | Library
71、ローマ帝国とイスラム帝国を統合して引き継いだオスマン帝国は、少数のトルコ人が、アラブ人、スラブ人などをイスラム教とトルコ語で統合する国際色の強い帝国だった。それゆえ崩壊後が大変だった。

72、清の領域は、そのまま中華人民共和国に引き継がれていく。軍事征服により形成された多民族からなる帝国を近代的な国民国家として果たして組み直せるかどうか。システムの改編が、現在の中華人民共和国の最大の試練だ。

73、モンゴル商圏と連結した東地中海貿易の活性化が、イタリア諸都市に膨大な富をもたらし、東地中海の文化、芸術がよみがえってルネサンスという特異な文化現象をもたらした。

74、百年戦争によりイギリス海峡をまたいだイギリスが島国になり、フランスがヨーロッパ大陸の強国になる土台が築かれた。

75、宗教改革は、教皇と皇帝を頂点とするローマ帝国を継承する権威から北ヨーロッパを解放する役割を果たした。また教皇中心のタテ社会から聖書による信仰によるヨコ社会への移行は、民主主義を実現させる。封建的権威から解放されたエネルギーが、大西洋進出のエネルギーにもなった。

76、シベリア征服の中心になったコサックは、モンゴル帝国下の遊牧トルコ人の残存勢力だ。後にロシアはコサックを利用して中央アジア、中国の東北地方に勢力圏を拡大していく。

77、ピョートルは、オランダ、イギリスを手本にロシアの海洋進出をめざした特異な支配者だ。彼の出現でロシアのヨーロッパ化が進み、その遺言によりシベリア・東アジアへの進出が進む。

78、大航海時代は、地表の七割を占める海洋が五つの大陸を結ぶ時代への転換をもたらした「世界史の分水嶺」だ。世界の変化は、領土にこもる内向きの帝国に代わって、ネットワーク型の社会を成長させていく。

79、大航海時代以降、世界史は、帝国が持続するユーラシア(小さな世界史)と、3つの大洋が5つの大陸を結ぶ空間に成立させた新経済・政治システム(大きな世界史)がせめぎ合う新たな時代に移行していく。

80、資本主義は、大西洋という海の世界から生み出された人工的なシステム。

世界全史(7)

2016-12-27 09:26:42 | Library
61、科挙の実施は外戚、宦官、家柄、縁故などによる人材の登用から、試験による官僚の登用に切り替えたという点では一定の進歩だったが、官僚の特権が儒学の修得により合理化され、ワイロ政治が長期持続することになる。

62、江南のコメ地帯が中心になることで、それまで遊牧民との戦争を優先させてきた帝国の軍事体制が崩れたことが、北方の遊牧民に中華帝国が征服され続ける大きな原因になった。

63、中華世界では宋代に江南の比重が一挙に高まり経済が成長。文官が統括する官僚国家に移行した反動で、騎馬遊牧民の進出を許した。モンゴル帝国は、イスラム帝国に加えて中華帝国を統合することでスーパー帝国となる。

64、巨大な商業都市バグダードのネットワークが組み替えられることで、「パックス・イスラミカ」の時代が「パックス・モンゴリカ」の時代に変わった。グローバリズムという世界経済システムの大転換は、現在違う形で進行中だ。

65、元とイル・ハーン国は、銀により結びつくユーラシア規模の商業圏(円環ネットワーク)をつくりあげたが、帝国の倒壊により短期間しか続かなかった。

66、モンゴル帝国の時代の大規模な文明交流により火薬が西伝し、鉄砲、大砲が普及することで遊牧民の時代が終焉。羅針盤がヨーロッパに伝えられて大航海時代が始まることになる。IT技術などもそうだが、世界を根底から変える技術には乗り遅れないことが肝要だ。

67、ユーラシア規模の大商業圏の崩壊の決定打が、明の海禁と朝貢貿易への復帰だった。政治の介入・突出は、現在でも経済に変調をきたす。

68、モンゴル帝国の崩壊後、ティムールの死で挫折した帝国再建の夢は、明が海禁によりユーラシア経済から離脱したことで完全に崩れ、帝国が並立する時代に戻った。その間にヨーロッパが、宗教改革、大航海時代により「大きな世界」を出現させる。

69、19世紀後半から20世紀初頭の国際政治の主要なプレイヤーになるのはロシア、清、オスマンの3大勢力で、それと対抗するのがヨーロッパのイギリス、ドイツという新興勢力。現在でも、ロシア、中国、中東は色々な面で、国際政治のカギを握り続けている。

70、ムガル帝国はトルコ人による軍事征服王朝で、一神教のイスラム教徒が水と油の多神教信仰のヒンドゥー教を支配した。不安定な社会状態をつかれてイギリスにより植民地化されるが、第2次大戦後に、インド、パキスタン、バングラディシュに分離した。