忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

自分で選んだ道

2018-05-30 13:42:54 | Library
社会人になって働いて収入を得て独り立ち。
それまでは親の保護の下に生きてきたが、これからは自由だ、と思い社会人生活をスタートさせた。
職場で指導を受けた先輩や上司にも恵まれたが、20歳のときに入門した少林寺拳法にのめりこんだ。
25歳の時に会社に支部をつくり仲間をつくり近所の子どもたちにも少林寺を教えた。
仕事をおろそかにしたつもりはないが、稽古日には定時退社をこころがけ、どうしようもないときは稽古が終わってから職場へ復帰した。
それが許された時代であり、職場でもあったことは、私にとって幸せだった。

ちょうどそのころ結婚を意識して付き合っていた彼女に災難が舞い込んだ。
同じ会社で看護婦をしていた彼女に、共産党シンパの疑いがかけられたのだ。
当時、会社内にも共産党支部がつくられており、会社側は過剰にその拡大に警戒していた。
疑惑の原因は彼女が以前勤めていた病院が共産党の支配下にあったということだった。
いったん色メガネで見られるとそのメガネの色を変えることは難しい。
それにまつわるトラブルが続出し、彼女から相談を受けた私は、職場の先輩でもあり労働組合の役員をやっている方に相談した。
ふたりで話を聞いてもらい、先輩の働きによって会社側の誤解も解けた。
それが縁で組合活動にまったく縁がなかった私は、職場委員、代議員、代議員議長と恩返しのつもりで務めていった。

先輩はそれから労働組合の委員長に就任し、私も執行部入りを何回も進められたが断り続けてきた。
しかし、30歳の時、とうとう断りきれずに専従者として執行部入りをした。
それから私の人生は180度転換し、そしてあるハプニングにより35歳で委員長に就任した。
労組活動は自分の都合どうりには動かず、仲間に助けられ続けてきた少林寺拳法の支部もとうとう40歳で閉めざるを得なくなった。
寂しかったし、残念だった。
委員長の重責はすさまじかったが、得るところも多かった。
わずか3千人の組織だが、市会議員、県会議員、市長と3人の政治家を組織内に抱えており、選挙のたびに歯を1本ずつ無くしていった。
苦労は人を育てるというが、こんな私でも、10年間委員長職を全うできたのはそのせいだと思う。

50歳になって大荷物も片付いたのでそろそろ退任を考え始めた矢先、上部団体から県組織の委員長就任要請がきた。
会社からもこれが職場復帰の最後のチャンスだと誘いがあったが、悩んだ挙句、慣れ親しんだ労働運動の道を選んだ。
県内100を超える労組のリーダーとしてあるべき姿を追い求めてまた新しい毎日が続いた。
53歳のときに想定外の県連合の事務局長兼任、そして55歳で会長就任、50代にしては目まぐるしい10年が続いた。
20万人のトップとして恥ずかしくないリーダーになろうと、ここでももがき続けた。
私の歩んできた道はおそらく後世の人たちが検証してくれると考えるが、後ろ指を指されるようなことだけはしてこなかった。
それだけは自慢できる。

会長就任後、1年ほどして出あったのが「自死遺族を支えるボランティア」の講演だった。
そして、「こころの相談」ができるようにと始めた専門教育とボランティア、そこから派生してできていく仲間たち。
そんな仲間たちと「エンカウンター合宿」に参加し、その合宿で私は大きな影響を受けた。
63歳のときだった。
合宿2日目の夜、私は一睡もできないまま朝を迎えた。
どういう経過からか定かではないが、「ほんとうはあなた何をしたいんですか?」という質問が私に向けられた。
“ほんとうの自分”(?)…窮屈な鎧兜をつけて生きてきた自分はほんとうの自分ではない…“ほんとうの自分”(?)…。
合宿を終えて日常に復帰してもその質問が頭から離れなかった。
そこから見出した自分自身の答えのままに今は生きている。


“広告コピー秀作集”

学術上、クマンバチは飛べない。

それを知らないから飛べるんだって。






「広い視野」と「深い知識」

2018-05-29 16:45:10 | Library
広い…どのくらいの広さを求めるのか?
視野…その分野・方向性は?

11年前のことだから、まだ55歳で現役バリバリ。
長年生きてきた専門分野では、油も乗り切った自他ともに認めるベテランリーダーの一人であった。
退任後の人生を考えることもそろそろ出てきた矢先に「自死遺族を支えるボランティア」の講演を聞いた。
単組で執行委員をやっていた30代、今考えれば統合失調症だったであろう組合員から相談を受けた。
私の誤った対応で彼は心を痛め会社を辞めていった。
私自身、今でも忘れない苦い思い出だ。
そこから少しは勉強をして同じような過ちは繰り返さぬようにして、こころを病む組合員に寄り添ってきたつもりだった。
退任後も相談事なら私にもできるかもしれないと思い、「労働相談」に加えて「こころの相談」にも応じられるようにと、それから1年後に専門教育を受けるようにした。

深い知識…どこまでいっても尽きることのない勉強ネタ。
できるだろうと多寡をくくっていた私、とんでもないことだった。
油断するとこちらのこころにもヒビが入ってくる。
「労働相談」もそうだが、「こころの相談」はもろに“いのち”がかかってくる。
勉強のいちばんの成果は、もっと勉強したくなることだが、死ぬまで勉強の毎日かもしれない。
自分で選んだ道ではあるが、時に自信を失いかける。

“広告コピー秀作集”

別れが人を強くするなら、

一生弱くていいとおもった。

イランへの12ヶ条の要求

2018-05-23 09:32:51 | Library
5月21日、米国務長官がイランに対し12ヶ条の要求を突きつけたと報じられている。
これに応じなければ歴史上なかったような制裁を課すとの脅迫付きである。
新たな経済制裁は、イランと取引する欧州企業をも制裁の対象とするものだ。
すでにイランから資本を引き揚げる外国企業も出ているという。
しかし、これに応ずるということは、これまでのイランの中東政策を根底から覆すものであるし、それは現体制の転換(崩壊)をも意味するものでもある。

・IAEA国際原子力機関に対して、すべての核開発情報を開示する
・IAEAに、すべての核施設への立ち入りを認め、重水炉を閉鎖する
・核弾頭搭載可能のミサイルの開発中止
・イランに拘留されている、すべての米国人及びその同盟国のものの釈放
・ヒズボラーやハマスやイスラムジハード等のテロ組織への支援中止
・シリアの全ての地域からのイラン兵の撤収
・タリバンの支援中止、アルカイダ幹部へ隠れ家提供中止
・イスラエル、サウジ、UAE等の米国の同盟国に対する脅迫の中止
・全ての中東諸国からのイラン兵の撤収と、「フーシー派」に対する支援中止
・イラン外におけるコドス部隊の活動中止

これらの要求にイランが応じないとどうなるだろう。
(太平洋戦争前夜の日米のやりとりがデジャブのように蘇ってくる。)
大戦後、米国の国益は世界単独覇権国家であることで成り立っていた。
トランプの撤退戦略が行き着く先は巨大な国家だからこそ成り立つ保護貿易の閉ざされた社会なのか?
そうなると資源のない島国日本はどう生きるべきだろうか?


“広告コピー秀作集”

人生は、

冬ではなく、

春で終わりたい。



労災相談

2018-05-22 11:10:12 | Library
クレーン作業中に鉄骨が崩れて左ひざ損傷。
オペ3回で全治3ヶ月。
本人は70歳の高齢者アルバイトで必要な時だけ頼まれ仕事。
病院で労災書類を会社に提出するよう家族が言われて届けるが拒否される。
理由は「一人親方」だからということ。
本人にはその自覚なし。
腹を立てた家族は労基署へ相談するが簡単に「それは労災にはなりません」の返事に希望を失う。
相談を受けて話を聞いてみた。

労基署には相談履歴を残していないので分からないという意味不明の回答。
被災者に詳しく話を聞いて分かったことは、架空の事業所名(一人親方)で請求書をだすことを求められていた。
しかし業務契約などは一切なし。
ユニオンに加入し団体交渉するか、裁判すれば労働者性を確保できそうだし、治療費や慰謝料の請求もできそうだ。
本人に相談したら、そこまで事を荒げたくない、昔から世話になっている会社だからという返事。
この国の労働者は善意と責任感の塊だ。
会社はそこにどっぷりと依存しているが、これでいいわけがない。
怒りの持って行き場がない。


“広告コピー秀作集”

肌は、私が見るより、

誰かが見る時間のほうが長い。

壊れていく昨日の常識

2018-05-21 08:07:13 | Library
トランプのせいだけではないかもしれないが、世界中の常識が変わり始めた。

北朝鮮の核放棄と引き換えに、金体制の安定と保証を与えるという。

米国がイラン核合意から離脱し、イスラエルとイランは一触即発。

米中貿易摩擦は他人事ではなく、米国第一主義はわが国にも迫りくる問題だ。

マレーシア総選挙でマハティールが復活し、消費税を撤廃するという。

日本でも異次元の金融緩和が続き、いよいよ金融界のビジネスモデルが変わりつつある。

福岡で、レジ不要のスマートストアーの実験が始まった。

etc…etc…


“広告コピー秀作集”

「失敗したらダメ」

「失敗しても大丈夫」

人はどちらの方が

がんばれるのだろう。