忘備録の泉

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なぜ哲学は、「死なないほうが良い」ことを論証できないのか②

2020-08-23 09:43:32 | Library
次の図は、人生の状況が悪化して自殺を考えるかもしれないというケースだ。
この人の人生は健康的で活力に満ちた形で、順調に始まる。
しかし人生半ばで変性疾患にかかり、状況はどんどん悪化していった。
A点は人生全体の価値が低下し始める時点を示している。
C点からは、存在しているほうが存在していないよりも悪くなる。
D点は、それより前に自殺しない限り、自然な原因(病気)で死ぬ時点を示す。

ここでは、自分の人生を終わらせることについて考えるのは合理的に思えるかもしれない。
しかしそう単純にも考えられない。

この疾患には治療法があり、進んで治療を受けようとさえすれば、決してX軸の下まで落ち込まないかもしれない。
C点を過ぎるとたしかに死んだ方がましになるとしても、そのようなケースですべきことは人生の質を高めることであって、人生を終わらせることではないとも考えられる。

他方、この変性疾患には受けるべき適切な治療法がないし、状況を改善するためにとることのできる、理にかなった行動もないとしたらどうだろうか。
存在しないよりも悪い人生を避けるための唯一の方法は、それを終わらせることだけだ。

この図をそのように理解するならば、自殺は合理的な選択であるように思われる。
そうだとしたら、C点を過ぎたら死んだ方がましかもしれない。
だが、どの時点で自殺は合理的な選択肢になるのか?
たしかに、A点から線は下降し、状況は悪くなり始めるとはいえ、人生が非存在よりも悪くなるのはC点から先だ。
A点からC点の間が何年あるかは別として、その間はA点より前ほど良くないのは確かだが、非存在よりも良い状態が続く期間がある。
だから、自殺する時期を完全にコントロールできるなら、自殺するべき時点は明らかにC点だろう。
だが、その時点ではベッドに寝たきりになり、身の回りのことがなにもできなくなっているかもしれないから、B点が自殺できる最後の時点かもしれない。
B点を逃せば、C点における自殺の問題は安楽死の問題に変わる。

しかし、どのケースにおいても未来の姿は誰にも分からないなかでの判断だ。

(つづく)



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