忘備録の泉

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罪悪感はどこから生まれるのか

2020-08-08 16:09:54 | 心理
私たちが罪悪感を抱くのは、どんなときだろうか。
それは、社会の規範や道徳に背いたとき、あるいは他者に対して危害や損害を与えたときに顕著にあらわれる。
その行為や行動が悪いかどうかを判断する基準は自分自身にあり、他人に責められるのではなく自分自身の内側から生ずる感情だから、即座にあらわれるのだ。
したがって、道徳に反する行動をとった場合に、相応の罪悪感をもつことは、精神の健全さを示す指標ともなる。
しかし、その基準となるのは各人が抱いている道徳観や良心であるため、人によっては良心のあり方が異なり、罪悪感の欠如や、あるいは逆に過剰な罪悪感をもつケースもみられる。
なかには、なんらかの精神病理が考えられるケースもある。
たとえば、妄想型の統合失調症の患者のなかには、自分の不道徳な行為に対して自責の念をほとんど持たず、それどころか他人に責任を転嫁する場合さえある。
逆に、内因性うつ病患者の場合は、罪悪感を生ずるような事実がないにもかかわらず、異常に激しく自分を責める場合もある。
さらに、特殊な例として神経症の患者の、心の奥深くに罪悪感が潜在していて、頻繁に手を洗う(罪の洗い流し)というような強迫行為としてあらわれるような、無意識的な罪悪感もある。

罪悪感には7つのタイプがある。

罪悪感として認識しやすいものからあげてみる。
①加害者という罪悪感
②無力感という罪悪感
③なにもしていないという罪悪感
「あのときこうしておけばよかった」などと一人自分を責め続ける。もっとも許しがたい罪悪感。
④恵まれていることへの罪悪感
恵まれていること自体はすばらしいことなのだが、その価値を受けとれないために、罪悪感に転じてしまう。
恵まれたことに対する罪悪感を持つ人が、問題だらけの人を好きになって助けようとすることで、その罪悪感を解消しようとする(つまり補償行為)パターンもある。
⑤潜在意識の奥深くにある罪悪感
⑥愛する相手(親やパートナー)の罪悪感を自らが背負う
⑦罪な存在などと意識する罪悪感
キリスト教的な「原罪」意識、仏教的な「精神世界」意識などの行き過ぎから起こる。



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