忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

日朝の歴史(4)

2017-10-30 10:39:33 | Library
豊臣秀吉による「朝鮮出兵」は、朝鮮側では「壬辰倭乱(じんしんわらん)」と呼ばれる。
秀吉の意図は明国を服属させることで、朝鮮に対してはその道案内を求めるという意味の侵入戦争だった。
この戦争で東アジア三国は勝者・敗者と関係なくみな莫大な被害を被り、以後多くの変化を経ることになった。
日本は豊臣政権が崩壊して徳川幕府が政権を握り、明国も戦争の後遺症で徐々に衰退して女真勢力に大陸覇権掌握の原因を提供した。
特に朝鮮は戦争が朝鮮半島で7年間も持続したため、国土が荒れはてて人的資源が損傷する莫大な被害を被った。
日本に対する恨みが、さまざまな民話を生みだし、軍談小説を登場させ、反日感情があらゆる階層の国民に深く浸透していった。

大陸では16世紀末、女真族が台頭して後釜となり、清と国号を改めた。
清は朝鮮に侵攻、朝鮮王朝は降伏し、滅亡への道をたどりはじめる。

(つづく)
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日朝の歴史(3)

2017-10-29 10:14:26 | Library
島国の日本と比べて朝鮮は絶えず大陸からの圧力を受けていた。
そのために政治的・軍事的には日本のほうがはるかに安定した先進国であった。
いっぽう、朝鮮半島が新羅によって統一し、唐の勢力が追放されてからは漢民族との対立はほとんど見られなくなる。
以後、朝鮮民族と漢民族とは長いあいだ、友好関係を保っていく。

日本は894年に遣唐使の派遣を停止し、以後、唐風文化から国風文化へと変化していく。
東アジアの3つの国、中国と朝鮮と日本が、おのおの別の道を歩きはじめたのである。
日本は武士社会へと変化し、文化的にはいろいろな関係を持ち続けるが、中国や朝鮮とは異なった社会になる。

中国で唐が滅びると、朝鮮に対してモンゴル族などの北方勢力が侵入を始める。
大陸の一角を占める朝鮮は、常に大陸の政治的変動の影響を受けてきた。
蒙古の朝鮮侵入は大規模なものだけでも8回に上り、全土を焦土と化したほどである。
朝鮮に攻め入った蒙古は、1271年国号を元と改め、1274年と1281年に日本に攻めてきた。
鎌倉時代に起きた「元寇」である。

14世紀に起こる「倭寇」は「元寇」に対する仕返しだという説もあるが、この「倭寇問題」は東アジアに鎖国状態を強いる原因にもなった。
大陸では元から明へと移り、日本では戦国時代から豊臣秀吉の時代に入る。

(つづく)

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日朝の歴史(2)

2017-10-26 09:56:10 | Library
日本列島の古墳時代と同じ頃の朝鮮半島は、高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)、百済(くだら)という三国が割拠した三国時代だった。

古墳時代は、3世紀後半にはじまり、7世紀初めにはおわりを迎える。
このころに日本列島に住む人々や、そこに成立していた社会を、中国や朝鮮半島では「倭人」「倭」と呼んでいた。
日本の歴史では「大和朝廷」の時代だ。
この当時から日本は朝鮮半島との行き来は活発で、発掘された古墳からもその名残がよく分かる。
朝鮮半島から多様な文化をさかんに受け入れ、取捨選択し、変容させ、みずからの文化として定着をはかっていたのだろう。
朝鮮半島と日本列島を、対馬海峡や日本海、黄海、玄界灘、瀬戸内海を舞台にして、人々が往来し活発に交流を重ねていた様が目に浮かぶようだ。

朝鮮半島では、高句麗が半島南部への進出をもくろみ、これに対抗する百済や新羅は倭国と交渉の動きを強めた。
中国を統一した中国王朝(隋や唐)は朝鮮半島へ進出、新羅と同盟する。
倭国は遣隋使・遣唐使を送るなど中国王朝(隋・唐)との友好も深めていた。
唐・新羅連合軍に攻め込まれた百済は、倭国の軍事支援を求めて戦ったが(「白村江の戦い」)敗れ滅亡した。
倭国は国を失った百済人の亡命移住を受け入れ、唐や新羅による侵略に備えて九州に防人を配置し、律令制の整備など中央集権国家化を進めた。
また、8世紀初頭には国号を日本へと改めた。
668年に新羅が三国を統一するが、918年には新しく高麗(こうらい)という国が建国される。

ここまでの時代を朝鮮では、古代社会としてとらえている。
日本の「古事記」や「日本書紀」が書かれたのは8世紀初頭だが、朝鮮では「三国史記」や「三国遺事」がそれにあたる。

(つづく)

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日朝の歴史(1)

2017-10-25 10:08:37 | Library
宇宙の歴史や地球史から眺めると、人類の歴史などはまだ点にしか過ぎない。
ましてや文明が起きた一万年前と現代はまさしく同時代だ。
そういう視点で歴史を眺めると、現代と過去を二重写しにしながら、人間のあり方や未来を考えるよすがになる


今から数万年前の「旧石器時代」は、ユーラシア大陸と日本列島は陸続きであった。
北海道はロシアと、九州は朝鮮半島と繋がっており、マンモスやナウマン象を追いかけて日本にやってきたのが私たちの先祖だという説もある。
(「DNAからみた日本人」より)
日本民族のルーツを探る学説はいくつもあるが、氷河期には日本列島も大陸と陸続きであったことは間違いないし、そもそも人類の起源はひとつである。
1万5千年前に氷河期が終わりを迎えると、地球の気候は次第に暖かくなっていき海水面が100メートル以上上昇し、それまでの陸地は海に隠れてしまった。
人々は海を渡って交流を深めていった。

現代の日本と朝鮮半島の関係には残念ながら好転の兆しはみえないが、長い日朝の歴史を眺めながら、未来へ明るい思いをつなげていきたい。

(つづく)
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メソポタミア⑧

2017-10-23 09:18:35 | Library
ソ連軍が撤退した直後の1992年、アフガニスタンはイスラム協会主導の国家となる。
しかし、その後、武装勢力「タリバン」が勢力を拡大し、スーダンから国外追放されたビン・ラディン率いるイスラム過激組織「アルカイダ」を受け入れた。
国連はテロ行為の防止を目的にタリバンにアルカイダの引き渡しを求めたが、タリバンは従わなかった。
2001年、アメリカ同時テロが発生すると、アメリカはテロの容疑者としてビン・ラディンの引き渡しをタリバンに要求したが、拒否したために空爆を開始。
米軍と同盟国軍がアフガニスタンに攻め入り、タリバン政権は崩壊する。
混乱するアフガニスタンには、米軍が駐留し、2004年に選挙によりカルザイ大統領が就任する。
駐留していた米軍は2011年、アフガニスタンから撤退するが、反政府勢力との紛争はいまだ止むことはない。

イランでは、イラクの混乱に危機感を募らせて核抑制力の必要性を強め、ウラン濃縮計画を再開、徹底した反米姿勢を強めていく。

レバノンでは1982年、イスラム過激組織ヒズボラから攻撃を受けたとしてイスラエルがレバノンに攻め入った。
2006年には国連の停戦決議を受け入れ、イスラエル軍は撤収したが、いまだきな臭いにおいがする。

中東は世界の火薬庫。
イラクとシリアにまたがる国家樹立を宣言したイスラム国(IS)の終焉は間近であるが、テロ拡散の危機は去っていない。
「民族問題」「宗教問題」「石油利権問題」「パレスチナ問題」「イスラム宗派派閥問題」「代理戦争」「テロの脅威」も加わわり、中東はますます混迷を深めていく。


(参考文献 「世界史入門」、「イスラム世界の発展」、「高校世界史の板書と発問」など)
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