忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

アフガニスタンは火薬庫

2021-08-10 16:28:38 | Library

1979年、ソ連はアフガニスタンへと侵攻した。

当時、トルクメニスタン・タジキスタン・ウズベキスタンはソ連の一部だったので、アフガニスタンは隣国にあたる国であった。

アフガニスタン国内ではクーデターが繰り返し起こり、1978年に共産主義政権が誕生する。

それに対抗する武装勢力が蜂起してアフガニスタン各地を支配下におさめて勢力を拡大していった。

ソ連は自国内に悪影響を及ぼすことを恐れて、突然アフガニスタンを攻撃し占領してしまう。当然ながら国際法違反の行為である。しかも侵攻後、アフガニスタンの大統領を殺害し、ソ連の言いなりになる大統領にすげ替えてしまった。
国際社会はソ連のアフガニスタン侵攻を非難し、アメリカの呼びかけに応じ自由主義国の多くがモスクワオリンピックをボイコットした。

イスラム教徒の多いアフガニスタンでは、宗教を否定する共産主義国ソ連に対し「ジハード(聖戦)」を掲げて立ち上がった。さらに周辺のイスラム教の国々から大勢のイスラム教徒たちが応援に駆けつけた。
結局、ソ連軍はぼろぼろになって、1989年にゴルバチョフ書記長が撤退を決意する。
約10年に及ぶ泥沼の戦闘は、ソ連崩壊の引き金となった。

この戦争でアメリカは間接的にイスラム戦士たちを支援した。パキスタンを経由して大量の武器を運んだのである。
アメリカがアフガニスタンを支援したのはソ連を痛めつけるためだけなので、ソ連軍が撤退するとそれ以上の干渉も関心も示さなかった。
アフガニスタン国内はどうなったのかというと、イスラム教徒の内部対立が激しくなり、内戦状態に陥ってしまった。
そこにパキスタンが目をつけてパキスタン寄りの政権をつくろうとして、難民キャンプに逃げてきたイスラム教徒たちを兵士に仕立ててアフガニスタンに攻め込ませた。
その際にアメリカから受け取った武器を持たせて戦わせ、アフガニスタンを制圧して「タリバン政権」を誕生させたのである。

パキスタンは自分たちの言うことを聞く政権をつくろうとたくらんだのだが、タリバンと同じ考えを持つ過激な人たちがパキスタン国内で増えていき、テロが頻発していく。
ソ連もアフガニスタンに手を突っ込んだあげく大変な痛手を被り、国家自体が崩壊に陥った。
アメリカも支援したイスラム戦士のなかからアメリカ同時多発テロの首謀者ビンラディンを産みだしてしまう。
同時多発テロに激怒したアメリカはアフガニスタンを攻撃するが、これもまた20年という泥沼のような戦争に引き込まれる。

トランプ政権で(安定しているわけではないが)アフガニスタン撤退を決意したアメリカだが、アメリカ軍撤退後に勢いを取り戻したタリバンにより一気にアフガニスタン各州を制圧されている。

これに対して、ロシアがまた触手を伸ばしはじめている。

(2021年8月)

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿