忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

伝わる話し方の準備と練習②

2019-03-31 15:07:06 | Library
2:時間を「はかる」
内容を書き出したら「音読」する。
実際にどのくらいの長さになるか、ストップウォッチで測ってみる。
人が誰かの話を集中して聞いていられる限界は3分間程度である。
スピーチは3分間が理想的。
乾杯のあいさつや、ちょっとひとことは1分間がいいだろう。
講演は全体の時間が90分なら、1つのテーマについて3分間、90分の講演なら3分の話×30コマとなる。

3:すらすら話せるまで「練習する」
はじめは「書いたメモ」を見ながら練習する。
すらすら話せるようになったら、つぎは「メモを見ないで」話せるようになるまで練習する。

4:「じぶん撮り」する
すらすら話せるようになったら、自分で話している様子を動画で撮る。
スマホや携帯電話についている録画機能を使えば十分だ。

5:じぶんで「見る」
自分の話を「聞き手」として聞いてみる。
メリハリがあって、効果的に意味が伝わってくるだろうか。
①「捨てる言葉(強調しなくていい言葉)」と「立てる言葉(強調すべき言葉)」を分ける
②「立てる言葉」だけを「立てる」
「立てる」やり方
・音を大きくする
・音を高くする
・ゆっくり読む
・前に間をあける
捨てる「ゴミ用語」がないかチェックする
①「えー」「あー」「あのー」「えーと」
②「~させていただきます」
③「~したいと思います」
④「~のほう」
⑤「本当に」

人前で話して成功するために何より大切なことは、「やれるだけのことをやりつくした」と自分自身が信じられるまで「準備と練習」をすることだ。
(参考「10倍伝わる話し方」)



伝わる話し方の準備と練習①

2019-03-30 11:02:35 | Library
人前でうまく話せない最大の原因は、事前の準備不足である。
うまく話せる人の多くは、周到に準備し、練習し、見えないところで努力を続けている。
実際に「できる」ようになるための準備と練習の5ステップを知ろう。

すぐ効果があらわれる「準備と練習」の5ステップ
1:内容を「書き出す」
2:時間を「はかる」
3:すらすら話せるまで「練習」する
4:「じぶん撮り」する
5:じぶんで「見る」


1:内容を「書き出す」
まずは、話そうと思う内容を、紙に書き出してみる。
たとえばこんな具合である。
①テーマ:何についての話か
②エピソード:自分か誰かの体験談、実際にあった例など
③言いたいこと:伝えたいメッセージ

得意満面で成功話や自慢話をする人がいるけれど度が過ぎるとウンザリされる。
ウザい自慢話を「役立つ成功話」にしてみよう。
①「うまくいかない状態」のときの話。
②「うまくいくやり方」に気づいた瞬間の話し
③気づいた後に「どうやり方を変えたか」の話し
④その後の「成功話」
⑤つまり「何が成功のポイントなのか」のまとめ

旬の「時事ネタ」をうまく活用する
①時事:新聞やニュースから一つ「時事ネタ」を選び、事実の要約を話す
②仕事:その「時事ネタ」に「自分の仕事」を結びつける
③考え:「自分は」どう行動するのかの考えを話す

自己紹介にも気を使う。
①関心:相手についてどれだけ知っているか
②共通点:「相手が大切にしていること」と「自分」の共通点
③貢献:相手に対して、自分はどう貢献したいか
人は「感情」が動いたときに動いてくれる。
この人の話だったら信用できると思われなければ、一生懸命話しても聞くほうは上の空かもしれない。

(つづく)

ドラッカーの思想④

2019-03-28 09:50:10 | Library
組織の運営の仕方(マネジメント)というと今までの経済至上主義と何が違うのかと疑問に思われるかもしれない。
しかし、ドラッカーは儲けるための組織運営を行えと言っているのではない。
彼の頭のなかにあるのは、あくまで中心に「人」がいる組織であり社会だ。
人と人とが一緒に働きながら、それぞれが幸せになるためには、いかなる組織運営を行っていくべきか、その点にドラッカーは注目した。
とはいっても「産業人の未来」では、資本主義や社会主義というイズムに代わるものとしてのマネジメントを提案するだけで終わっていて、具体的な手法やスキルについては何も書かれていない。
ドラッカーは、具体的な組織の運営の手法を研究し始める。
企業活動の現場を見たい、と考えたドラッカーは大企業や中堅企業に申し入れたが、どこからも断られてしまった。
そんな時に、「産業人の未来」を読んで興味を抱いたGM(ゼネラルモーターズ)の副社長から、GMを研究場として提供しようとのオファーを受ける。
これを機に彼は1年半の間、GMに通い詰めて組織運営についての研究を行った。

それを報告書としてまとめたのが、三作目の「企業とは何か」だ。
「企業とは何か」は、出版されてすぐに評判を呼び、大企業の組織改革のテキストとなった。
しかし、GMの組織運営に対する批判も含まれていたので、GMサイドには受け入れられなかった。
「絶対というものはこの世には存在しない。すべては変わっていくものだ」「社会のことも考えよ」という考え方が、ドラッカー思想の根本であり、当時すでに世界的な超優良企業であったGM側は自尊心を傷つけられたのであろう。
また、ドラッカーは社員一人ひとりに話を聞いた結果として「仕事のことを一番よく分かっているのは現場である。彼らの考えを経営に取り入れるべきだ」と主張したが、これもGMの逆鱗に触れる一因になった模様である。
ともあれ、当のGMからは反発されたものの、「企業とは何か」を書いたことがきっかけとなって、ドラッカーは「マネジメントの父」「マネジメントの発明者」と呼ばれるようになった。
ドラッカーは生涯で膨大な著作を残しているが、「経済人の終わり」「産業人の未来」「企業とは何か」に続く、「現代の経営」「創造する経営者」「経営者の条件」、そして企業経営の集大成として出版した「マネジメント」、NPOのバイブルとさえいわれる「非営利組織の経営」は機会があればぜひ読まれたい。
ドラッカーが「人間を幸せにする社会とはなんだろう?」と考えた末にたどり着いたのが「マネジメント」という方法論であったことに気づくだろう。

(参照資料「マネジメント」「P.F.ドラッカー完全ガイドブック」)

ドラッカーの思想③

2019-03-27 11:06:08 | Library
「経済人の終わりに」に書かれている「経済人」とは、エコノミックマン、日本でもよく言われたエコノミックアニマルと同じ意味だ。
経済のために生まれて、経済のために死んで、経済のために戦争をする人々、あるいは休戦する人々、つまり経済至上主義の世の中に生きる人々のことだ。
それは資本主義社会でも社会主義社会でも多くみられる人々だ。
しかし、この「経済人の終わり」には、経済人=経済至上主義に生きるエコノミックマンの時代はやがて終わるとは書いてあるが、その後どうすればいいかの答えは書かれていない。

その答えともいうべきものが書かれたのが、二作目の「産業人の未来ー改革の原理としての保守主義」だ。
この本のなかでドラッカーは、今後は産業人が未来をつくっていくことになる、と述べている。
産業人とは、組織社会のなかで働いているふつうの人々のことである。
現在の社会ではほとんどの人が、なんらかの形で組織に属しながら生活している。
ドラッカーはこうした時代の流れを見て、社会の構成要素である組織に着目した。
単純にいってしまえば、すべての財とサービスが組織で産みだされ、すべての人が組織で働いているとするならば、それらの組織をよりよいものにしていけば、組織の集まりである社会もよくなるはずだ、という発想である。
社会の構成要素である組織のひとつひとつがどう運営されるかによって、人間は幸せにも不幸せにもなりえる。
それならば、資本主義や社会主義といった「イズム」に代わるものとしての、組織の運営の仕方(マネジメント)にこそ注目すべきではないか、とドラッカーは考えたのである。

イズムに頼らずに世の中をよくするにはどうしたらよいのか。
それは理想を求めて、手持ちの道具を使って、問題をひとつひとつ解決していくこと。
ケースバイケースで進むこと。
組織にとっても、社会にとっても万能薬などはないし、論理だけでは解決できないとしている。
それが、ドラッカーのいう保守主義の姿であり、ポストモダン(脱モダン)の方法だ。
モダンとは近代合理主義の時代を表す言葉であるが、ドラッカーは歴史の大きな転換期を迎え、すでに新しい時代へ移行していると捉えていた。
それがポストモダンである。

(つづく)

ドラッカーの思想②

2019-03-26 09:06:44 | Library
ドラッカーが伝えたかったヨーロッパとは…。
ヨーロッパの歴史を考えるうえでは、産業革命の時代まで遡らねばならない。
1776年にジェームズ・ワットが蒸気機関を発明したのを機に、生産手段が大規模化し、大量生産が行われるようになっていく。
これがいわゆる産業革命である。

産業革命の起こった1776年は、アダム・スミスによる「個人がそれぞれ自己の利益を追求し自由に経済活動に励みさえすれば、結果として社会全体の利益が達成される」という「ブルジョア資本主義」が誕生した年とも重なる。
しかし、実際には社会全体が豊かになるのではなく、生産手段を持っている資本家だけが豊かになっていった。
それに不満を感じた人々のなかには「生産手段を資本家の手から労働者へと奪い返せば、格差が解消され、すべての人が幸せになれるはずだ」という新しい理想を掲げる者が出てきた。
それが「マルクス主義」だ。
しかし、マルクス主義もうまくいかなかった。
ロシアでは第一次大戦中、社会主義革命によって生産手段を労働者が奪い取ったものの、実際には一部の特権官僚階級だけが潤い、大衆は貧しいままという結果に終わってしまう。
結局、資本主義と社会主義が対立し戦っているように見えてはいたが、そのどちらも人間を幸せにしてはくれなかったということにドラッカーは着目する。
そして彼は、資本主義も社会主義も人間を幸せにしえなかった理由を「どちらのシステムも“経済至上主義”を基本にしていたからだ」と結論付けた。
経済至上主義とは経済、つまり金の流れを中心とした社会のことだ。
経済のために生まれて経済のために死ぬ…そういう世の中のことで、そこには人間というものが存在しないとドラッカーは見抜いた。
資本主義と社会主義のどちらにも失望したヨーロッパの人々が「脱経済至上主義」として救いを求めたのが、国家社会主義という名の「ファシズム全体主義」であり、そこにヒトラーが言葉巧みに付け込んでヨーロッパ全土を席巻していったのである。
ドラッカーは第一次大戦後の世界の状況を見て、国家社会主義の本質は、軍国主義や弾圧や暴力ではなく、「脱経済至上主義」にあったと考えたのである。
こうした考えをまとめたのが、アメリカで1939年に出版した第一作「経済人の終わりー全体主義はなぜ生まれたか」である。
(つづく)