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恋愛映画の夢の幻15 「それから」の「それから」のそれから 

2019-01-20 10:50:28 | 日記
 映画は、それが古い過去を舞台にした時代劇であっても、あるいは未来を描くSFであっても、それが作られた時点の現在からの視線を反映して作られたものであることを免れない。原作のある映画化作品でも、それは同じだ。たとえばぼくたちは、あの「バブル時代」と呼ばれることになる1980年代の日本社会について、その時を生きていた時に見たり感じたりしていたことが、どういう意味を持っていたかは、だいぶ後になって気がつく。「バブルが弾けた」という言葉が出てから、ああ、あれはバブルだったのか、と認識するのだが、それはその後の長期停滞(あくまで経済的な盛衰として語られるのだが)から振り返ったときにそう思うにすぎない。
 「それから」は夏目漱石の小説で、書かれたのは日露戦争後の明治42年であるから、ずっと昔の現代小説(朝日新聞の連載小説)だった。それを、バブル時代の1985(昭和60)年に森田芳光が映画にした。映画のなかの時間は原作通り明治の末の話となっている。しかし、この映画が公開された時、ぼくも映画館で観たのだが、遠い明治の物語というよりは、あの「バブル時代」の日本に同期するものとして受け取られていたと思う。つまり、松田優作が演じた主人公の代助が、いい年をしても働かず日々を優雅に遊んで暮らす「高等遊民」として描かれていたからだ。彼は最後に、人妻との恋愛を選ぶことでその立場を失うのだが、バブルを謳歌していた中流日本人の多くは、その後の若者がどんどん脱落し「フリーター」「ニート」が社会問題になるような時代が来るとは思っていなかった。

■ 森田芳光監督「それから」And Then 1985
 明治後期の東京。長井代助(松田優作)は、三十歳になってもあえて定職を持たず、本を読んだり界隈を散歩したり、毎日を気ままに送る思索者である。しかし生活に困ることはない。父・得(笠智衆)は大実業家で、兄・誠吾(中村嘉葎雄)がその事業を継いでおり、次男の代助に多大な援助を与えていたからだ。おかげで、代助は別宅を構え、老婢(一の宮あつ子)と門野(羽賀研二)という書生を置いていた。父や兄は、そんな代助に、早く身を固めろと説き、しきりに縁談を持ち込んだが、その都度、何らかの理由をつけてはそれを拒んできた。そんな代助を、兄嫁の梅子(草笛光子)や子供たちの縫(森尾由美)と誠太郎が好ましい視線で見ていた。

 ある朝、代助に、親友・平岡常次郎(小林薫)からの便りが届いた。平岡は代助とは異なり、大学を出るとすぐに大手銀行に入社し、地方の支店に勤務していたが、部下が引き起こした問題の責任を負うことになり、辞職し東京へ戻るというのだ。平岡とは三年ぶりの再会になるが、それは、また彼の妻・三千代(藤谷美和子)との再会をも意味していた。三千代は、かつて大学時代、代助が想いを寄せていた女性で、親友・菅沼の妹であった。が、平岡もまた三千代に惹かれていることを知り、自らの義侠心にのっとった友情で、三千代を平岡に嫁がせたのだった。上京した平岡は、明らかに変っていた。彼の三年間の銀行員としての生活は、平岡を俗人に変貌させていた。金のために働くことには意味がないと言う代助に、それは世に出たことのない男の甘い考えにすぎないと、平岡は非難をあびせる。が、そんな代助に、平岡は自分の就職の相談を持ちかけてくる。一方、三年ぶりに会った三千代は、生活にやつれている様子はあるものの、以前にも増してしっとりとした美しさを備え、代助の心に不安な胸騒ぎのような感情が湧くのだった。
 平岡のために、住居を手配し、果ては借金の口ききまで奔走する代助は、やむなく兄に頭を下げた。そんな代助を見て梅子が力を貸してくれた。用立てた金銭のことで幾度となく三千代に会ううちに、代助は、過去に自分が選択した道が誤りであったことを深く実感した。平岡に三千代を譲るべきではなかったと。そして、三千代もまたかつてより押えていた代助への愛が押えきれなくなっている自分におののきを覚えていた。一方、家の繁栄のために、長井家とゆかりの深い財産家・佐川の令嬢(美保純)との縁談を望む得と誠吾は、強引に代助に見合いをさせる。音楽会、食事会と次々に見合いの席を用意し、代助も、素直にそれに臨んだ。しかし、縁談が順調に進めば進むほど、代助の中で、ある決意が固まっていた。「昔の自然に今、帰るのだ」。
 三千代に自分の気持ちを打ち明ける決意をした代助は、思い出のある百合の花を飾り、三千代を家に呼び寄せる。代助の告白に、三千代は涙を流す。なぜ、もっと早くに言ってくれなかったのか。あなたは残酷な人だ、となじりながら、その中には喜びが含まれていた。「覚悟を決めます」という三千代。しかし、この二人の決意は、親からの勘当、社会からの離反を意味していた。得の家に縁談をことわりに行った代助に、三千代とのことを平岡からの手紙で知った誠吾が罵声をあびせる。ついに、得は、代助に言い切った。「出ていけ!」。今は無一文になった代助は、それからを思い、ひたすら、歩き続けるのだった。
 この最後の場面の、漱石の原文はこうなっている。

 「貴様は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。代助は俯いた儘顔を上げなかった。
 「愚図だ」と兄が又云った。「不断は人並以上に減らず口を敲く癖に、いざと云ふ場合には、丸で唖の様に黙ってゐる。さうして、陰で親の名誉に関はる様な悪戯をしてゐる。今日迄何の為に教育を受けたのだ」
 兄は洋卓の上の手紙を取って自分で巻き始めた。静かな部屋の中に、半切の音がかさかさ鳴った。兄はそれを元の如くに封筒に収めて懐中した。
 「ぢや帰るよ」と今度は普通の調子で云った。代助は丁寧に挨拶をした。兄は、
 「おれも、もう逢はんから」と云ひ捨てて玄関に出た。
 兄の去った後、代助はしばらく元の儘じつと動かずにゐた。門野が茶器を取り片付けに来た時、急に立ち上がって、
 「門野さん。僕は一寸職業を探して来る」と云ふや否や、鳥打帽を被って、傘も指さずに日盛りの表へ飛び出した。
 代助は暑い中を駆けない許に、急ぎ足に歩いた。日は代助の頭の上から真直に射下した。乾いた埃が、火の粉の様に彼の素足を包んだ。彼はぢりぢりと焦げる心持がした。
 「焦げる焦げる」と歩きながら口の内で云った。
 飯田橋へ来て電車に乗った。電車に真直に走り出した。代助は車の中で、
 「あゝ動く。世の中が動く」と傍の人に聞える様に云った。彼の頭は電車の速力を以て回転し出した。回転するに従って火の様に焙って来た。是で半日乗り続けたら焼き盡す事が出来るだろうと思った。
 忽ち赤い郵便筒が、目に付いた。すると其赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあった。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を巻いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売ってるものがあった。電車が急に角を曲がるとき、風船玉は追懸けて来て、代助の頭の中に吸い込まれた。烟草屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。さうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと燄の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け盡きる迄電車に乗って行かうと決心した。」夏目漱石『それから』

 映画のなかのヒロイン美千代を演じた藤谷美和子は、ただ儚げに漂う女で自分の意思をもたない輪郭のはっきりしない人間にみえる。これを演じるのは確かに難しいだろう。ことはあくまで男たちの自己中心的な都合に左右されるにすぎない。
 三角関係の姦通小説といっても、西洋の小説のように主人公が結婚している相手に夢中になって性愛の執着によって抜き差しならぬ関係に陥り、最後は破滅するという物語をなぞるようにみえて、漱石の一連の姦通小説はそういう男女の恋愛心理を追っていくことには関心がない。柄谷行人はそれを、“心理小説”の文体ではなく漱石独自の“悲劇”の構造、「オイディプス王」のような無意識の罪からくる症候として描いたのだ、という。



B.姦通小説の意味
 「それから」は、漱石が大學教師を辞めて朝日新聞の専属作家になってから書いた三部作の、大学生を主人公にした「三四郎」に続く小説で、主人公代助は人妻三千代を平岡から奪って、「遊民」生活を失って終る。次の「門」そして「こころ」と続く一連の物語につながる。ただし、それぞれ話は別の物語だが、親友との三角関係が主要なモチーフになっている。ラクロの「危険な関係」、フロベールの「ボヴァリー夫人」、トルストイの「アンナ・カレーニナ」といった西洋近代の姦通小説の文脈を漱石は意識していた。これについては、以下の柄谷行人の解説が的を射たものなので、参照しておく。

 「『それから』には『三四郎』のように自由闊達で、夢幻的な雰囲気を漂わす、ヒューモアのある文体がなく、『門』のように静謐で日常的細部に目のとどいた
緻密な文体もない。それは、むしろ『虞美人草』に似て理屈っぽく、また語り手と人物との距離が取れていない文章である。そのために、ヒューモアがなく、また主人公代助の転回も、ある自然な流れのなかで生じるというよりも、唐突に強引になされているといった感がある。これは、西洋の“心理小説”、あるいは漱石自身ののちの作品を読んだものにとっては、不自然かつ不器用にみえるだろう。
 これにはいくつかの理由が考えられる。一つは、漱石がこの作品において(『薤露行』のようなロマンスを別にすれば)、はじめて姦通を、しかも新聞小説でとりあげたことである。漱石は、西洋の姦通小説をよく読んでいたし、また“姦通”がブルジョア社会において小説の特権的主題となる必然をも理解していたと思われる。代助のいう「自然」と「制度」の対立が最も鮮明にあらわれるのは、姦通においてである。つまり、制度性が結婚に、自然性が恋愛に象徴されるとしたら、それらが絡み合うのは、姦通においてだからである。
 『それから』の背景には、「日露戦争後の商工業膨張」によって形成された新興ブルジョア社会があり、代助は、その過程でいかがわしいことをやって財を成したにちがいない父の自己欺瞞を批判しながらも、それに依存している遊民である。さらに代助が果敢な行為に出るのは、経済が「……商工業膨張の反動を受けて‥‥不景気の極端に達している最中」であり、またその状況が、平岡を三流出版社の記者に転落させ、また代助の父をして代助に政略結婚をすすめさせたのである。おそらく、この新興ブルジョア社会に対して、『吾輩は猫である』のように諷刺的であったり、『野分』のように怒号したりするかわりに、漱石は“姦通”を正面から選んだといってもよい。もともと“姦通”はそのような反ブルジョア的な動機をはらんだ主題なのである。
 したがって、漱石は、基本的に中より上の階層に属する読者たちに、彼らの倫理にも法律(姦通罪)にも背反する代助の行為を正当化し共感させる必要があった。その意味では、代助が愛していた女を親友に譲ったという設定は、「多くの姦通小説が不倫を正当化するための筋立」(大岡昇平)の一例にすぎないといえるかもしれない。しかし、ほとんどの姦通小説が“心理小説”的であるのに対して、漱石は、後述するように、いわば“悲劇”的な作品を書こうとしたのである。
 このように、『それから』は、姦通小説という点で、『三四郎』の世界や文体とまったく異質なのだが、ある意味で『三四郎』の続編だといいうる点がある。といっても、三四郎が年をとって代助になったという風に考えるのは、当たっていないだろう。代助は、美千代を愛していながら、それを自覚できないで、親友の平岡にすすんで譲ってしまう。これは、『三四郎』の美禰子が三四郎を愛していながら且つ彼を軽蔑していて、別の男とあっさり結婚してしまうのと似ている。漱石は、『三四郎』にかんする談話でそれを「無意識なる偽善者」(アンコンシアス・ヒボクリット)とよんだが、その意味で、代助の現在を理由なく苦しめているものは、彼の「無意識の偽善」の結果だといえる。
 漱石の直弟子であった小宮豊隆は、それを指摘している。《『それから』では、さういう過去を持った代助が、竟に自分の「アンコンシアス・ヒポクリシー」に堪へられなくなって、本源的な自然に復らうとするところが描かれるのである、その点では代助は、三四郎を棄てて他に嫁いだ美禰子の、後日に経験し得る、一つの場合を経験したものであると、言ふ事も出来るかも知れない》(『漱石の芸術』)。
 漱石は、ウィリアム・ジェームスの心理学を知っていたが、フロイトの精神分析を知らなかったので、「無意識の偽善」という言葉を用いたけれども、ここではべつに“偽善”という語に気をとられる必要はない。たとえば、意識的な偽善なら、自覚もできるし、また「無意識の悪」なら、他人の非難にさらされるが、「無意識の偽善」は、自分も他人も気づかないままで終る。それは倫理以前のレベルである。言い換えれば、「無意識の偽善」とは、ついに意識されないままだがさまざまな症候として具現するような「無意識の抑圧」(フロイト)にほかならない。
 代助は、父や兄、平岡や寺尾の自己欺瞞を敏感に見ぬいており、また自身にかんしてもどんな欺瞞も許容できない。彼は欺瞞を避けるためには「遊民」であるほかはないと思いこむような男であり、たとえば嫂についても「場合によると、決して論理(ロジック)を有ち得ない女」であるというふうに、論理的一貫性を追求してやまない。この意味では、彼は「無意識」とはほど遠い。彼からみると、周囲の人間はあまりに無意識的なのだ。だが、漱石が追求したかったのは、どんな欺瞞に対しても冷たく分析的になりうる、当の代助の「無意識の偽善」なのであり、それはもはや内省的・分析的には接近しようのない種類の欺瞞なのである。
 ふつう“心理小説”では、嫉妬による愛の自覚とか、互いの心理的かけひきによる愛の深化の過程が描かれるが、漱石はそのような進行過程にまったく関心をもっていない。実際に、『それから』のなかでも代助に言及させているように、漱石は森田草平の『煤煙』について、《彼等が入らざるパッションを燃やして、本気で狂気じみた芝居をしてゐるのを気の毒に思ふなり。行雲流水、自然本能の発動はこんなものではない》(「日記」)と、批判している。漱石がとりあげた姦通小説が“心理小説”的でありえないのは、この意味においてである。それは“悲劇”的でなければならない。
 『それから』の代助は、ほとんど唐突に、かつて美千代を愛していたことを“想起”する。これは、美千代の働きかけによるものでもなければ、代助の自己分析によるのでもない。そして、彼は、すべてがそのことの“忘却”(「自然」の抑圧)によっていたことを見出すのだが、それは突然の自己認識として不意打ちのようにあらわれるほかない。
 代助は、たとえば、自分の無為にかんして次のようにいったりする。《「何故働かないつて、そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の中が悪いのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ……。》だが、こうした説明は、すべて社会的・外圧的なもので、彼の内部から遊離しているように感じられる。彼の文明批評がどんなに正当であっても、それは彼自身の在り方の核心に迫るものではない。読者は彼の言い分に共感するよりも、むしろ苛立ちをおぼえるだろう。
 一方、それと対照的に、『それから』では、代助の心理というよりも、気分・情動の異常が執拗に描かれている。それはほとんど神経症的なものだ。つまり、ここでは、理知的な反省と、生理・情動的な不安だけが描かれており、どうしてもそのヴェールの内側に踏み込めないのである。代助が美千代への愛を“想起”したとき、彼は、それらが、そのことの“忘却”による症候にほかならないことを突然認識する。
 彼の自己意識は、いわば精神分析と同様に、意識のレベルではなく、自然(無意識)のレベルで生じなければならない。しかし、それは、フロイトの「エディプス・コンプレックス」などではなく、ソフォクレスの『オイディプス王』に類似しているというべきだろう。オイディプス王は、その自己認識=想起の結果として、自ら目をつぶし、社会から自らを追放して漂泊することになる。
 代助は美千代と次のように語り合う。

 「貴方に是から先何したら好いと云ふ希望はありませんか」と聞いた。
 「希望なんか無いわ。何でも貴方の云ふ通りになるわ」
 「漂泊—―」
 「漂泊でも好いわ。死ねと仰しやれば死ぬわ」
 
 『それから』のそれからである『門』を読むと、『オイディプス王』のそれからである『コロノスのオイディプス』において、老いたオイディプスが娘アンチゴーネにつきそわれているように、代助は美千代とひっそりと世間の片隅にくらしている。しかし、『オイディプス王』もそうだが、『それから』自体からは、さしあたって、そのような将来は予想できそうもない。」柄谷行人「作品解説「それから」」『新版漱石論集成』岩波現代文庫、2017.pp.344-349. (原著「新潮文庫」解説は、1985年7月記となっている)。

 森田芳光の映画「それから」は、日本の飽食の「バブル時代」の「中の上」階層の無意識、生活のために会社人間になってあくせく働くなんてつまらないことだ、という気分を反映していたと思う。主人公の代助は「高等遊民」として新しい価値を体現するような人間にみえそうに描かれたが、それを三千代への愛をあえて選択して優雅な生活を捨てる。そのことを当時は、「対幻想」的な愛に生きる男と錯覚したとすれば、それは漱石の意図とも、21世紀の現実とも違う幻だったと今になって思うのだ。
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