第3062号 29.05.19(金)
論語為政抄『論語の活学』
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昨日の空手道教室は早めに行き、安岡正篤著『論語の活学』、『東洋人物学』を拝読しました。特に『東洋人物学』では、そうだ、そうだと小躍りして喜びたい表現が随所に出てきました。
私のこのような心境は過去に東洋人物学を読んでいたためでしょうか。
何れにしても、世渡りは世の人々との協調性がなければなりません。昨夜の空手道教室でも子どもたちに、1.「真面目であること--真摯」2.「勤勉性があること」3.「続けること---継続性」4.「仕事・空手道に熱中すること」5.「良い言葉をつかうこと」6.「自分から頭を下げること」7.男の子は「女の人にいたずらをしないこと」8.「盗みをしないこと」9.「贅沢をしないこと」等々をお話しました。
今日の新聞にも警察官の不祥事が大きく紹介されています。警察官を懲戒免職になり、そして刑務所に収監されて初めて目が覚めるというのではいけないのです。取り返しがつかないからです。
私が電電に入社した50年前は、革新の勢いが絶頂期にありました。その時は、組合幹部が労働者として権利意識に目覚めるようにと、いろいろ教えてくれました。
私は素直に聞きましたが、与したくないことがたくさんありました。それは上に書いた1~9項とは真逆なこと(非違行為は除く)が多かったよに思うからです。
私は自分で働いて、授業料を納め、父の借金返済もしてきたため、今時の労働組合が言う、仕事は大概にして要求・要求にはどうしても納得できないのでした。
そういう主義主張をしてきた三公社は、人々の反感を買い、民営化されたのです。とにかく、健康で長生きをして、人生が楽しかったと思うためには、先に書いた1~9を順守することです。これらは天風が説く天の理と整合するのです。
標題に書いた「論語為政抄」を引いてみます。
論語為政抄
論語は不思議な書物である。いつ読んでも、幾歳になって読んでも、その度毎に初めて読むような新たな感動を受けるところが必ずある。世古を体験して、なにか自ら覚るところがあると、また必ず論語中の一節が思い合わされる。学者であろうと政治家であろうと商人であろうと、わかければ若い、年老れば老ったで、誰が読んでも、それ相応にみな教えられる。故沼波瓊音教授が最後の重患のとき、ある日見舞に寄ると、枕下に一冊の書を蔵(しま)われるので、なんの書ですかと訊ねると『実は論語ですがね、こんなになってまた新しくおもしろいんです。文章という点からいっても、結局論語だというような気がします』と微笑して語られたことを時折想い出す。近来の時政に深く感ずるあまり、今夜ふと論語を探(たず)ねてみてたちまちまた誘われるように前半九篇を耽読した。論語中でもこの前半がもっとも醇粋なように思われるので、まず記念にこれらの中から為政の参考になる諸章を拾って書きつけることにした。
昔、宋の名相趙普が半部の論語を以て太祖(趙匤胤)を佐けて天下を平らげ、半部の論語を以て太祖(趙匤義)を佐けて天下を治めたというが、渋沢翁(渋沢栄一。明治の実業家。)同様、さもあるべきことと思う。
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『人としての生き方』(第16回)
「私心なく」とは、保身というものに執着がありませんから、そこには”独りを慎む”とか”己に克つ”という具体的な行動が出てくるわけです。「自信を温容で包み」、これは器量であります。『南洲翁遺訓』には、「男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものなり」という一節がありますが、とかく偉くなると人に容れられて、段々と自分のことや周りのことがわからなくなってくる。その次の「慈愛と信頼を秘めて」、これは『中庸』にある”誠”であろうと思います。「侵し難い威厳を備えながら」、これについては、先生の『為政山部署』(張養浩の『三事忠告』を訳注・改題して出版)の中にございますが、張養浩は、「大きい声で怒鳴るとか、厳めしい顔をするのではない。威厳を保つには、下からの贈り物を断りさえすれば、必ずや威厳は保つことができる」ということを言っております。身を治することが基礎になってはじめて威厳というものができるのではないか。
「どこかユーモアがあり」「一抹の淋しさを含んでいる」、これはやはり、天という偉大なるものを対照とした時に、その人に備わるのではないかと思います。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第10回)
蓮の花
また菅にもどって、彼が十四、五歳のとき、父の九十郎は、菅が元服の年ごろ、立志の時期であることを告げると、菅は、自分は文才に乏しいから、広く古典の学問につうじて大学者になることはむずかしい。武芸ならひとかどの使い手になれるだろうと考えたというのです。そこで菅は、剣術は影流を、槍術は無辺流の土屋庄蔵について稽古を始め、ことに槍術にうちこんだ。土屋は彼の負けずぎらいの烈しい気性と稽古熱心なことを愛して、人一倍厳しい稽古をつけていたが、彼はその厳しさに決して負けなかったといいます。
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論語為政抄『論語の活学』
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昨日の空手道教室は早めに行き、安岡正篤著『論語の活学』、『東洋人物学』を拝読しました。特に『東洋人物学』では、そうだ、そうだと小躍りして喜びたい表現が随所に出てきました。
私のこのような心境は過去に東洋人物学を読んでいたためでしょうか。
何れにしても、世渡りは世の人々との協調性がなければなりません。昨夜の空手道教室でも子どもたちに、1.「真面目であること--真摯」2.「勤勉性があること」3.「続けること---継続性」4.「仕事・空手道に熱中すること」5.「良い言葉をつかうこと」6.「自分から頭を下げること」7.男の子は「女の人にいたずらをしないこと」8.「盗みをしないこと」9.「贅沢をしないこと」等々をお話しました。
今日の新聞にも警察官の不祥事が大きく紹介されています。警察官を懲戒免職になり、そして刑務所に収監されて初めて目が覚めるというのではいけないのです。取り返しがつかないからです。
私が電電に入社した50年前は、革新の勢いが絶頂期にありました。その時は、組合幹部が労働者として権利意識に目覚めるようにと、いろいろ教えてくれました。
私は素直に聞きましたが、与したくないことがたくさんありました。それは上に書いた1~9項とは真逆なこと(非違行為は除く)が多かったよに思うからです。
私は自分で働いて、授業料を納め、父の借金返済もしてきたため、今時の労働組合が言う、仕事は大概にして要求・要求にはどうしても納得できないのでした。
そういう主義主張をしてきた三公社は、人々の反感を買い、民営化されたのです。とにかく、健康で長生きをして、人生が楽しかったと思うためには、先に書いた1~9を順守することです。これらは天風が説く天の理と整合するのです。
標題に書いた「論語為政抄」を引いてみます。
論語為政抄
論語は不思議な書物である。いつ読んでも、幾歳になって読んでも、その度毎に初めて読むような新たな感動を受けるところが必ずある。世古を体験して、なにか自ら覚るところがあると、また必ず論語中の一節が思い合わされる。学者であろうと政治家であろうと商人であろうと、わかければ若い、年老れば老ったで、誰が読んでも、それ相応にみな教えられる。故沼波瓊音教授が最後の重患のとき、ある日見舞に寄ると、枕下に一冊の書を蔵(しま)われるので、なんの書ですかと訊ねると『実は論語ですがね、こんなになってまた新しくおもしろいんです。文章という点からいっても、結局論語だというような気がします』と微笑して語られたことを時折想い出す。近来の時政に深く感ずるあまり、今夜ふと論語を探(たず)ねてみてたちまちまた誘われるように前半九篇を耽読した。論語中でもこの前半がもっとも醇粋なように思われるので、まず記念にこれらの中から為政の参考になる諸章を拾って書きつけることにした。
昔、宋の名相趙普が半部の論語を以て太祖(趙匤胤)を佐けて天下を平らげ、半部の論語を以て太祖(趙匤義)を佐けて天下を治めたというが、渋沢翁(渋沢栄一。明治の実業家。)同様、さもあるべきことと思う。
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『人としての生き方』(第16回)
「私心なく」とは、保身というものに執着がありませんから、そこには”独りを慎む”とか”己に克つ”という具体的な行動が出てくるわけです。「自信を温容で包み」、これは器量であります。『南洲翁遺訓』には、「男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものなり」という一節がありますが、とかく偉くなると人に容れられて、段々と自分のことや周りのことがわからなくなってくる。その次の「慈愛と信頼を秘めて」、これは『中庸』にある”誠”であろうと思います。「侵し難い威厳を備えながら」、これについては、先生の『為政山部署』(張養浩の『三事忠告』を訳注・改題して出版)の中にございますが、張養浩は、「大きい声で怒鳴るとか、厳めしい顔をするのではない。威厳を保つには、下からの贈り物を断りさえすれば、必ずや威厳は保つことができる」ということを言っております。身を治することが基礎になってはじめて威厳というものができるのではないか。
「どこかユーモアがあり」「一抹の淋しさを含んでいる」、これはやはり、天という偉大なるものを対照とした時に、その人に備わるのではないかと思います。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第10回)
蓮の花
また菅にもどって、彼が十四、五歳のとき、父の九十郎は、菅が元服の年ごろ、立志の時期であることを告げると、菅は、自分は文才に乏しいから、広く古典の学問につうじて大学者になることはむずかしい。武芸ならひとかどの使い手になれるだろうと考えたというのです。そこで菅は、剣術は影流を、槍術は無辺流の土屋庄蔵について稽古を始め、ことに槍術にうちこんだ。土屋は彼の負けずぎらいの烈しい気性と稽古熱心なことを愛して、人一倍厳しい稽古をつけていたが、彼はその厳しさに決して負けなかったといいます。
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