味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

衆を得れば則ち国を得、衆を失えば則ち国を失う。

2017-05-20 09:51:30 | ブログ
第3063号 29.05.20(土)

衆を得れば則ち国を得、衆を失えば則ち国を失う。『大学』

 多くの民心を得れば一国を得ることにつながるが、反対に民心を失えば、それは一国をも失うことになる。これは変わることのない政治の要諦である。150

 【コメント】私ごとき場末に住む人間から見れば、仲間と共に日々に挑むことが出来れば、それなりの組織の中で生きることは出来るが、仲間がいなくなれば小さな組織をも失うことになります。

 78年生きてきた者からみたら、余生は極めて短いものであると覚悟しています。今朝は子供のいない夫婦の夫人が45歳で亡くなり、夫は茫然自失し、一人で生きていくのが大変だったと述懐するくだりをテレビで放映してくれました。

 今は町内会などを通じて人との交流があり、楽しく生き甲斐を感じていると胸の内を吐露しました。翻って私は、漢籍等々の読み書きを通じて、学問の世界を逍遥したいと念じています。これを「自前の理想」と位置付けています。

 自前の理想を追求することにより、生きる喜びを味わいそれが確たる生きる為の哲学となると思うのです。そのためには少しく無理・努力をすることが大切だと思います。
 
 努力をすることは自らを発憤させることに繋がり、生命の躍動となり、健康と長生きに繋がる筈だと思っているからです。学歴・能力ない私は、このように自らを鼓舞して生きてきました。

 それは家庭的に貧乏であったことが奏功したと思っています。貧乏でありながらも、ある意味で堂々と生きてきました。人生を終えるまでは、その人自身の人生だからです。

 建前は他人様に誇るものはありませんが、本音だけは生きるに必要な生命力を保持するものがなくてはならないと思います。この建前と本音の二律相反、自前でない理想の典型的な例を挙げれば、美濃部東京都元知事は該当者であり、ああいう人を見ていると、背中をミミズが這うような気がするとは、京都大学教授を歴任した会田雄次氏の弁でもあります。

 この自前の理想を持った人と、他律的な理想、”立派な建前”に束縛された人を区別する端的でよい指標は、当該その人が、人生に精神的ゆとりがあるかどうか、人生を楽しめるか否か、すぐ低次元的に逆上するかどうかということだと思います。

 自分という存在をまともに第三者的に冷静に眺め、反省できる人であるということが大切だと思います。ということは他人様の異見を学びの糧と位置付けて快く受け入れる度量があれば、成長への兆しとして位置づけられるからです。
 
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『人としての生き方』(第17回)

 これは具体的に先生が挙げられたものでありますが、もう一つ、先生の「人物像」という文章がございます。

    古来から人物といわれる人には、根本に気力・活力・骨力というものがある。これはあらゆるものを産み出す創    造的エネルギーであるから、現実に甘んぜず、必ず実現せんとする何物かを発想する。すなわち、理想・志を持つようになる。この    理想を持った気力を志気という。志気は旺盛でなければならないが、現実の様々な矛盾抵抗にあって挫折するものではなく、一貫     性・持続性・不変性を持った実践でなければならない。これを志操・節操・操履という。理想を持ち、一貫不変の節操を持って生き    る人は、単なる知識ではなく、何が宜しいか(義)、何が宜しくないか(利)、という高い価値判断ができる。これを見識という。見識    は勇気をもって実践する行為とならなければならない。その決断力・実行力をもつとき、これを胆識という。

 先程紹介しました、北一輝氏・大川周明氏と活動を共にした「猶存社」の解散の時には、先生がどんなに苦しまれたであろうかと思います。わたくし共も同志活動をやってきた中で、やはりそうしたことがありました。
 同志として活動を共にしてきても、これと別れる時には、相手側からすればこれは裏切りと捉えます。そして必ず、批判とか恨みといったものを生ずるものです。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第11回)

 そういう彼が大きな壁に突き当った。それは、相手の槍が目先にちらついて、鋭気が鈍り手が動かず、持っている槍が邪魔になって突きだせない。そんな気持ちになったというのです。
 相手に気勢を制されて気落ちしたのでしょう。そこで彼は持っている槍を投げ捨て、素手になって真っ向から取り組もうとしたとき、豁然として目覚めたというのです。
 この体験を後年、「どんなに苦境に追い詰められたときでも、逃げ隠れしないで、真っ向から打開していくという、人生ぎりぎりの身の処し方を学んだ」と菅は語ったそうです。

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