味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

厥の子乃ち稼穡の艱難を知らず。

2017-04-20 09:58:16 | ブログ
第3033号 29.04.20(木)
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厥の子乃(すなわ)ち稼穡(かしょく)の艱難を知らず。『書経』
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 子どもたちは農事の苦労を知らない。つまり、人民のようすを見ると、親たちが過去に農事にどれだけ苦労を重ねたかなど、安楽の中に生れた子どもには、わからないのだ。215
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 【コメント】今の世相を反映した言葉みたいです。平和で繁栄に浮かれている日本人と捉えてもいいような気がします。平和と繁栄は大変善い事なのですが、そこに徹底した生き抜くための躾教育も同時に行われなければならないと思うのですが、高木先生、如何ですか。

 自然は時として厳しいものだと思います。日照りもあれば、暴風雨もあります。そういうことも勘案して生きて行かなければならないと思います。
 昨日は青色申告講習会がありまして、昼から勉強会に行きました。道々、中村天風の『成功の実現』を自分で録音したものを聴きながら運転しました。平成7年に録音していたものです。

 聞きながら大変参考になりました。テレビでは健康維持のためにといろいろ飲み物など紹介していますが、昔はそういうものはなかったのです。如何に健康を維持して行くかを自らが日々に模索し実践していたのです。

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古典の教え 五、『書経』は、<其の能に矜(ほこ)れば、其の功を喪う>と教えています。「すぐれた能力をもっていても、その能力を誇るようでは、功績を失うことになる」というのです。勉強して頭が良くなっても、決してしばらない、けんきょな心を持ち続けたいものです。でも戦う魂は腹中に必要だと思います。

 『近思録』は、<敬譲に導けば、争い自ずから息む>と教えています。「人に譲る精神を人々が持つようになれば、争いごとはやみ、世の中は自然に治まっていく」というのです。人間社会では当然競争は必要ですが、争いごとはない方がいいでしよう。自分と戦うという意味で、勤勉性は迚も大切です。
 (勤勉とは、仕事や勉強に一所懸命に励むこと。)
 ※人との対応は謙虚であること。控えめで素直であるということです。
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『臥牛菅実秀』(第565回)
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  なお文会堂刊『訳注・禱祈文』には、
    大正九年六月に、致道館に於て、赤沢翁が親(みずか)ら此の禱祈文を講じられた。其の時、赤沢翁が次   のように申された。此の文は、菅先生古稀の賀の時に、先生の御志を陳べようと思い草稿したけれども、若し誤ることを懼れて、先生   に、高志に違うことが有れば、御訂正下されたし、と御願いした処、先生は二三日留め置けよ、なお熟読せんと申された。四、五日経   て参上した処、かの草稿を持ち出され、予が志は此の如し、訂正する所なし。これを清書して出せよと申された。文辞は拙いけれと゜   も、しかしながら源也の私意にはあらずと思って頂きたい。
とある。
 実秀は『予が志は此の如し』といい、経言は『言也の私意にはあらず』といった。このことは師と門人の高く激しい精神と精神の応感によって、この一篇が成り立ったことを示すものであろう。

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