第2481号 27.10.13(火)
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既に去りて民思う。『宋名臣言行録』
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役人が任地を去ると、残された民ははじめてその人の恩義を思う。去って後民から慕われるような人こそ、本当の正しい役人である。629
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【コメント】考えさせられる言葉だと思います。これは一人〈役人〉だけでなく、知人でも友人でも弟子でもいいと思いますが、この世を去った後、忘れられない人間になりたいものです。
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人間には感情がありますので、私は天に誓ってという言葉を使うことにしています。私が一番忘れられないのは、荘内南洲会前理事長・小野寺時雄先生です。小野寺先生との交流で私は心を洗われた思いでした。頂いた数多いお手紙を拝読し、そのお心の優しさに『南洲翁遺訓』刊行の地の偉人を観る思いです。
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私が小野寺先生から戴いたお手紙を見たら、唸る人が多いのではないかと思っています。学歴・能力乏しい私を本当に信じていてくれたのだと有難く存じています。
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小野寺先生は、この世を少しでもよくするためにと、命がけで奔走していました。例の『南洲翁遺訓』改竄事件の時は、ご自宅からたくさんの電話を戴きました。小野寺先生は、西郷先生はもとより、その刊行に命がけで携わった菅臥牛先生、赤沢源也先生方のことも脳裏にあったのではないでしょうか。
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翻って私は、門下生のために命がけで奔走することにしています。空手はうまかったが、成績はどちらかと言うと、下の女の子がいました。私がべた誉めをするものですから、空手道だけは真面目に取り組んでいました。十年位前のことですが、その子の御婆さんが亡くなりました。片道二時間半かかるところで葬儀が営まれました。情報を頂いた私は葬儀にかけつけました。
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普通、学校での成績がよいと皆注目するものですが、その子の祖母の葬儀には参列者は多くありませんでした。一日がかりで葬儀に赴き、行ってよかったと思うことでした。とにかく出来ることはしなければならないというのが、私の性なのです。そこに損得の感情はありません。
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土曜日の大事件未遂事件にしても、出来ることは命がけで実践しなくてはならないと何時も思っています。そして暇があったら漢籍を繙くことが一番の楽しみなのです。
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後期高齢者の方々がすることがないとボヤいていますが、漢籍を繙けば、ボケも治るのにと思う事しきりです。
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『臥牛菅実秀』(第19回)
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『鶴岡市史・上』には
大御所家斉の無軌道な閨閥政治が酒井家の様な譜代の名門をも無視する処まで来た以上、それは大名すべての問題であり、如何なる大大名 といえども対岸の火災視する事は出来ない問題であった。腐敗した幕政に対する不平不満は決して今始まったものではなく、根深いもので あったが、(中略)長い間鬱積されて来た大名達の不満が酒井家の長岡転封を問題として表面化した。
そして外様大名は一せいに伺書を幕府に呈出して、今回の領地替えについて内達のなかったことを抗議し、領地替えの理由を強く追及したのであるが、それは
家康が開幕して以来、外様大名の間には未だ曾て見る事の出来なかった行動であった。そこには幕政への不信と常軌を失した専制政治の 被害から協力をもって身を守ろうとする断固たる態度が読み取る事が出来る。
-------同 上------
と、幕府と大名の支配関係が崩れはじめる兆を示している。そして幕府のみが出し得る領地替えの至上命令を撤回せざるを得なかったことは、結果的には、ひどく幕府の威信を傷つけることになってしまった。
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『論語』(第417)
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子曰はく、道同じからざれば、相為に謀らず。
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孔子がいうには、志す道が同じでないものは、お互いに相談して事をなそうとしても、できるものではない。
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『農士道』(第296回)
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世法盗を悪とすれども、盗仲間にては盗を善とし、之を制する者を悪とするならん。此の理明弁し難し。この理の最も見易きは遠近なり。遠近といふも善悪といふも理は同じ。譬えば杭二本を作り、一本に「遠し」と記し、一本には「近し」と記し、この二本を汝が身より遠き處と近き處と二所に立つべしといひつくる時は速やかに分るなり。余が歌に、見渡せば遠き近きはなかりけり おのれおのれが住家にぞある」
と説いてゐるが、誠にその通りで「農」といふ立場に立って視れば近かるべきものも、都会や、商工業や俸給生活者などいふ立場に立って見れば、反対に遠く見ゆることになるのである。
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既に去りて民思う。『宋名臣言行録』
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役人が任地を去ると、残された民ははじめてその人の恩義を思う。去って後民から慕われるような人こそ、本当の正しい役人である。629
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【コメント】考えさせられる言葉だと思います。これは一人〈役人〉だけでなく、知人でも友人でも弟子でもいいと思いますが、この世を去った後、忘れられない人間になりたいものです。
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人間には感情がありますので、私は天に誓ってという言葉を使うことにしています。私が一番忘れられないのは、荘内南洲会前理事長・小野寺時雄先生です。小野寺先生との交流で私は心を洗われた思いでした。頂いた数多いお手紙を拝読し、そのお心の優しさに『南洲翁遺訓』刊行の地の偉人を観る思いです。
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私が小野寺先生から戴いたお手紙を見たら、唸る人が多いのではないかと思っています。学歴・能力乏しい私を本当に信じていてくれたのだと有難く存じています。
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小野寺先生は、この世を少しでもよくするためにと、命がけで奔走していました。例の『南洲翁遺訓』改竄事件の時は、ご自宅からたくさんの電話を戴きました。小野寺先生は、西郷先生はもとより、その刊行に命がけで携わった菅臥牛先生、赤沢源也先生方のことも脳裏にあったのではないでしょうか。
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翻って私は、門下生のために命がけで奔走することにしています。空手はうまかったが、成績はどちらかと言うと、下の女の子がいました。私がべた誉めをするものですから、空手道だけは真面目に取り組んでいました。十年位前のことですが、その子の御婆さんが亡くなりました。片道二時間半かかるところで葬儀が営まれました。情報を頂いた私は葬儀にかけつけました。
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普通、学校での成績がよいと皆注目するものですが、その子の祖母の葬儀には参列者は多くありませんでした。一日がかりで葬儀に赴き、行ってよかったと思うことでした。とにかく出来ることはしなければならないというのが、私の性なのです。そこに損得の感情はありません。
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土曜日の大事件未遂事件にしても、出来ることは命がけで実践しなくてはならないと何時も思っています。そして暇があったら漢籍を繙くことが一番の楽しみなのです。
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後期高齢者の方々がすることがないとボヤいていますが、漢籍を繙けば、ボケも治るのにと思う事しきりです。
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『臥牛菅実秀』(第19回)
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『鶴岡市史・上』には
大御所家斉の無軌道な閨閥政治が酒井家の様な譜代の名門をも無視する処まで来た以上、それは大名すべての問題であり、如何なる大大名 といえども対岸の火災視する事は出来ない問題であった。腐敗した幕政に対する不平不満は決して今始まったものではなく、根深いもので あったが、(中略)長い間鬱積されて来た大名達の不満が酒井家の長岡転封を問題として表面化した。
そして外様大名は一せいに伺書を幕府に呈出して、今回の領地替えについて内達のなかったことを抗議し、領地替えの理由を強く追及したのであるが、それは
家康が開幕して以来、外様大名の間には未だ曾て見る事の出来なかった行動であった。そこには幕政への不信と常軌を失した専制政治の 被害から協力をもって身を守ろうとする断固たる態度が読み取る事が出来る。
-------同 上------
と、幕府と大名の支配関係が崩れはじめる兆を示している。そして幕府のみが出し得る領地替えの至上命令を撤回せざるを得なかったことは、結果的には、ひどく幕府の威信を傷つけることになってしまった。
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『論語』(第417)
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子曰はく、道同じからざれば、相為に謀らず。
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孔子がいうには、志す道が同じでないものは、お互いに相談して事をなそうとしても、できるものではない。
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『農士道』(第296回)
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世法盗を悪とすれども、盗仲間にては盗を善とし、之を制する者を悪とするならん。此の理明弁し難し。この理の最も見易きは遠近なり。遠近といふも善悪といふも理は同じ。譬えば杭二本を作り、一本に「遠し」と記し、一本には「近し」と記し、この二本を汝が身より遠き處と近き處と二所に立つべしといひつくる時は速やかに分るなり。余が歌に、見渡せば遠き近きはなかりけり おのれおのれが住家にぞある」
と説いてゐるが、誠にその通りで「農」といふ立場に立って視れば近かるべきものも、都会や、商工業や俸給生活者などいふ立場に立って見れば、反対に遠く見ゆることになるのである。
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