タイトル----道義重ければ、則ち王公を軽んず。第1762号 25.10.23(水)
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道義重ければ、則ち王公を軽んず。『荀子』
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自分の身の行いが道義にかなっているという自信があれば、たとえ王公貴人の前に出ても、少しもひけ目を感じない。
「軽んず」とは軽蔑する意味ではなく、臆することもなく、屈することもないという意味である。(諸385)
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【コメント】
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今朝の学問館で557回になりました。学修は『南洲翁遺訓』、追加一でした。この中で先賢の教えを紹介しています。
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① 臥牛先生遺教
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「事に当りて其の処分をなすに、自分の平生学び得し力丈けにて、夫れより善くも出来ず、又悪しくも出来ぬものなれば、平生必死に学ぶにしくはなし。」
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② 菅仲論(中国古典 文章規範の一つ)
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「功の成るは、成る日に成るにあらず、必ず由って起るところり。蓋し必ず由って起る所有り。」(『文章規範』上・168)
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浅学菲才の私共は、学問館で、昨日は真摯に仕事をしたか。人の道に違わない一日であったか、人様に無礼はなかったか、等とお互いで確認することにしています。
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「文は鉛槧(えんざん)に非ざるなり。必ず事を処するの才あり。武は剣楯(けんじゅん)に非ざるなり。必ず敵を料るの智あり。才智の在るところ一のみ。」
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学問といものは、ただ文筆の業だけのことをいうのではない。必ず事にあたってこれを処理する才能があることをいうのである。
武道というものは、剣や楯をうまく使いこなすことだけをいうのではない。必ず敵を知ってこれに処する知恵のあることをいうのである。この才能と知恵があって始めて成果は上がるものである。
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これを現代社会に通用するようにするには、
先ずは相手の意見・要望・等々を真剣に聞き、それに真摯に対応することも肝要であるし、相手の人格を読むことも大切でしょう。そして名誉を与えながら、生き抜く知恵も授けて、その人なりの人生航路を顛覆することなきよう進んで行くように、穏やかに諭してあげたいものです。
それでも分からない人間がいるものです。分からない人間に分からせようとすることは無理であります。それは天が、君の生き方は間違っているぞと、病とか不運を与えると天風論では解説しています。同感です。そういうことで、私に大きな白血病でも着たら、従容と旅立って行くつもりです。
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短歌の紹介
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学問は文筆だけの業でなく
難事も円満処理するをいう 5892 『南洲翁遺訓』150
武道とは剣楯だけの捌きなく
安らか相手処すをいうなり 5893 『南洲翁遺訓』150
ヘンデルは勇敢一人で十二人
助けも借りず仕事成し遂ぐ 5894 『自助論』83
向上心燃えた有能人間は
行き止まりなしベートーベン言う 5895 『自助論』83
向学心燃えた人には壁はなく
努力蓄積不動の名声 5896 『自助論』82
顔回はあれども無きがごとくなり
修養深き知識無尽に 5897 『古典の叡智』81
この日本まさに牢獄地獄だと
煽る輩は甘えん坊ぞ 翫習 『知命と立命』121
よその国他人の芝が青く見ゆ
現実遊離で「位に素さぬ」 翫習 前掲書
順境になっても調子に乗らないで
逆境なるも落胆しない 華麗 修身教授録 445
人間はみんな苦しみ持っており
自分だけではないものである 華麗 前掲書 446
気候や人の気質も穏やかな
国に生まれたことに感謝す 華麗 前掲書 447
虎使いコーンが人馴れさすために
虎を半年連れて歩くと 5898 『盛大な人生』93