第3057号 29.05.14(日)
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誠は天の道なり。之れを誠にするは、人の道なり。『中庸』
「天道の運行は、春夏秋冬の移りかわりのように誤まりなく、正確に動いています。だから、誠は天の道なり」というのです。人間は、私心が働き天道に背きがちです。そこで天道、すなわち、誠をわが身に実現するよう努力したいものです。誠の心を培うのが、人の道であるというのです。
【コメント】昨日も『論語の活学』を終日拝読しました。歳を重ねても尚至らない私は、漢籍の訓戒に魅せられています。
昨日の空手道教室では「古典の教え 六」を全員で読み上げ、是非、古典の言葉を覚えて人生の生きる糧(かて)にしてくださいとお願いしました。『戦国策』の言葉<信は功を棄てず、知は時を遺れず>という言葉を、です。
時代が急速度に進み、生活文化の向上は素晴らしいことですが、一面、何事も当然と思い感謝する心が薄れ節約をする感覚を忘却していると思うのは私ひとりでしょうか。私が育ってきた当時70年前からすると天と地ほどの変わりようだと思います。
どんなにお金があり贅沢な生活をしても、漢籍等々を読み、精神の栄養剤としての良心を培うことなくしては、真の幸せは実感できないのではないでしょうか。それを教えるのが、生活体験を通じて覚えた我々老人・後期高齢者の役目だと思います。
本当かどうかわかりませんが、自然災害は、贅沢の実感がない人間への警告ではないのかなと思うことがあります。
例えば薩摩地方に強風と竜巻が来襲すると警告されたら、二階の屋根を吹き飛ばさないようお願いしますと、合掌・お祈りすることにしています。40年前、近くの家屋の屋根がすっぽり飛ばされたことがあったからです。
昨晩の御稽古の際は安全と健康について子供たちがわかりやすいようにお話しました。何回も何回も口すっぱくお話して、頭に身体に叩きこまなくては、事故をおこしてからでは遅いのです。
どんなに知的に優秀であっても、観察眼が乏しく、手足が器用に機能しなければ、事故を起こしやすいからです。長年、電電の外線工事の安全担当の仕事をしてきたことが大変役立っているのです。
事故をしたら、お金もいるし、病院に行く時間も必要になります。そういうことをご両親の立場からコンコンと説き聴かせました。
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『人としての生き方』(第11回)
四、先人・先哲に学んで
『三国志と人間学』という先生(安岡正篤先生のこと)のご著書の中に次のようにあります。
万変に応ずることのできる一心を平生に於いて養っておく。そういう心を養う学問・求道が今の我々にとって最 も大切である。そのためにはますます学ばねばならないが、世間の紛々たるイデオロギーなどという、たわいのないものではしょう がなく、歴史とそれを織なしてきた人物・学問を学ばなければいけない。
わたくしはここに飛び付いたわけであります。そして、何とかそうしたことを学びたいと思い、先生のご著書、例えば、『東洋人物学』、『東洋思想と人物』、『政治家と実践哲学』、などを再三読み返しまして、更に、先生の高弟であります越川春樹先生の、『人間学論語』や『人間学言志録』という本もよく読みました。直接、越川先生に手紙を出して教えを頂いたことねございます。
このような中で、いわゆる学問というものは、”実際の人間の生き方”に通じなければ何にもならないということを痛切に感じたわけでありますが、その頃、わたくしにとって非常に力づけられたのが山田方谷であります。先生もいろいろな所で推奨しておられますが、備中松山藩の儒者で、後に参政、つまり家老まで勤めた人物です。春日潜菴・大塩平八郎と共に、幕末・関西地方における三大陽明学者といわれております。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第5回)
菅が西郷と結ばれたのは、功利的な損得勘定では決してなかったのです。それは西郷亡きあとの庄内の悲運を見ればあきらかだからです。
両者を肝胆相照らさせたものは何か。互いの人間的近似性、両者の国事に奔走する無私の姿勢。菅は西郷によって庄内の再建を果たすことに望みを託すことができると信じたこと。西郷がひそかに抱く第二維新の理想に菅が同感したこと。これらではなかったかと思います。
菅の庄内再建は、庄内が時代の潮流を見誤まった戊辰戦争、その敗戦によって被った「辱」、はずかしめをどうしてそそぐかにあったのです。辱をそそぐことがすなわち庄内再建であったのです。
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北朝鮮弾道ミサイルを今朝発射しました。物騒なことはしない方がいいと思います。
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誠は天の道なり。之れを誠にするは、人の道なり。『中庸』
「天道の運行は、春夏秋冬の移りかわりのように誤まりなく、正確に動いています。だから、誠は天の道なり」というのです。人間は、私心が働き天道に背きがちです。そこで天道、すなわち、誠をわが身に実現するよう努力したいものです。誠の心を培うのが、人の道であるというのです。
【コメント】昨日も『論語の活学』を終日拝読しました。歳を重ねても尚至らない私は、漢籍の訓戒に魅せられています。
昨日の空手道教室では「古典の教え 六」を全員で読み上げ、是非、古典の言葉を覚えて人生の生きる糧(かて)にしてくださいとお願いしました。『戦国策』の言葉<信は功を棄てず、知は時を遺れず>という言葉を、です。
時代が急速度に進み、生活文化の向上は素晴らしいことですが、一面、何事も当然と思い感謝する心が薄れ節約をする感覚を忘却していると思うのは私ひとりでしょうか。私が育ってきた当時70年前からすると天と地ほどの変わりようだと思います。
どんなにお金があり贅沢な生活をしても、漢籍等々を読み、精神の栄養剤としての良心を培うことなくしては、真の幸せは実感できないのではないでしょうか。それを教えるのが、生活体験を通じて覚えた我々老人・後期高齢者の役目だと思います。
本当かどうかわかりませんが、自然災害は、贅沢の実感がない人間への警告ではないのかなと思うことがあります。
例えば薩摩地方に強風と竜巻が来襲すると警告されたら、二階の屋根を吹き飛ばさないようお願いしますと、合掌・お祈りすることにしています。40年前、近くの家屋の屋根がすっぽり飛ばされたことがあったからです。
昨晩の御稽古の際は安全と健康について子供たちがわかりやすいようにお話しました。何回も何回も口すっぱくお話して、頭に身体に叩きこまなくては、事故をおこしてからでは遅いのです。
どんなに知的に優秀であっても、観察眼が乏しく、手足が器用に機能しなければ、事故を起こしやすいからです。長年、電電の外線工事の安全担当の仕事をしてきたことが大変役立っているのです。
事故をしたら、お金もいるし、病院に行く時間も必要になります。そういうことをご両親の立場からコンコンと説き聴かせました。
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『人としての生き方』(第11回)
四、先人・先哲に学んで
『三国志と人間学』という先生(安岡正篤先生のこと)のご著書の中に次のようにあります。
万変に応ずることのできる一心を平生に於いて養っておく。そういう心を養う学問・求道が今の我々にとって最 も大切である。そのためにはますます学ばねばならないが、世間の紛々たるイデオロギーなどという、たわいのないものではしょう がなく、歴史とそれを織なしてきた人物・学問を学ばなければいけない。
わたくしはここに飛び付いたわけであります。そして、何とかそうしたことを学びたいと思い、先生のご著書、例えば、『東洋人物学』、『東洋思想と人物』、『政治家と実践哲学』、などを再三読み返しまして、更に、先生の高弟であります越川春樹先生の、『人間学論語』や『人間学言志録』という本もよく読みました。直接、越川先生に手紙を出して教えを頂いたことねございます。
このような中で、いわゆる学問というものは、”実際の人間の生き方”に通じなければ何にもならないということを痛切に感じたわけでありますが、その頃、わたくしにとって非常に力づけられたのが山田方谷であります。先生もいろいろな所で推奨しておられますが、備中松山藩の儒者で、後に参政、つまり家老まで勤めた人物です。春日潜菴・大塩平八郎と共に、幕末・関西地方における三大陽明学者といわれております。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第5回)
菅が西郷と結ばれたのは、功利的な損得勘定では決してなかったのです。それは西郷亡きあとの庄内の悲運を見ればあきらかだからです。
両者を肝胆相照らさせたものは何か。互いの人間的近似性、両者の国事に奔走する無私の姿勢。菅は西郷によって庄内の再建を果たすことに望みを託すことができると信じたこと。西郷がひそかに抱く第二維新の理想に菅が同感したこと。これらではなかったかと思います。
菅の庄内再建は、庄内が時代の潮流を見誤まった戊辰戦争、その敗戦によって被った「辱」、はずかしめをどうしてそそぐかにあったのです。辱をそそぐことがすなわち庄内再建であったのです。
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北朝鮮弾道ミサイルを今朝発射しました。物騒なことはしない方がいいと思います。
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