味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

守りは約なり。

2017-04-11 09:35:24 | ブログ
第3024号 329.04.11(火)
.
守りは約なり。『孟子』
.
 有士孟施舎は、みずからを守るところが要領を得ていた。相手を恐れず、しかも敵対の態度をとらず、自主性があった。「守り約」ということは、処世上、きわめて必要なことである。101
.
 【コメント】この考え方を身に付けることが出来れば、人生での禍は軽減できると思います。どんな相手にも良心を持って臨みたいものです。

 できる親切はしてあげたいものです。どんな性の人でも優しく親切にしてあげたら、相手は喜ぶものです。そして出来るだけ争いごとが起らないよう配意したいものです。

 とにかく日々の行いを真面目にしたら、天も人もみているのです。美しい花をみるのは嬉しいものですが、土地の端っこに植えてある椿を眺めるのはとても嬉しく有難いです。
 
 所が強風で花弁が飛び散り、道路に散乱してしまいます。そのまましていると通る車で押しつぶされて、道路が汚れてしまうのです。それで毎朝、その花びらを拾うことを日課にしています。

 今朝も雨がひどくふりましたが、箒で掃きとりきれいにしました。これも「守り約」なのでしょうか。

 見た目がきれいであればいいと思うように、自分の精神もきれいであるべく、床に入る時に、心の垢、汚れをとる努力をしたいものです。寝際にお風呂に入ると同じ気持ちで、心のお掃除をして床につくよう心掛けたいものです。今日一日元気であったことを喜びたいものです。

 そして朝目が覚めた時も、元気な自分を確認して有難い感謝の心で朝を迎えたいものです。

 ある中年の女性が、年老いた母の粗相を厳しく問い詰めることにしていました。その娘は小さい頃、手癖が悪く金を盗む癖があったのでした。我が子が、これからの一生を真面目に生き抜くためにと、その老婆は子供のくせを治すことに懸命でした。
 
 幼いころの事は子供は覚えていないものです。それをあろうことか、親を罵るということは、絶対あってはならないことなのです。

-----------------
『臥牛菅実秀』(第556回)
.
 この道も、それを踏み行う人があって、始めて明かになり、弘大になるのであって、『道・人を弘にする』ものではない。そこでわれ自身が、この道を明かにする人になろうという明確な自覚を持ち、使命感を持つことが『弘にす』の真意であって、いたずらに外に向って声を大にし、顔色を荘重にして、人に掲げ示すことではないのである。
 西郷の歿後、時命、時運の非なることを察した実秀は、玩世の豪情を内に回らして『善く斯の道を弘にする者』の長養大成に、七十才の今日まで全精神を傾注してきた。すなわち『育才を楽んで身の老ゆるを忘るるなり』であった。そして、この人たちによって、東北の一隅でもよい、西郷その人が理想とした道義郷を樹立し得るならば、吾が骨は永遠に朽ちずとしたのであった。

---------