ソウル「南大門」楼閣が全焼・ほぼ崩壊、放火の疑い(読売新聞) - goo ニュース
今朝TVをつけて「みのさんの朝ズバッ!」を見たら丁度ソウルの「南大門」が全焼してやがて石積みの土台から上の木造部分が崩落する場面を写していました。
ソウル最古の木造建築で国宝第1号に指定されていたそうです。
出火の原因は未だはっきりしてませんが、直前門内に入る男をタクシー運転手が目撃したそうです。放火の可能性が高いのでしょう。
一度鎮火したかに見えたが、再度燃え上がり全焼に至ったようです。
「文化財」なので消防当局が「建物の一部を破壊する許可を文化財庁から取る」のに45分掛かったそうです。
だから一度鎮火に見えた火災が再燃したのか報道からでは判りません。
ひょっとしたら「消火に最適な方法を初期段階で取れなかった」のかも知れませんね。
貴重な木造建築がアジアから一つ失われました。残念な事です。
火事の場面を見ながら「法隆寺」や「大仏殿」の夜の警備体制と消火体制がどうなっているか心配になりました。
読売新聞:
【ソウル=平野真一】10日夜に出火したソウル市中心部の観光名所、南大門(正式名称「崇礼門」)は約5時間後の11日未明、木造2階建て延べ約177平方メートルの楼閣が全焼、石組みの土台を残してほぼ全面的に崩壊した。
朝鮮王朝時代の1398年に完成し、ソウルに現存する最古の木造建造物として国宝第1号に指定されていた南大門の焼失に、国民は強い衝撃を受けている。
一方、警察当局は、出火直後に立ち入り禁止となっている楼閣から出てきた不審な人物が目撃されていることから、放火の疑いが強いと見て捜査している。
火災は楼閣2階の瓦屋根の内側から発生したと推定されている。消防当局はポンプ車、はしご車など32台を出動させて消火に当たり、一時はほぼ鎮火したかに見えたが、屋根に残っていた火が楼閣に燃え広がり、門全体が炎と白煙に包まれた。11日午前1時過ぎ、屋根の一部が崩壊したのに続き、同2時前には楼閣の1、2階部分もほとんどが崩れ落ち、現場を遠巻きにしていた市民から悲鳴が上がった。
聯合ニュースによれば、消防当局が国宝を管理する文化財庁から、全焼を防ぐために建物の一部を壊す許可を取るのに約45分かかったことも、初期消火が遅れる原因となった。
2006年春に門の下の通路が一般に開放された後も、楼閣は立ち入り禁止となっていた。ただ、午後8時以降は無人警備システムがあるだけで、無断立ち入りをチェックする体制は取られていなかった(引用終わり)
今朝TVをつけて「みのさんの朝ズバッ!」を見たら丁度ソウルの「南大門」が全焼してやがて石積みの土台から上の木造部分が崩落する場面を写していました。
ソウル最古の木造建築で国宝第1号に指定されていたそうです。
出火の原因は未だはっきりしてませんが、直前門内に入る男をタクシー運転手が目撃したそうです。放火の可能性が高いのでしょう。
一度鎮火したかに見えたが、再度燃え上がり全焼に至ったようです。
「文化財」なので消防当局が「建物の一部を破壊する許可を文化財庁から取る」のに45分掛かったそうです。
だから一度鎮火に見えた火災が再燃したのか報道からでは判りません。
ひょっとしたら「消火に最適な方法を初期段階で取れなかった」のかも知れませんね。
貴重な木造建築がアジアから一つ失われました。残念な事です。
火事の場面を見ながら「法隆寺」や「大仏殿」の夜の警備体制と消火体制がどうなっているか心配になりました。
読売新聞:
【ソウル=平野真一】10日夜に出火したソウル市中心部の観光名所、南大門(正式名称「崇礼門」)は約5時間後の11日未明、木造2階建て延べ約177平方メートルの楼閣が全焼、石組みの土台を残してほぼ全面的に崩壊した。
朝鮮王朝時代の1398年に完成し、ソウルに現存する最古の木造建造物として国宝第1号に指定されていた南大門の焼失に、国民は強い衝撃を受けている。
一方、警察当局は、出火直後に立ち入り禁止となっている楼閣から出てきた不審な人物が目撃されていることから、放火の疑いが強いと見て捜査している。
火災は楼閣2階の瓦屋根の内側から発生したと推定されている。消防当局はポンプ車、はしご車など32台を出動させて消火に当たり、一時はほぼ鎮火したかに見えたが、屋根に残っていた火が楼閣に燃え広がり、門全体が炎と白煙に包まれた。11日午前1時過ぎ、屋根の一部が崩壊したのに続き、同2時前には楼閣の1、2階部分もほとんどが崩れ落ち、現場を遠巻きにしていた市民から悲鳴が上がった。
聯合ニュースによれば、消防当局が国宝を管理する文化財庁から、全焼を防ぐために建物の一部を壊す許可を取るのに約45分かかったことも、初期消火が遅れる原因となった。
2006年春に門の下の通路が一般に開放された後も、楼閣は立ち入り禁止となっていた。ただ、午後8時以降は無人警備システムがあるだけで、無断立ち入りをチェックする体制は取られていなかった(引用終わり)