駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

若ければ善 年取れば悪

2018年08月31日 | 世間一般
若い選手が勇気を出して告発会見 
 
なんて聞き慣れたニュースが流れましたので 
 
誰だろうと思って見ると 
 
またまた宮川選手だそうです。 
 
ただし今回は日大アメフト部ではなく 
 
女子体操の宮川選手です。 
 
ややこしいですよね。 
 
で 
 
告発される側もまた内田って名前だったら笑える 
 
なんて思ってワイドショーを見ると 
 
カメラに追い回されてるのは塚原光男さんでした。 
 
まぁしかしマスコミは本当に失礼ですよね。 
 
若い人達は知らないんでしょうかね? 
 
相変わらず突撃取材で詰問調の言葉を投げかけてましたが 
 
私達が中学高校生の時には月面宙返りで日本中を湧かせた塚原選手ですからね 
 
もう少し口の利き方はないのか? 
 
って思いますよね。 
 
更に今回の騒ぎの発端の女子の宮川選手が言ってる事は 
 
これまでの流れとは真逆で 
 
暴力を振るって辞させられたコーチを救おうって話しですから 
 
まぁ分かり難くて仕方がありません。 
 
マスコミは見た目で宮川さん全面支援 
 
みたいなスタイルで報道してましたが 
 
こんな事で 
 
今までの暴力コーチに対する非難を続けてきた姿勢と 
 
整合性がとれますかね? 
 
ますます質の低下を感じてしまいます。 
 
この話しはこの位にして 
 
こんな話しが出る度に思いますが 
 
私達人間は 
 
論理は真逆になっても 
 
年老いて外見が醜くなれば悪 
 
若くて見た目が初々しければ善 
 
そんな感情が遺伝子の中に埋め込まれてる 
 
そんな風にも感じますね。 
 
これ生物的には正しいのかも知れませんね。 
 
種を残すと言う意味では 
 
その役割を終えた者より 
 
これから子孫を残す若い人達を大切にする 
 
これはむしろ自然です。 
 
極論になりますが 
 
昔の英雄より 
 
若い無名選手 
 
これを今回の騒ぎから強く感じる訳です。 
 
この理屈を超えた人間の本能 
 
これは今回の件に限らず 
 
我々人間社会に存在する原理ですから 
 
私達のように還暦も過ぎれば 
 
特に意識しなければなりませんね。 
 
以前痴漢の冤罪で捕まった人の話を読んだ事がありますが 
 
警察ですら 
 
目の前に顔を伏せて泣いてる女子高生と 
 
禿げた冴えないオヤジがいれば 
 
もういくらオヤジが無実を訴えても聞いて貰えない 
 
そんな話をしていました。 
 
私自身このブログでも書きましたが 
 
家賃の催促に行ったら 
 
その滞納者は女性で 
 
ドアを開けずしばらく待つように言われて 
 
そのまま待っていたら 
 
いきなり警察を呼ばれた事があります。 
 
で 
 
それまで全く反応しなかったのに 
 
警察が来たらドアを開けて 
 
涙声でこの不動産屋に殺すと言われた 
 
って言い始めました。 
 
警察は私を睨んで 
 
本当にそんな事を言ったのかと聞かれましたので 
 
私は内ポケットからテープレコーダーを出して 
 
警察に 
 
聞きますか? 
 
って言ったら 
 
その滞納者は慌ててまた部屋の中に逃げ込み 
 
今度は警察がいくら呼びかけても出てきませんでした。 
 
この時にも強く思いました。 
 
あの時録音を取ってなかったら 
 
私は 
 
あのまま警察に連れていかれたんだろうな? 
 
って 
 
ですから私は今でもすぐに録音を取る事が習慣になってるのです。 
 
還暦男の身を守るには証拠が一番って訳です。 
 
若い女性の涙は武器になりますが 
 
その武器で攻撃を受けたときには 
 
私達オヤジはひとたまりも有りませんからね 
 
いずれにしても 
 
私の仕事は 
 
たくさんの女性と接する機会がありますが 
 
その中には一定割合で 
 
邪悪な人達もいますので 
 
ついつい日頃からそんな事を考えてますので 
 
今回の体操協会の問題も 
 
マスコミの報道をそのまま受けとめる事はない 
 
そんな人間に仕上がってしまいました。 
 
書くと叩かれそうなので控えてますが 
 
私が過去に出合った悪女 
 
結構いますから 
 
悪女列伝 
 
みたいな物も書けますね 
 
墓場まで持ってく話しだらけですが 
 
私がこれまで生きて強く感じてる事は 
 
男は哀れ 
 
って事です。 
 
そんな哀れな男達と過ごして一生を終える 
 
心に決めています。 
 
 
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人との接触は常に自分を最新の状態に保つアップデート

2018年08月30日 | 世間一般
昔 
 
長く一流の商社マンだった方とゴルフをしましたが 
 
この方 
 
50歳で早期に退職して 
 
それから長年の経験を生かして 
 
外国のファンドに投資をして 
 
莫大な資産を築いた方です。 
 
その意味では 
 
誰でも憧れる成功者 
 
そうも言えるでしょう。 
 
知識も豊富で 
 
人格的にも温厚で 
 
一緒にゴルフをしていて 
 
とても楽しい方です。 
 
が 
 
少し普通の人と感覚がずれてる 
 
そんな風に感じる所がたくさんあります。 
 
例えば 
 
ゴルフ場から駅までついでなのでお送りした事がありますが 
 
律儀な事に交通費を払う 
 
なんて言ってお金を出しました。 
 
有難く受け取りましたが 
 
百円玉数枚と10円玉数枚でした。 
 
どうしてかと言うと 
 
バスで来た場合のバス賃だそうです。 
 
数十億は資産があると思いますが 
 
チャラチャラと小銭を出すのを見て 
 
その金銭感覚は 
 
まるで高校生のような所も持ち合わせてる 
 
これが大変面白かった訳です。 
 
また 
 
ご本人が語っていましたが 
 
ご自身は大変お酒が好きですが 
 
お酒は退職してから自宅以外では飲んだ事が無く 
 
しかも自宅で飲むときも日本酒2合と決めていて 
 
寝る寸前にしか飲まないそうです 
 
理由は 
 
酔って転んで怪我をしたくないからだそうです。 
 
ゴルフが出来る位健康なのに 
 
自宅で転倒する心配をしてる 
 
これも少し私は違和感を感じます。 
 
その他にも色々ありますが 
 
とにかく優秀で良い人なのに 
 
どこかずれてる 
 
これを感じた訳です。 
 
まあしかしこの程度のズレは生活の上では何の問題もありませんが 
 
しかしこの方の状態は 
 
私たち人間がよく陥るパターンですから 
 
そうなった理由 
 
これも良く分かります。 
 
この方が世間の感覚とのズレが生じるのは 
 
仕事のせいです。 
 
毎日海外の金融市場を相手に仕事してますから 
 
昼夜が逆転してしまい 
 
結果 
 
生身の人との接触が無いために 
 
これが起るのです。 
 
これは 
 
今の時代 
 
たくさんの人が陥ります。 
 
特に孤独な中高年 
 
よく当社に来ては社員に説教したりなんかしますが 
 
発言内容は数十年前の感覚 
 
こんな感じの人がよくいます。 
 
つまり 
 
世間のとの接触がないために 
 
時代の変化に置いて行かれてる訳です。 
 
これは 
 
孤独な人にだけ起るのではありません。 
 
私がこの仕事をしていつも思うのは 
 
零細不動産屋はこのパターンに陥る傾向があります。 
 
ただ零細不動産屋がどこでもそうなる訳ではありません。 
 
世間との感覚がズレ易いのは 
 
夫婦経営の不動産屋です。 
 
会社の中で 
 
夫婦だけの世界ができ 
 
他の社員とは大きな壁が出来き 
 
結果 
 
少し異常に見える会社になるのです。 
 
私は独立する前にそれに気づきましたから 
 
自分で会社を起こすときに 
 
妻は会社に入れない 
 
これを固く心に決めた訳です。 
 
その決断は正解だった 
 
と今でも思っています。 
 
そんな感じで 
 
人との接触が少なくなると 
 
世間との感覚のズレ 
 
これは必ず生じます。 
 
どこの会社でも 
 
同僚との接触が少ない社員がいると思いますが 
 
やはりどこか違和感を感じる人が多いと思います。 
 
どうしても他人との接触が少なくなると 
 
自分の世界と他との間に壁ができ 
 
ズレてくるのです。 
 
そうならないためには 
 
たまには 
 
同僚と飲みに言ったり 
 
あるいは 
 
仕事の事でも語り合ったり 
 
これが大切です。 
 
こんな話しをすると 
 
社員や知合いから 
 
私の話ですか? 
 
なんて言って来る人がいそうですね。 
 
誰かを想定して書いてる訳ではありませんが 
 
今の時代はそんな人が増えてるはずです。 
 
自分が思い当たるのであれば 
 
できれば改善し方が良いでしょうね。 
 
 
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雷雨の中傘も差さずに平然と歩く女子高生

2018年08月29日 | 世間一般
ゲリラ豪雨とは上手い名前をつけたものですね。 
 
これも温暖化の影響なんでしょうね 
 
おとといの夜 
 
私が庭で夕涼みしてると 
 
急に風が強くなり 
 
あっと言う間に雷雲がやって来て 
 
まるで米軍の東京大空襲かと思われるような 
 
激しい落雷が連続して起こりました。 
 
まぁ怖いですよね。 
 
我が家も高台にありますから 
 
一瞬落雷を覚悟しました。 
 
怖いですがこの自然の大がかりなショーは 
 
見方を変えれば 
 
滅多にお目にかかれないエンターテイメントです。 
 
ですから 
 
ビビリながら 
 
部屋の中からカミナリがあっちこっち落ちるのを見ていました。 
 
幸い私達の地域では火災にはなりませんでしたが 
 
地域によっては停電が起こったようで 
 
改めて私達人間の自然に対する弱さ 
 
これを感じました。 
 
で 
 
そんな感じでしばらく雷の大空襲を見ていると 
 
世の中には猛者がいて 
 
爆音がなり響く中 
 
平然と雨に濡れながら歩く人 
 
何人かいましたね。 
 
その中には女子高生もいました。 
 
この姿を見て思い出しました。 
 
私も沖縄にいた頃は 
 
カミナリが鳴っても 
 
平気で濡れながら下校していましたね。 
 
私だけではありません 
 
生徒全員がそうしてたのです 
 
どうしてそれを思い出したかと言うと 
 
雨に濡れて帰る同級生の女の子の下着が 
 
透けて見えて興奮した記憶が蘇ったからです。 
 
今にして思えば 
 
雷雨の下校 
 
結構楽しみだったように思います。 
 
では 
 
当時はどうして私達は雷を気にしなかったんでしょうね? 
 
今思い出すとその理由も分かります 
 
それは 
 
当時私達は 
 
雷に人が打たれて死んだ 
 
なんて話しを聞いた事が無かったのです。 
 
よく考えれば 
 
東京の人口が密集した地帯ですら 
 
雷に人が打たれた 
 
なんて話しはほとんど耳にしませんよね 
 
ほとんど耳にはしませんが 
 
たまにそんな話しを聞くから 
 
私達は怖くなるのです。 
 
なんせ確率は少なくても 
 
命に関わるとなれば 
 
身構えるのは当たり前です。 
 
ところが沖縄にいた頃は 
 
経験則で言えば 
 
可能性はゼロって事になりますから 
 
だから誰も怖がらなかったのだと思います。 
 
なんせサトウキビ畑が広がっていますから 
 
その中に人はわずかしかいませんからね 
 
滅多に当たる物ではありませせん。 
 
つまり 
 
感覚的な可能性がゼロと 
 
限りなく低くてもその可能性を感じるのでは 
 
人間の行動は大きく違うって事です。 
 
今の情報手段の発達は 
 
この人間心理の変化 
 
これによる影響を大きく受ける時代になったとも言えます。 
 
そしてやっかいなのは 
 
この心理は 
 
経済合理性を大きく犠牲にして突き進み傾向がありますから 
 
私達の負担は限りなく増して行くし 
 
人間はどんどん萎縮していく 
 
そんな時代になりました。 
 
具体的には 
 
例えば 
 
昔のように身の回りの情報しか入らない時代には 
 
何も問題にならなかった事が 
 
情報手段の発達によって 
 
離れた所の情報が入り 
 
それに備えなければ人間の心理が落ち着かなくなります。 
 
例えば 
 
私の沖縄の村では 
 
過去に地震で家が壊れた 
 
なんて話しは聞いたことがないので 
 
皆安心して暮らしてたのに 
 
阪神神戸大震災の映像を目にすると 
 
急に不安になり 
 
耐震性を求めるようになる訳です。 
 
この人間の不合理性が強く感じられたのが 
 
最近の大阪の地震でしたね 
 
家の倒壊で死んだ人はいなかったのに 
 
ブロック塀が倒れて女の子が亡くなりましたよね。 
 
それまで無警戒だったのに 
 
慌てて今度は日本中でブロック塀の点検を始めました。 
 
今年は猛暑が続いて 
 
熱中症対策で学校のプールまで閉鎖になったようですが 
 
これも実際には熱中症で生徒がプールで亡くなる 
 
なんてのはほとんど例が無いのに 
 
体育の授業で生徒が死んだ 
 
なんて話しが報道されると 
 
父兄も学校も 
 
一気にビビって子供を家の中に隔離する訳です。 
 
熱中症でプールで死んだ例はほとんどありませんが 
 
プールでおぼれ死んだなんて話しは昔からありますから 
 
そっちでは閉鎖しないのに 
 
滅多に無い熱中症で閉鎖 
 
どうも私はしっくり来ませんが 
 
これも人間心理の不合理さの現れだろうと思います。 
 
この人間心理の不合理性 
 
これは実は今のビジネスの大きな柱になってるように思います。 
 
具体的に書くと叩かれそうですからあえて書きませんが 
 
私がこの事を強く感じるのが医療の世界ですね 
 
人間は自分の健康に対する不安 
 
誰でも持っていますから 
 
もしかしたらその市場は無限かもしれません。 
 
ケーブルテレビでは 
 
サプリメントや健康食品のCM 
 
驚くほど流れてますよね 
 
感覚的には番組より宣伝の方が多いようにも感じます 
 
それだけ儲かる世界だって事です。 
 
健康以外にも 
 
人間の不合理な不安心理は 
 
大きなビジネスになります。 
 
耐震と言う言葉のおかげで 
 
建築業界は莫大な売り上げを得てるでしょうし 
 
北朝鮮や中国の脅威を報道すれば 
 
それに見事に踊らされる国民がたくさんいますから 
 
それはそのまま防衛産業の繁栄につながる訳です。 
 
そんな訳で 
 
不安心理で 
 
無限に人間は出費を強いられる 
 
この構造が今の社会にはありますので 
 
時には 
 
開き直って世の中を見ると 
 
結構愚かな行動をしてる 
 
って事に気づくはずです。 
 
私の場合は 
 
今度機会があれば 
 
久しぶりに雷雨の中 
 
傘を差さずに歩いてみようか? 
 
なんてふと思いました。 
 
 
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改めて諸行無常

2018年08月28日 | 人生一般

私の従妹の葬儀は家族葬 
 
って言っても結局30人以上集まりましたが 
 
とにかく関係の薄い人に気を使わせる事は極力避けて 
 
本当の親しい人達だけでやりました。 
 
まぁ私はとても良かったですね。 
 
葬儀は義理で参加する人が多い訳ですが 
 
遺族はそんな人達に延々と恐縮しながら頭を下げる 
 
どうもあれが好きになれません。 
 
その点親しい人だけだと 
 
お互いたっぷり思い出話しを語る時間ができますから 
 
故人も霊があるとすれば 
 
その話しに加わり 
 
一緒に盛上がってるはずです。 
 
良かったのは参列者の人数が少ないからだけではありません。 
 
音楽葬って言って 
 
宗教色は全く無いのです 
 
延々と続くお経もなければ 
 
焼香もありません。 
 
あるのはクラッシクの生演奏と 
 
たくさんの花の香りです。 
 
葬儀はどこでも生花がたくさんありますが 
 
なんせ大量のお香を焚きますから 
 
せっかくの花のにおいがそれで消されて 
 
まったく嗅ぐ事はできませんよね。 
 
私自身はお香の臭いは嫌いなので 
 
なんで今の時代になってもそんな事をするのか? 
 
全く理解できません。 
 
大体お香は 
 
昔インドでは 
 
遺体の腐敗臭を消すために炊いたのが始まりだそうですから 
 
元来はトイレの臭い消しみたいな物ですよね 
 
腐敗臭が無ければ必要がないはずですが 
 
長年の習慣で 
 
宗教行事と合体して 
 
元来の目的を逸脱して一人歩きしてる訳です。 
 
その点今回の従妹の葬儀では 
 
お香の臭いは無く花の香りが漂う 
 
私にとっては 
 
すばらしい葬儀でした。 
 
と同時に 
 
核家族が進む今 
 
これまでの習慣にとらわれないこんな形の葬儀は 
 
これから増えるのでは無いか? 
 
って思っています。 
 
私自身義理で葬儀をするのは嫌いですから 
 
自分が死んだら 
 
参列者は 
 
親しい身内と社員だけで十分だと思っています 
 
まぁしかし私が死ねば何も決められませんから 
 
実際には子供達の判断でしょうが 
 
今から私はよくそんな話しをしています。 
 
しかし葬儀の度に思いますが 
 
今の時代はありがたいですね。 
 
葬儀屋さんが全て手配してくれますから 
 
遺族はその指示に従ってあたふた動いてる間に 
 
あっと言う間に葬儀が終わり 
 
遺骨だけが残ります。 
 
その点昔は葬儀屋さんがありませんから大変でしたね。 
 
近所と親戚 
 
総動員で大量の料理を作ったり 
 
参列者の接待やら何やら 
 
とにかく大変な作業を行なった訳です。 
 
ですから遺族は肉体的にも精神的にも負担が重く 
 
それで体調を崩し 
 
一人亡くなればその家で葬儀が続く 
 
なんて事もあったそうです。 
 
そんな訳で 
 
葬儀の負担は軽くなりましたが 
 
逆に問題が大きくなったのがお墓ですね。 
 
お金を出してお墓を建てても 
 
そのお墓 
 
すぐに守る人はいなくなります。 
 
少子化ですから 
 
家族が続かない訳です。 
 
ですから 
 
時々目にしますが 
 
お子さんは結婚してないのに 
 
豪華なお墓を作る人達 
 
どんな気持だろうと思いますよね? 
 
豪華であれば豪華であるほど 
 
後の人の負担が重くなりますから 
 
何か別の方法は無いのか? 
 
って思いますよね。 
 
いずれにしても 
 
霊園であれば 
 
誰も管理料を払わなくなれば 
 
とっとと取り払われて 
 
次の人に提供する訳ですから 
 
お墓ほど空しい物は無い 
 
そうも言える訳です。 
 
今の時代は樹木葬だとか 
 
海に散骨 
 
なんてのもあるようですが 
 
これからはどんどんそんなケースが増えるんでしょうね。 
 
今日本はかつてない人口の衰退期にありますが 
 
私の生きて来た時代は 
 
高度経済成長時代から 
 
まさにバブル崩壊から今に至る衰退期 
 
この両極端を経験した訳です。 
 
高度経済成長期には 
 
無縁墓だらけになる事も 
 
住宅がこれほど余る事も想像すらできなかった訳ですが 
 
今はまさにその時代真っただ中です。 
 
そんな時代の推移を見て 
 
昔の人は 
 
諸行無常 
 
この言葉を良く生み出した物だと思いますね。 
 
いくら財産を溜め込んでも 
 
明日の事は誰も分かりません 
 
であれば 
 
今を精一杯生きる 
 
私達はそれしか無いのです 
 
今日もこれから一日が始まります 
 
夜が来て床に着くまで 
 
しっかり生きましょう。 

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子供はマンガ好き 実は大人に対しても絵と大きな文字は有効

2018年08月27日 | お客色々
私の机の上に 
 
ある新興宗教の教祖が書いた本が置いてありました。 
 
この団体 
 
急激に勢力を伸ばしていて 
 
教祖はたまにマスコミにも出ますし 
 
政党も作ってますから選挙演説も少しだけ見た事がありますが 
 
まぁ私は好きになれませんね 
 
あの絶叫を見ると宗教とはかけ離れてるって感じで 
 
とても違和感を覚えて 
 
最後まで見る事はありません。 
 
まさにその人が書いた本が私の机の上に置いてあった訳です。 
 
最初は社員の中に信者がいて 
 
私に読めと言ってるのかと思いましたが 
 
どうやらそうではないようです。 
 
この団体は教祖が書いた本をバラ撒いてるのです 
 
もの凄い資金力ですよね。 
 
そのままゴミ箱に捨てようかとも思いましたが 
 
嫌いと思うのであれば 
 
逆にもっと知るべき 
 
そう思って読みました 
 
読んだ結果 
 
ますます嫌いになりましたね。 
 
大きな組織ですから信者はそこいら中にいる訳で 
 
あまり露骨に批判もできませんが 
 
一口で言えば欺瞞と自己顕示 
 
そんな物が溢れています。 
 
で読み終わって新聞紙と一緒に捨てた訳ですが 
 
しかし良く考えれば不思議な物です 
 
私がこれだけ嫌悪感を持つのに 
 
たくさんの人がこの人の話に感動して 
 
そして教団は急激に大きくなってる訳です。 
 
そうやって考えると 
 
私達は自分と異なる価値観の人と共存しなければならない 
 
これを思い知らされますね。 
 
であれば 
 
やたら自分の考えを口に出す事 
 
これは大変危険でもある訳です。 
 
私の身近にもいましたが 
 
いわゆるネトウヨと呼ばれる人達 
 
どこでもそこでも威勢良く隣国の悪口を語りますが 
 
その話してる相手が 
 
まさにその隣国系って事も多いし 
 
その人が付き合ってる相手の国籍がその国の人 
 
なんて事も多いはずです。 
 
それに思いが至らず自分の思うまま口に出して 
 
結果自分が孤立する訳です。 
 
このブログでもたまにそんな人達のコメントがありますが 
 
このブログを読んでる人には 
 
たくさんの外国人の方がいますから 
 
私はあまりにも酷い場合には黙って削除しました。 
 
そんな方達も 
 
こちらの事情は全く頭に入ってない訳です。 
 
今回の教団の信者は当社にはいませんが 
 
かつては別の巨大宗教団体の信者が何人かいました 
 
にも関わらず 
 
お客様の中には 
 
時々その宗教の悪口を大声で言う人が居ました 
 
お客様ですから注意する訳にも行かず 
 
それを聞いてる社員の顔色を見ながらヒヤヒヤした事もあります。 
 
で今回の教団 
 
私自身はこの団体は好きになれないし 
 
なぜそんなに大きくなってるのか理解もできませんが 
 
この本で 
 
少しだけ戦略的な部分が見えて 
 
巧妙だと思いましたね。 
 
それは 
 
この本は分厚いのですが 
 
文字が極端に大きく 
 
実際の中身の量は大した事がありません。 
 
また 
 
話しも大変分かり易く書いてますから 
 
多分この本を読んだ人は 
 
読破した満足感と 
 
その中身を理解出来た満足感 
 
そんな気持が湧いてくるのだろうと思います。 
 
しかしこれは 
 
逆に言えば 
 
理解力が乏しい人を狙い打ちしてる証でもありますよね。 
 
キリスト教系の教団にも同じようなのがたくさんありますが 
 
教団によってはたくさんの絵を入れて 
 
そして相手が受け入れ安いように書いています。 
 
これを見て私は 
 
まるで絵本 
 
そんな風に思ってしまいます。 
 
つまり 
 
人間の中で 
 
幼稚な人 
 
これをターゲットに布教活動してるって感じです。 
 
私はそんな宗教の勧誘に若い頃は何度も遭った事がありますが 
 
皆さん一生懸命布教する割には 
 
こちらの質問には一切説得力のある答えは無くて 
 
ただ自分が思考停止して受け入れた話しを延々とする 
 
そんな感じでしたね。 
 
私のような人間には全く意味が無いので 
 
もう随分前から宗教の話しは門前払いとさせていただいています。 
 
その話しはともかく 
 
今回の話しで分かるのは 
 
大きくなる宗教団体は 
 
教義その物よりも 
 
とにかく分かり易く伝える 
 
これに長けてるから大きくなってるって訳です。 
 
この話し 
 
私達の不動産営業の世界でも共通していますよね。 
 
私達は学んでたくさんの知識を持っていますが 
 
では 
 
これをお客様に伝えるときに 
 
その知識をそのまま伝えても 
 
決して成果は上がりません。 
 
営業成果を上げるには 
 
その知識をできるだけ分かり易く相手に伝える 
 
これが大変有効な訳です。 
 
で 
 
この分かり易く伝えるには 
 
宗教団体と同じ手法 
 
これは大変有効です 
 
大きな文字と絵 
 
これを使って相手の理解を深める 
 
この技 
 
私も昔は使っていました。 
 
今も当社に一人だけこの技の達人がいます。 
 
今回の宗教団体の本と同じで 
 
大きな文字はたくさんの紙を消費しますが 
 
これによって相手に伝わるので有れば 
 
大変安い物たって事です。 
 
この手法は理解力ある方には不快に思われる事がありますので注意が必要ですが 
 
一般の人には大変有効ですから 
 
経験の無い営業マンは 
 
是非一度試すと良いでしょう。 
 
 
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西部劇で蘇る小学生時代

2018年08月26日 | プライベート
先日腰を痛めてソファーに寝転がってる時 
 
タラタラとテレビを見ていましたが 
 
どれもつまらなくコロコロリモコンでチャンネルを代えまくっていました。 
 
このつまらない番組の中でも 
 
私が特に嫌いのは夏の熱い日の昼下がりに見る 
 
昔の洋画です。 
 
特に吹き替え版 
 
ただでさけ気だるいのに 
 
一気に疲れが押し寄せてきます。 
 
その日も西部劇をやっていたので 
 
即代えましたが 
 
チャンネルを代えても手話の番組とか便秘の解消法とか 
 
私が興味が無い番組だらけでしたので 
 
仕方なくその気だるい西部劇をしばらく見ていました。 
 
タイトルは分かりませんがジョンウェインが主役でしたね 
 
この映画は多分私が小学校低学年の頃の作品です。 
 
今は興味がありませんが 
 
そこに展開されるアメリカは 
 
私が若い頃憧れた世界です。 
 
ボロい服を着て茅葺きの家に住み 
 
冷蔵庫も車も無いのに 
 
なぜかテレビはあって 
 
自分たちの生活とかけ離れた世界をブラウン管越しに見ていました。 
 
私だけではなく日本人全体がアメリカに 
 
同じ憧れを持っていたんですよね。 
 
だから 
 
少し日本が豊になると 
 
若者はジーンズを履き 
 
タバコを咥え 
 
ウイスキーを飲んだのです 
 
西部劇でジョンウエインがバーボンを一気に飲む姿 
 
本当に格好良かったですからね 
 
戦後の日本は欧米への憧れが 
 
新しい価値観を生み 
 
そして新しい文化が生まれたのです 
 
ファッションも音楽も 
 
海の向こうから押し寄せて来ました。 
 
そんな訳ですから 
 
西部劇も今の日本には大きな影響を与えた訳ですが 
 
しかし改めて見ると 
 
この西部劇 
 
単純ですよね。 
 
大体美女と美男 
 
それを引き立たせる不細工な脇役 
 
そしてはっきりした悪と正義 
 
そして素手での殴り合いとガンバトル 
 
この基本で成り立ってるって感じです。 
 
多分私でも西部劇は作れそうな気がします。 
 
しかし 
 
こんな単純な映画に 
 
どうして当時の日本は熱狂したんでしょうね? 
 
言うまでも無く娯楽に飢えてたからですよね。 
 
今の時代では 
 
他に見る番組がないので 
 
やむを得ず少しだけ見ますが 
 
とても30分以上は見続ける事は出来ません。 
 
にも関わらず 
 
昔は国民の娯楽が少なかったためにどこの映画館も満員だった訳です。 
 
でこの当時の若者に大きく影響を与えた西部劇 
 
悪影響と言えるのもたくさんありますよね。 
 
私自身西部劇の殴り合いを見て 
 
カッコイイと思って 
 
友達と殴り合いのケンカをした事がありますが 
 
実際のケンカはあんなに格好良い物ではありません 
 
と言うより強い相手とは殴り合いにもなりません 
 
ねじ伏せられて上に乗られて 
 
一方的に顔面を好きなだけ殴れる 
 
そして最後は泣いて謝って許して貰う 
 
これが実際のケンカです。 
 
そしてその後も西部劇のように格好良く終る訳ではありません 
 
負けた相手には延々と苛められて 
 
奴隷のようにコキ使われる 
 
私達の時代は学校まで歩いて1時間近くかかりましたが 
 
大体負けた相手のカバンを持たされての下校となりました。 
 
当時は 
 
西部劇のせいで 
 
こんな惨めな小学生時代を送った人はたくさんいたのでは? 
 
なんて思っています。 
 
まぁしかし不動産の世界に入ってから 
 
この惨めな体験は良かったと思うようになりましたね 
 
理由は 
 
この経験をしてない人は 
 
頭の中で自分が強いと言う妄想をもって大人になる 
 
そんな人達が多いのです。 
 
そんな妄想があっても 
 
実際に社会人になれば 
 
だれも殴り合いのケンカなんかしませんから 
 
結果そのまま年寄りになり 
 
その妄想がますます現実と乖離して 
 
足腰が立たなく成ってるのに 
 
言葉はますます凶暴になる 
 
そんな人達にたくさん出会えるのもこの仕事の面白い所です。 
 
それと 
 
昔の不動産屋はケンカに加えて 
 
西部劇の美女にモテル男達 
 
これと自分の区別が付かない人が多かったですね。 
 
私がこの世界に入った頃は 
 
ケンカ自慢と女自慢 
 
これが習慣になってるお父さん達 
 
たくさんいました。 
 
その点 
 
最近の若い人達は 
 
西部劇の影響を受けてませんから 
 
そんな妄想はあまり持ってませんね 
 
自分の事を冷静に理解してる 
 
って感じです。 
 
ただ淋しいのは 
 
彼女の話をすると 
 
“ボクはモテませんから一生彼女は難しいです” 
 
って諦めてる人 
 
結構居ますね。 
 
そんな若い人達を見ると 
 
もしかしたら 
 
西部劇で妄想を膨らませてた時代の方が 
 
社会としては健全だった 
 
そんな風に思う事もあります。 
 
 
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外見の衰えは内面で補うしかありません

2018年08月25日 | 人生一般
若い頃は床屋さんに行くと 
 
長髪で 
 
パーマをかけてなんて事が当たり前でしたが 
 
1000円カットが出来た辺りから 
 
もっぱら短髪で過ごしています。 
 
この方が早くて安上がりで清潔ですから 
 
外見さえ気にしなければ良いことだらけです。 
 
外見さえ気にしなければって言いましたが 
 
営業の仕事ですからね 
 
相手に不快感を与えない程度の身だしなみは必要ですが 
 
どうして髪型に時間とお金をかけなくなったかと言うと 
 
ムダだと思うようになったからです。 
 
と言うより理容室の鏡で 
 
ムダに気づかされる訳です。 
 
毎回大きな鏡に映る自分を見ていると 
 
顔の皺は増え続け 
 
髪の毛は白くなり続けて 
 
明らかに老いて行くのが分かります。 
 
いくら髪型にお金をかけても 
 
老いを止める事はできませんから 
 
いつの間にか諦め 
 
1000円カットって訳です。 
 
この加齢による外見の変化 
 
個人差が激しく 
 
中学の同窓会に行くと 
 
すぐに分かる人もいれば 
 
いくら説明されてもとても同一人物だとは思えない 
 
なんて人もいます。 
 
ただ 
 
不思議な事に 
 
その外見が別人になった人でも 
 
少し話せば 
 
脳の中で修正作業が行われ 
 
すぐに中学の頃に戻ります。 
 
そんな感じで 
 
人間の顔は加齢によって大きく変化する訳ですが 
 
しかしその変化は実は大きな問題ではありません。 
 
深刻なのはもう一つの変化です。 
 
それは人格 
 
加齢と共に人間は間違い無く人格も変化します。 
 
この変化も個人差があり 
 
中学の頃と全く性格が変わらない人もいれば 
 
大きく変化してる人もいます。 
 
また顔は見苦しく変化するだけですが 
 
人間の内面は良くなってる人もたくさんいます。 
 
中学の頃は嫌な人間で口も利きたく無かったのに 
 
いくら語っても楽しい 
 
なんて人も何人かいました。 
 
ところが 
 
人によっては 
 
この人間が来るならもう同窓会には行きたくない 
 
なんて思えるほど不快な人もいます。 
 
つまり 
 
私達人間は 
 
加齢で外見は等しく劣化しますが 
 
内面はそれを補う事もできれば 
 
さらに劣化に拍車をかける 
 
そんな物だって事です。 
 
で 
 
年齢と共に性格まで悪化する人達 
 
大体二つですね 
 
一つは感情の制御ができなくなるタイプです。 
 
最悪なのは勘違いでいきなり殴りかかったりなんかします。 
 
こうなればもう孤独の道まっしぐらです。 
 
でもう一つのタイプ 
 
激高型ではないけど 
 
あまり話したくない人 
 
これも嫌われる訳ですが 
 
これは一口で言えば 
 
愚痴、陰口が多い人です。 
 
人間全く愚痴も陰口も言わない人はいませんが 
 
しかしその程度は個人差が大きい物です 
 
年から年中誰かの悪口を言うのが癖になってる人 
 
私自身はこのタイプが一番苦手です。 
 
直接注意すれば今度はこっちが悪口の対象になりますから 
 
黙ってる訳ですが 
 
愚痴悪口を延々と聞かされるのは本当に苦痛です。 
 
ですから 
 
必要がなければ 
 
避ける 
 
これが私のとる道です。 
 
そんな訳で 
 
私達人間は 
 
どんな人でも加齢と共に外見は劣化します。 
 
それを補うために 
 
高い服を着たりなんかする人も多いですが 
 
それでカバーできるものではありません。 
 
外見が醜くなるのであれば 
 
内面を美しくしてそれを補うのが一番です。 
 
そして 
 
外見の衰えは抗いようがありませんが 
 
内面はいくらでも自分の意思で磨く事ができるのです。 
 
ですから 
 
若い人は老後に備えて 
 
自分の人生を劣化させ感情の高まりと 
 
ひがみ妬みからくる人の悪口 
 
意識して刈り取る 
 
これを実践するべきですね。 
 
これだけで 
 
加齢も悪くない 
 
そう思える人生が待ってるはずです。 
 
 
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政治は利用せず利用させず

2018年08月24日 | プライベート
孫とたっぷり接する環境にありますから 
 
久しぶりに幼児の成長過程 
 
しっかり間近で見て 
 
大変楽しまさせていただいています。 
 
世の中興味深い事はたくさんありますが 
 
私に取っては生命の神秘 
 
これが一番ですから 
 
子供の成長の観察は好奇心を満たす最高の出来事って訳です。 
 
その子供 
 
生まれてから頻繁に周りは名前で呼びかけますから 
 
まず自分の名前を覚えますよね。 
 
数ヶ月で名前を呼ばれると 
 
自分の事だと認識するようになります。 
 
そしてやがて自分も言葉を発するようになる訳ですが 
 
しばらくは自分の事を自分の名前で呼びますね。 
 
つまり 
 
僕とか私とか 
 
代名詞をつかって自分を表現する事ができないのです。 
 
で 
 
さらに成長すると 
 
今度はその代名詞を使えるようになりますから 
 
もう脳が健全に発達してるって事を確認する事になります。 
 
この自分を表す代名詞の使用が遅れると 
 
大人にとっては何も問題ありませんが 
 
子供世界ではいじめられる事があります。 
 
私が子供時代も 
 
自分の事を自分の名前で呼ぶ同級生がいて 
 
よくイジられていました。 
 
まぁそんな感じで 
 
子供時代は性格によって代名詞を使わず自分の名前で自分を表す 
 
なんて子も一定割合でいますし 
 
今の時代はそれが増えたように思います。 
 
増えればもう苛められる事も無いので 
 
私は良い傾向だと思っています。 
 
が 
 
この自分の事を自分の名前で呼ぶ人 
 
実は大人になってからもたまに目にしますね。 
 
一番良く目にするのは 
 
政治家の立ち会い演説ですね。 
 
“ワタクシ安部晋三は経済行政改革を断行します” 
 
って感じで自分の名前を連呼します。 
 
まぁ投票用紙に自分の名前を書いてもらうために演説をする訳ですから 
 
ある意味当然の事ですが 
 
政治家以外にもたまにいるこのタイプ 
 
少しヤバイ人が多いですね。 
 
自己顕示欲の強い人って感じです。 
 
最近で言えばボクシング連盟の会長さんですね。 
 
私とは言わずに 
 
“山根明”はどうのこうのってのが口癖でしたね。 
 
自分で 
 
“世界のカリスマ山根明で有名ですから” 
 
って言った時には 
 
笑ってしまった人も多いのではないかと思いましたが 
 
いずれにしてもこの自分名前を多用する人達 
 
大体ロクな人間はいません。 
 
昔モメた入居者の中にも 
 
いきなり切れて 
 
○○△△をバカにしてるのか? 
 
って怒鳴り始めた人がいましたが 
 
当社の事務員さんまで笑いをこらえていましたね。 
 
まあしかしこのタイプは 
 
自己顕示欲は強いのですが 
 
本当のワルではありません 
 
頭が単純で自分の名前を過剰評価してるだけです。 
 
本当の悪いやつは 
 
人の名前を使いますよね。 
 
昔であれば広域暴力団の組長さんの名前を出して脅かす人がたくさんいました。 
 
大昔の事ですが 
 
飛び込みで絵を売りに来た男が 
 
○○△△の使いで来た 
 
なんて言ったものですから 
 
こっちはきょとんとしてると 
 
こっちは○和会の親分の名前を出したんだからそれなりの対応をしろ 
 
って言ってきましたね。 
 
今の時代であれば即逮捕ですよね。 
 
古き昭和の最後の頃の話しです。 
 
森友学園の籠池さんも 
 
安部晋三の名前を使って 
 
金集めと学校設立の認可 
 
これをやろうとした訳です。 
 
そんな感じで 
 
自分の名前にしろ他人の名前にしろ 
 
その権威で自分の目的を遂げようとする人 
 
たくさんいますが 
 
これ 
 
もう完全に時代遅れですよね。 
 
ゴルフ場では昔は会員集めのために 
 
皇族の名前を使ったそうですが 
 
今はそんな事をするゴルフ場はありません。 
 
今皇族の権威で泊がつくのは右翼的な世界くらいだろうと思います。 
 
そんな訳で 
 
皇族ですらその名前の権威は落ちてる訳ですから 
 
一般の社会では 
 
もう力のある人や 
 
有名人の名前を使っての権威付けは 
 
空振りに終る 
 
これが定めのように思います。 
 
そう言えば 
 
昔良くやってきた 
 
“有名人との対話商法” 
 
これめっきり見なくなりましたね。 
 
雑誌に有名人との対話記事を載せるからお金を下さい 
 
って話しです。 
 
そんな訳で 
 
私自身は 
 
どちらかと言うと 
 
有名人を使って自分の権威付けをするやり方 
 
大嫌いですから 
 
よくお誘いを頂きますが 
 
政治家が参加する会合やなんかはお断りしてる訳です。 
 
政治家を使って 
 
官庁を動かして美味しい思いをする 
 
なんてのは 
 
昔は散々目にしますが 
 
私自身は卑劣な行為だと思ってますので 
 
その仲間に加わる 
 
なんて気持は全く無いのです。 
 
 
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激しい痛みで思い知らされた己の愚かさ

2018年08月23日 | プライベート

昨日おとといと連休だったのですが 
 
所属のゴルフクラブが夏期休業だったために 
 
珍しくゴルフには行きませんでした。 
 
しかし私はじっと家にいる事が出来ないないタイプなので 
 
会社でちょこちょこ仕事をしたあと 
 
自宅の庭いじりを始めました。 
 
今回のテーマは庭の模様替え 
 
結構大変です 
 
木を植え替えたり 
 
レンガを敷いたりします。 
 
で猛暑の中 
 
まず手始めに 
 
一番大きな陶器の鉢植え 
 
これを移動する事にしました 
 
で持ち上げて10Mほど歩き 
 
移動場所へ下ろそうとした瞬間 
 
腰が ギクッ 
 
何度か経験していますから 
 
すぐに鉢を落とし 
 
そのまま腰を押さえて家の中に入り安静にしました 
 
その迅速な対応のおかげで 
 
腰の痛みは完全には取れませんが 
 
随分楽になりました。 
 
庭いじりと続ける事も出来ましたが 
 
用心して中止にしました 
 
で 
 
休みなのに残金決済で出社してる社員がいましたので 
 
連絡をとって夕方から居酒屋で一杯やりました。 
 
その時に腰痛の話題になったのですが 
 
その社員は定期的に腰痛に襲われるいわゆる腰痛持ちです。 
 
で 
 
私に 
 
“社長の腰痛は大した事ありませんよ私は歩けなくなりますから” 
 
って言いました 
 
実際にその社員は会社で歩けなくなり 
 
奥さんに会社まで車で迎えに来て貰って 
 
自宅に緊急搬送した事があります。 
 
そんなすざましい体験をした人の話しを聞くと 
 
私のギックリ腰は大した事では無い 
 
って思いが湧いて来て 
 
気持が楽になり 
 
お酒をガンガン飲んで家に帰りました。 
 
で昨日の朝 
 
やっぱ少し会社に出て来てメールのチェックをした後 
 
自宅に戻りました 
 
で 
 
しばらく本を読んだりなんかしていましたが 
 
庭に目をやると 
 
放置したままの状態が気になります。 
 
まだ腰は少し痛みましたが 
 
昨日の社員の話しと 
 
以前ネットで見た 
 
腰痛は安静にすると回復が遅れる 
 
なんて記事が頭に湧いて来て 
 
この位の痛みなら大丈夫か? 
 
って思い 
 
庭いじりを始めました 
 
実際にやり始めると 
 
全く痛くありません 
 
ですから 
 
調子に乗って 
 
大きな木を掘り起こして移動したり 
 
レンガを敷くためにスコップで整地したりしていました。 
 
すると妻が窓を開けて 
 
“昼ご飯” 
 
って叫びましたので 
 
そこで休憩する事にしました。 
 
で家の中に入ると 
 
妻の食事の準備がまだ終ってませんでしたので 
 
ソファーに腰掛けてテレビを見ていました 
 
ほどなく妻がダイニングテーブルに食事並べましたので 
 
食べようと立ち上がろうとすると 
 
今まで経験した事の無いすざましい激痛が襲ってきました 
 
恥ずかしながら 
 
大きな叫び声を上げてしまいました。 
 
ギャー 
 
っと 
 
妻もさすがに驚いて 
 
お父さんどうしたの心臓? 
 
救急車を呼ぶ? 
 
って立て続けに聞いて来ました。 
 
もちろん心臓ではありません 
 
痛めた腰です。 
 
体を動かしてる時には何ともなかったのに 
 
少し休息しただけで 
 
一気に痛みが数十倍になって押し寄せて来たのです。 
 
社員は歩けないなんて言いましたが 
 
私は歩けないどころか立ち上がれません 
 
人間立ち上がれないと 
 
一気に色んな不安が押し寄せてきますね。 
 
このまま車いす生活になるのだろうとか? 
 
トイレとか風呂はどうなのだろうとか? 
 
そんな事を考えてると 
 
妻が 
 
お父さん病院に行きなさい 
 
と大声で怒鳴りました。 
 
何てことを言うでしょうね? 
 
私は立ち上がれず目の前にある昼食も食べられないのに・・ 
 
いずれにしても妻の言葉を無視して 
 
しばらくソファーで固まっていました。 
 
しかし食事は良いとしても 
 
もうすぐ襲ってくる尿意 
 
これは絶対に対応しなければいけませんから 
 
とにかく立ち上がる事を考えていました 
 
で 
 
少し腰を浮かせて立ち上がろうとすると 
 
痛みがすぐに押し寄せて来て 
 
ソファーに叩き落とされます 
 
まぁ絶望的になりましたね。 
 
でも 
 
何度も激痛に耐えながらトライしていたら 
 
ある事に気づきました。 
 
つまり激痛が走って私はその都度立ち上がるのを断念したのですが 
 
この激痛 
 
10秒から20秒程度で収まります 
 
で 
 
収まった直後は 
 
無理に体を動かしても痛みは襲って来ません 
 
この事に気づいて 
 
私は激しい痛みが引いた瞬間 
 
間髪を入れずに思い切り腰を浮かせました 
 
すると簡単に立ち上がる事ができました 
 
立ち上がった後はまた激痛が襲って来ますが 
 
耐えてるとすぐに収まりますので 
 
この瞬間を見計らって 
 
トイレに駆け込む事が出来き 
 
小学校3年生以来のおもらしの危機は逃れる事はできました。 
 
ただしばらくは食事も立ったまま食べて 
 
そのまま次の尿意が襲うまで 
 
ソファーに数時間横になっていました 
 
それでもまた立ち上がろうとすると 
 
激しい痛みは襲ってきますが 
 
もうコツは覚えましたから 
 
その痛みはムダにしません。 
 
一瞬の隙をついて立ち上がり 
 
夕方には車を運転できるまで回復して 
 
一安心でした。 
 
そんな経験をして 
 
私の今回の失敗は 
 
社員の言葉と 
 
それに伴いネット記事の記憶が掘り起こされて 
 
それで私は判断ミスをしてしまったのですが 
 
いつも社員には 
 
人の意見に惑わされずに 
 
自分で考えて行動しろ 
 
なんて言っていますが 
 
これがいかに難しい事か 
 
あらためて思い知らされたって訳です。 
 
もう 
 
今後絶対に無理はしません 
 
ただ 
 
いつも痛い思いをした後は同じ決心をしてるんすよね。 
 
その思いが続かないから 
 
人間は失敗しするのです。 
 
また同じ過ちを繰り返すような気がしますが 
 
その時は皆さん 
 
思いっきり笑って下さい。 
 

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水もお金もあるべき流れは決まっています。

2018年08月22日 | 人生一般
水は高いところから低いところへ流れる 
 
水溶液は濃いところから薄い所へ 
 
空気は高気圧から低気圧へ 
 
自然の流れは決まっています 
 
だから私達は自然と共生できるのです。 
 
もし水が低いところから高いところに流れる 
 
なんて事があれば 
 
農業なんてのは不可能ですし。 
 
大体川なんてのも存在しなくなります。 
 
それ以前に雨も降りませんよね。 
 
そんな訳で自然の摂理が決まってるから 
 
私達は安定した生活を送る事ができるのです。 
 
これは社会生活でも同じですよね。 
 
会社の指示系統は 
 
社長から役員へ 
 
役員から部長へ 
 
部長から課長 
 
そして課長は部下に指示する訳です。 
 
またビジネスとして考えれば 
 
お金の流れは 
 
企業は顧客に物やサービスを提供してそれを受け取り 
 
受け取ったお金を社員に給料として分配する 
 
これが自然であり有るべき姿です。 
 
ところが 
 
たまに 
 
このあるべき姿が崩れる時があります。 
 
私の妻の出身地である久米島には 
 
坂道の真ん中でエンジンを切って車を停めると 
 
その車が坂道を遡っていく場所があります。 
 
私も何度か試しましたが本当に坂道を上るのです 
 
実際には目の錯覚って事らしいですが 
 
それだけの事で 
 
単なる農道が観光名所になっています。 
 
この話しは大した問題ではありませんが 
 
津波は水が陸を駆け上って行きますが 
 
これは大災難になりますよね。 
 
そんな訳で 
 
自然があるべき動きをしないと 
 
人間は対応できずに大変困る訳です。 
 
で 
 
人間の作る社会の流れでも 
 
時々逆流現象が起こります。 
 
企業では 
 
会社から社員にお金が流れる 
 
これがあって成り立ってる訳ですが 
 
零細不動産屋では時々 
 
社長が社員に対して 
 
“悪いけど今月は資金が足りないので少しお金を貸して” 
 
なんて言ってくる事があります。 
 
そこまで行かなくても 
 
給料の支払いが出来ない 
 
なんて事はよくある訳で 
 
このお金の流れが止まったり逆流したり 
 
なんて事であれば 
 
大体その会社はオシマイです。 
 
また顧客との関係においては 
 
顧客から会社にお金が流れる 
 
これがあって関係は成り立っています。 
 
これもその流れが途切れると 
 
原則的に関係はオシマイです。 
 
当社の工事業者の中には 
 
かつて不動産屋に工事代金を踏み倒された 
 
なんて人がいますが 
 
踏み倒した人間との関係はそこで終ります 
 
そんな訳で 
 
自然の摂理があるように 
 
私達の社会も同じ摂理があります。 
 
そしてその摂理に抗う動きをすると 
 
災難になる 
 
これはいずれも同じって事です。 
 
お金は自然の水と同じですから 
 
社会生活を平穏に送るには 
 
このお金の流れが健全に保たれる事 
 
これを強く意識しなければなりません。 
 
私の場合は会社も家庭も 
 
しっかりこの流れを意識して舵取りをしています。 
 
私は何度か会社設立以来社員に一度も遅れる事無く給与を支払えた 
 
これが誇りだとこのブログで書きましたが 
 
逆に言えばそれが崩れればもう会社は存在しなかった訳です。 
 
また家庭でも 
 
結婚以来ずっと十分な生活費を妻に渡し続けてきた 
 
だから家庭が崩壊せずに済んでる 
 
そう思ってる訳でえす。 
 
いずれにしても 
 
このお金の健全な流れを理解できないと 
 
会社経営は続きませんし 
 
家庭も崩壊する 
 
これを意識して生きるべきですよね。 
 
私達のお客様の中には 
 
ダンナが借金の生産工場みたいな家庭がたまにありますが 
 
大体悲惨な結果となります。 
 
そんな訳で 
 
水もお金のもあるべき流れを保つこと 
 
これが平穏に人生を送るには 
 
欠かせないって訳です。 
 
 
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今日はブログをお休みさせて下さい

2018年08月21日 | プライベート

昨日従妹が亡くなりました。 
 
私より6歳年下 
 
小さい頃は 
 
私にとっては唯一の妹で大変なついてくれました。 
 
成人してからは自分の生き方を通して 
 
最後は体を壊して亡くなりました。 
 
残念ですが 
 
これも神様が決めた運命です。 
 
そんな訳で今日は大分気持が沈んでいます。 
 
さすがに今日はブログを書く気になれませんので 
 
これで失礼します。 
 
また明日から頑張って書いて行きます 

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自分の物でも無いのに後継者?

2018年08月20日 | 社内事情
亡くなった翁長知事が 
 
自分の後継者として二人の名前を上げた 
 
なんてニュースが流れましたね。 
 
亡くなった方を悪く言いたくありませんが 
 
まぁ不適切ですよね。 
 
民主主義の日本では 
 
誰が次の知事になるかは県民が決める事であり 
 
選ばれるために立候補する権利は等しく県民に存在する訳です 
 
それがまるで自分が残した財産の配分を決める遺言書を作るような行為は 
 
私はどうもしっくり来ません。 
 
幸い今回は指名された二人が辞退するようですから 
 
残念ながら翁長さんの遺言は意味を成さなかった訳で 
 
その意味では私は良かったと思っています。 
 
そんな感じで私は翁長さんの行為には否定的な考えですが 
 
では翁長さんの気持が全く分からないかと言えば 
 
なんとなく想像はできます。 
 
昔中川一郎が自殺した時に 
 
秘書だった鈴木宗男と 
 
息子の中川昭一が激しく争った事がありましたが 
 
後継者を指名しないと 
 
自分を支えてくれた人達が 
 
真っ二つに割れて争う 
 
なんてのは良く見られる光景です。 
 
歴史的にもそんな話しだらけですし 
 
暴力団の分裂抗争も跡目争いに端を発する 
 
ってのは散々起こった事です。 
 
ですから 
 
自分が死んだ後 
 
支えてくれた人達が争って分裂しないためには 
 
後継者をしっかり指名する事は大切でもあるのです。 
 
ただ 
 
私が今回の翁長さんの行為を不適切だと思うのは 
 
オール沖縄と言う言葉を使い 
 
幅広く支持を集める 
 
そんな戦略でのし上がってきたからです。 
 
にも関わらず 
 
国政の小選挙区のように自ら支持基盤の後継者指名みたいな感覚でいるから 
 
私は違和感があるのです。 
 
この話しはこの位にしましょうね。 
 
沖縄の人から誤解されそうな気がします。 
 
私が語りたいのは 
 
後継者なり相続人なり 
 
自ら決めるには 
 
それを所有するのが自分である 
 
これが前提だって事です。 
 
会社であれば 
 
経営者は自らの命が尽きた後の後継者を指名する 
 
ってのはある意味責任ですし 
 
相続財産があればその配分を決めて子供達の争いを避ける 
 
これも義務だと思います。 
 
実際に争いになるのは 
 
その配分を決めないからそうなる訳です。 
 
ですから 
 
財産のある方は 
 
絶対に遺言書は備えるべきですよね。 
 
ところが 
 
今回の翁長知事のように 
 
自分の物ではないのに 
 
その後継者を決める 
 
なんてのも人間社会では良く見られます。 
 
色んな報道を見ると 
 
最近話題になった日大とか 
 
日本ボクシング連盟だとか 
 
あの組織も 
 
どうやら理事長に気に入られられた人達が理事になる 
 
って感じですから 
 
公益法人でもそうなのかと驚かされましたよね。 
 
上場会社でも派閥争いで役員が決まってくようですが 
 
そんな会社から送られて来る事業報告書を見ると 
 
自社株を所有してない人も結構いますね 
 
つまり所有権はないのに経営権を争ってる訳です。 
 
零細企業ひと筋で生きてると 
 
どうもその辺の実態がイマイチ実感として理解出来ない 
 
そんな側面があります。 
 
零細企業は単純ですからね 
 
当社で言えば 
 
所有者は私一人ですし 
 
経営も実際には私一人でやっています 
 
単純ですから 
 
大きな組織のように理解出来ない部分はない訳です。 
 
逆に言えば私のように理解できる範囲で生きてると 
 
理解出来ない世界は怖くて足を踏み入れる事はできません。 
 
例えば 
 
私達は普通に飛行機の乗りますが 
 
世界中を飛んでる飛行機 
 
これが全て地上に降り立つ事はできないんだそうです 
 
空港のスペースに限りがありますから 
 
一定割合で空にいて貰わなければならない訳です。 
 
この話しを聞けば 
 
恐ろしいですよね。 
 
隕石が降って来る事になって 
 
皆地下に避難しましょう 
 
なんて事になっても 
 
一定の人達は飛んでる飛行機の中で死ぬ訳です。 
 
まぁこんな事は起こらないと思ってますから 
 
皆安心して乗ってる訳ですが 
 
会社経営は 
 
日ごろ意識しない危険が実際に降りかかる事がよくありますよね。 
 
企業は大体借入金で資金を回していますが 
 
ある日その流れが途切れてしまえば倒産します。 
 
私が知ってるあるゼネコンは 
 
何十年も自動的に融資をしてたメインバンクが 
 
手形を落とす数日前に 
 
突然融資を断って来て 
 
結果資金の手当てが間に合わずに倒産しました。 
 
こんな感じで 
 
大きな会社でもその生死は銀行に握られてる 
 
これが分かってますから 
 
私自身は 
 
銀行に頼らずに生きられる零細企業道に邁進してる訳です。 
 
ただし 
 
資金の問題はありませんが 
 
私の命が突然尽きる事はありますから 
 
そろそろ後継者の事も考えた方が良いのかな? 
 
なんて思ったりしています。 
 
 
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零細不動産屋がチョロチョロすれば先は見えています

2018年08月19日 | 不動産業界

たくさんの家主さんにお世話になっていますが 
 
残念ながら皆さん時が来れば遠くに旅立ってしまいます。 
 
そうなれば相続の手続きになります。 
 
税務申告は税理士さんに任せますので 
 
私たちと税理士さんと相談しながら 
 
最善の道を探る事になります。 
 
つまり 
 
地主とすれば 
 
税理士と不動産屋 
 
両輪になって自分達にとってベストな仕事をして欲しい 
 
そう期待してる訳です。 
 
が 
 
具体的には書けませんが 
 
最近少し信じられない話しが耳に入りましたね。 
 
ある相続案件で 
 
当社が連絡を取り合ってた税理士 
 
私たちを飛び越して 
 
地主に売却話しを持ち込みました。 
 
自分が知ってる建て売り屋に売却すれば 
 
手数料がかからないから 
 
ハウスショップさんに内緒で売却しましょう。 
 
って訳です。 
 
まぁしかし本当にそれが地主の利益になるのであれば 
 
私たちは潔く引き下がります。 
 
しかし地主さんがわざわざその税理士の言葉を私たちに伝えたのは 
 
当社とは20年以上の付き合いがありますから 
 
ある意味税理士より当社を信用したって事です。 
 
で 
 
税理士が持って来た買い付け証明 
 
これを私たちに見せてくれました。 
 
すると 
 
確かに手数料はかからないかも知れませんが 
 
いかんせん価格が安すぎます。 
 
でその事を伝えると 
 
地主さんがその買主に電話してくれました。 
 
税理士の紹介ですが、その先生には内緒でハウスショップに会ってくれ 
 
って言ってくれました。 
 
で 
 
しばらくして 
 
その建て売り屋がやってきた訳です。 
 
そして 
 
当社としては 
 
お宅を優先するにしても 
 
価格は他の買手の値段に合わせて欲しい 
 
って言いました。 
 
するその業者の口から 
 
とんでも無い話ポロッとが出てきました。 
 
“先生の謝礼が大きすぎて買い上げができないんです” 
 
って 
 
これはダメですよね。 
 
つまりこの先生は欲が深すぎる訳です。 
 
自分本来の仕事でも大きな収入が入るのに 
 
売買までからんでウラ金を要求してる訳です。 
 
大変儲かってる先生ですが 
 
儲かってるにはワケがある 
 
これを改めて知らされました。 
 
まぁしかしこれが不動産の世界です。 
 
私たちも建築の相談を受けて建築屋を紹介すれば 
 
紹介料が入りますし 
 
私が知ってる上場会社のハウスメーカーの社員の中には 
 
逆に自らが客を不動屋に紹介して 
 
個人のウラ金作りに熱心な人もいます。 
 
この話し 
 
単に汚い人間達 
 
そんな風に捉えては大間違いです。 
 
元来人間はそんな生きものなんです。 
 
私が欲と欲がぶつかるのが不動産の世界 
 
そんな風に言うのはこれが自然だからです。 
 
ただ 
 
だから 
 
しっかり筋を通して正道を歩けば 
 
逆に私たちのような零細企業も支えてくれるお客様がいる訳です。 
 
全く知名度はありませんが 
 
今回のように 
 
社会的信用度の高い先生よりも私たちを信用してくれる 
 
こんな事も起りますし。 
 
大手の会社や 
 
あるいは農林水産省系の組織と競合しても 
 
滅多に負ける事はありません 
 
逆に言えば 
 
私が欲に負けて 
 
ちょろちょろした仕事をしていれば 
 
今の当社は無かったと思っています。 
 
いずれにしても 
 
一般のお客様は 
 
自分の利益を最大限に守ろう 
 
なんて思ったら 
 
社会的な評価や知名度 
 
そんなものに頼り切らない事ですね。 
 
頼り切る事はある意味楽ですが 
 
それが 
 
自らの損失をもたらす 
 
間違い無く存在するのが 
 
この不動産の世界です。 

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親切な不動産屋? いいえただ思い込みが強いだけです。

2018年08月17日 | お客色々

私達の仕事で注意しなければいけない事のひとつに 
 
一般的な常識をお客様に押し付けてはいけない 
 
って事があります。 
 
私自身若い頃はこの理解が足りずに随分失敗をしました。 
 
私達人間は 
 
一人一人脳の構造が違いますし 
 
またこの脳の違う人達が集まる家庭 
 
ってのは一つとして同じ物はありません。 
 
って事は 
 
家庭の数だけ価値観や事情が違う訳で 
 
その事をしっかり理解しないと 
 
つい自分の視野から物事を見て 
 
それをお客様に押しつけてしまう事になります。 
 
この押しつけタイプはゴルフでも嫌われますが 
 
顧客と言う立場になれば 
 
自分たちの事情を理解せずに 
 
物事を押しつける営業マンは 
 
役立たずって事になります。 
 
なんでそんな役立たずの営業マンがいるかと言えば 
 
勘違いしてる訳です。 
 
自分を勝手に高みに置いて 
 
お客様に教えて上げる 
 
そんな高慢な心理があるのです。 
 
よく高齢の不動産屋が 
 
若い顧客に説教口調で話すのは 
 
これによって自分は親身になってると思われ感謝される 
 
感謝しないとすれば 
 
その顧客が未熟 
 
そんな風に思い込んで取れないのです。 
 
顧客が未熟どころか 
 
その高齢不動産屋は 
 
人生で何も学ばなかったのか? 
 
って思える位に幼稚ですよね。 
 
お客様から感謝されてるはずなのに 
 
いつの間にか経営が苦しくなり 
 
消え去る 
 
当社の地域にもたくさんありました。 
 
そんな訳で 
 
自分の価値観の押しつけは 
 
不動産屋の破滅の方程式 
 
そうも言える訳ですから 
 
しっかり頭に叩き込みたい物です。 
 
例えば 
 
せっかく家を買って貰ったのに 
 
実際住んでみたら 
 
道路の音がうるさくてその家を手放したい 
 
なんて言って来る事があります。 
 
こんな時に 
 
その地域にはたくさんの人が問題なく住んでる訳ですからガマンした方が良いですよ。 
 
なんて言いたくなりますが 
 
が 
 
これはダメですね。 
 
普通の人が気にならくても 
 
本人は家を売るほど苦痛な訳です。 
 
どうしてそうなのか? 
 
それは精神が不安定になってるからです。 
 
この事を自分で良く分かってるから 
 
大金を失っても 
 
回避方向に進もうとしてる訳です。 
 
客観的に見たら大した問題でなくても 
 
人によっては深刻 
 
これが私が言う脳の多様性故の問題です。 
 
ですから相手の脳に思いを巡らす事なく 
 
自分たちの脳の基準でそんな人に押しつけては大間違いです。 
 
私達が気を付けるのは 
 
価値観の押しつけではなく 
 
その脳の不調が 
 
契約を妨げる事にならないかどうかです。 
 
こんなケースは 
 
脳の状態が変化すれば 
 
途中で気が変わる事もよくありますから 
 
拙速な行動は止めて 
 
じっくり取り組む 
 
これが大切な訳です。 
 
また 
 
脳は健全でも 
 
お客様が理解不能な行動を取ることはよくあります。 
 
例えば家族は 
 
崩壊する事もあります 
 
その崩壊過程で不動産の売却をする時に 
 
その事情を言いたくない 
 
ってお客様もよく居ます。 
 
そんな時には 
 
一見常識では理解できない行動を取りますが 
 
それに対して自分の狭い視野から接しては失敗します。 
 
私が若い頃失敗したケースは 
 
お客様が家を買い換えたい 
 
なんて相談が来ました。 
 
このお客様は別のお客様の紹介ですが 
 
残債が多かったために 
 
買い換えてもむしろレベルダウン 
 
この事に意識が行き過ぎて 
 
この買い換えを強く止めるように言った事があります。 
 
私はお客様のためを思って言ったのですが 
 
お客様は 
 
とっとと他の不動産屋で売りに出しました 
 
まぁ私自身は当時 
 
自分が納得できない仕事はしない 
 
なんて思って 
 
あえて悔しさを抑えていましたが 
 
その家を売却した後の結末を 
 
後日紹介してくれたお客様から聞く事ができました 
 
奥様同士が仲が良かったのです。 
 
で 
 
私の事を 
 
“あの男はせっかく相談に行ったのに売却を拒んだ” 
 
って言ったそうです。 
 
まぁ実際に売却を拒みましたからね。 
 
そう言われてしまえばその通りです。 
 
ただ 
 
そのお客様には特別な事情があったのです。 
 
具体的には 
 
一緒の空気も吸いたくない 
 
って程夫婦仲がこじれてましたが 
 
その理由が生々し過ぎて 
 
とても私には言えなかった訳です。 
 
ですから 
 
買い換えたい 
 
なんて格好付けて売却理由を言った訳ですが 
 
実際には 
 
売却して別々に暮らせばもうそれでオシマイ 
 
って訳です。 
 
私はそんな事情に思いが至らず 
 
ただお客様の口から出た買い換えって話しを鵜呑みにして 
 
せっかくのビジネスチャンスを失っただけでなく 
 
紹介者の顔もつぶしてしまった訳です。 
 
そんな訳で 
 
お客様は 
 
不動産屋に言えない事情をたくさん抱えてやってきます。 
 
その事情が分からないのに 
 
上から目線で 
 
一般的な話しで 
 
自分の考えを押しつけては 
 
不動産屋は失格 
 
って話しです。 
 

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伊是名島で気づいたこの仕事の面白さ

2018年08月16日 | プライベート
夏休みが終り 
 
今日から営業再開です。 
 
私はいつものように4泊で沖縄に行って来ました。 
 
1泊目は那覇で懇親会がありましたので 
 
ホテルで宿泊しました。 
 
2泊目は実家に泊めてもらい 
 
3泊目は兄弟5人で伊是名島に行きました。 
 
この伊是名島 
 
初めて行きましたが大変良かったですね。 
 
運天港からフェリーで1時間 
 
そこには沖縄の原風景が残っていて 
 
感動しました。 
 
海は私がこれまで見た中では一番綺麗でした。 
 
しかし小さな島です。 
 
すぐに島全体を巡り終え 
 
民宿に戻って夕飯を食べて寝る事になりました。 
 
私は夜遅くまで語らいたかったのですが 
 
兄弟はもう歳をとってしまいそんな元気はありません 
 
9時には部屋に戻り床に着きました。 
 
早いですが私がずっと一人で運転していましたの 
 
疲れていますからすぐに眠りにつきました。 
 
で 
 
約1時間後 
 
突然目が覚めました 
 
理由は同じ民宿に泊まってる若い人達が 
 
大声で騒いで盛上がってるからです。 
 
あまりにもウルサイので注意しにいこうかと思いましたが 
 
良く考えれば年寄りと若者 
 
元々生活リズムが違う訳ですから 
 
であれば 
 
ここは一つ相手の事も理解して 
 
せっかくの楽しい旅行に水を差さないように 
 
って思い直してガマンしました。 
 
その後しばらく騒いでましたの眠れませんでしたが 
 
12時前には静かになりましたので 
 
まぁ私の普段の就寝時間ですから 
 
一安心です。 
 
翌朝になればまたフェリーに乗って本島に戻る訳ですから 
 
アパートの騒音問題に比べれば大した話ではありません。 
 
でその後爆睡して 
 
翌朝起きると 
 
兄弟達が騒いでいます。 
 
年寄りですから早く寝ますが 
 
目が覚めるのも早いので 
 
港に散歩に行ったそうです。 
 
その港に 
 
帰る時に乗るはずの船が止まってないのです。 
 
船が無ければ帰れませんからね 
 
大変困る事になります。 
 
兄夫婦も姉夫婦も仕事やらなんやら 
 
色んな予定が入っています。 
 
特に姉は8番目の孫の出産予定日になってますから 
 
大事です。 
 
でしばらくすると 
 
島の防災放送がありました。 
 
船は強風のために島に戻れず 
 
その日は欠航になったとの事です。 
 
がっかりです。 
 
予定が狂うだけでは無く 
 
もう見るところはありませんし 
 
1日時間をどうやって潰すか 
 
これも大問題です。 
 
が 
 
この心ならずも延びた予定 
 
これによって 
 
私は色んな事を学ぶ事になります。 
 
まず 
 
この余分な一日は 
 
それによって自分の内面が大きく変わります。 
 
具体的には 
 
それまでただ大慌てで車を走らせ 
 
海だの展望台だのと廻ってましたが 
 
見るところがないとなると 
 
それまで全く感心が無かった人に対する興味が湧いてきます。 
 
それまで民宿の主人以外とは話さなかったのに 
 
道で犬の散歩をしてる人に話しかけたり 
 
祭りの準備をしてる人に話しかけたり 
 
牛小屋で働いてる人に話しかけたり 
 
そんな風に自分の興味が観光から人間に移ります。 
 
で 
 
初めて気づきましたが 
 
どんなに綺麗な海でも 
 
すぐに見飽きますが 
 
人間は全く飽きる事はありません。 
 
これに思いが至ったら 
 
毎日色んな人に接する私達の仕事 
 
本当に恵まれてるんだって思うようになりました。 
 
で 
 
最後 
 
また日が暮れて宿に戻ったら 
 
そこには前日私の睡眠を妨害した若者達がいました。 
 
私はもう人を見れば誰でも話しかけるようになってましたから 
 
その子達ともあれこれ話し始めました 
 
すると 
 
驚いた事に 
 
その子達は 
 
私達の町内の子供達でした 
 
村は違いますがその村には私も知合いがたくさんいます。 
 
で 
 
誰を知ってるとかなんとかって話しになるのですが 
 
その子達は 
 
私が良く知ってる青年の身内でした。 
 
こうなれば 
 
もう距離は一気に縮まります 
 
しばらく話しをしましたが 
 
その子は夜釣りに行くと言って 
 
暗い海に出かけて行きました。 
 
人間は不思議な物で 
 
前日の夜は大騒ぎしてるのに腹を立てた相手ですが 
 
知合いの身内となれば 
 
今度は逆にいない事が淋しくなります。 
 
で 
 
私は床について 
 
釣りから戻って来て 
 
また賑やかになる事を期待していましたが 
 
そのまままた爆睡して 
 
翌朝目が覚めると 
 
宿のご主人が心配そうに 
 
“昨日の青年は夜釣りに行って戻ってこない” 
 
って言いました。 
 
こうなると大騒ぎですよね。 
 
でもしばらくして 
 
ご主人の携帯に電話があり 
 
朝まで海で寝てた 
 
って言ったそうで 
 
ほっと胸をなでおろしました。 
 
で 
 
すぐに港に行くと 
 
有難い事に 
 
そこには帰りの船が待ち構えて居て 
 
そのままそれに乗り 
 
私はもう東京に帰る日になってましたので 
 
少し実家に立ち寄って 
 
空港に向かった訳です。 
 
そんな感じで 
 
強風のせいで 
 
一日余分に島に閉じ込められた訳ですが 
 
色んな学びがあった訳ですが 
 
その中でも一番大きな自分に起きた変化は? 
 
このまま永遠に戻れなくてもそれはそれで良いかも・・ 
 
って感情が湧いてきた事です。 
 
今日からまた色んな事が起こりますが 
 
すべて受け入れてあたふたしない 
 
そう心に決めました。 
 
 
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