駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

罠・・・・10

2020年01月31日 | 社内事情

前日鎌田の所に商談に行ったきり
直帰した山川店長
昼過ぎになって出社して来ました。
山本はすぐに席に駈け寄り
大丈夫ですか?
と尋ねました。
山川は
あぁ大丈夫だ
と答えましたが
山本は奥さんが言ってた体調不良
この理由がすぐに分かりました。
昼過ぎになっても
酒臭かったのです。
多分随意遅くまで飲んで
朝起きられなかったのだと思います。
店長の立場として二日酔いだから遅刻するとも言えずに
奥さんに
体調不良で病院に行くと嘘をつかせてる訳です。
しかしこの予想は正確ではありませんでした。
山川は
妻から電話があったか?
と逆に聞いてきました。
ありましたよ
と山本が伝えると
何て言ってた?
体調不良で病院に行くと・・
すると店長は
やっぱり・・今回は嘘をつく必要は無いからと言ったのに・・
とつぶやきました。
この会話から
山本は山川が親会社で飛ばされた理由は
金では無くお酒
なんとなくそんな気がしてきました。
奥さんは何度も主人の深酒の後始末をしてきて
病気で病院に行く
この嘘が習慣になっていたのです。
山川は今回は仕事でそうなった訳ですから
隠す必要は無い
にも関わらず奥さんは嘘をついた
それに少し不快な思いが湧いてきました。
ですから少し不機嫌でした。
ただ今はそんな話しはどうでも良いことです。
目の前に迫った鎌田と解約問題
これがどうなったか?
山本が聞きたいのはその事だけです。
そして山本がその事を質問しようとすると
店長はその言葉が出る前に山本に指示をしました。
すぐに解約の合意書を作って
まず鎌田の事務所に行き
その合意書に捺印してもらい
そしてその場で500万円の手付け金と
違約金500万円
合計1000万円を受け取って
そのまま千葉の買主の事務所まで行って
お金を渡して解約の合意書を仕上げるようにとの事でした。
店長がそういう風に話しをつけて解約するのは構いませんが
山本の頭にあるのは仲介料です。
ですからすぐに質問しました
当社の仲介料は鎌田さんからはいただけるんですよね。
すると山川は
いや今回は放棄する
その一言を発しました。
山本は失望しましたが
仕方がありません
すべて店長が動いてここまでまとめた話しですから・・
その山本の落胆の表情を見て山川は
この話しは続きがあるから
とにかく急いで解約処理をしてくれ
そして手続きが終ったらすぐに事務所に戻るように言いました。
更に
できるだけタクシーを使って時間を短縮するようにとも
山本はは言われるまま
大慌てで解約合意書を作成して
会社を飛び出しました。
昼飯も食べずに
言われた通り
鎌田の事務所で解約手続きと1千万円を受け取り
それをカバンに入れて電車を乗り継いで千葉の買主の事務所まで行き
解約合意書と現金の受け渡しを終え
また大急ぎで会社に戻りましたが
もう時間は5時前になっていました。
会社に戻ると
また山川は次の指示をしました。
一枚の名刺を差し出し
今解約をした物件を
この法人を買主にして大至急契約書を仕上げるようにとの事でした
訳が分からず
この契約はいつやるんですか?
と尋ねると
今晩8時からだ・・
驚きましたが
山川が自分に解約を急がせた理由も
鎌田からの仲介料を放棄した理由もこれで理解できました。
そして
最後に契約書に記載するために
売買金額と手付け金と残金期日を尋ねると
売買金額は3億3千万円
手付け金は3300万円 残金は10日後
と立て続けに指示しました。
山本は
3300万円を現金で持って来るんですか?
と尋ねました。
すると山川は
手付けは買主の会社の小切手で払う
そう答えました。
まぁしかしこの店長
本当に凄い物です
こんな絵を描いてるとは夢にも思いませんでした。
何か魔法にかけられえたように
山本が指示通り書類を仕上げると
店長はそれに決済印を押して
契約の段取りが整うと
8時前に鎌田と買主がやってきました。
買主はやはり不動産業者です。
住所は渋谷になっていますが
山本はその会社名を聞いた事がありません。
契約に来たのはその会社の代表者ではなく永井と言う社員です。
年齢はもう還暦を過ぎてるかどうか
って感じでした。
営業部長と名刺の肩書きには書いてありました。
鎌田も同じ肩書きの名刺を持って歩いていましたが
今回の営業部長は
鎌田とは違い明らかに雇われで
しかもこの契約は自分でも全く把握しておらず
ただ上司から言われて手続きに来た
って自分の口から言っていました。
実際に山川とも初対面でその場で名刺を交換していました。
山本も名刺を交わすと
すぐに契約に入りました。
最初に重要事項説明書を手渡し
読み合わせに入ると
店長が
読み合わせは必要無いから捺印だけもらいなさい
そう言って来ました
永井営業部長に
それで良いですか?
と確認したら
それには答えず
かばんから会社のゴム印と角印を取り出して
読み合わせは大丈夫ですから
捺印も山本さんの方でお願いします
と手渡されました。
それを見て鎌田も
社印とゴム印を取り出し
私の分もお願いします
と言って来ましたので
山本は必要箇所に次々に判押して
あっと言う間に重説は終りました。
そして
次に契約書の読み合わせをしようとすると
永井は
金額だけ確認させて下さいと契約書を見て
それから
結構です
こちらも山本さんで捺印して下さい
そう言って来ました。
そして鎌田を見ると
鎌田も
私の分も山本さんでお願いします
と言われ
あっと言う間に契約書の作成も終わりました
それから
捺印して貰った書類をコピーして
小切手と領収書を交わして
契約は終りました
時計を見ると
8時20分
鎌田はこれまで毎年30件ほどの契約をしてきましたが
大体2時間くらいかかりますので
最短記録の契約になりました
しかも売買金額となれば
それまでの最高額は1億1千万円でしたので
こっちも一気にその記録を3倍に伸ばしたのです。
契約が終ると
永井はすぐに会社の電話を借りて
上司に契約が終了した事を伝えました
そしてそのまま
御礼の挨拶をして帰って行きました。
まるで嵐のようにあっと言う間に終った契約
応接室には
山本と山川 それに鎌田の3人が残りました。
そして鎌田がその場で応接間の電話を借りて
ある人に電話をかけました。
会話の中身は聞こえてきますので
なぜ鎌田が解約を申し入れて来たか
あるいは今回契約を大急ぎで行った理由
すべて理解できました。
鎌田が少し相手とモメてるのが伝わって来ました。
最後は
“社長もう終った話ですから諦めて下さい”
そう言って電話を無理矢理切りました。
電話の相手は不動産屋です。
その業者は
鎌田が2億7千万円で契約した後
3億で買手を見つけた
そう言って買い付けを持って来たのです
それを見て
鎌田は
500万の倍返しをしてもそっちの方が得
そう判断して解約を申し出たのです。
鎌田の事務所に押しかけて
その話を詳しく聞いた山川は
前もって描いていた絵を実行に移し始めました。
それは
ゴルフ場時代に知り合った某銀行の役員からの情報でした
株価が上昇したために
銀行は資金がダブついていて
融資の拡大のために
その銀行が力を入れてる融資先がある事
事業物件があれば
ある程度自分の裁量で買わせる事ができる
そんな話しでした。
そして年末に
その会社の社長に会って
今回の物件の
3億3千万の買いの意思を確認していました。
昨年の内に契約しなかったのは
今のまま千葉の不動産が売主で契約してしまうと
万一鎌田が解約してきたときに
この話しがすべて壊れる事になりますし
面倒な事になりますから
あえて年明けまで引っ張っていたのです。
そして鎌田が解約するとすれば
鎌田の希望通り3億の買主が現れた時ですから
その時には
こちらは更に3千万高く売れるので
その話しも壊す事ができる
そう考えたのです。
そして
実際に年が開けて
山本に鎌田から解約の電話がかかって来た時には
“よしっ”
って言葉がつい口から出たのです。
そして鎌田の事務所に行ってその話しをすると
鎌田としてはもちろん山川の話に乗りたいが
実際に3億の契約を断わってしまってから
山川の話もキャンセルになれば困るので
契約が終ってから先方には断わる
そう言って来たのです。
そして
先方の契約は明後日に迫ってましたので
山川はその後
買主と銀行の役員を交えて食事をしながら打ち合わせをしたのです
そして
その話しを固めるために
鎌田にも協力してもらいました。
明洞に連れて行ったのです。
鎌田にそれぞれに20万円を入れた封筒を用意してもらい
すべては計画通りに進み
見事翌日契約となったのです。
さすがに遅くまで動いた山川は
朝起きるのがキツくて
契約にギリギリ間に合うお昼に出て来た訳です。
それと山川が
あえて千葉の知合いの不動産屋の契約を解約して
鎌田と直接契約する事にしたのは
もう一つ大きな理由がありました。
それを山本は10日後の決済の翌日に知る事になります。

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罠・・・・9

2020年01月30日 | 不動産業界

日本のバブルと言えば
一般的には1986年から1991年って事になってますが
しかしこの時期は不動産売買の現場の感覚とは少しずれています。
山本が鎌田に賃貸マンションを買って貰ったのは
1985年の初頭ですが
その頃には都心の土地の取引はもう活況を呈していました。
ただそうは言っても
極端な値上がりは起きておらず
高度成長期のような土地転がしで不動産屋が儲かるには至っていませんでした。
鎌田は決済後に2億4500万で買ったマンションを
3億で売りに出しましたが
実際にはその価格では買手は見つかりませんでした。
山本に鎌田から久しぶりに電話がかかって来たのは
その物件が半年ほど晒し物件になったその年の秋でした。
用件は損をしない程度の値引を考えているので何とか売って欲しい
との事
原価の全てを知ってる山本は
2億7千万なら損は出ないと思うのでどうかと提案しました。
すると山本は
早めに契約できるのであればそれで良いと言って来ました。
その話しを聞いて
山本は店長の山川に報告すると
それまで退屈そうにしてた山川が
突然やる気を出して
部下に全員集まるように声をかけました。
そして緊急会議となり
この物件を最優先に営業するように指示しました。
営業マンは全員その指示に従ってすぐに動きましたが
残念ながらその物件はすでに出回ってますので
3日たっても具体的な話しは出て来ませんでした。
山本もそれなりに営業活動をしましたが
結果は他の営業マンと同じでした。
その様子を見て
山川は意を決したかのように
ある人に電話をかけ始めました。
30分ほど話して電話を切り
すぐに山本を呼びました。
そして思いがけない言葉を口にしました。
2億7千万で買い手を見つけたから
鎌田に電話をして契約の設定をするように指示したのです。
それまで生理的にも好きになれず
仕事も無能だと思ってた山川店長を
初めて山本が一目置くようになったのはこの時からでした。
ただし
山川からは条件が付きました。
それは手付けは500万
それと違約金も同額
決済は4ヶ月後
その条件で山本はすぐに内容を理解した。
つまり山川は
手付け500万で知合いの業者に抱かせ
決済までに売却をすると約束したのです
万一上手く行かなければその500万は泣いて貰うが
その時にはこちらも仲介料を放棄するし
その埋め合わせは必ず後でする。
そんな約束を買主にしてたのです。
綱渡りではあるが
仲介の担当としては美味しい話しなので
山本はすぐに鎌田に電話して
その条件でどうか打診しました。
喜んで即断するかと思っていたら
1日だけ考えさせてくれとの返事が返ってきました。
そんな時には大体断り
これが不動産屋の脳には潜在的に植え付けられてので
少し落ち込みましたが
これ以上強く押す事もできないので
そのまま店長に報告すると
山川も意外だったようで
俺が鎌田さんに電話してみる
と言って電話をかけました。
そして
それから30分ほど電話は続いて
また山本は店長に呼ばれました。
その口から出た言葉も更に意外な物でした。
“明日契約する事になったからすぐに準備にとりかかれ”

今度は一目どころか
この店長は能力は高いのにそれを今まで見せなかった
なんてすごい人だ
と尊敬の気持が湧いてきました。
いずれにしても山本は
感謝するしかありません。
翌日予定通り契約するために鎌田と買主の不動産屋が店舗の応接間に集まりました。
その時に初めて買主と店長の関係が分かりました。
買主は不動産の免許を持っていますが
実際には千葉のターミナル駅に不動産を複数所有する資産家で
年齢は70歳を超えています。
自社ビルの管理
これが主な業務内容です。
山川店長との関係は
店長がゴルフ場の支配人をやってた時にはすでにそこのメンバーで
一時理事もお願いした関係で
大変仲良く付き合ってたそうです。
そんな訳で
突然山川が持ち込んだ話ですが
最悪500万円の損害であれば
この話に乗ろうと決めてやって来た訳です。
そして無事契約が終りましたが
今回は鎌田から明洞への誘いはありませんでした。
まぁそれはそうですよね。
この契約
損はさせてませんが
儲けさえても居ませんからね
儲かったのは2回も高額物件の両手契約をした山本だけ
逆に接待しなければならない立場です。
そんな訳で少し鎌田に後ろめたさもありますが
何もこちらから頼んで鎌田に買ってもらった訳ではないので
これもビジネスと割り切る事にしました。
それよりも鎌田は重荷が下りて嬉しそうでしたからね。
それはそれで良かった
そう思って笑顔で握手して分かれました。
そして
店長は物件を抱いてもらった業者に3億3千万円で転売を約束してましたので
山本もすぐに動こうとすると
意外にも山川は
おれが動くからお前は何もするな
と言ってきました。
元々は自分の担当ですが
こうなればもう主導権は店長にあります。
ですから分かりましたと言うしかありませんでした。
大体3億でも売れなかった物件ですから
それを更に3千万円も高く売る
元々無理な話だと思っていました。
それにしても店長の行動も理解不能です。
決済まで4ヶ月しかありませんので
本来大慌てで動かなければならないのに
何もしないのです。
これではこのまま手付け放棄解約になり
500万円の違約金では
鎌田からも仲介料は貰えませんので
山本の売上が幻に終る
そんな可能性が高くなります。
ですから毎日店長の動きをやきもきして見てるのですが
山川は全く動く気配はありませんででした。
そうこうしてる内に年が明けて1986年になりました。
正月休みが終わり山川の様子の変化を期待していましたが
店長は相変わらず動きません
そんな中でも他の仕事もたくさん押し寄せてきますので
あっと言う間に1週間が経過しました。
その頃
鎌田から電話がかかって来ました。
山本が受けると
信じられない話しでした。
それは
違約金の500万と仲介料を払うので解約する
って内容でした。
全く予想外の展開です。
山本は訳が分からず動揺しましたが
この案件は山川が主導してまとめたので
山川に報告してからまた電話する
そう言って店長に駈け寄り報告すると
山川は
大きな声で
“よしっ!”
って叫びました
解約なのに? なぜ?
鎌田からの解約であれば
片手の仲介料は確保できます。
もしかしたら山川は最初からそれを狙ってた?
まぁしかし少し考えれば
買主からの解約であれば1円の収入にもならない事になっていますから
この解約は見方によっては大変有難い話しです。
売主からの解約であれば
片手の手数料だけではなく
可能性の低い転売の心理的負担から解放されますので
それは店長からしてみればベストの結果
だからそれを予測して
店長はあえて転売をしなかった
ここまで思いが至ると
生理的に嫌いだった店長の外見も
格好良く見えてきました。
ところがその店長は
山本の想像を超えた大きな絵を描いていて
まさにその書いたとおり事が進んでいたのです。
山本の報告を聞いた店長は
おれが鎌田さんに電話するから
と言ってすぐに鎌田に電話をかけました。
しばらく話した後
鎌田さんに直接会ってくる
そう言って出かけて行きました。
山本は店長の報告を聞くために帰りを待っていましたが
出かけてから4時間も経つのに
戻ってもきませんし
一本の電話もありません。
時計を見るともう7時です。
今晩は帰りが遅くなるかもしれない
そう思って妻には先に電話を入れてありました。
その時に店長からやっと電話が来ました。
それを他の社員が受けましたが
用件は直帰するので全員9時になったら帰宅するように
との事でした。
自分が受ければ結果を聞いたのに・・
仕方がありません
山本はモヤモヤした気持を抱えたまま家に戻り
良く眠れないまま翌朝いつもより早く出社しました。
そして店長の出社を待ってると
会社の電話が鳴りました
受話器を取ると中年の女性です。
山川と名乗りましたので
すぐに店長の奥さんだと分かりました。
内容は
少し主人は体調が悪く病院に寄ってから行くので
出社は午後になる
そんな話しでした。
山本のモヤモヤは続きますが
当時は携帯電話がありませんので
ひたすら待つしか選択肢はありませんでした。

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罠・・・・8

2020年01月29日 | 不動産業界

山本は年に2~3回東京にやってきますが
いつも使うのは普通電車です。
学生の身分ですから交通費はかけられないのです。
ですからいつも
片道9時間の道のりです。
ただその時間が苦になる事はありませんでした。
電車の中は集中して読書をしたり勉強をしたりできますし
そして疲れたら眠る
電車に揺られての睡眠は本当に心地良いものです。
ですから山本は電車の長旅は逆に好きな時間です。
ただ途中空腹が襲いますので
駅で立ち食いそばを食べ
駅のホームの売店で菓子パン1個とコーヒー牛乳を買って
小腹が空いたら食べる
これがいつもの習慣でした。
ただ今日は明美が朝食を用意してくれたために
山本は西武新宿線の新宿駅から。
徒歩で少し離れた国鉄の新宿駅に向かい
そして新宿から中央線に乗り
東京駅で東海道線に乗り替えました
電車に乗ると珍しく席は空いていて
すぐに窓側の席に腰掛ける事ができました。
いつもはまず立って
それから席が空いたら座り
その席が窓際でなければ
窓際に移るのですが
その日はすぐに際の席が確保できたのです。
しかし今回は
どうも勉強をする気にも
本を読む気にもなりません。
睡眠不足のせいか
頭がボーッとして
しばらくぼんやりただ窓の外を眺めていました。
電車が多摩川を渡った辺りから
さすがに住宅が延々と続く景色に飽きて
カバンの中から本を取り出そうと開けると
驚いた事に
中ではコーヒー牛乳の瓶が割れ
本がベチャベチャに濡れていました。
原因は慌てて電車に乗るときに
カバンを一度落としてしまったからです。
どうしょうか迷いましたが
学生は金はありませんが時間はあります
次の川崎駅で降りて
割れた牛乳瓶をゴミ箱に捨て
そしてタオルでバッグの中を拭きました
それからまた次の電車に乗ると今度は席は満席で座る事ができません。
立ったまま本を読む気にもなれずに
ドアに寄りかかるように立ってまたぼんやり外を眺めていました。
すると後ろの席に座ってる親子4人の家族連れが
楽しそうに話してるのが耳に入ってきました。
どうやら札幌オリンピックに行った帰りで
子供達が初めて羽田から乗った飛行機の事を
興奮しながら話していました。
そして
小学3年生位の男の子が言った言葉が心に残りました。
”成田空港が出来たら連れて行ってね“

その時に山本の心が少し揺れました
自分が正しいと思ってやってる事が
もしかしたら普通の人達の幸せを壊してるのかも知れない
その家族は横浜で降りましたので
山本はその空いた席に座り
本を読もうと思いバックを開きましたが
コーヒー牛乳で汚れた本を読む気にもなれず
また閉じてしまいました。
こうなると
もう長時間の旅は睡眠がメインになります。
まだ寝る時間ではありませんが
目を閉じました。
しかし
睡魔はやってきません。
睡魔はやって来ませんが
頭の中は色んな思いが駆け巡ります。
実際には色んな事ではありません
明美の事がその大部分を占めていました。
初対面でありながら
一緒の部屋で一晩過ごした
女性との付き合いの経験の無い山本にとっては
それだけで一生忘れられない出来事になりました。
自宅に戻ったらまず御礼の手紙を書いて
また少し置いて
改めて自分の思いを手紙にして伝える
そう決心しました。
しかし
問題は学生運動です。
わざわざ三里塚まで来た明美が
自分がもし学生運動を止めると言ったら失望するのでは無いか?
迷いと葛藤
これが少し山本を苦しめました。

その日の夜
自宅に着くと
すぐに明美に手紙を書きました。
泊めてくれた御礼と
朝食をいただいた御礼
これをできる限り心を込めて文章にしました。
そして翌朝ポストに投函して
返事を待っていました。
すると返事はすぐに帰って来ました。
その中には
大した事はしてないと言う謙遜と
次に上京する時には知らせて欲しいと書いてありました。
それは
山本が一番期待していた一言でした。
そして
また山本はすぐに返事を書きました
卒業したら東京で就職したいので
その職探しのために
4月になったら上京するので
その時に一度会って欲しいと・・
そして
あえて学生運動については触れませんでした。
迷ってる自分の気持が伝わると
明美の心が離れて行く
これを恐れたのです。
そして
それをポストに投函して
明美の返事を待ってると
とんでも無い事が起こりました。
あさま山荘事件です。
三里塚の自分と同じヘルメットと顔にタオルを巻いた男達が
人質をとって別荘に立て籠もり
それをテレビが連日大写しで実況し続けました。
山本も毎日テレビの前で釘付けで見ていました。
それにしても衝撃的なシーンの連続でした
大きな鉄球で山荘を破壊する重機
放水する警察
そして突入のために近づく警官に
立て籠もり犯は次々に発砲し
警察官もその都度たんかに乗せられて戻ってきました。
最後は放水でずぶ濡れの犯人が次々に捕まり
その都度画面に顔が大きくアップされて
歴史に残る大事件は9日間もの時間を費やして
一応の終わりを見ました。
3人もの警察が殉職すると言う大きな犠牲を払ってやっと迎えた終焉でした。
その間明美からは返事はありませんでしたが
特にそれを気に病む事もありませんでした
それほど山本にとっても衝撃的な事件だったのです。
そして
自分の中でそれまでの価値観が大きく崩れる
これもはっきり理解できました。
今までやってきた事は間違っていた
と確信しました。
もし明美が変節した自分を受け入れられないのであれば
それはそれで仕方が無い
これも覚悟していました。

あさま山荘事件が終ってから3日後
明美から手紙が来ました
内容は
たまたまあの日は興味本位で初めて三里塚に行ったが
自分は一人娘で田舎に両親を残してる事
そして
その両親を心配させる訳には行かないので
もう山本とは会えない事
そして自分は二度と三里塚には行かない
概ねそんな内容でした。
あさま山荘事件が明美をそんな気持にさせたのは明らかでした。
しかしそれは
山本にとっては逆に有難い言葉でした。
すぐにまた手紙を書きました。
実は前から自分も活動にたいする気持は揺れてた事
そして
今回の事件で
明らかに自分たちのやって来た事は間違ってた
これに気付かされたこと
そんな思いを
すべて書き並べて明美に送りました。
今度はすぐに返事が来ました。
中身はシンプルでした。

分かりました
また上京の時にはご連絡下さい
それだけでした。
シンプルですが
山本にとっては
とても有難く救いの一言となりました。

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罠・・・・7

2020年01月28日 | 不動産業界

明美と山本が出会ったのは千葉の三里塚です
卒業を控えて
学生運動から去って行く仲間が次々に出る中
山本は時々関西からわざわざ三里塚まで足を運んで闘争に加わっていました。
しかし山本には不安と迷いがありましたもう大学4年生で卒業間近ですが
就職活動はしていません。
例えやったとしても公安に名前が知れてる山本は
まともな会社は採用しない
そんな先入観があって
あえてその事からは目を反らしてたのです
しかし
今は同居していますが
大学を卒業したら
家を出るように両親からは言われています。
父親は関西の別の大学の教授をしていて
職場では学生運動には手を焼いていましたが
しかし孝にはその話は一切しませんでした。
好きな道を歩みなさい
これが父親の口癖でした。
ただし
必ずその後の一言がありました。
それは
自分の力と責任で・・
つまり
学生運動に没頭するのは勝手ですが
卒業したら突き放すので
自分の力で生きるように
って話しです。
そんな訳で
卒業が迫り
焦りもありましたが
どうしても金権にまみれた成田空港の開港は許さない
そんな思いが勝って
学生運動から抜けられなかったのです。

明美の名字は佐藤です。
彼女は大学生ではありません
中学を卒業すると
秋田から集団就職で上京して
関東の車の部品工場で働きながら
夜間高校を卒業しました。
そしてその後製造から事務に移った訳ですが
田舎には両親を残して
夢を求めて東京に来たのに
彼氏もできずに毎日悶々と過ごしていました。
もう22歳
山本と同じで少し焦りも感じていました。
そんな時です
同じ会社の10歳年上の男性が声をかけてきたのは
“三里塚に行ってみませんか?”

この男性は
会社の労働組合の幹部で
頻繁に三里塚には出向いていました
その時に見せられた写真には
ヘルメットをかぶって顔をタオルに巻いたその男性が
学生と一緒に角材を持って機動隊と衝突してる
そんなシーンが写っていました。
明美は
三里塚闘争の意味はわかりませんが
何となく
言ってみようかな?
って気になって
もう一人の女性の組合員と一緒に出かけました。
現地に着くと広大な空き地に
機動隊の車がたくさん停まっていて
近くにはたくさんの大きな赤い旗をなびかせ
リーダー拡声器で大声で叫んでる前には
たくさんの若者が座ってその話を聞いていました。。
その日は2月のみぞれ混じりの雨でしたが
若者達はやがて立ち上がり
寒さも濡れるのも気にせず
ショプレヒコールをしたり
また機動隊員の前で
ジグザグに更新して圧力かけたり
そんな事を繰返していました。
その身体からは湯気が立ちこめていました。
明美は身体の芯がブルブルと震える
そんな感動に襲われました。
それと途中には地元の農家の方から
おにぎりの差し入れがありましたが
人生で一番おいしい
そんな有難いおにぎりでした。
そんな事をしてる内に
あと言う間に時間は過ぎて行き
そして最後は
参加者が皆肩を組んで歌を歌い始めました。
その時には
もう明美の身体の中からは
信じられない位の熱い血が
大きく沸騰してるのを感じていました。
これまでの人生で一度も体験した事の無い強烈な感覚です。。
見ず知らずの男性と肩を組み
いつの間にか明美も大きな声で歌っていました。
熱気はありますが
やがて陽が傾くと
一人二人と帰り始めました。
明美も隣で肩を組んだ男性に
有り難うございました明日仕事なのでこれで失礼します。
と言いました
するとその男性も
私ももう戻りますので一緒に帰りましょう
と言って
同じバスに乗り込んで来ました。
そして道中あれこれ話しをしてる内に
興奮が抜けない二人は
何かお互い神様が引き合わせてくれた
そんな不思議な感情が湧き起こってきました。
しかしそれを二人とも口にする事はありませんでした。
明美がその男性にどこまで帰るのか聞いたら
山本は
関西まで帰るけどもう今日は無理なので
新宿の映画館でオールナイトを見て朝まで過ごす
って答えました。
すると明美は
それまで考えた事もない言葉が自分の口から出て
自分自身が驚きました
多分三里塚の興奮が明美を大胆にさせたようです。
“私のアパートは西武新宿線ですからそこに泊まって下さい、服も濡れてますから”
その言葉を聞いて
男性は自分の名前をそこで初めて名乗りました
山本孝だと
それまでは明美にどこか警官心もありました
公安のスパイがたくさんいた時代です。
しかし
初対面の自分に心まで心を許す
であれば
自分も晒さねば
そんな気持になったのです。

明美のアパートは西武新宿線の鷺ノ宮駅から歩いて10分位の場所にありました。
住宅街で西武池袋線の中村橋までも同じ位の距離でした。
アパートは1階の共同玄関から入り
その横にある部屋ごとの下駄箱に靴をしまい
それからスリッパに履き替え
2階へは共同階段で上るようになっていました。
2階には共同の流しとトイレが二つずつありました。
共同で使える洗濯機も2台置いてありました。
共同ですが4つの部屋しかありませんので
それで十分って感じでした。
そして明美がカバンから黄金色の真鍮で出来た大きな鍵を取り出し
部屋を開けると
そこはすぐに6畳の畳間が広がっていました。
入り口にはほんの僅かのスリッパを脱ぐための板貼りの床とその横には
小さなガスコンロが一つだけ置いてありました。
部屋の中には小さなラックと
その上にはタオルを敷いて少しばかりの食器が積んでありました。
そして畳の上に新聞紙を敷いた炊飯器
真新しいコタツもありました。
カベにはハンガーに吊したたくさんの服が掛かっていました。
窓は木枠で半分は磨りガラスが埋めてありました。
雨戸は木でできていますが外側にはブリキの板が貼ってあって
台風にも耐えられるように作られていました。
少し明美と話しをしてから眠りたかったのですが
事前に明美からは
アパートは会社の借り上げ社宅で
入居者は全員同じ会社の女性である事
そして男性を連れ込む事は固く禁じられてる事
さらに禁じられても
時々男性を泊める人がいる事
そんな話しを聞いていました。
そして
アパートの同僚は全員そのアパートを出て
誰にも遠慮する事無く友達が泊められる
そんな普通のアパートに引っ越すのが夢
そうも語ってました。
ですから
アパートの中では
とにかく音を立てずに
静に速やかに寝る
って約束でした。
食事は途中の中華食堂で醤油ラーメンを食べて来ましたので
準備は万端でした。
明美はコタツの脇の僅かなすぺースに布団を敷いて
そこに寝るのがいつもの習慣です。
そうすると山本の寝る場所がありませんが
1間の押し入れには布団が入れてありますので
それを明美が取ると
その中になんとか一人は寝れます。
スペースはありますが
寝具は足りません。
余ってるのは毛布一枚と
こたつ布団だけ
毛布を敷き布団にして
こたつ布団をかけ布団にして
山本は歯も磨かず顔も洗わず
コートだけ脱いで
福を来たままそこに潜り込みました。
するとすぐに明美も流しで洗顔と歯磨きを済ませて戻ってきました。
明美は垂れ下がった紐を引いて
蛍光灯の明かりを落としました。
山本にとっては大変有難かったのですが
真冬にコタツ布団一枚では
もの凄く寒く
朝までほとんど寝れませんでした。
明美は何度か布団を貸しましょうか?
って言ってきましたが
その布団を借りれば
明美が毛布一枚になってしまいます。
本当は二人で一枚の布団で寝れば良いのですが
お互い異性と付き合った事が無い者同士
結局その一言を口から出す事無く朝になりました。
すると薄暗い中
明美は早めに起きて朝食を作り始めました。
スクランブルエッグとトースト
それにコーヒーが付いていました。
昨日は気付きませんでしたが
共同の流しの横にはトースターも置いてあったのです。
山本はその時に食べた朝食をはっきり今でも覚えています。
間違い無く人生で一番美味しい朝食でしたから・・
そして
朝食を食べ終わると
山本は明美が止めるのを振り切って
食べた食器を流しで洗い始めました
明美は他の女性に山本を見られたくなくて止めたのですが
若い山本はそこまで思いが至らず
ただ食べ放しでは申し訳無い
そう思って共同流しで食器を洗ったのです。
ただそこは湯沸かし器はありませんでした。
水がものすごく冷たくて
この時に初めて女性の家事の大変さ
これに気付く事ができました。
親元でしか生活した事のない山本にとっては
大変貴重な体験となりました。
幸い他の住民に見られる事無く部屋に戻った山本は
最後にお互いの連絡先を聞いて別れようと思い
明美に電話番号を聞くと
電話は無い
って返事でした。
たしかに良く見るとどこにも電話はありません。
仕方なく住所だけ交換して
すぐにアパートを出て
お互いに職場と関西へと電車で向かいました。

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罠・・・・6

2020年01月27日 | 不動産業界

鎌田との決済を無事に終えて
店に戻ると
店長が駈け寄って来て
思いがけない言葉を口にしました。
 “今鎌田さんから電話があって今晩食事をしたいそうだ、一緒に来てくれ”

鎌田は自分の誘いを山本が店長に伝えないと踏んで
すぐに直接電話した訳です。
山本は少し不快な気持になりましたが
これまでのいきさつを考えると
鎌田はそんなに悪い人間では無い
そう思っていましたので
店長の耳に入ってるのであれば
もう行くしか無い
そう決心して
分かりました
と伝えました。

そしてその日の夜は
店長と二人で6時半に会社を出て
渋谷の指定された割烹料理屋で鎌田と落ち合いました
鎌田は店長に名刺を差し出し
“今回は大変ご迷惑をおかけしました”
と謝ってきました。
店長は無事決済になって良かったです。
と一言
そしてそれからは以前店長が勤務していた親会社の本社が近くにあって
その頃は仕事が終れば
毎晩この辺で飲み歩いてた
そんな感じの武勇伝を語り始めました。
黙って相づちを打つ鎌田
やがて料理を食べ終わると
鎌田が店長に
“近くに面白い店があるんですがいかがですか?”
と声をかけてきました
さすがにもう2時間半も飲んでますから
店長の歳ではにはキツいだろう
と山本は心でつぶやきましたが
その店長は
目を輝かして
“そうですか? 是非連れて行って下さい”
と信じられない返事をしました。
その時に
山本はこの店長の噂を思い出しました。
名前は山川と言って
もともと本社の出世コースでしたが
金銭問題で左遷されて
関連会社のゴルフ場で支配人を5~6年程努めてましたが
そこで売上を伸ばし
不動産販売会社に戻って来た
そんな噂でした。
販売会社がゴルフ場の支配人と比べて出世なのか
あるいは更に左遷なのか分かりませんが
そのゴルフ場時代に腕を磨き
ゴルフはプロ並
そんな話しも耳に入って来ました。
ただ
山川の身長は165cm位で
身体はずんぐり
首は油で太く柔らかく
頭部は薄くなり
とてもアスリートには見えない
そんな男でした
ただ色は浅黒く
顔はいつもテカテカ光っていて
笑うと金歯が見える
この外見に
山本は当初から
・・・・生理的に好きになれない
そんな思いを抱いていました
その山川と山本は3年ほど仕事をしてますが
山本は真面目で
成績もそこそこ上げていましたので
特に店長に叱られたりする事もありませんでした。
前の年に山川の推薦で
主任の肩書きを貰っていました。
年収は600万円
まあ家族三人で暮らすにはなんとかなる
そんな感じで
このまま人生は終るんだろうな
って漠然と思っていました。
ただ
長年の不動産の経験で
この日
鎌田の申し出に目を輝かせてる店長を見て
山本の脳裏には
漠然とした不安が湧いて来ました。
そして
鎌田が店長と山本を連れて行った場所は
予想通り明洞でした。
いつものようにエレベーターで上がると
そこには最初の時と同じで
10人の美女が並んでいました
その端には久しぶりに見る韓の顔がありました。
山本は最初に来た時には緊張してしまいましたが
山川店長はこんな店に慣れてるようで
いきなり韓に対して
“おれこの子指名で”
って言いました
するとママさんが
店長さんゴメンナサイこの子は山本さんの指名なんです
と一言
すると山川店長は
山本を見て
そうなの?
って聞いて来ました
山本はもうその韓にはすっかり冷めていますが
韓がこのハゲチビオヤジに抱かれるのが気の毒になり
軽く頷きました。
すると山川店長は
大げさに
“な~んだオレと山本は女性の好みが一緒なんだ”
これはやばいな~“
と冗談とも本気とも取れない言葉を発しました。
この瞬間
山本は自分の心の中で
この男に対する嫌悪感が更に増すのを感じていました。
そうすると
山川店長は
また並んだ女性を見渡して
気に入った顔の女の子の名前を名札で確認して
“じゃおれはソアちゃん
その子は丸顔の童顔で
まるで中学生かのような可愛らしい顔をしていました。
すぐに席に案内され
韓とソアがそれぞれ席に付いて
またレミーで乾杯しました
山本はもう十分飲んでましたので
口をつけて
そのままグラスをテーブルに置きましたが
山川店長はそのグラスを一気に半分ほど飲みました
一体このハゲデブの内臓はどうなってるのか?
山本は呆れて見ていました。

30分ほどすると
山本は山川に
“済みません今日は少し早めに帰ります”
すると山川は不機嫌そうに
山本この仕事はな、こんな付き合いから金になるんだ
もっと良く見て勉強しろ
と言いました。
自分を昇進させてくれた店長ですから
それ以上強くも言えずに
ではもう少しだけ
って言うと
鎌田が声をかけてきました
山本さんはお疲れですから
今日は勘弁して上げましょう ね?店長
と助け舟でした。
それを聞いて山川は
分かった
と言って
山本に
気をつけて帰れよ
って手を振りました
側にいた韓は
明らかにすねた顔をしましたが
もうそれに心が動く山本ではありません。
エレベーターまで付いて来た鎌田は
山本にまたタクシー券を渡し
今日は本当に有り難うございました
と深々と頭を下げました。
山本は
いえこちらこそ
と言ってすぐにタクシーに乗って自宅に戻りました。

何とか今回は韓とのやましい行為も無く
日付が変わる前に自宅に着きました。
しかし
もう11時半です妻への罪悪感が完全に消えた訳ではありません。
タクシーら降りて
自分の住む階の部屋を見ると
明かりがまだ灯っていました。
妻の明美が起きて待ってる
これに少し気が重くなりましたが
しかし今回はやましい事はありません。
玄関を開けて
ただいま
と軽く声をかけました。
すると明美は
待ちくたびれて
ダイニングテーブルで寝ていました
すぐに山本に気付いて
お帰りお仕事大変ね
って声をかけてくれました。
どこまでも優しい女性です
その時にも山本は誓いました
もう明美を絶対に裏切らないと・・

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罠・・・・5

2020年01月26日 | お客色々

翌朝目が覚めた山本は
鎌田から貰った100万円
これが自分心に重くのしかかってきました。
もし会社にバレたら?
それを思うと
せっかく明美が作ってくれた朝食も喉を通りませんでした。
半分も食べられずに
“ごめん ゆうべ飲み過ぎて”
と言い訳をして家をでました。
出社しても
契約書類の作成やら追客やらやる事が山のようにあるのに
まったく進みません。
仕事が手につかないのです。
韓に関しては
売春婦だと分かって一気に気持が冷めましたから
もう考える事はありませんが
鎌田の行動は朝になって考えると
どうしても附に落ちません。
鎌田は自分に100万もの大金を簡単に渡しましたが
決済は1ヶ月後ですから
まだ取引は終ってないのです?
ヤバイかも・・・
そんな不安が押し寄せて来る中
翌日に迫った一戸建ての契約書を作成していましたが
3.回も書き損じてしまいました。
3枚綴りのカーボン入りの契約書で
高価ですが修正が効かずに
一度書き損じると全て最初からやり直しです。
そして
3枚目の契約書を丸めてゴミ箱に捨てた後
意を決して店長の席に向かいました。
それから
夕べ起こった事をすべて店長に打ち明けました。
ただし
韓との出来事だけはあえて語りませんでした。
店長は親会社から飛ばされて来た人間で
年齢は44歳
鎌田より9歳年上です。
上から下に降りてきたせいか
出世は諦めたようで前の店長のようなガツガツした所はありませんでした。
適当に職務をこなし
あとは好きなゴルフとお酒を楽しみに当たり障り無く定年まで努める
そんな気持がが伝わる雰囲気の男でした。
営業会議も部下を締め上げる事も無く
成績が悪い社員にも
仕方ないね
これだけでした。
ですから山本も打ち明け易かったのです。
打ち明けられた店長も
それをそのまま本部に報告すれば
山本に厳しい処分が下ります。
ですから少し考えて
 “これは仲介料の前払いとして処理しよう”
そう提案してきました。
山本はその言葉に救われました
不正なお金を受け取ったから苦しんでる訳で
それが不正では無く
堂々と仲介料として受け取る
であれば
自分が怯える理由はありません。
店長の提案に頭を下げて
是非それでお願いします
と言いました
鎌田もそれを仲介料として受け取る事に
異議は無いはずです。
しかし
少し問題は残ります。
それは
韓に支払った10万円
それとラブホテル代の3万円
これが自腹になってしまうのです。
毎月妻からは小遣いを貰って生活してますから
その捻出も少し頭を悩ます事になります。
まぁしかし良く考えればカードでお金が借りられますからね
13万円であれば
月々の小遣いから返済できます。
そしてすぐに山本は
ATMで13万円を引き出し
それに残りのお金を足して
合計100万円
会社に入金しました
これでもう誰にも怯える事無く大手を振って生きられる
そう考えると気持が楽になり
書類の作成もサクサク進み
顧客のアポ取りもガンガン電話する事が出来るようになりました。

そして鎌田と取引した契約の決済が2週間後に迫った時に
売主からとんでもない電話がかかってきました
もの凄い剣幕です。
内容は
自分が2億3千5百万で売った物件が
不動産屋に3億で売り情報が出回っていて
何人もいかがわしい人間が訪ねて来る
って話しでした。
これで山本はやっと鎌田が自分に韓を抱かせた理由が分かりました。
鎌田は
手付けを打っただけで
その物件を3億で売りに出し
その買主のお金で決済する
つまり中間省略
今風で言えばサンタメ
これをやってたのです。
山本はそんな話しは聞いてませんので
早速鎌田に電話を入れると
すると鎌田は素直にわびた後こう言いました
それは申し訳ありませんでした
私は転売の契約はしておりませんので
売主さんもしご立腹であれば
手付けの倍返しで解約に応じますよ

それとこのまま契約を続行するのであれば
自分の資金で決済できる
これも伝えてきました。
まぁ冷静に考えれば
売主はいくら怒っても
もし解約するのであれば
契約書にのっとってやるしかありません
その物件を買った人がいくらで売ろうが
違法ではありませんからね。
山本は鎌田の拍子抜けする位に冷静な対応に
自分も我に帰りました。
しかも鎌田は明洞で渡した100万円で脅してくるかと思えば
それには一切触れませんでした。
そしてすぐにまた店長に相談した結果
売主には状況をよく説明して
このまま契約を継続するか
あるいは手付け倍返しで解約するか?
これを選択してもらう
そんな結論になり
店長を同伴して売主宅に向かいました
売主の家に着き通された応接間で
包み隠さずこれまでのいきさつを話すと
売主も今回は大分落ち着いて来て
事情が理解できるようになりました。
それと
飛び込んで来る不動産屋から
どうしてそんな事になってるかも聞いていました。
それは不動産が上がり始めたのです
本当に3億で売れるのであれば
1000万の倍返し2000万を払っても十分得をする訳ですが
残念ながら売主にそんなお金はありません
だからマンションを売るのです
しかもその3億は買い手がついた訳では無く
鎌田が転売のために親しい業者に情報を流しただけです。
その流した業者が勝手に情報をバラ巻いた訳です。
更に売主は貰った手付け金もすでに一部使ってしまいました。
車庫にはクリーム色の真新しいソアラが停まっていました。
実際には解約はできない
でも腹の虫は収まらない
そんな売主がある提案をしてきました
あと1000万買い上げて貰えないか?

そうすればもう一切ガタガタ言わないって話しでした。
それを鎌田が飲むかどうか分かりませんが
一応伝えて見ますと返事をして
一旦会社に戻り
鎌田に電話でその話しを伝えると
いとも簡単に
“良いですよ元々2億5千万円でしたからね”
そう言われて
山本はこれまでの緊張から解かれて
一気に身体が軽くなる
そんな感覚に陥りました。

そして
その後無事決済になり
鎌田と売主は握手を交わして別れました。
それと鎌田には
以前貰った100万円は仲介料の一部として処理してるので
決済の時には100万円を差し引いて持って来るように伝えてありましたので
実際に鎌田はそれを差し引いて
仲介料を持ってきました。
それから
領収証を交わして
御礼を言って分かれようとすると
鎌田が
今回のトラブルでは店長にも随分お世話になりまししたので
ご一緒に一席設けさせて下さい
と言って来ました。
山本は
もう懲りていて
お気持ちだけ店長に伝えます
と言ってその場を離れました
もちろん店長に伝える事はありません
できれば鎌田との取り引きはこれきりにしたい
そう思っていました。
ところが
山本が会社に戻ると
想定できなかった事が起こっていました

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罠・・・・4

2020年01月25日 | 不動産業界

鎌田と一緒に

六本木の明洞にあるビルに着いた山本は

前回と同じようにエレベーターに乗り

鎌田が7階のボタンを押しました

そしてやがてエレベーターの扉が開くと

そこで待っていたのは韓一人でした。

すぐに中に案内され

ボックス席に座って

鎌田がキープしてあるレミーを飲み始めました

契約が終って心地良い疲れが押し寄せ

しかも横には大好きな韓

山本の喉にはお酒がグイグイ入って来ました。

話題は韓の家族の事とか

何で日本に来たのか?とか

そんな話しでかれこれ2時間近く飲んだ後

鎌田が席を立ってママさんとひそひそ話し始めました

そしてすぐに戻って来た鎌田の口からは

信じられない一言が・・

“山本さん話しはつけましたので韓を連れ出して下さい”

と言った後

内ポケットから分厚い封筒を出して

“終ったらこれから10万だけ韓に渡して下さい”

山本のスーツのポケットに入れました

不動産屋ですから

封筒の厚みでいくら入ってるか分かります

100万円です。

山本が呆然としてると

少し席を外してた韓が

コートを羽織り

山本の腕にしがみついて来ました。

訳の分からないまま韓と二人で店を出て

言われるままタクシーに乗る事灼10分

降りた所は黒の御影石で派手に入り口が飾られた

高給ラブホテルでした。

予感はしてましたが

初めての経験に戸惑う山本に

韓は慣れた足取りで中に入り

入り口のパネルで部屋を選び

そのまま顔を隠す仕切りのあるフロントで鍵を受け取り

指定の部屋のある階までエレベーターで昇り

そのまま入り口にライトが点灯してる扉を開けました。

さすがに高給ラブホテルで

内装は全て黒の高級建材で仕上げられ

ベッドはお相撲さんでも二人寝れる

そんな大きさでした。

黒で丸く仕上げたお風呂は

ボタンを押せば強烈な泡が吹き出てマッサージをしてくれる

最新式でした。

まぁしかしその時の山本には

ホテルがどんなに豪華であっても大した事はありません。

目の前に居る韓

彼女がバスタブにお湯を注ぐために栓を回し

すぐに戻って来て

一緒に入りますか?

って聞いてきました。

しかしその時にはもう山本の理性はすっかり失われていました。

失わないのはオスの本能だけ

韓の言葉が終らない内に押し倒し

そして

あとはお決まりの事が起りました。

 

行為が終り

服を着てない韓を横に

軽音楽のBGMが流れる気だるい時間が流れて行きました

山本は今起こった事が信じられないとばかりに

ぼんやり天井を眺めていました。

そしてやがて韓が申し訳なさそうに小さな声で言葉を発しました。

 “時間ですから帰りましょ”

そして

山本の返事を待つ事無く

ベッドから立ち上がり

シャワーを浴び始めました

山本は何となく気付いていましたが

明洞が高級売春クラブである事を完全に確信したのはその時です。

韓は売春婦

それが分かると

一気に興ざめして

山本も

韓の後に自分もすぐにシャワーを浴び始めました。

そして

言われた通り韓に10万円を渡してすぐに部屋を出ました。

もう韓と腕を組む事はありませんでした。

3万円の支払いを済ませ

エントランスから出て時計を見ると

入室してからぴったり2時間が経過していました。

そして二人はそのまま別々のタクシーに乗り

韓はまたお店に戻り

山本は自宅に戻りました。

また午前様でした

幸い今回も妻も祐太も寝ています。

そのまま自分も布団にもぐり込み

今日あった事は忘れよう

そう誓って眠りに付きました。

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罠.・・・・3

2020年01月24日 | 社内事情

鎌田から次に電話がかかって来たのは

あの韓国クラブの夜から1ヶ月ほどした頃です。

“近くに来てますからファミレスで昼飯でも食べませんか?”

まぁ予定もありませんから断わる理由もありません

山本は

分かりましたと言いました

すると鎌田は

“山本さんの担当で1億超えの物件はありますか?”

と言って来ました。

25千万で預かってる賃貸マンションがあります

と言うと

その図面を持って来て下さい

と鎌田が言いました。

すると山本は

“店長から他社への公開は控えるように言われてます”

と答えました

鎌田は

大丈夫手数料はお払いしますから見せて下さい

と一言

不動産屋が物件を囲う理由は両手狙いですからね

買主からも手数料を頂ければ文句はありません

ですから

分かりましたと答えて

物件を持ってファミレスに行きました。

そこで

その図面を出すと鎌田は

それを見る訳でも無く雑談を始めました

“山本さん本は好きですか?”

と聞いて来ましたので

歴史小説は良く読んでますと答えました

すると鎌田も

“奇遇ですね私も歴史小説が好きなんですよ

今何を読んでいらっしゃいますか?“

 

“国盗り物語りです”

 

“そうですか私もそれ大好きなんですよ。

もしかして山本さんも斉藤道三がお好きですか?“

 

鎌田が聞いてきました

その言葉に山本は

この男に少し不安が湧いてきました。

斉藤道三が好きなのか?

そして

ストレートに聞きました

 

“鎌田さんは斉藤道三が好きなんですか?”

 

山本の中に芽生えた警戒心を素早く感じた鎌田は

“いえ好きではありません、私と正反対の人間なので興味があるのです。”

と答えてきました。

山本の疑念が晴れた訳でありませんが

すぐに話題は物件に移り

鎌田が図面を見て質問してきました。

“これ指し値は効きますか?”

山本は元々売主からは1千万の幅で値引の承諾は得てる事を伝えると

鎌田が

頑張って23千万で交渉して貰えませんか

そすれば当社で買いますから

と提案してきました。

そして付け加えて

もちろん手数料は正規にお支払いしますから

で山本は

一応は交渉してみますが

売主次第ですからここでは何とも・・

と答えました

すると鎌田は

カバンからおもむろに書類を取り出しました

買い付け証明です

そこに23千万円と書いて

山本に渡しました

山本はそれを受け取って

物件は見なくて大丈夫ですか?

って聞くと

良く知ってる場所ですから見る必用はありません。

って鎌田が答えました。

それにしてもこの男附に落ちません

名刺には聞いた事の無い不動産屋の営業部長って事になってるのに

何で億単位の物件の購入を決断できるのか?

疑念があれば払う

山本は聞きました

何で鎌田さんは会社に決済をとらないのに決断できるんですか?

すると

私は他にもいくつか会社を持っていますので

友人に社長になって貰ってますが

実際には私の会社です。

そんな話しは今まで聞いた事はありませんでしたが

もしかしたそうなのかも知れない

それとこちらは無事に取引が出来れそれで良い訳で

これ以上詮索すのは止めました。

そうして山本は買い付け証明を持ち帰り

売主に交渉すると

235百万の回答を得ました

それを鎌田に伝えると

それで良いから明日にでも契約したい

と言われました

まぁ翌日は無理ですが3日後にはなんとかなると伝えると

鎌田はそれで納得して

めでたく契約になりました。

契約が終ると

鎌田が山本の耳元で囁きました

“今晩明洞に行きましょう”

山本は言われるまで分かりませんでしたが

明洞とはあの韓国クラブです。

で更に

“韓が山本さんに会いたいってうるさいんですよ”

忘れかけてた韓と言う名前

それを聞いて

山本はすぐにあの甘い香りと柔らかい身体

この感触が蘇り

自分の中の血液が熱くなるのを感じていました。

山本の口から出て来たのは意外にも

どうぞお気遣い無く

って言葉でした

が鎌田は

そうおっしゃらずに私の顔を立てて下さい

と言って

懇願してきましたので

山本はこれも仕事の内

そう自分に言い聞かせ

では宜しくお願いします

と言って出かける事にしました

ただし

前回のように午前様になると罪悪感が湧いてきますので

お店は普段は9時まで帰れませんが

店長に頼んで7時に上がらせてもらい

六本木の寿司屋で軽く食事を取って

明洞に向かいました。


続きは明日

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罠・・・・2

2020年01月23日 | 不動産業界

山本が鎌田に連れられて行った六本木のお洒落なビル

そのエレベーターに乗り7階のボタンを押すと

すぐに付きました

そして扉が開くと

そこにあったのは別世界でした

豪華な見栄えの入り口には

この世の物とは思えない美女が10人くらい並んでいて

笑顔で

“いらっしゃいませ”

って言って迎えてくれました。

そのまま席に案内され

ママが挨拶に来て

女の子を紹介しました。

“山本さんこの子は韓英蘭って言います宜しく”

この店は韓国クラブで

ママさん以下全員韓国人でした。

この韓って女の子

歳は20歳で

日本のテレビで見るどのアイドルよりも可愛く

向かい合って座っていても山本の心臓はバクバクでした。

しばらく雑談をした後

韓が言ってきました。

山本さん側に座っても良いですか?

まぁ良いも悪いもありませんよね

はい

と答えると

側に来て

寄りかかるように甘えて来ました。

山本は思いました

このまま時間が止まってくれと・・

しかし小一時間した後

鎌田が無情にも

“山本さん明日仕事ですから帰りましょう”

と言って

ママさんを呼んでカードを渡しました。

そのまま会計を済ませ

下でタクシーを拾い

山本は郊外の団地にある自宅に向かいました。

自宅までは約40

その間

韓の香水の臭いと

身体を密着した時の柔らかい感触

これに浸っていました。

そして幸福感の中

睡魔が少し襲って来て目を閉じると

運転手が着きましたよ

って言ってきました。

でタクシー券で支払いを済ませ

部屋の鍵を開けてそっと中に入る

もちろん妻は寝ており

その傍らには祐太が枕元に幼稚園のカバンと制服と帽子を置いて寝ていました。

そう言えば祐太は来週から幼稚園です。

その姿を見たときに

山本は急に罪悪感が湧いてきて

もうこれっきりにしよう

そう心に誓いました。

 

で翌朝

眠さに耐えながら出社すると

朝一番で

鎌田から電話がかかってきました。

“昨日は遅くまで付き合わせてしまい申し訳ありませんでした”

で山本は営業トークで

“いえありがとうございました、また宜しくお願いします。”

と答えて電話を切りました

本当は家族の事を思えば

もう行くのは止めよう

そう誓ったのですが

韓の甘い感触は

どうやら山本の脳の奥深くに刻まれ

もう取り去る事はできない

何となく感じていました。

そうは言っても毎日仕事は押し寄せてきますので

1週間もすると祐太の入園式も終り

仕事も押し寄せてきますから

韓の事もあまり考える事は無くなっていました。

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罠・・・・1

2020年01月22日 | 不動産業界

山本孝(仮名)はアパートでコタツに足を突っ込んで

焼酎にポットのお湯を注いでいました。

50年近いアパートの1階は

冬になると底冷えがして部屋にいる間はなるべくコタツに足を入れて過ごしています。

もう10年以上も酒は焼酎のお湯割り以外には飲んでいません。

つまみは大好きなカシューナッツと柔らかいイカのくんせい

少し高価で二つで800円近くしますが

少しずつ3日に分けて食べますので

一日当たりは300円弱です

焼酎は一日2杯と決めています

これは節約と言うより身体のためです

もう23年前から体調はずっとすぐれません。

酒をたくさん飲んだ翌日は朝起きられなくなりました

そのために警備会社を無断欠勤してクビになりました。

まぁそれでも今は他の警備会社で働いていますが

いずれにしても自分の身体には大きな変化が起っています。

肝臓癌か膵臓癌

まぁそんなところでしょうが

医者には行ってませんので本当の事は分かりません。

ただはっきりしてる事は

若い頃は80㌔を超えてた体重が

今は50㌔台になりましたのでかなり深刻だって事です

幸い大きな痛みはありませんので

何とかいつもの生活を送っています。

部屋にいる時にはあまりテレビは見ません

元々読書好きですから

数百円の中古の文庫本を買っては読んで

そのまま疲れたらコタツの中で寝る

これが至福の時間です。

本はほとんどが歴史小説です

恋愛小説や現代小説にはあまり興味はありません

ですから

三国志から始まり山岡荘八 司馬遼太郎等々

有名な作品はほとんど読みました。

その日読んでたのは国盗り物語りです。

しかしもう恐らく読むのは34回目です。

自分が読みたい小説は無数にある訳ではありませんので

どうしても数年経ったら読み返す

そんな事になるのです。

 

マムシの齋藤道三

この名前を久しぶりに見たときに

40年近く前のある男との出会いを思い出しました・・

そして国立大学を出た自分が

70歳になって

家族からも見捨てられ

一人淋しくボロアパートで人生の終焉を迎えようとしてる

こんな事になったのもあの男との出会いから

それをはっきり思い出したのです。

 

その男とは山本が大手の仲介会社にいる時に出合いました

大学を卒業して就職先を捜しましたが

全共闘の活動をしていたために

中々見つからず

あれこれ転職した後

30歳になってやっと入った不動産販売会社

そこで数年経って

主任の肩書きが名刺に載った頃でした。

その男は

山本が担当する物件にお客様をつけてきた男です。

所謂共同仲介です。

契約が終った後

その男が

御礼に一席設けますから

と言って地元のシャブシャブ屋に連れて行ってくれました。

その男の名前は鎌田(仮名)と言って

山本より8歳も若い男でした。

まだ289

でもなぜかお金を持ってる

それが伝わって来ました。

シャブシャブを食べ終わり

御礼を言って帰ろうとすると

鎌田が

“山本さんもう一件行きましょう”

と誘ってきました。

しかし仕事が終ったのは9

それから飲み始めましたので

もう終電ギリギリです。

その事を鎌田に伝えると

タクシー券を3枚くれて

これで帰って下さい

と言いました。

随分気前の良い男です

しかしそう言われれば断わる訳にも行きませんので

鎌田に言われるままタクシーに乗って

着いたのは六本木

洒落たビルの前で

ここの7階です

と言ってエレベーターに乗せられました。

 

 

 

長くなりますので続きは明日にしましょう。

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偏狭は自慢する事ではありません 恥ずかしい事です

2020年01月21日 | 人生一般

イギリスのヘンリー王子が王室を離れると言う事で

連日ワイドショーが賑わっていますね。

私はこの話題に興味が無いので

何で?

って不思議な感覚です。

英連邦の国々や

アメリカのようにイギリスルーツを持つ国々なら分かりますが

地球の反対側にあって

明治維新まではほとんど縁もゆかりも無かったのに・・

どうも穿って考えると

イギリスの王室を語ると

何か自分の格が上がったように感じるんでしょうかね?

それとも欧米の国の報道が過熱してますから

日本人の欧米コンプレックス退治の心理があるんでしょうか?

まぁ良く分かりません

しかしこないだ新聞で

イギリスの欧州連合離脱問題を掘り下げた記事がありましたが

日本とイギリスは本当に良く似てるんですよね。

お互い島国で立憲君主制

それと明治政府はイギリスに学んで国造りをしましたし

日英同盟もありましたからね

この共通性故に

日本とは距離は離れてても関係が深いそうです。

さらに興味深いのは

お互いの偏狭さ

これも共有してるって話しです。

具体的には

イギリスは元々プライドが高く

ヨーロパの一員と言う意識は低いそうです

にも関わらず

ヨーロッパ連合に属してた訳ですが

そこではドイツとフランスの力が強いために

プライドが保てず離脱

そんな話しでした。

一方日本

これもイギリスと同じで

アジアの他の国と一緒にされるのに抵抗があるそうです

まあ分かりますよね

私達がアジアの国と言う時には

大体日本は含まれてませんからね

神国日本はアジアの中では特別な国

って事なんでしょうね。

ではどうしてそんなにプライドが高くなったかと言うと

イギリスも日本も大きく繁栄した歴史があるからです。

しかしその繁栄はイギリスであれば1718世紀

日本では明治維新以降と

割と短い期間ですが

それでもその経験が

国民の中に優越感を植え付け

それ故に

隣国を尊重できずに

日本であれば日中戦争

イギリスは欧州連合離脱

こんな結果になったそうです。

まぁ実際には歴史はそんな単純ではありませんから

一つの視点として捉えるべきですが

近くの人と仲良くできずに

遠い人と仲良くする

これは人間には良く見られる事です。

と言うより放っておけば誰でもそうなりますよね。

近くにいる人はどうしても軋轢が生まれます

愛し合った夫婦でも

毎日一緒に暮らせば

裁判沙汰になる位に憎み合いますからね。

不動産屋では良く同僚と仲良く出来ずに

他社の人間とばかり付き合う人がいますが

これはダメですね。

外部の人とは良いとこ取りで付き合えますが

逆にそんな人としか付き合えないのであれば

孤独は規定路線です。

私の知合いにもいますが

同僚とも仲良くできず

家族とも仲良くできず

かと言って距離のある友人もできず

って事で

最後は先祖のお墓参り

これに没頭するようになります。

もう生きた人間とは仲良くできませんから

はるか遠くに行ってしまった人しか付き合えない訳です。

ですから

人間の価値は

いかに身近な人間と仲良くできるか?

これによって決まる訳で

それができずに

遠く離れた人間とばかり付き合っては

ダメですよって話しです。

まぁ私はそんな考えですから

今のヘンリー王子のバカ騒ぎ

日本人の偏狭さを見るようであまり好きになれないのです。

地球の反対側より

ブルネイとかブータンとかタイ

私達の近くにも王室がありますから

まずそっちを報道するべきですよね。

タイの国王が王妃の称号を剥奪した

まずヘンリー王子よりそっちでしょう

って思いますよね。

まぁ普通の日本人はそれで良いのかも知れませんが

不動産の仕事をしてると

どうしてもそんな日本人の偏狭さを見る事になります。

そんな人達には粘り強く接するしかありませんが

少なくともこの仕事に携わる人は

外国人嫌いは話しになりませんので

別の仕事をした方が良い

私はそんな風に思っています。

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もうケンカをしたくないから付き合わないのです

2020年01月20日 | 社内事情

私が休みの日に

新築したばかりの自宅で植木を植えたり

芝生を貼ったりしてると

スーツ姿の長身の男が私の自宅の門で声をかけてきました。

“社長さん働き者ですね”

見ると某メガバンクの支店長さんです。

傍らには融資課長が立っていました。

で私は

“熱心なのは支店長ですよね 私の自宅まで来て・・”

って少し皮肉気味に言いました。

用件は分かっています。

私が会社の移転で公庫から借りた4800万円

これを肩代わりさせて欲しい

って話しです。

何度も融資課長から言われていましたが

断り続けていました

特に借り換える理由は私の方には無かったからです。

私の方には借り換える理由はありませんが

東大出のその支店長には大ありでした

それも融資課長から聞きました

それはその支店長は役員

あるいはそれ以上を狙える人物である事

そのためにはまず最初の支店であるこの地域で

華々しい実績を上げてワンランク上の支店に異動する

これが目的だと言う事です

私達の地域では事業所はあまりありませんから

私に目をつけたって訳です。

それまで断わっては来ましたが

わざわざ将来の役員候補の支店長が私の自宅まで来た訳ですから

私は決断しました

“当社に全く不利益が無ければ良いですよ”

すると支店長は

ありがとう御座います

では具体的なスキームはすぐに課長から提案させて頂きます

って言って帰って行きました。

で翌日

融資課長がすぐにやって来て

金利を大幅に低くするので

6000万円を借りて欲しい

って話しでした。

公庫の肩代わりであれば

4800万で済む訳ですが

その時私は買取物件の契約もしてましたので

資金には余裕があるに超した事は無い

そう思って条件を飲みました

そして

更に1日経って銀行に出向き

金銭消費貸借を契約を結ぼうとすると

契約書が2通ありました。

3000万円ずつ2通です

でその書類を良く見ると

1通は公庫と同じ長期の借り入れになっていますが

もう一通は6ヶ月の短期資金になっていました

私はこれでは話しが違うから契約できないと言うと

融資課長は

社内の稟議上6ヶ月になっていますが

実際には半年で自動的に延長がなされますので

金利をお支払いいただければ

社長さんの好きな期間だけ借りられます

って話しでした。

少し疑念も湧きましたが

メガバンクですからね

まさか騙すような事はないだろうと思って

サインして借り替えをしました。

終ってしまえば

釣った魚にエサはやらないとばかりに

支店長も融資課長も当社に来る事は

ばったり無くなりました

それはそれで面倒が無くなった訳ですから

私は大歓迎ですが

それから半年近く経って

その銀行の融資課長から電話がきました

ただし

もうすでに前の課長は転勤になっており

担当は変わりました

って話しでした。

その新しい融資課長

とんでも無い事を口にしました

“社長さん短期資金の3000万の返済が迫ってますが口座の残高では足りません”

って

まぁ驚きましたね

で私はこの短期資金は

実際には自動的に延長になる

そんな説明で借りた事を伝えると

その融資課長は

そんな事を言うはずが無い

その一点張りでした。

言うはずの事が無い話を口にした前の融資課長に聞くしかありませんので

私がその人間に電話して確認してくれと言うと

それも出来ませんって話しでした。

でさんざんやりとりした後

支店長が持ってきた話しだから支店長に代わるように言うと

その支店長ももう転勤になっていました。

で同じように

もう業務は引き継いだので

その支店長にも連絡はしない

そう頑として譲りません

その時に

初めて騙された事に気付いた訳でです。

今の時代であればやりようもありましたが

私は騙された自分が悪い

そう自分に言い聞かせ

結局子供達のために積み立てた預金まで崩して

何とか乗り切りましたが

本当に今でも思い出すと怒りが湧いてくる

そんな出来事でした。

その後私を騙した支店長と課長は

順調に出世した

そんな話しも耳にしました

メガバンクとは言え

そんな人間が上に立って成り立ってる

だから私は銀行には良い思いが湧いてこないのです。

ただこれだけではありませんよ

私は似たような思いは何度もしたのです

まぁ銀行の立場も分かりますよ

金融危機の時代ですからね

分かってはいますが

私はそれまで銀行の信用が第一

そう思って頑張って来ましたが

実際には逆に銀行は信用できない

そんな結論になったのです。

 

そんな訳です

読んでますが

某銀行の方

私はこの時に強く誓ったのです

もう銀行に頼る経営はしないと

皆さんには関係の無い話ですが

私は私で

もう皆さんの甘言にはウンザリ

だから

長々と話しをするのも面倒なので

このブログを読んで下さいね

って言った訳です。

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家は死なないが人は死ぬ

2020年01月19日 | お客色々

不動産は見た目は普通でも

実際には価値が無い

そんな物件があります。

例えば

家は建ってるがその敷地は接道義務を満たして無くて

立て替えが出来ない

これは良くあります。

何で基準を満たしてないのに家が建ってるかと言えば

一番多いのは行政が緩くて

違法建築を見逃してしまったケースですね。

また当時は接道義務を満たしていても

その後敷地を分割して売約したために

間口が足りなくなった

なんて事もありましたね

お客様の無知で起った悲劇です。

そんな再建築が出来ない土地でも

隣地を買い増せば

その不動産の価値がまた普通に戻ります。

ですから

私達はその土地に隣接した物件の売却依頼を受けると

最初にその瑕疵物件の隣人に買わないか?

と提案します。

そんな案件が最近ありました

私が熱心にその事を伝えて理解して貰ったにも拘わらず

その隣人は相場の半分なら買う

なんて言って来ました。

相場の3倍でも買わなければ行けないのに

逆に半値?

まぁダメですね。

私達は何もその人に売らなくても良い訳で

ある意味善意で声かけを最初にしてるのです

その方には丁重にお断りして

販売活動をするとすぐに買手が付きました。

で売買契約を済ますと

それを聞いて

その隣人は慌てて私の所にやってきました。

言い値で買うから何とかしてくれと・・

まぁ契約前なら何とかしたと思いますが

もう手遅れです。

その事を伝えると

“社長にあれほど言われたのに私が欲が出て・・”

って少し目が潤んでいました。

まぁ気の毒ですが

本当に愚かでした

慰めながらお帰り頂いたのですが

帰り際に私が言った言葉は

売却するにはお宅の物件はもう厳しい状態ですが

そこに一生住むのであれば

何も今までと変わる事はありませんから

そんなに気を落とす事も無い?

そう言って慰めました

その言葉に

少し安心したのか

 

“その通りですね

家は死ぬ事はありませんからね

であれば

何とか長生きして20年でも30年でも住んでやりましょう”

 

と言葉を残して

最後は晴れ晴れとした顔をして戻って行きました。

 

運命とは皮肉な物です

1ヶ月後私に電話がかかって来ました

内容は

何十年先になっても

もし今度買った人がまた売るときには絶対に買いますから

声かけして下さい

って話しでした。

ただ

いつも自宅の電話でかけてくるのに

携帯電話からかかった来ましたので

私が聞きました

外出先ですか?

すると

今病院で検査入院してます

って話しでした

そして

23日で自宅に戻ります

って言って電話を切りました

この方

そのまま自宅に帰る事はありませんでした

亡くなってしまったのです。

つまり

20年でも30年でも住んでやる

なんておっしゃっていましたが

実際には1ヶ月も住む事は無かったのです。

 

住宅は

長期を見据えて買いますが

しかし

実際にその通り自分の寿命が続くかどうか

全く保証はありません。

明日も知れない命

こんな危うい中で生きてる

これはどこかではいつも意識するべき

たくさんのお客様の死を見て

つくづく思います。

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お年寄りは違う時代を生きて来たのです 今の時代の価値観と違うのは当然です。

2020年01月18日 | お客色々

私が不動産の世界に入った頃は

お客様はほとんどが若い人達でした

3040代で

子供の成長と共に家を住み替える

これがメインの動機でした。

当時は住宅不足

親御さん達の思いは

子供の将来のために住宅を残す

ここにある人が大多数でした。

それから時は流れ

その私が取引させていただいたお客様は

ほとんどが7080代になりました

しかし時が過ぎれば

時代は当時予想しなかった事になっています。

少子化で住宅が余ってるのです。

子供のために頑張ってローンで手に入れた住宅

ローンを払い終ったら

その住宅に子供が住むことは無い

これに気付く訳です。

まぁ子供が住まなくても自分が住んでる訳ですからね

それはそれで良いのですが

しかし歳を取ると言う事は

それまでの生活ができなくなる

と言う事でもあります。

少し駅から遠い人は

車の運転ができなくなるだけで

生活の質は大きく後退します。

さらに体調を崩すと

入院したり施設に入ったり

そんな事にもなります。

そうすると

将来誰も住む事の無い家

これが負担になる訳です。

30年ぶりに私に相談の電話

なんて方がたまにいます。

まぁ相談されれば

要らない家であれば

売却できる内に売った方が良い

これがアドバイスになる訳ですが

その助言に従って売却を決断しても

もう一山ある

これを意識しなければなりません。

実際に媒介を受けて販売活動をして

お客様が付いたら

その家を手放す事にためらいが生じます。

すると

それまで考える事の無かった思いが次々に湧いてきます。

清水の舞台から飛び降りるつもりで

30年のローンを組んで家を買う決断をした事

部屋が出来て飛び上がって喜んでる子供達

誕生日やクリスマスにはケーキでお祝いした事

そして

最後に

ある思いが湧いて来て

不動産屋に電話をかけて来ます。

“バブルの頃は今の5倍の値段がついたんですよ、お宅の査定は安すぎます”

まぁ高齢で論理的な思考ができなくなってますからね

こんな事になるのです。

私達は成功報酬ですから

これでは振り回されて信用とお金を失い

大変な被害になります。

これを防止するには

ただお客様の心変わりに怒るのでは無く

これが一つの流れだと言う事を理解して

媒介を受ける前に

しっかり説明して理解してもらう「

これしかありません。

ただお客様の悪口で終っては

何の進歩もありませんから

また同じ目に遭うだけです。

高齢のお客様は

皆さんが知らない時代を生きて来ました。

ですから

その思いは

若い人が簡単に理解できるほど単純では無いのです。

相手を理解すれば

被害も未然に防げます。

お年寄り相手の売買は

まずそこから入りましょう。

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肉体も財産も死んだらゴミ

2020年01月17日 | お客色々

高齢のアパートの入居者は増える一方です

それでも部屋の中で亡くなる孤独死はまだ全体のほんの一部で

ほとんどの方は病院で亡くなります。

独居老人が亡くなると親族から連絡が来たり

あるいは行政から連絡を受けて知る事になりますが

本人が亡くなった訳ですから

次に貸すためには残置物の処理が必要になります

まぁ私たちは残置物って呼んでますが

本人にとっては生きるために必要な物だった訳で

財産だった訳です

その所有者が亡くなれば

財産が瞬時にゴミに変わる

まぁ今の時代の特徴ですよね。

物が無かった時代は

食器でも服でも

皆親族が奪い合うように持って行ったはずですが

今はいくら身内でも死んだ人の服を着ようなんて人は滅多にいません。

冷蔵庫も洗濯機も

お金を出して処分する訳です。

ではそのお金は誰が出すか?

って事になります。

まぁ完全に孤独な人だと家主が持ち出しになりますね。

ただ全く身寄りがない人は少ないので

大体親族にお願いする訳ですが

その身内と亡くなった人の関係が良好であれば

最後まできちんと責任を取る事が多いのですが

一定割合で全く関与したくない

なんて言う人たちがいます。

実は私たちにとっては

身よりが無い人より

この親族がいるにも関らず責任を取らない

これが厄介になります。

理由は相続です。

それは私たちが残置物と呼ぶものが

立場によっては財産になるからです。

つまり

亡くなった人のお子さんが

明確に相続を放棄する

この意思を示さない限り

その残置物を勝手に処分できない訳です。

まぁ困りますよね

せめて残置物の処分の同意書にハンコを押してくれれば良いのに

親が死んだら

“自分は関係ないから電話かけて来るな”

って一切の接触を拒否します。

やっかいですが

私たちはそんなケースでもなんとかしなければなりませんからね

ですから

子供はいるのに

その子供が

親が死んでも知らんぷり

ってのは後始末が大変なのです。

高齢化社会ですから

こんなケースは増えて行きますからね

社員の皆さんは

その対策も頭に入れながら

日々の業務に対応策を入れて下さい。

ただ

こうなるパターンは圧倒的に

生活保護のお年寄りが多いですね。

お子さんとの関係は想像するしかありませんが

もしかしたら子供から縁を切られるような

そんな生き方をして来たのかも知れません。

ですから

親が死んでも知らんぷり

なんて子供を単に責める気にもなれない訳です。

私たちはたくさんの生活保護受給者を受け入れてますから

そんなケースはこれから増えて行くと思います

ですから

生活保護のお年寄りは

その辺も視野に入れて

お子さんがいるのに連帯保証人にも緊急連絡先にもならない

なんて人に対しては

本人から亡くなる前に1筆をもらう

これも業務の流れに組み込んだ方が良いかも知れませんね。

いずれにしても財産が残置物になりゴミと化すように

残念ながら

人の命も家庭によっては

亡くなれば親であってもゴミ

そんな時代になったって事です。

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