駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

罠・・・・39

2020年02月29日 | 不動産業界

祐太と二人で昼食を終えて
約束した時間に葬儀屋に戻ると
すぐにパンフレットを見せられ
葬儀のランクの話しから打ち合わせが始まりました
山本は元々唯物論者ですから
宗教的な儀式にこだわりはありません
ですから
はっきり言いました
お金が無いので一番安い方でお願いします

すると次に呼んでくる僧侶はどうしますか
と聞かれましたので
山本はその事には全く感心がありませんので
お任せします
と言うと
祐太が口を挟みました
うちは浄土真宗ですからそちらでお願いします

この言葉に
祐太が実家の墓を守ると言ってる思いが伝わってきました。
そして最後に
参列者は何人くらいでしょうか?
と聞いてきましたので
実際には予測はできませんが
身内が14~5人
会社関係者が同じ位で
30人くらいだと思う
そう伝えました。
するとその担当は
では50人分くらい用意しておきます
と言いました。
話してる内に
いくらお金がかかるのか不安になりましたが
その時に明美が祐太の学費として取ってあった300万円
これを思いだして
最悪これを使わせてもらうから
と小声で祐太に言うと
祐太はもうそのお金を俺が使う事は無いから
と答えました。
これでお金の心配は無くなりましたので
気が楽になり
次々に話しを進めて行きました。
すると
途中で携帯が鳴りました
見ると
以前の勤務先の店長だった宮本です
この宮本
なぜか辞めた後もたまに電話をかけてきます。
大した用はありませんが
山本の事を気にかけてるのです
しかし今回は余りにもタイミングが悪く
電話に出て小声で
いま取り込んでますから後でかけ直します
と言いました。
すると何かあったの?
って聞かれましたので
とっさに
妻が亡くなりました
と答えました。
宮本はタイミングの悪さを詫びた後
またかけ直すと言って電話を切りました。
それから打ち合わせは進んで
お通夜は3日後
火葬と告別式はその翌日
この日程が決まりました。
打ち合わせが済むと
山本は明美が正式に安置されてる場所に移りました
20畳くらいの畳間で
病院を出た時よりも
更に綺麗に化粧されて寝かされていました。
近寄って顔をさすり
手を握り
そして最後に足をさすると
足はパンパンに膨れていました。
点滴を打ちっぱなしでしたから
むくんだ
それが想像できました。
それからしばらくして病院に行くと
担当の医者が来て暮れて
詳しく何があったのか説明して暮れました。
深夜に強い胸の痛みがあり
心電図を調べると
急性心筋梗塞の可能性が高いと思われ
造影剤検査に入ろうとしたら
いきなり心臓が止まってしまった
って話しでした
山本が
今回の怪我が原因で発症したのか?
と尋ねると
心筋梗塞は長年の食生活の影響が大きいので
今回の事が引き金になった可能性は否定できないが
いずれにしても危険な状態が長く続いてたはずだ
と言いました。
会社であれば健康診断もありますが
明美は専業主婦でしたし
若いと言う事もあって
健康診断は全く受けていませんでした。
自分は明美の食事の塩っぱさに気付いていましたから
もっと早く健康診断を受けさせておけば良かった
と後悔の念が湧いてきましたが
後の祭りです。
そして先生に御礼を言って
死亡診断書を貰って葬儀屋に戻りました
死亡診断書には
死因は急性心筋梗塞
と書かれていました。
祐太は葬儀が終るまでは
実家に泊まる事になりましたが
その夜も
葬儀屋から戻った後
少しだけ本を開いて何かレポート用紙に書いていました。
母親が死んでも
時間は止らない
毎度の事ながら
どんな大切な人の死であっても
残された人は
変わらず淡々と人生を刻んで行く
この事を強く思い知る事になりました。

翌朝起きて祐太と二人トーストを食べてると
宮本から電話がかかってきました
奥さんの葬儀はどこで行うのか?
と聞かれましたので
山本はそれには答えず
気にしなくて良いから
と言いました
すると宮本は
山本さんにはお世話になったので
それでは私の気が済まないんですよ
と言われましたので
仕方なく葬儀会社の名前を伝えました。

それから
あっと言う間に葬儀の日がやってきました。
3時から納棺の儀を行い
綺麗にしてお棺に入れました。
その時には身内が駆けつけてくれましたが
秋田で大変世話になってる明美の従妹に
祐太が電話で知らせたために
わざわざ遠いのに
4人も来てくれました。
関西からは三重と大阪から
山本の妹と
従妹が3人来てくれました。
残念ながら山本の両親は来る事はできませんでしたが
妹に多額の香典を預けてありました。
そして5時半には会場に入り
やがて坊さんが入って来て読経が始まりました。
そしてそれから一般の参列謝の焼香が始まりましたが
山本が予想してなかった事態になりました。
信じられない位に大勢の人が次々に焼香するのです
その中には
今の宅配便の営業所の同僚の大半と
そしてその前の建設会社の同僚もたくさん来てくれました
その中には山本が客付け買取の事でもめて
辞める事になった時の店長もいました。
どうしてその会社に訃報が伝わったのか?
それはすぐに分かりました
参列者の中に服部さんがいたのです
多分服部さんが連絡したのだと想像できました。
その前の販売会社の関係では
服部さん以外にも
当時の店長の宮本を始め
元の同僚がたくさん来て暮れました
そして全く予期してなかった山田常務の姿もありました
すっかり歳を取ってしまいましたが
どこかエリートの品を漂わせてる姿は
変わる事はありませんでした。
昔の取引先の不動産業者の顔もありました。
驚いた事に
その中には韓国にいるはずの鎌田の姿もありました。
終って見ると
50人の予定が
200人近くも来てくれました。
すべて
宮本が連絡を取って呼んだ結果だと言う事は分かりました。
宮本は
山田が辞めたあと
順調に出世して
今は昔の山田常の肩書きである
地域の統括本部長になっていますが
今回の宮本の動きから
出世する人間には理由がある
これも強く感じる事になります。
以前
不動産の世界に入りたての頃
同業者の社長さんに連れて行かれたクラブで
ママさんが
山本さん出世したいと思ったら
マメな人間になるのが一番の近道ですよ
と言ったのを思い出しました。
妻のお通夜にクラブのママさんの言葉が思い浮かぶ
人間って罪深い
そんな思いも湧いてきました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・38

2020年02月28日 | 不動産業界

その夜は祐太も久しぶりに自宅に泊まりました
家に戻ると
祐太はリュックを手に取り
少し調べ物をしてから寝る
そう言ってリビングのテーブルに
本やらテポート用紙やらを並べました。
祐太に寝室に向かう前に
明日は朝ご飯はどうするの?
って山本が聞くと
今日は遅くまでかかるから
明日の朝はゆっくり寝る。
だから適当に自分で作って食べる
って言った後
明日病院に行ってからそのまま大阪に戻るから
もう今回はお父さんとは会えないけど
論文が一段落したら
また戻って来るから
と言いました。
山本も
分かったと言って眠りに付きました。

山本が目を覚ましたのは明け方です。
祐太が山本の寝室に入ってきて起こされたのです
祐太の声からただ事では無い事が分かりました
どうした?
と聞くと
今病院から電話があて
お母さんの容体が急変したからすぐ来るように
って言われたそうです。
夕べまでベッドから動く事はできませんでしたが
食事も普通に食べて話しも普通にできたのに
一体何があったのか?
不安と恐怖が襲う中病院に着くと
すぐに治療室に通されました
すると
そこには医者と看護師が3~4人いて
慌ただしく動いていました。
良く見ると
その真ん中には明美がいて
医者が心臓マッサージをしてる最中でした
肋骨が砕けるのでは無いか?
と思う位に強い力で
医者が汗だくになりながら
胸を押し続けていました
明美の顔を見ると
顔からは血の気が失せ
全く反応しません
山本も祐太も声をかけましたが
すぐに覚悟しました。
こうやって人は死ぬのか?

しばらくすると
医者から看護師にマッサージが代わり
その医者が話しかけてきました。
1時間前から心配停止に陥り
蘇生に全力を尽くしてるが
今の状況では希望は無い
そう告げました。
それを聞いて山本も祐太も
だた呆然としていました。
すると医者が
もうこの辺で心臓マッサージを終了したいのですが宜しいでしょうか?
と言いました。
山本も黙ってうなずくしかありませんでした。
医者が心臓マッサーを止めると
すぐに看護師に促され
山本と祐太はその場から出されて
部屋の外で待つように言われました
明美の死を目の前にしていますが
不思議と山本も祐太も
涙は出て来ません
30分位すると
看護師さんが来て
霊安室に案内されました
そこには
髪を整え
薄化粧をした明美が横たわっていました。
そのせいか
夕べとは明らかに見た目が違っていて
それが明美だと言う実感は湧いてきませんでした。
ただ
遺体を前に山本も祐太も
身体を強ばらせて立ってるだけでした。
これからどうなるのか?
あるいはどうしたら良いのか?
そんな事が頭に浮んで来ますが
それ以上考える気力はありません。
ですから
そのまま時間がただ過ぎてくだけでした。
1時間ほど経ったでしょうか
霊安室に
山本と同世代くらいだと思われる小柄な男が入ってきました。
喪服を着ています
山本と祐太に深々と頭をさげ
用意されてた線香をつけて
手を合わせました。
そして山本に向い
今回はご愁傷様でした
と声をかけました。
山本が誰だろうと思ってると
すぐに名刺を差し出し
その男が葬儀屋である事が分かりました。
自分たちには突然の出来事なのに
すでに病院は葬儀屋まで手配してる
驚きましたがなぜか腹は立ちませんでした
葬儀屋の男は
霊安室の横にある小さな部屋に山本を案内して
すぐに今後の打ち合わせを始めました
葬儀の日程は午後に打ち合わせますが
さし当たりご遺体の搬送先はすぐ決めなければならない
そう言ってきました。
急に言われても頭が整理できてないので
山本が黙ってると
ご自宅は一軒屋ですか?
と尋ねてきましたので
団地だと答えると
それであればご自宅での葬儀は難しいので
当社の施設で行いましょう
と提案してきました。
山本には受け入れる以外の選択肢はありませんので
宜しくお願いします。
と言うしかありませんでした。
すぐに遺体は葬儀屋の建物に運ばれて行きました。
山本は勤務先に電話して
所長に事情を伝え
しばらく休む了解をとって
それから葬儀屋に向かいました。
着くと明美は倉庫の中の棚に寝かされていて
先ほどの男が立っていました。
これから色々準備をするので
昼食の後1時から今後の打ち合わせをしたい
そう言ってきました。
そして
それまでどこかで時間を潰してもらいたい
そう付け加えました。
自分たちにとっては最大級の災難なのに
葬儀屋にとっては日常の出来事ですから
いつもの通り昼飯を食べるって訳です。
良く考えれば当然ですが
葬儀屋のしおらしい態度も芝居だと思うと
目の前にいるこの男に
少し憎らしい気持が湧いてきました。
時間を潰すと言っても何もする気はありませんが
祐太が
お父さんメシ食おう
と目の前のファミレスを指さして言いました。
頭の中では
こんな時には自分たちは葬儀屋とは違い
メシが喉を通る訳は無い
そんな風に思っていましたが
実際には朝飯を食べてないので腹は減っています。
自分はいつからこんな冷たい人間になったのか?
少し罪悪感も沸いてきましたが
もしかしたら長年の不動産屋の仕事で
神経が図太くなってしまったかも知れない
だとすれば
その図太い神経を明美に分けて上げたかった
そんな思いも抱えながら
祐太と二人食事を摂りました。
食事中
祐太が
何で死んだんだろう?
って漏らしました
そう言えば医者から死因については詳しく聞いていません。
夕方には死亡診断書を取りに行くので
その時に詳しく聞く事にしました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・37

2020年02月27日 | 不動産業界

前日明美が救急搬送されて早退した山本
その病院から朝直行して会社に着くと
所長に状況を話し
その日はそのまま仕事しました。
睡眠不足が堪えるはずですが
気が立ってるせいか
眠気が襲うことも無く
決められて集配を全て終えました。
そして会社を出て
また病院に向かいました。
着くと
明美は起きてはいますが
痛み止めの影響なのか
視点は天井に向いて
山本が投げかける言葉には全く反応はしませんでした。
そして先生がやって来て
今後の事を説明しましたが
さし当たり最低1ヶ月は入院になる事と
退院した後もリハビリのために
しばらくは毎日通院する事になる
そんな話しをしました。

入院中は病院に任せる事ができますが
退院して毎日通院となれば
山本は仕事をする事ができません。
悩んだ結果
入院してる間は仕事をして
退院したら仕事を辞めて
しばらく失業保険で食いつなぎ
その後仕事をする
こう決めました。
金銭的には綱渡りになりますが
そうするしか選択肢は無いのです
翌日所長に早速事情を説明しました。
すると所長は
今の時代は送迎サービスもあるし
入院したままリハビリを続ける
そんな選択肢もあるから
まずその辺から当たった方が良い
と言って会社を辞める事を思いとどまるように説得してきました。
言われて見れば
会社を辞めずに問題が解決すればそれが一番良い事です。
山本も少し気持が軽くなるのを感じました。
その日も仕事を終った後病院に行くと
前日とは違い
明美は少し話しができるようになりました。
明美は山本にも
隣が火事になって
自分の家にも火が回って来たので
仕方なくベランダから飛び降りた
って話しをしていました。
前日は山本は自宅に戻って寝ましたので
その話しが妄想だってのは分かっています。
分かっていますが
あえて否定はせずに
話しを合わせていました。
そして
1ヶ月位で退院できる事と
それからはリハビリが始まるの毎日通院する事になる
それを説明しました。
すると明美は
リハビリはしなくて大丈夫ですよ
って言いました。
頭が混乱してますから
山本もそれ以上突っ込みませんでした。
翌日から山本は仕事の合間に
リハビリでの入院延長が出来るのを確認したり
あるいは通院の送迎サービスを調べたりしましたが
確かに所長の言う通り
仕事を辞めなくても
なんとかやって行ける
これが分かって来ました。
そして
具体的にコンタクトを取って
どっちにするか決めよう
まだ明美は最低でも1ヶ月は入院するので
その間に決めれば良いわけで
休みの日にでも業者から詳しく話しを聞こう
そんな風に考えていました。
その前にそろそろ祐太にも知らせなければなりません。
祐太は卒論で忙しい時期なので
あえて落ち着くまでは知らせませんでした。
電話をすると祐太はすぐに飛んで来てくれました。
明美を見舞った後
二人で食事をしながら色々と話しましたが
その時に祐太は初めて
それまで語らなかった明美の事を話し始めました。
山本はハワイに行って明美が流産した後
自分が大声で怒鳴った事が精神を病む引き金になった
そう思っていましたが
祐太によると
もう祐太が物心ついた頃から
たまに行動がおかしくなる事があったそうです。
祐太が覚えてる一番最初の異変は
4歳か5歳頃の事です
その日の夕方
新聞の勧誘がやってきて
明美は最初はドア越しに断わったのですが
理由は分かりませんが
途中でドアを開けたのです
そしたらそこには怖いおじさんが立っていて
明美は祐太にリビングに戻るように行って
それから話しを始めました。
リビングに戻った祐太に玄関か聞こえてくる声は
男の人が大声で
俺たちをバカにするなとか
謝れば住む問題じゃ無いとか
言葉を発していました。
明美のすみませんって
か細い言葉も何度も聞こえてきました。
そしてしばらくすると
玄関のドアが閉る音がして
明美もリビングに戻ってきました。
その手には石鹸とティシュペーパーを抱えていました。
祐太がどうしたの?
って聞くと
明美はそれには答えず
そのままトイレに入って行きました。
そしていつまで経っても出て来ないので
祐太がトイレの前で
ママ大丈夫?
って声をかけると
大丈夫だからリビングに行ってなさい
と返事がありました。
祐太は分かった
と言ってリビングに戻りましたが
それからいくら待っても明美はトイレから出てきません
心配になった祐太は
またトイレの前に行って
ママ
と声をかけました
その時には祐太に返事は返しませんでしたが
トイレで泣いてる声が聞こえてきました。
祐太はそのまま
トイレの前で座って出て来るのを待つ事にしましたが
いつの間にか寝てしまいました。
目が覚めたのは
明美が
祐太ごはんよ
と行って起こしてくれた時です。
トイレの前で寝てたはずなのに
いつの間にかリビングのソファーで寝かされていて
明美も元の笑顔に戻っていました。
それから
何度か明美の異変があって
そしてそれは怖い思いをしたときにそうなる
祐太はそれが分かっていました。
ですから
流産で山本が怒鳴ったときに
祐太は明美の手を握って睨んでたのです。
この話しを聞いて
山本は罪悪感に自分が押しつぶされそうになりました
こんなに長く一緒に暮らしていても
仕事ばかりに気をとられ
幼い祐太が分かってたのに
自分は全く気付かなかった事
明美だけでは無く
祐太にも随分辛い思いをさせてしまった
この取り返しの付かない後悔が
どうしようも無い位に自分の胸を締め付けるのです
気が付けば
自分の目からは涙が垂れ落ちて来ました。
良く思い返せば
明美の異変は
もっともっと前
祐太と明美が一緒に暮らし始めた頃
すでにあったのです。
それは
その年の始めにあった浅間山荘事件
この続報で
仲間内での残忍なチンチ殺人事件が次々に報道された時です
いきなり大きな声で泣きながら
祐太さんもあの人達の仲間なの?
って何度も何度も聞いて来ました。
その都度否定しましたが
その時も確かトイレに籠って
しばらく出てきませんでした。
今思うと
怖い思いをすると
スイッチが入って
精神が混乱して鬱状態になる
これは若い頃からあったのです。
そこまで思いが至ると
明美をここまで悪化させたのは自分かも知れない
そんな風に自分自身を責めていました。
祐太にもその気持は伝わったようで
言葉を投げかけてきました。
お父さんは全く悪くないよ
お父さんが仕事を頑張ってくれたおかげで
お母さんは専業主婦でいられたんだから
お母さんは仕事をすれば
もっと悪くなってたと思う
その言葉に
山本は少しだけ救われました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・36

2020年02月26日 | 不動産業界

アメリカの世界貿易センターに
テロリストが飛行機をハイジャックして突っ込み
ビルを崩壊させたり
ペンタゴンに突っ込んだり
信じられない出来事が地球の反対側で起きてる訳ですが
世界中から批判を浴びてるこのテロリストたち
山本は
もしかしたら昔の自分達と余り変わらないのかも知れない
なんて思いもありました。
当時はベトナムでたくさんの人民を殺戮するアメリカ
天罰が下って欲しいと本気で思っていました。
自分たちは平和な日本にいてそんな気持になってた訳ですが
実際に爆弾を落とされたベトナムでは
もし当時同じ事が起こったとしたら
国中が歓喜したはずです。
それと戦前の日本は真珠湾でアメリカに不意打ちを食らわした訳ですが
これもアメリカから見れば
今回のテロ以上に日本に対して憎悪が高まったでしょうから
人間の作る社会の善悪は
立場や時代によってコロコロ変わる
この事を改めて思い知らされた事件でした。
若い頃の自分が未熟だった
これも思い知らされました。

この衝撃的なニュースは
山本が仕事で運転中もラジオからは
流れっぱなしでした。
運転の仕事は睡眠不足にはキツくて
午後4時頃になると
もうクタクタでした。
そんな時に
山本の携帯に所長から連絡がありました。
配達を中断してすぐに会社に戻るように
との事でした。
何か大きなミスをやらかした?
そう気にしながら会社に戻ると
所長が
配達は代わりの者がやるからすぐ病院に行くように言われました。
理由が分からず詳しく聞くと
救急隊から電話があって奥さんが病院に運ばれたらしい
って話しでした。
団地の住人が
生け垣の上に倒れてる奥さんを見て
救急車を呼んだ訳です。
奥さんは3階のベランダから飛び降りたのです
幸い生け垣がクッションになり
命は取り留めましたが
全身を強く打っていて
腰は複雑骨折をしていました。
そして
意識はありましたので
山本の会社の営業所名を伝える事ができて
救急隊員から電話がかかって来た訳です。
山本が病院に着くと
緊急手術が始まっていてすぐには会えませんでした
2時間ほどして
ストレッチャーに乗せられて戻って来ましたが
麻酔で寝かされており
話しをする事はできませんでした。
医者が容体について説明しましたが
命に問題はありませんが
今後最低2回は手術をする事
そしてその手術が終っても
車椅子生活になる可能性が高い事
そんな話しをしました。
山本は
何でそんな事になったのか?
医者に本人から何か聞いてるか?
と尋ねると
その医者は
自分は直接は何も聞いて無いが
救急隊員には
自宅が火事になり3階から飛び降りた
そう話してたそうです。
そして救急隊員は
実際には火事は発生したなかったので
もしかしたら幻覚かも知れない
そう付け加えたとの事でした。
この話しで何が起きたか
山本は十分想像できました。
山本が家を出た後
自分でテレビを点け
同時多発テロの衝撃的な映像を見たのです。
そして混乱してしまい
ベランダから飛び降りたのです。
山本はこの事はいつも危惧していました
ですから
その団地の1階が空いたら移ろうか
とも考えていました。
ただ杞憂に終る可能性も高いので
なんとなくそのまま暮らしてたのです。
事が起こって後悔しても始まらないのは分かっていますが
悔しい気持が湧いて来ました。

明美は結局翌朝まで目を覚ます事はありませんでした。
山本も病室で寝ましたが
良く寝れるはずもありません。
目を覚ました明美に少しだけ話しかけて
あとは病院に任せてそのまま会社に向かいました。
睡眠不足の頭の中には
もう爆発しそうな位色んな事が浮かんで来ました。
明美がこのまま車椅子生活になったらどうなるか
仮に歩けるようになったとしても
一人で置いておいて良いのか?
一人で置いておけないとすれば
仕事はどうすれば良いのか?
次々に問題が押し寄せ
山本自身の精神が崩壊しそうでした。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・35

2020年02月25日 | 不動産業界

建設会社を辞めた山本は
また職探しです。
本当はまた不動産の仕事に就きたかったのですが
もう今年47歳になります。
勤めるとすれば
小さな不動産屋
って事になりますが
しかし今の自分の置かれてる状況では
不動産の世界では続かない
そう思っていました。
明美の事が負担になってる
って事もありますが
自分の内面が変化して
もう不動産には向かない
そう強く感じてたのです。
建設会社を客付け買取の事で辞めた訳ですが
それを悪として捉えるようになってしまっては
このスタイルは業界に蔓延してる訳ですから
どこに行っても務まらない
そう思うようになりました。
ですから
新聞だの職安だの
不動産以外の職を探しましたが
大体年収は半減します。
半減しますが
祐太がもうすぐお金がかからなくなりますから
明美と二人だけであれば
何とか生活はできます。
ですから
山本は自宅から近い運送会社に就職しました
仕事は宅配便で
近くを集配で回ります
明美の事を思うと
なるべく自宅の近くで仕事をしたい
そう思ったのです。

 

宅配の仕事に就いてから5年が経った2001年
祐太は関西で山本と同じ入学して4年生になりました。
夏休みと冬休みの2回は毎年帰って来ますが
その都度成長して
今は山本も息子が大きく見える
そんな感覚に陥る事が多くなりました。
卒業後の進路は
出来れば教育関係に進みたい
そんな希望も語ってくれました。
そして
もう関東には戻らないから
時期を見てお父さんもお母さんも
大阪に戻って来て貰う。
そんな事を来る度に言っていました。
山本も52歳になり
できれば関西に戻りたいと言う気持は強くなってきましたが
明美の事を思うと
しばらくはその選択肢は無い
そう思っていました。
明美も薬を欠かさなければ
全く変わらず
普通の生活が送れていますが
たまに薬を飲み忘れると
明らかに幻覚が現れるのです。
数日前も母親が突然尋ねてきて
4時間も帰らずに話してたら疲れた
なんて事を言い出しました。
ですから
住まいの環境を変えれば
もっと悪化する
それを恐れてたのです。

2001年は大きな出来事がありました。
9月11日の夜10時の事です
見ていたテレビの画面が突然変わり
アメリカの貿易センータビルから煙が上がってるのが映し出されました
単なる火災かと思って見ていると
やがて隣のビルに
飛行機が突っ込んで来ました。
何が何だか分かりませんでしたが
この衝撃的なシーンは今寝てる明美に悪い
そう思ってすぐにテレビを消して
山本も寝室に入りました
ただ余りにも強烈な光景だったので
中々寝付けずに
睡眠不足のまま朝を迎えました。
そして
まだ明美が起きてないを確認して
慌ててテレビを点けました
すると
貿易センタービルが崩れ落ちる映像流れていました。
これは本当に現実なのか?
と疑いたくなるようなシーンが何度も何度も映し出されます。
アメリカ同時多発テロ
これがこの事件につけられた名前です。

大変衝撃的な事件でしたが
山本は仕事があります。
明美が起きて来る前に
テレビを消して一旦ベッドに戻り
そして明美が起きるのを見計らって
自分もまた起きてダイニングに向かいました
そして新聞を読んでると
明美がいつものようにトーストを灼いて
そしてコーヒーを入れてくれました。
山本が一日で一番好きな時間ですが
その日は頭から衝撃的な映像が離れずに
新聞もただ見てるだけで頭にはあ入りませんし
朝食もただ口の中に放り込んでる
そんな感じでした。
そしてそのまま仕事に出かけました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・34

2020年02月24日 | 社内事情

店長と口論になり
会社を辞める辞めないの話しにまで発展してしまいました。
その日帰宅した山本は
一人悩みました
しかし自分の中では結論は出ています
それは数年前に
証券会社の若い営業マンと会った時に
心に誓ったからです。
もう良心に恥じる仕事はしない

ただ
会社を辞めれば
すぐにまたお金の問題になります
祐太は進学校でトップクラスですから
大学も行かせて上げたい
まだ進路は決まっていませんが
大学となればお金がかかります。
その積立もしなければなりません。
また明美はもし今後症状が悪化すれば
その治療に大金がかかるかも知れない
そんな事を思うと
自分の一存で会社を辞める事もできない
そんな思いが脳裏を駆け巡って
悩んでた訳です。
ただその悩みは明美には伝えられません
今は精神状態が安定していますが
ストレスを感じればまた悪化する可能性があるからです。
明美には言えませんが
裕太には今の自分の気持ちを伝える事にしました。
学校から帰ってきたら
もし自分が会社を辞めて転職すれば
もしかしたら収入が半減する事
そしてそうなれば
裕太の進学は大きく制限を受ける事
これを伝えました。
すると裕太はあっさり
俺の事は気にせずにお父さんが辞めたいと思えばそうすれば
って言って来ました。
そう言われれば
逆に罪悪感が湧いてきて決断がつきません。
ですから裕太に少し声を荒げて言いました
お前の本心を言って欲しいんだと
山本の剣幕に少し驚いた裕太は
少し考えさせて
と言って自分の部屋に入って行きました。
その時にコードレスの電話も部屋に持って行き誰かに電話し始めました。
長電話で中々出て聞きません。
そして30分くらい話したあと
その受話器を片手に戻ってきました。
そして
裕太にそれを差し出して一言
おじいちゃんがお父さんに代わってくれ
と言って
それを手渡しました。
山本は何がなんだか分かりません
なんで裕太が自分の父親と話してるのか
それに自分は大学を卒業したら
家から追い出されるように出てきましたので
少し気まずい気持ちがあって
父親とはほとんど電話で話した事はありません。
ただ今の状況は
ためらう時間もありませんので
言われるがまま電話に出ました。
すると父親の口からは
意外な言葉が出てきました。
裕太が高校を卒業したら家族でこっちに戻って来い
まずそう言いました
それからどうしてそんな話をするのか
聞いたら
その理由を色々と語り始めました。
裕太は震災で大阪に行って以来
頻繁におじいちゃんと連絡をとってた事が分かりました
どうしてそうしてたかと言うと
裕太とおじいしゃんの思いが一致していて
それを実現しようとしてたのです。
裕太は
大学は関西で出たい
そんな思いを強く持っていました。
その理由は
大阪に行けば身内がいるからです。
このまま関東にいても
両親が亡くなれば
一人ぼっちになってしまいます。
一人っ子で育った裕太は
関西にいる従妹たちを見て
兄弟がいる事
これが羨ましかったのです
その従妹の子たちも
裕太をお兄ちゃんと慕ってくれたので
関東ではいくら長く住んでも湧いてこない
故郷の存在
これを関西に行けば感じるようになったのです。
また山本の父親は
元々三重の出身で
そこには先祖代々住んで来た家と墓があります。
これを守る後継ぎ
これがどうしても欲しかったのです。
山本にその思いを伝えたかったのですが
大学を卒業したら冷たく突き放した訳ですから
自分の都合で帰って来い
とは言えなかったのです
しかし裕太が震災の後来てくれて
じっくり話した結果
祐太も自分のルーツに対する思いが強く
三重の家もお墓も自分が守っていくから
と言ってくれました。
この言葉に祖父は
裕太に今後の事は託す
そう決めた訳です。
しかし山本は
その父親の申し出を断りました
明美がいるから関西に戻る事はできない

すると父親は予想してかのように
そうか
と一言言った後
裕太は本人も希望してるので関西で大学に進学するのであれば
一人で来させて欲しい
と言った後
その代わり
大学にかかる費用と裕太の生活の費用はすべて自分が出す
そう言って来ました
山本としては
自分の子供の事は自分で責任を持つ
そんな思いが湧いてきましたが
よく考えれば
裕太ももう高2
人生は自分で選択する
この権利があるはずです。
ですから
最後は
裕太がそうしたいと言うのであれば
それを止める権利は俺にはない
そう言って電話を切りました。
そして
裕太に
お前は本当にそうしたいのか?
と再度確認すると
これからは自分も自分の人生を歩むから
お父さんも自分の生き方を貫いてほしい
そう答えました。
山本はこれで会社を辞める決断がつきました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・33

2020年02月23日 | 不動産業界

この1995年は阪神淡路大震災以外にも
一連のオウム真理教の事件とそれに続く強制捜査があり
大変騒がしい年でした。
オウム真理教の事件は悲惨でしたが
山本はその信者の気持が分かるような気がしていました。
と言うより学生運動をしてた頃
回りには似たような人間がたくさんいたのです。
学校の成績が少し優秀で
それゆえに少しプライドが高く
そのプライドが
マルクスやレーニンのように
自分が学校の勉強以外で得た知識
ここに傾倒する事によって
他の人との差別化欲求を満足させたり
あるいは
建前はベトナム戦争に反対だったり
あるいは資本主義の労働者搾取の構造的欠陥への反発だったり
そんな事になっていますが
実際には頑張って希望の大学に入ったのに
彼女も出来ずに悶々としてた
そんな若者が異性として出合う機会を与えてくれる
そんな若者特有の欲求が混ざり合って
大きなエネルギーとなり社会を揺れ動かす
これが今山本が感じる当時の学生運動の隠れた本質でした。
ですから山本も含めて
その運動の中でたくさんのカップルが出来たのです。
ただ学生運動の中でも
一部の人間は本当に革命が必要だと強く思っていて
それがしっかり自分の脳に居座り
最後はテロ行為まで走る
そんな人達がいました。
それがたくさんのテロ事件を引き起こしたのです。
この構造が間違い無くオウムの中にもある
これを感じて
ある意味オウムの若者達が
自分の学生時代とかぶって見えたのです。
勉強は出来るけど内気な若者達は
時にはその異性を求める本能が
理性を封じ込めて
悲惨な事件を起こす
そう思うとオウムの事件は
またいつか繰返す
それが分かって暗い気持になりました。

不動産の世界では住専の経営危機が大きく影響していきます。
銀行も不動産向け融資は
住宅ローンだけ
って所も出て来ました。
こうなると仮需はほとんどが消え去り
売買の世界冬の時代となったのです。
山本も新しい会社で3年目に入りましたが
建築の営業の現場も色んな変化が起こって来ます。
特に耐震問題
これは阪神淡路大震災以降
お客様の意識も高まりましたし
行政も耐震基準のハードルを上げて来ます。
品確法では10年保証が義務づけられるようになり
ハウスメーカーも地盤に神経を使うようになってきました。
そんな中
山本の中には今の仕事に迷いが出て来ました。
それは建物をお客様に売る訳ですが
建物は何十年と住む訳で
果たしてそれに見合うだけの商品を提供してるのか?
建築会社にいながらこの確信が持てなかったのです。
そして
仕事の迷いはすぐに会社の迷いに替わります。
その年の秋にその迷いが大きなトラブル発展しました。
山本の会社の営業は
主に自社で所有する土地をお客様に購入してもらい
その上に建物を建てて貰う
所謂建築条件付土地の販売
これが主流でした
その日もお客様を自社で所有する土地を案内しましたが
どうもお客様の反応はいまいち良くありません。
そして山本は今回は一旦お帰り頂く事にしました。
では他に良い物件が出たらご連絡します
と言ってお客様と別れようとすると
その様子を見ていた店長が山本を呼びました
そして
新しい図面を出して
この物件を勧めるように言って来ました。
言われるままその物件を見せると
お客様は現地を見て見たい
そう言いましたので
すぐに車で案内しました。
すると
お客様は気に入り
それを決めたい
そう言って来ました。
山本は社内に戻り
購入申込書を書いてもらい
そして土地の契約と
建築の日程を決めてお客様にお帰り頂きました。
店長の助け船で決まりましたので
すぐに報告と御礼に店長の席に行くと
店長も上機嫌で
な!俺もお客様の話を後ろで聞いていてピッタリだと思ったんだ
と答えました。
ところが
これがその後
山本と店長の間で大きなトラブルになります。

店長が出して来た土地
価格は4480万円 仲介料不要
そう書かれていました。
まぁ全て社有物件を売ってる訳ですからね
仲介料が無いのは当然です。
山本は仲介時代から癖になってる事があります。
買い付けを貰うと
それから
それより良い条件の物件が出てないか?
契約まで毎日レインズで検索するのです
お客様は他社と競合してますから
買い付けを貰っても
他社から良い物件を紹介されれば
こちらの契約はキャンセルになります。
ですから
もし良い物件が出たら
買い付けを貰っていても
他社より先に紹介する
これを心がけている訳です。
今回も
翌日に早速レインズを叩きました
すると
一つだけヒットしたのがあります。
良く見ると
地積も建ぺい率も容積率も駅からの距離も
山本が契約しようとしてる物件と全く一緒です。
ただ一つだけ違ってたのが価格です
3880万円でした。
山本は図面を取り寄せようとすぐに業者に電話を入れると
相手は契約予定が入ってるので図面は送れない
との返事でした。
山本は理解できないまま店長に報告に行きました。
今回自分が紹介した社有物件
レインズで出ていてまだ契約は終ってないと言ってます
すると店長は
呆れたように
まだレインズから落としてなかったの?
落とすように言ってあったのに
って答えました。
不動産業界の長い山本は
この店長のひと言で全てを悟りました。
この物件を店長は客付け買取で売ろうとしてるのです。
レインズに出てる物件を
お客様に高く紹介して
契約の意思を示せば
売却と同時に購入の契約をする訳です。
お客様の立場からすれば
本来600万も安く買える物件を
高く買わされる事になりますから
バレればモメます。
だから店長は元付け業者に
自社の買い付け入れてレインズから落とすように言った訳です。
それを知った山本は食って掛かりました?
まだ自社物件では無いのに
私に社有として紹介させたんですか?

すると店長は
購入予定の物件を社有として販売する事は法的に全く問題無いだろう?
と声を荒げて来ました。
店長の言う通りです 法的には
ただ山本が言ってるのは法ではなくモラルの事です
それでは顧客を合法的に騙す事になる
そこが納得できないのです。
ですから話しは噛み合いません
業を煮やした店長は
それでは山本はどうしたいんだ?
って聞いて来たので
お客様にいきさつをしっかり説明して
それでも購入すると言うのであれば話しを進めたいと思います
と答えました。
すると
店長は
そんな事言われて契約するバカはいないだろう
と吐くように言って来ました。
山本は
そうであれば今回の契約はするべきではありません。
と答えました
すると店長は呆れ果てて
山本お前はどれだけこの業界で仕事をしてきたんだ? 
客付け買取りなんて普通にどこでもやってるだろう?
と言ってきました。
すると山本は
どこでもやってる訳ではありません
それをやる業者は自分の力が無いのに人のふんどしで相撲を取る
そんな情けない業者ばかりです。
当社がそれをやれば
そんな業者と同類になり下がってしまいます。
絶対にやるべきではありません
と強く反論しました。
すると
店長は
なぁ山本
ウチの会社はお前が思ってるほど立派な会社では無いんだよ
体裁にこだわらず何でもやってるから
今の時代に急成長してるんだよ
黙ってる山本に店長は言いました
もしお前にそれだけの気高い気持があれば
うちの会社は辞めるべきだ
お前が辞めると俺もダメージが大きいが
納得できなくてもある程度目をつむる
これができなければ
これから先はどんどん会社との軋轢は深まると思う。
店長の突き放すような言い方に
逆に山本は
この店長も
あえて自分の思いを封印してこの仕事をしてる
これが伝わってきました。
そして
そんな事をしても守る物があるからそうしてる
これも
店長が3人の小さい子どもを抱えてる事情から察する事ができました。
そこで山本は冷静になりました
店長ありがとうございます。
明日まで色々考えますので
また明日少しお時間を下さい
と言いました。
店長もその言葉に緊張が解けたようで
良く考えて下さいね。
と初めて丁寧な言葉を山本に投げかけました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・32

2020年02月22日 | 不動産業界

明美が戻って来て
また家族三人の生活が始まりましたが
明美は薬を飲んでる時には
幻覚を見る事無く元の性格に戻りましたが
油断して薬を飲まないと
また明らかに幻覚症状が現れました。
最初に明美に異常が出て4年
極端に悪化してる訳ではありませんが
しかし山本の中では少しずつ悪くなってる
そう感じていました。
今の状態であれば何とか普通の暮らしができるが
もし更に悪化したら?
この不安が山本にずっとつきまとう事になります。
そして
その不安は営業成績にも表れるようになって来ました。
今の会社に入社して1年
ここまで順調に売上を上げていましたが
明美が戻ってからは
山本の売上も落ちていました。
10歳年下の店長は
山本の名前を呼び捨てで
言葉もタメ口でしたが
成績を上げてる内は
山本に厳しい言葉を投げかける事はありませんでした。
しかし最近は
“経験が長いんだからもう少し何とかしてよ”
みたいな話しをするようになっていました。
この厳しい状況に陥って
山本は初めて気付いた事があります。
それは
前の会社でもずっと成績は良かったので
どこか自分の能力を過信してた
その事に気付いたのです。
当時は
明美は健康で
専業主婦で家の事は全てやってくれるし
祐太も順調に成長してましたから
家庭の心配事は全く無かったのです。
そして一番大きいのは
明美は秋田の寒村育ちですから
自制心があって
山本がどんなに遅く帰ろうが
休みに仕事に行こうが
一切文句を言わなかったのです。
今にして思えば
この家庭環境に恵まれていたから
自分は思いきり仕事にエネルギーを注ぐ事が出来た訳で
能力と言うより環境
これに恵まれただけ
今家庭に大きな問題を抱えるようになって
初めてこの事に気付いたのです。
その事に気付くと
以前は同僚を
単に営業成績だけで見ていましたが
それは大きな間違いだった
そう思うようになったのです。
以前の会社で山川店長から集中的に責められた中山と言う若い社員
今思い出すと
彼はお母さんと二人暮らしで
母親がパニック傷害を患ってると言っていました。
その時にはその病気が何だか良く分からないし
聞き流す程度で済ませてたのです。
今にして思うと
もっと理解して
母親の状態も聞いてあげて
もし悪い状態であれば
早く帰らせる事もできた
そんな事が頭をよぎり
罪悪感も沸いて来るようになりました。
今山本は明美の状態を店長には打ち明けていますが
しかし店長はその話を聞いても
全く気にかける様子も無く
分かった
としか言いませんでした。
山本は少しむっとしましたが
しかしその時の店長の態度は
自分が中山から母親のパニック障害を打ち明けられた時の態度その物
それに気付くと
店長を責める気にはなりませんでした。
営業マンは
会社に来れば同じ土俵で仕事をする訳ですが
しかしそれを支える家庭には
大きな差がある
明美が病気になり
自分の成績が低迷して
初めてその事に気付いたのです。
しかし山本は経済的に余裕はありません。
いくら明美を守りたいと思っても
まずはお金を稼がなければなりません。
前の会社では
明美が具合が悪くなった時に
会社を辞めるつもりで無期限の休職を申し出ましたが
しかしそれが出来たのは
明美が5500万の残価がある証券会社の取引明細を見せてくれたからです。
そのお金は吹っ飛びましたので
さし当たり毎日の生活
これを守る事が第一であり
明美の具合が悪くなったからと言って
寄り沿いたいので会社を辞めます
なんてとても言えない訳です。
ですから
家庭に大きな重荷を背負うようになっても
仕事を頑張る
これしか無い訳です。
年が明けて1995年

1995年1月17日
山本が朝起きてテレビを点けて見ていると
番組の途中で
関西で地震があった模様
と言う報道が流れて来ました。
まだ早朝と言う事で
映像は全く流れてきません。
山本は大阪に両親と
8歳年下の妹が住んでいます。
心配になりましたが
テレビの報道からは
まだ深刻さは伝わってきませんでした。
一応すぐに電話を入れると
実家には繋がりませんでした。
もしかしたら被害があったのか?
と思ってテレビを見ていると
相変わらず報道からは緊迫した様子は伝わってきません。
多分大丈夫
そう思ってそのまま会社に出社しました。
会社に着くと
もう大騒ぎになっていました。
ただ
相変わらず詳しい状況は分かりません。
ただ
ヘリコプターからの映像では
ところどころで煙が上がってる模様
その程度でした。
しかしその日は
時間を追うごとに
この地震が尋常ではない様子が伝わってきました。
翌日は水曜日で会社は定休日でしたので
山本はずっとテレビの画面に見入っていました。
映像がたくさん流れてきましたが
ビルが崩壊したり
高速道路が崩れたり
これまで想像すら出来なかった
そんな光景が次々に映し出されました
山本の両親はそんな映像が流れても
連絡が付きませんでしたので
最悪の事態も頭に入れてテレビ画面に両親の家が映らないか
それをずっと気にしながら見ていました。
家の映像は映りませんでしたが
夕方になってやっと連絡が付きました
幸い両親も妹家族も
棚から物が落ちたくらいで
大きな被害は無かった
これが分かって安心しました。
と同時に
自分は随分長いこと
両親や妹と連絡を取って無かった事
これに気付きました。
大学を卒業したら
追い出されるように家を出て来ましたから
両親はもう頼れない
この気持が強く
自分の事で精一杯だったからです。
妹は8歳も年下ですから
小さい頃の思い出しか無く
今は小学校の教員をしていて
子供も3人いる
なんて言われても実感は湧きませんでした。
ですから
ケンカした訳ではありませんが
自分の身内とは疎遠になっていたのです。
それでも祐太が就学前と小学校低学年の時
2回実家に連れて行きましたが
日ごろは特に電話する事もありませんでした。
しかしこの地震で
両親と妹に対する愛情
これは自分の中にしっかり残ってる
これに気付かされ
何か複雑な気持になりました。
それ以上に驚いたのは祐太の行動です。
地震の報道を見て
かなり気が高ぶっていました
大阪に連絡が付くまでは
何度も山本に電話をするように迫り
とにかく心配してたのです。
やっと両親に連絡がついて無事だと伝えると
祐太は安堵した様子でしたが
思いがけない事を口にしました。
来週おじいちゃんの家に行ってくると
これまで小さい頃にしか会ってないのに
なんでそこまで祖父母に思いが行くのか?
山本にはいまいち理解できませんでした。
ですから
山本は両親の無事を知ってからは
普通に会社に行き
実家の話題も家では出しませんでした。
その態度に
祐太が少し怒りました
お父さん冷たいよ

しかし山本は逆に何で祐太がそれほど祖父母が気になるのか?
分かりませんでした。
ですから山本も尋ねました
逆にお前はなんでそこまで気にするのか?

その時の祐太の答え
これが山本には衝撃的でした
だって
大阪のおじいちゃんおばあちゃんと
叔母さんしか自分の身内はいなんだよ
と祐太はすぐに答えたのです。
言われて見れば
明美は一人っ子ですでに両親は他界してますし
祐太も一人っ子なので
大阪にいる三人しか身内と呼べる人はいないのです
それを知らされて
山本は
実家と疎遠になってた事
これに後悔の念が沸いてきました。
結果的に祐太には淋しい思いをさせてしまったと
それが理解出来ると
山本は祐太に
是非行ってこい
と言って
大阪に行かせました。
金曜日に行って
日曜日に帰って来ましたが
祐太の口からも
大阪の惨状は伝わってきました。
町がぺしゃんこになってた
そう表現していました。
ただ
おじいちゃんと色んな話しをしてきた
そう言ってましたが
その中身については
あまり語ろうとはしませんでした。
ただ
山本は
もう祐太はもうすぐ自分の手の届かない所に行ってしまう
そう感じていました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・31

2020年02月21日 | 不動産業界

祐太の入学式には
明美は戻ってきました
両親の介護で
秋田に行ってから1年以上が経過していました。
母親は施設に短期間預かって貰った
そう言っていました。
山本も新しい職場で1年が経過して
すっかり慣れて
一時的にせよ
昔の平穏な生活が戻ってきました。

明美は10日後に秋田に戻る
その予定で来ていました。
介護施設でもそう伝えて預けてきました。
久しぶりに一緒に暮らす明美は元の元気さを取り戻した
そう見えたのですが
毎日暮らすと
明美の心の中に忍び込んだ得体のしれない物が
少し大きくなった事が分かりました。
最初の異変はお風呂でした。
山本が仕事から戻り
お風呂に入ろうとすると
まだ沸いていませんでした。
以前は山本が帰宅するまでには
祐太も明美もお風呂を済ませてる
これがいつもの事でしたので
山本は不思議に思い
明美に
今日はお風呂が遅いね
って言うと
明美は
一度沸かしたんだけど
お隣のお爺さんがお風呂に生ゴミを入れてしまったの
って言いました。
山本は
明美は入れる所を見たの?
って聞くと
見てはないけどこんな事をするのはあのお爺さんしかいないから
と答えました。
そして山本は
そのお風呂にあった生ゴミはどうしたの
って聞くと
お風呂の栓を開けて流した
そう言いました。
山本は
生ゴミが入ってるのにお風呂は詰まらなかったの?
って聞くと
詰まらないわよ
生ゴミは魚が食べてくれたから
と言いました。
山本はもうそれ以上聞くのは止めました
そして
翌日になって秋田のお母さんが入所してる介護施設に電話しました。
すると
担当の方が言うには
もう明美さんにはお母さんの介護は難しいので
別の方法を考えましょう
と驚きの言葉が出て来ました。
詳しく話しを聞くと
明美は明らかに精神を病んでいて
石油ストーブの上に
そのまま洗濯物を積んだり
時には
半日もお風呂の掃除をしてる
そんな話しをお母さんが介護施設の担当に語っていて
もう明美とは暮らせない
そう言ってるって事でした。
山本は
何となく感じてましたので
意外と言う感じではありませんでした。
そして
明美を秋田には行かせない
そう決めて
今後の母親の事は
金銭的には全て山本が負担して
施設にこのまま預ける事にしました。
多少の世話は
近くに住む明美の従妹がやってくれる事になり
何とか道筋は立てられました
問題は
明美にその事をどう伝えるかです。
あれこれ考えましたが
妙案は浮びませんでした。
祐太とも相談しましたが
祐太は高校生活で忙しくて
お父さんに任せる
それしか口にしませんでした。
そうこうしてる内に
その話しができないまま時間が過ぎて
明美が秋田に戻る予定日の2日前になりました。
仕事を終え
山本が10時過ぎに帰宅すると
明美の方から山本に
もう秋田には戻らない
と言ってきました。
驚いて
どうしたの?
って聞くと
昨日お母さんが死んじゃったから
と言いました。
その言葉を聞いて
明美の病状は
もうかなり進んでる
そう感じた山本は
その理由を聞かずに
明美を病院に連れて行く事にしました
幸い翌日は休みなので
早めに床に着いて
朝が来るのを待っていました。
少しゆっくり起きよう
と思っていたら
7時に自宅の電話が鳴りました。
こんなに早くどこからだろう
と思って山本は起き上がり
電話を取ると
秋田の介護施設の担当者からでした。
そしてその口からは
驚きの言葉が出て来たのです。
夕べお母さんが急死した
って話しでした。
山本はすぐに
その話しは昨日明美に話しましたか?
と聞くと
話してない
と言われました
この世には
科学では割り切れない何かがある
学生の頃唯物論を疑わなかった山本の脳裏に
初めてそんな物では世の中の出来事は説明しきれない
そんな思いが湧いてきました。
すぐに秋田行かなければならない所ですが
山本はまず精神科に明美を連れて行きました。
すると
先生は予想通りの診断を下しました
精神分裂病
これから長い付き合いになりすよ
と言って薬を処方しました。

結局山本と明美は母親の葬儀には行きませんでした。
お寺に明美の事情を話すと
住職さんがすべて段取りを取って下さると言ってくれましたので
山本は言われた費用を祐太に持たせて
全てお願いする事にしました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・30

2020年02月20日 | 不動産業界

義父の葬儀を終えて秋田から戻ると
すぐに新しい会社での仕事が始まりました。
建築会社ですから
まず建物の基礎的な知識を身に付けるための研修が始まりました。
そこで初めて山本は
自分の建築の知識がいかに乏しいが
思い知らされる事になります。
建築用語もほとんど知らなかった事に自分でも驚きました
15年も不動産の営業をしていて
たくさんの家を仲介したのに
実際には建築の基本知識を欠如したまま売ってたのです。
まぁ良く考えれば
不動産屋はそれで務まるって事の証明でもあります。
建築の一通りの知識が付いたら
数軒の店舗を回り実習が行われました。
先輩営業マンが接客してるのを側で聞いていたり
また会議の場にも参加しました。
そうやって3ヶ月の研修期間が終えたのですが
上司から打診がありました。
面接の時に言った通り
山本さんには店長として仕事をしてもう
そんな予定になってる事
そしてすぐに店長は無理だから
他の店舗でしばらく副店長として修行して貰う
そんな指示でした。
しかし山本は営業会議も参加して
自分には店長は無理
そう判断していました。
性格的に
この会社の店長達のように
体育会系のスタイルで部下を指導する
これが出来ないのです。
ですから言いました
自分は一番下からスタートさせて欲しいと
そう言われれば会社としても受け入れる以外にありません。
小田急線沿いの店舗に配属され
新入社員としての生活が始まりました。

仕事は決まりましたが
明美は父親が亡くなって半年が過ぎようとしてるのに
帰って来ませんでした。
理由は
一緒に同居しようと勧めても
ここで死なせてくれ
そう頑なに拒否してるのです。
一人で置いてく訳にもいかずに
ずるずる時間が過ぎていったのです
明美からは相変わらず毎晩電話がありますが
山本と祐太に申し訳無い
そんな気持が伝わってきましたので
山本も
お母さんが納得するまで焦らずにゆっくり秋田にいるように
そう伝えました。
そして自分の仕事も決まったので
その間仕送りも出来る
だから金銭的にも心配要らない
そう言って安心させていました。
それと
秋田にいると
明美は精神的にも安定していて
その意味でも
むしろしばらくそこに居て貰いたい
そんな気持も山本の中にはありました。
祐太も
友達と過ごすのが一番楽しい時期で
母親が居ないから淋しい
なんて気持は全く無い
これも山本は毎日一緒に過ごして分かっていました。
ただ
少し心配もありました
まだ山本は歩合給を稼いでないので
秋田に仕送りをすると
生活に余裕が無く
祐太は私立には行かせられない状況でした。
それは祐太にも伝えてあって
祐太は大丈夫だから
と心強い言葉をくれました。
実際に祐太は学年でもトップクラスの成績で
地域の進学高にも偏差値で見ると
十分合格するだけの力がありました。
ただ
祐太自身は
滑り止めが受けられないので
ワンランク落とした高校を志望高と決めていました。

山本が配属された店舗の店長は
10歳も年下の若い店長でしたが
多分なめられないようにと思ってるのか
山本の名前は呼び捨てにして
言葉もタメ口でした。
以前の会社の宮本店長は
年上にも関わらず
山本にはさんづけでしたし
普段の会話も敬語でしたから
それと比べると
違和感がありましたが
しかしこの程度の事を受け入れられない訳ではありません。
それと
言葉はタメ口でも
営業会議で山本が責められる事はありませんでした
まぁしかしどこの会社でも
慣れるまではお客様扱いをしてくれますからね
その間に成績を上げて認めて貰う
山本の頭にあるのはそれだけでした。
山本の会社は建築会社とは言っても
実際には自社で所有する土地を売却して
その上に建物を建ててもらう
これが主な仕事でした。
ですから
営業の仕事は
お客様に土地を案内して
気に入れれば
建築プランを提案して
そして土地の契約と建物請負契約を同時に行う
これが一つの流れでした。
それと建物プランになれば
実際には設計士が打ち合わせをしますので
せっかく身に付けた建築の知識も
それほど披露する機会もありませんでした。
そうこうしてる内に
2ヶ月目で初契約
それからはコンスタントに月に1棟は契約して行きましたので
歩合も入るようになり
生活も少し安定してきました。

やがて年が明け1994年になりました
年が明けると
すぐに祐太の高校受験の願書提出です。
祐太は志望高については
ワンランク落とすと決めていましたが
それは明美には伝えてませんでした
明美は祐太の偏差値からすれば
当然トップの高校に行く
そう決め付けていました。
それが分かってますから
祐太は願書を提出する前に
明美に電話をしました
志望高をワンランク落とすと
明美はそれを聞いて
何でそうするのか?
尋ねたら
滑り止めが受けられないので
確実に受かる所にしたい
そう言ってきました。
そしてその理由を
うちには経済的な余裕が無いから
これもはっきり伝えました。
すると明美はお父さんに電話を替わるように言いました。
山本が替わると明美は
実は祐太が産まれたときから始めた郵便貯金の積み立て
それには手を付けてないから
最悪公立が受からなくても
それを滑り止めの入学金に使って欲しい
そう言いました
山本がいくらあるのか?
と聞くと
300万と少し
そう言いました。
明美は
自分の身体がおかしくなっても
祐太の事は考えてた
これが分かると
山本の中から熱い思いがこみ上げてきました。

そして祐太は
第一志望に切り替え
見事に合格しました。
積み立てた貯金も崩す事無く
ただこの浮いた300万
精神的には本当に有難い物でした。
いざと言う時にそれだけのお金がある
これだけで
それまでお金に追い詰められて苦しんでた自分の心が
軽くなる
これを感じていました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・29

2020年02月19日 | 不動産業界

秋田に戻った明美は
毎日夜になると電話をかけて来ました。
離れてるとどうしても心配になるようで
山本に何度も大丈夫かと確認したり
祐太に電話を代わったりして
大体終って見れば1時間近くも話してる
その繰り返しでした。
ただ山本は
明美が居なくなる前は
それまで家事は全部明美がやってくれてましたので
大変だろうな?
と思って覚悟していましたが
実際に居なくなって見ると
祐太が掃除はしてくれますし
洗濯は自分の分は下着だけですから
数日に1回だけ洗濯機を回すだけなので
思ったほど大変では無い
そう感じていました。
ただ明美には
大変だけど頑張るから心配しないで
とだけ言いました。
毎晩かかって来る電話からは
明美からもたくさんの情報が伝わって来ました。
まずお母さんですが
病状は軽く
後遺症は
言葉が少し聞き取りにくくなった事と
手足のマヒが僅かに残ってる
って話しでした。
ですから元とあまり変わらない生活にすぐ戻れる
そんな希望を持っていました。
ただお父さんは深刻でした。
心臓もかなり悪くなってますが
手術には耐えられないので
そのまま経過観察になってるそうです。
ですから
もう長くは生きられない
そんな話しもして来ました。
最後に
何でうちだけこんな目に遭うんだろう?
ってひと言漏らしました
ただ
その言葉に山本は
自分の中に封印してる思い
これが湧いて来ました。
明美には理由は分からなくても
山本は何となく原因が分かっていました。
それは明美が作る食事です。
すべて塩辛かったのです
関西の薄味で育った山本は全く口に合いませんでした
ただ
それは自分の心の中にしまい込んで口には出しませんでした。
明美には
自分はパンが好きだからと言って
朝はトーストとコーヒーにしていましたし
夜は帰りが遅いので
少しだけ外で食べて
家にもどったら
つまみとお酒
これが基本になっていました。
明美は毎日三食味噌汁と漬け物
これを食べていましたので
秋田の家族もこの食事をしてるのであれば
血管はもろくなってる
そう思ってたのです
ですから
山本は両親の脳梗塞自体は
むしろ予期してた事
そうも言えたのです。
そして
その話しをした翌日
朝まだ寝てる山本に明美から電話がかかって来ました。
覚悟はできてましたので
落ち着いた声で
お父さんがさっき亡くなった
そう報告してきました。
長くはないと思ってましたが
まさかその話しをした翌日に亡くなる
なんて思ってませんから
全く準備は出来ていません。
とりあえず山本も祐太を連れて
翌日に秋田に向かいました。
祐太は学校を休む事になりましたが
山本もまだ新しい会社に入社する前なので
5日ほど秋田に居て
お父さんの葬儀を済ませて帰る事にしました。
佐藤家の墓は自宅の裏山にあって
5~6基の墓石が並んで据えてありました。
すでに新しい墓石も作ってあって
お坊さんがお経を唱える中
次々に村の人達が焼香して
納骨まで無事に終了しました。
他の皆さんが去った後
お母さんと明美
そして山本と祐太
この4人だけでしばらく墓の前にいました。
すると
山本が気付きました
お父さんの墓の横に小さな墓石がありました。
刻まれた名前を見ると
祐一と書かれていました。
山本がお母さんに
これはどなたですか?
と尋ねると
お母さんに代わって
明美が答えました
その下に眠ってるのは私の兄ですと・・
山本は明美にお兄さんがいたなんて話しは初耳でしたので
少し驚いた表情をしました
それを見て
お母さんが不自由な言葉で話し始めました。
この子は明美より5歳年上で
終戦の前の年の冬に生まれたのですが
1歳になった時に
いろりの前で寝かしてたのですが
しばらくして様子を見に行ったら息をして無かったそうです。
当時は終戦前で
村の若者も何人か戦死して戻って来てましたので
大げさに葬儀をする事もできずに
近い身内でそっと葬った
そんな話しをしていました。
お父さんは
祐一が生まれた時には
跡取りが出来たと喜んでいましたので
その突然の死は
かなりショックで
しばらく農作業も出来なかった
そんな事を話してくれました。
ここまで話しを聞いて
明美が自分の子供に祐太と言う名前を付けた理由も察しが付きました。
多分両親は
いずれ明美が婿を貰って跡を継ぐ
これを期待してたのだと思います。
ただ明美は
一度は東京に出たくて村を離れた
そして山本と出会い結婚した
それが両親の希望をくじく結果になり
明美はその罪悪感から
子供に祐太とつけて
両親に
家の事は忘れてないよ
ってメッセージを送ってた
そんな風に感じたのです。
実際明美は
両親の苦境に接して
今自分が支えになろうとしてる訳です。

翌日帰る時に山本は明美に言いました
俺たちは大丈夫だから好きなだけ居て良いよ

すると明美はその言葉に救われたかのように言いました
お母さんを家に引き取っても良いかな?
って
山本は予想してませんでしたので
一瞬戸惑いましたが
すぐに言いました
明美とお母さんがそうしたいのであれば
俺は全く構わないよ

そして祐太と一緒に自宅に戻りました

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・28

2020年02月18日 | 不動産業界

しばらく明美の側にいてやりたい
そう思って辞めた会社ですが
しかしお金が無いとなれば
のんびりして居られません
失業保険が切れる前に新しい就職先を見つけなければなりません。
ですから
それから毎日職安に通い続けました
もう自由の利く仕事
なんて言ってられませんから
そうなると
どうしても経験のある不動産に目が行きますが
残念ながら
固定給が安かったり
評判の悪い会社だったりで
中々見つかりませんでした。
明美は
財テクの失敗を山本に告げてすっきりしたのか
すっかり元の元気を取り戻していました。
山本は
これなら勤務時間を気にせずに仕事を選ぶ事が出来る
そう思ってた矢先に
また問題が起きました
秋田にいる明美の両親
5年前にお父さんが脳梗塞で倒れて
車椅子生活になっていましたが
そのお父さんをお母さんが一人で面倒を見ていました。
そして
あろう事かそのお母さんも脳梗塞で倒れたのです
その知らせを聞いて
明美は
一人っ子なので自分が面倒見るしか無い
そう覚悟して
山本にしばらく秋田に行きたい
と告げました。
祐太が4月から中3になり
高校受験の大切な時期になりますが
そんな事は言って居られません
祐太にも相談すると
自分は全く問題無いから
と言ってくれたので
明美はすぐに秋田に向かいました。
そして
いつまで続くか分からない
祐太と山本
二人だけの生活が始まりました。
しかし山本に悩んでる時間はありません
早く仕事を見つけて
収入を安定させなければ
考える事はそれだけです。
祐太の入学金やら
秋田への仕送りやら
とにかくお金がかかるのです。
さし当たり
肉体労働でもトラックの運転手でも
金になるならなんでもやろう
そう決めて
職安だけでなく
求人情報誌や
スポーツ新聞まで全て目を通して
面接に行きたいと思う会社に赤ペンで丸をつけてた時です。
自宅の電話が鳴りました
取ると
相手は信じられない人間でした。
山本が辞めるきっかけになった
服部さんです。
この女性
山本との事はすっかり忘れたかのように
悪びれる訳でも無く
謝る訳でも無く
普通に話し始めました
たくさんの人間に出合ってきましたが
そんな人種は初めてです。
今成績をガンガン伸ばし続けてる話は耳に入っていましたが
もしかしたらその原動力は
人間離れした図々しさ
これだと思いました
山本にはそんな図太い神経はありませんので
絶対に勝てない
そう思い知らされた瞬間でもありした。
そして用件を聞くと
この服部さんが土地をいくつも買って貰ってる建築業者があって
そこの社長に
誰か良い社員は居ないかと聞かれたので
すぐに山本さんの事を思いだして電話した
そんな話しでした。
もし採用になれば
いきなり店長として迎えてくれる
そうも話しもしてくれました
そして店長としての収入
これも破格でした。
山本はこの会社の事は良く知っていました
と言うより
業界では有名だったのです。
まだ出来て数年
しかもバブルがはじけた後の開業なのに
もの凄い勢いで急成長してるのです。
ただ
急成長の会社に多い悪い噂も耳に入っていました。
体育会系の根性主義だとか
社員が定着しないとか
そんな話しです。
しかしどんな会社であれ
急成長すれば悪い評判は立ちます
それは
嫉妬とか
あるいはその会社について行けずに辞めた社員が
自分のプライドを保つために
悪く言う
良くある話しです。
実際に山本のいた会社も
その意味では同業者の間での
の評判は良くありませんでした。
関西系の会社でしたので
どうしても成績至上主義に走ってしまって
関東の会社とは明らかに毛色が違っていました。
社会の評判がどうであれ
その会社の事は自分が一番良く知ってますから
そんな話しの良い加減さも分かってたのです。
山本は服部さんの申し出に乗る事にしました
どんな会社であっても
そこまで急成長するのであれば
中から見てみたい
そんな思いが湧いて来たのです
そしてそれ以上に
山本には金銭的に差し迫った事情があったのです。
そして
面接に行くと
そこにいたのは社長でした。
還暦を過ぎていますが
想像してたイメージとは違い
温厚な人でした
この人が会社を急成長させてる?
意外でした。
そして社長はその場で山本の採用を伝え
3か月の試用期間と研修
それが終えたら店長として正式に採用する
そう伝えたのです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・27

2020年02月17日 | 不動産業界

自分たち家族を苦境に陥れた証券会社の営業マン
抗議に行くと謝るどころか開き直り
結果山本は暴力を振るってしまった
しかし冷静になって思い出すと
明らかにその営業マンの表情には
罪悪感では無く
山本に対する怒りが浮んでいました。
自分が悪いのになぜ怒ってるのか?
それを知るために
そして
翌日
菓子折を持って自分の暴力を詫びるために
またその証券会社に行きました
強ばった顔でやってきたその担当は
幸い目立った怪我はありませんでした。
山本は立ち上がり
深々と頭を下げ
昨日は済みませんでしたと
心から謝罪しました。
その態度に
その営業の表情も一気に緩んだのが分かりました。
持参した菓子折を渡すと
お気遣いありがとうございますと言って受け取ってくれました。
それから
山本は
もうお宅を責める気はないが
どうしてそんな事になったのか?
いきさつを話して貰えないか
と尋ねました。
最初は少しためらった様子でしたが
意を決したように
話し始めました。
奥さんは
最初は100万円だけ投資して株を始めた事
そしてそれが順調に増えて行き
時には一つの銘柄に500万も買いを入れるようになった事
そんな話しから始まりました
山本は履歴を見ていましたので
金額が増えていったのは分かって居ました。
そして営業マンは続けました
1時所有してる株の総額は6000万近くにまで増えましたが
株価が下落し始めると
あっと言う間に4000万円を切りました
私はそこで奥さんに
少し休みましょう
と言ったのですが
奥さんは
ご主人に残高を見せたために
この数字を見せるとショックを受けるから
なんとしてでも元に戻したい
そう言って来たのです。
私は気が進みませんでしたから
電話での注文ははぐらかしてましたが
その内に会社にやって来るようになって
ボードを見ながら注文を入れるようになったのです。
こうなると
社内の人間が見てますから
もう私には断わる選択肢は無かったのです。
その結果全て裏目に出て
あの残高になった訳です。
そこまで聞いて山本は
この男は本当は怒る相手ではなく感謝する相手
その事に気付きました。
そしてその社員は更に続けました
奥さんは最後は信用取引をしようとしましたが
それだけは私はぜったいに止めるように説得しましたので
なんとか最後は納得してくれました
そこまで聞くと
山本は
目にうっすらと涙か浮んでいました。
はるか年下のこの男に
自分の浅はかさ
これを強く見せつけられたのです。
最後は土下座したい気持でしたが
それでは周りが誤解しますので
手を取って
有り難うございます
とだけ言って
その証券会社を後にしました。
その晩も中々寝付けませんでした。
あの男の言葉
ひとつひとつが胸に刺さったのは
自分の事を振り返ったからです。
不動産が値上がりし始めた頃に
2億4千5百万で鎌田に買わせた物件
これが何度か転売され
最後は6億近くで売買されました。
にも関わらず売主は
山本にひと言の苦情も言いませんでした。
また
8000万で売却した宇佐美さんの家
これも最後は2億を超えましたが
宇佐美さんのご遺族からは何の苦情もありません。
更に
不動産が停滞すると
自分が買わせた物件は
ほとんどが損切りになりました。
にも関わらず自分を責めた人は一人もいません。
それは
皆私が業務として仕事をしてるだけであり
値上がりも値下がりも
結果論であり
自分に責任を問うのは筋違い
これが分かってるからです。
ところが自分は今
妻がやった株取引きの損失に我を失い
暴力まで振るってしまった
何と情けない話しか?
それとその営業マンは
必死に妻を止めたのに
妻が暴走しただけ
一方自分は
心の中では値上がりするのが分かって居ても
全て相手の責任として自分を納得させて
決して不利になる行動をしなかった
また値下がりすると分かっていても
それを買いたいと言えば
何も言わず契約してきた
ここに思いが至ると
罪悪感と共に
自分がなんと情けない人間か
それに気付いたのです。
そして誓いました
もうこれからは
良心に恥じる契約は止めようと・・
これから客に自己責任と言うのであれば
自分の考えも正直に伝えてから相手が決断するのであれば尊重しますが
本心を隠して相手に損害が及ぶのであれば
それは自分の責任
これからがこの姿勢を貫く
固く決心しました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・26

2020年02月16日 | 不動産業界

証券会社に出向いたのは
年が明けてすぐの事でした。
受付で名前を告げて担当の営業を呼出しました。
そしてやってきたのは
まだ30前の若い社員です。
その社員に山本は
明美から預かった封筒の山を見せて
この取引は自分の名前になってるが
了解した覚えは無い
そう告げました。
するとその営業マンは
取引については全て奥さんの了解を取ってる
そう反論してきました。
山本は妻の了解を取ってるとしても
自分は全く承知してないので
これは認められない
そう言いました
しかし
その担当は
ご主人は奥さんに財産の管理を一任してたんでは無いですか?
と冷たく言って来ました。
山本は
自分は妻に一任した覚えは無い
そう反論すると
その社員は
また冷たい声で
であれば
ご主人の財産を勝手に動かした奥さんの責任ですね
と漏らしました。
山本はその言葉に怒りが湧いてきましたが
黙ってると
更にその社員は続けました
一時お預かりしたお金が倍以上になりましたが
その時には何も言わずに
損をしたら苦情を言う
間違ってますよ

痛いところを突かれた山本は
大声で
お前では話しにならん
支店長を呼べ
と怒鳴りました。
するとその担当は
支店長はいちいちそんな事では出て来ません
とまるでバカにしたように言いました。
これまで仕事では冷静さを失った事がない山本ですが
その時には初めて自分を失ってしまいました。
この生意気な男のせいで
妻は病んでしまい
自分は会社を辞めた
この怒りはもう制御ができない程膨らみ
気が付いたら
目の前で
その担当の営業が
顔を押さえてしゃがみ込んでいました。
山本は
逆上して目の前の灰皿を投げてぶつけてしまったのです。
すぐに警備員が駆けつけ
山本は取り押さえられました
そしてしばらくして警察官がやって来て
警察署につれて行かれる事になります。
そこで事情を聞かれた訳ですが
もう山本は話しをする気力を失っていました
ですからひと言
黙秘します
と言って黙ってフテ腐れてしまいました。
警察官はそれでは家に帰れませんよ
と脅してきましたが
学生運動の時には留置場で過ごした事もありますから
その程度はどうでも良い話しです。
翌日仕事がある訳でもありません
何なら好きなだけ拘留してもらって結構
そう腹を括りました。
しばらく沈黙が続きましたが
やがて取り調べの警察官が部屋を出て行きました。
山本は一人取り部屋で待たされてましたが
扉の外には一人別の警官が立ってるのが分かりました。
小一時間ほどしてその担当の警官が戻ってきました。
そして言った事は
被害者は被害届を出さないと言う事ですから
もうお帰り頂いて結構です。
と言って
扉を開けて出るように促しました。
最低でも一晩は泊まる
そう覚悟していましたので
拍子抜けでした。
そう言われて警察にいる事もできませんので
黙って立ち上がり
警察署の玄関から外に出ました。
警察署を出たのは良いのですが
この警察署は駅から歩いて30分もかかる場所にあって
来る時にはパトカーに乗せられて来ましたが
帰りは自分で駅まで行かなければなりません。
バスで行くかタクシーで行くか?
少し迷いましたが
頭を冷やす意味でも
歩いて帰ろう
そう決めて駅に向かって歩き始めました
すると
しばらくして
雨がぱらつき
やがてそれがみぞれに変わりました。
これでは駅に着くまでにはびしょ濡れになってしまいます。
慌てて目の前にある本屋の軒先に入り
タクシーを待つ事にしました。
やがてみぞれが雪に変わりましたが
タクシーは来ません
と言うより
数台通りましたが
手を上げても停まらないのです。
山本は
思いました
プロの運転手は
この天気では早く駅前に行き
長距離の客を拾った方が金になる
そう考えてるかも知れない
と・・
しかし困りました
いつまでもここで待ってる訳にもいかないし
雪は止む気配が無いどころか
本降りになってうっすらと路面が白くなり始めました。
どうしたら良いだろう
と悩んでる時に
ふと
明美と最初に出会った時の事を思いだしました。
三里塚
その時も今日と同じで雨がみぞれに変わりました
そして
気付いたのです
あの時には
雨に濡れるのもみぞれに濡れるのも
全く気にならなかった
そしてお金も無く
就職も決まって無かったのに
なぜか明美がいるだけで
胸が高鳴り
幸福感に満たされた事を
そして

明美は毎日そばにいて
帰る家はある
にも関わらず
自分は暴力を振るうほど狼狽してる
なんと愚かな事か?
ここに思いが至ると
すべて吹っ切れました
明美は信用取引をしてないので
財産は失いましたが
借金がある訳ではありません。
またゼロから頑張れば良いだけじゃ無いか
元々山本はお金の管理はしていませんでしたから
最初から無かったと思えば良い

そして
は気づけば
雪に降られながら
駅に向かって歩いていました。
雪に降られながらも
頭の中は色んな事が駆け巡りました。
そして
あの証券会社の営業は
何で被害届を出さなかったのか
気になりました。
まぁしかし想像はできます。
曲がりなりにも自分は顧客ですから
体面を考えた上司から指示されのかも知れません。
ただ
山本はなぜかそこで思考は止まる事はありませんでした。
あの営業マンは冷たい視線の中に
明らかに怒りの表情が見て取れました。
なぜ罪悪感では無く怒りが?
それに気付くと
理由を知りたくなりました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罠・・・・25

2020年02月15日 | 不動産業界

1992年の12月の事です
服部さんが外出中に
あるお客様から電話がかかって来て
それを若い営業マンの田中君が受けて
そのメモを服部さんの机のメモ差しに穴を空けて止めてたのですが
田中君はその後すぐに来店客があり
そのまま接客に入りました
そしてそのお客様を現地案内する事になり
車で出かけて2~3軒案内して
戻って来たのは夕方でした。
そしてお客様に挨拶をして送り出すと
服部さんが
すぐに田中君に寄って来て
いきなり一方的に怒鳴り始めました
言ってる事は
田中君が受けた電話の相手は
数日前に服部さんが案内したお客様で
内容はその物件を買いたいって話だったそうです
ところが
服部さんが会社に戻って来るのが遅くて
そのメモを確認してお客様に電話をして
買いの意思表示を受けた訳ですが
そのまま元付けに電話したら
今他社から申し込みがありました
と言われた訳です。
田中君がポケベルで連絡してくれたら
自分が契約できたのに
そう思って責めてる訳です。
田中君もさすがにキレて
自分も接客に入って余裕が無かった事
そしてそんなに大切な連絡なら
事前に皆に知らせておくべき
そんな反論をしました。
すると服部さんは
以前と同じで
ヒステリーに火が付いて
あんたよくそんな惨めな成績で口答え出来るわね
一人前の口を利くのは私に勝ってからにしなさいよ
と機関銃のように怒鳴り続けました
それを見ていた山本は
店長を見ましたが
店長は相変わらず下を向いています。
仕方なく山本は服部さんに近づいて
もうこの位にしましょうよ
ってひと言いいました
すると
今度は
その攻撃の矛先が山本に向かってきました。
すっかり興奮して
もう言いたい放題です
役職がありながら
いつも定時に帰る
この山本の姿勢が
この店舗を腐らせてる
そこまで言われました
そして
山本は
また宮本店長を見ました
すると
今度は下を向いて爪を切っています。
この時に決心しました。
もう仕事より
明美を大事にしようと・・
そして
静かに服部さんに言いました
腐らせてるのでは申し訳無いですね
そこまで言われたらもうここには居られませんので
辞めます

その言葉を聞いて
驚いて飛んで来たのは店長です
山本さん脅かさないで下さいよ
これが出て来た言葉です。
ただ
山本は実際には随分前から
この仕事に迷いがありました。
勤務時間は実質的には9時終業
週一回の休みも完全に休めない事も多い
ただ
家族を守るためにお金を稼がなければならないので頑張って来たが
今祐太は中学生になり
自分とはほとんど口を利かない
明美は病んでる
であれば
このままこの仕事を続ける事が
自分にとって良い事なのか?
悩んでいたのです。
ですから
実際には今回の事が引き金にはなりましたが
今更店長に説得されても
もう気持が揺らぐ事は無い
そんな状態だったのです。
もうすぐ平成4年が終ろうとしていました。
年が明けるまでは家族とゆったり過ごし
来年になったら
給料は低くてももっと時間が自由になる仕事を見つけよう
そう思っていました。

しかし
山本は
会社を辞めて
初めて
明美が病んでる理由
そして家庭が置かれてる状況
これに気付く事になります。

山本は自分の家にいくらお金があるか?
それはあえて明美に尋ねないようにしていました。
明美は質素で金銭的にはしっかりしていましたので
完全に任せていました。
ただいくらあるかは分かりませんが
数年前に5500万円の資産があると聞かされていましたので
それが7000万になってるのか?
それとも1億になってるのか?
最悪は増えてないかも知れない
その程度の意識はありました。
逆に言えば
その意識が会社を辞める事になった理由
そうも言える訳です。
少なくとも金銭的に困る事は無い
そう思っていました。
しかし
その思いは幻
それにすぐに気付く事になります。
会社で引継を終えて
後輩達がささやかな送別会を開いてくれて
その日は少し帰りが遅くなりました。
もう12時近くになっていました。
帰ると明美は起きていました。
山本が帰ると
明美は
ご苦労様
と言ってくれました。
山本は
ありがとう少しゆっくりしてからまた今度は時間の余裕のある仕事を探すから
と言いました。
すると
明美は
いきなり大きな声で泣き始めました
山本は理由が分からずに呆然としてると
明美が目の前にある封筒の山を指さしました。
これを見て欲しい
と言ったのです。
それは証券会社の取引明細書の山でした。
最初に一番上にある封筒から中身を取り出すと
大きな字で残高が書いてありました。
70万円と少しの金額が書いてあります。
山本は驚いて
これが今残ってるお金か?
と尋ねると
明美はうつむいたままうなずきました。
山本は
どうしたんだ?
と聞きたかったのですが
じっとこらえました
以前ハワイから帰って流産した時の事を思い出したのです
あの日以来
明らかに明美の心は病んでしまいました。
しかし
それからすぐに元に戻ったのに
ここ1年くらいは
また精神的に不安定になっていました
だから山本も会社を辞めたのです。
ですから
今回は
明美を責める事無く
黙って明細書の山に目を通しました。
すると
そこには
証券会社の営業マンに言われるまま
株の売買を繰り返し
損失が膨らんだのが一目で分かりました。
山本が15年も働いて貯めたお金が
一人の証券会社の営業マンによって
すべて消え去った
そして
その事が山本に言えずに
明美の心は病んで行った
これに初めて山本は気付いた訳です。
ショックではありますが
今明美を責めても
状況は悪化するだけで
意味が無い
そう分かってますから
山本は
そんな事は良いからもう寝よう
と言って
自分も風呂に入りました
そしてすぐに寝室に入った訳ですが
お酒が入ってますから
普段であれば5分で爆睡する所ですが
その夜はどうしても寝付けませんでした。
頭の中は
明美の身体の不安と
金銭的な不安が駆け巡ったのです
そして
その不安は
証券会社への怒りに変わって行きました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする