駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

過去も未来も日常が延々と続くだけ

2015年09月30日 | 人生一般
25期の決算が終わりました。 
 
まぁしかしよくこんなに長く続いたものですよね 
 
34歳で会社を興した時には 
 
せめて子供が独立するまでは頑張りたい 
 
その一心でしたから 
 
今の状況は自分にとっては予想外に上手く行った 
 
そんな感じです。 
 
しかし良い事ばかりかと言うとそうでもありませんね。 
 
私は元来質素な人間ですから経済的野心はあまりありません 
 
ですから生き方としては 
 
もうそろそろ会社から解放されて 
 
農業でもしながらのんびりと・・ 
 
なんて願望が強くなるのですが 
 
会社の経営をするとこれが許されないのです 
 
私は自分の子供の責任からは解放されましたが 
 
社員が次から次へと子供を産みます 
 
そして 
 
産まれると私の所に見せにきます 
 
そして 
 
その生まれたばかりの赤ちゃん 
 
抱かせてもらう訳ですが 
 
物理的には軽いのですが 
 
私の心には大きく重くのしかかる訳です。 
 
この子も大きくなるまで私の責任・・と 
 
ですから 
 
勝手に会社をオシマイ 
 
なんて事は許されません 
 
では私はいつまで頑張れば良いのでしょうか? 
 
悪い予感がしますね 
 
死ぬまで解放されない 
 
なんて恐ろしい予想も頭の隅にはあります。 
 
しかし 
 
自分の死ではなく 
 
会社が立ち行かなくなっても 
 
会社はつぶれる訳ですから 
 
そこで解放されますよね 
 
まあしかしそんな事になっては 
 
皆生活に困ります。 
 
そうならないために全員頑張ってる訳ですから 
 
それは望ましい結果ではありません。 
 
となれば? 
 
まあとにかくスムーズに次の指導者にバトンタッチする事ですね。 
 
ではどうやれば? 
 
一番良いのは生え抜きの社員に引き継げれば良いのですが 
 
まだまだその可能性が見える社員はいません。 
 
このケースは遥か先になります。 
 
 
ふぅ 
 
止めましょうね 
 
先の事ばかり考えるのは・・ 
 
しかし 
 
最近同級生たちが定年の話をすると 
 
本当にうらやましくなりますね 
 
若い頃は明るい将来を夢見て熱く語りますが 
 
実際に将来になった今 
 
別に明るい訳ではありません 
 
私の場合は 
 
日常が過去から延々と未来まで続く 
 
そんな感じの人生です 
 
が 
 
定年退職は 
 
それを期に一気に仕事から解放されますから 
 
明るい未来 
 
そう言えるのかも知れませんね。 
 
まあしかし 
 
実際には私がそんな環境にないから羨ましく思う訳で 
 
定年退職した方達の退屈地獄の話し 
 
よく耳にしますからね 
 
私が憧れるほどでもないのかも知れません。 
 
いずれにしても 
 
週に1回ゴルフを楽しむ 
 
これだけでも中々できない人もいますから 
 
恵まれてると思うしかありませんね。 
 
今日は25期の最終日ですが 
 
水曜日で休みですから 
 
大勢のリタイヤしたお年寄りを連れて 
 
富士山の麓まで行ってきます。 
 
お年寄りの中で飛ばし屋と言われて有頂天 
 
これも悪くないですよ。 
 
では行って参ります。 
 
 
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この世に大人はいませんね

2015年09月29日 | 世間一般

私達は日頃 
 
大人の世界でビジネスをしてると思っていますが 
 
この認識を少し変えるだけで 
 
この仕事の苦しみから解放される 
 
そんな風に思います 
 
具体的には 
 
私達が日々接する同業者、家主、お客様 
 
あるいは司法書士だの税理士 
 
これを全て大人だと言う前提で考えると 
 
相手に求めるハードルが高くなり 
 
そして自分の求める行動を相手が満たさない時には 
 
怒りがこみ上げ 
 
仕事が辛くなるのです。 
 
私は随分前から 
 
この世に大人はいない 
 
それを前提に仕事をしています。 
 
つまり 
 
相手が大人だと思うから腹を立てるのであって 
 
元々子供だと思えば 
 
そんなに腹も立たないし 
 
トラブルを未然に防ぐ事もできる訳です。 
 
私は長年たくさんの人と接して来て 
 
本当の意味で大人 
 
なんてのは滅多にいない 
 
それを痛感しています。 
 
例えば 
 
私達が良く接する税理士 
 
これも社会的な地位が高いのですが 
 
私はたくさんの子供税理士を見てきました 
 
専門職ですからプライドが高いのは分かりますが 
 
しかし税理士と言えども間違いを起こします 
 
税理士の間違いは即お客様の金銭的負担につながる訳ですから 
 
私達がその間違いを指摘する事があります 
 
そんな時に 
 
素直に間違いを認め 
 
謝って訂正すれば問題がないのですが 
 
たまに 
 
自分のプライドを 
 
こじつけと逆切れで保とうとする人がいます 
 
つまり子供です 
 
税理士ですらそんな感じですから 
 
不動産屋はそんな幼稚な営業マンはゴソゴソいます。 
 
元付の調査不足を指摘すると 
 
逆切れして 
 
“おたくとは取引をしない” 
 
何て言ってきた人もいましたね。 
 
つまり 
 
私が子供だと言うのは 
 
自分のミスを素直に認めずに 
 
責任を転嫁したり 
 
あるいはつじつまの合わない言い訳をしたり 
 
また訳の分からないこじつけをしたり 
 
そんな感じで乗りきろうとする 
 
そんな大人が多いのです。 
 
ですから 
 
私は 
 
仕事の上では 
 
相手が大人だと言う前提には立ちません 
 
表面的には子供扱いはしませんが 
 
実際には子供と同じ様に 
 
こじつけをする相手には 
 
あえてそれを指摘せずに聞き流したり 
 
あるいは責任転嫁もそれを強く咎めたり 
 
なんて事は極力抑えます 
 
これを怠って相手を責めると 
 
相手は逃げ場がなくなり 
 
逆切れとなります 
 
つまりだだをこねる子供と一緒です。 
 
子供よりやっかいなのは 
 
だだをこねた子供は時間が経てば機嫌が直りしますが 
 
逆切れした大人は 
 
簡単には元には戻れません 
 
理由は 
 
自分が自分の情けなさを一番知ってますから 
 
原則的にはもう逃げ出したいのです 
 
いつまでも怒っていれば 
 
結果相手と絶縁になり 
 
自分の罪悪感から解放されますから 
 
そんな選択をする人も多い訳です。 
 
何も不動産の世界だけではありませんよね 
 
政治家の皆さんの話も 
 
概ね似たようなものです。 
 
こじつけ、責任転嫁、逆切れ 
 
国会中継はそのオンパレードです。 
 
そんな訳で 
 
私は 
 
原則的に世の中に大人はいない 
 
それを前提に仕事をしてる訳です。 
 
時にはおだて 
 
時にはなだめ 
 
そんな感じです。 
 
 
ふぅ疲れますね 
 
本当に最近 
 
疲れます。 

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人の過去の追及はほどほどに・・自分に撥ね返りますよ

2015年09月29日 | お客色々
沖縄では人気のある翁長知事 
 
私は彼の行動を冷めた目で見ています。 
 
パフォーマンスが過ぎるのです。 
 
何でそう思うかと言うと 
 
私は県知事になるまで翁長さんを知りませんでしたが 
 
県知事になってから調べると 
 
あまりにも変わり過ぎてるからです。 
 
政治信条より知事になりたくて辺野古反対 
 
これが見え見えなんです。 
 
どうしてそれが分かるかと言うと 
 
過去の彼の県議会での発言がネットで調べられるからです。 
 
そうすると彼は 
 
かつてはバリバリの保守で 
 
日本の安全保障のために辺野古移転は欠かせない 
 
そう考えてた人間です。 
 
県議会では当時の太田知事に対して 
 
日本政府に圧力をかけ 
 
辺野古移設を一日も早く実現して 
 
普天間の危険の除去を迫っています。 
 
これがどうして今の県内移設を絶対認めない 
 
なんて事になったのか? 
 
まぁ本人に言わせれば色々あるでしょうが 
 
客観的に見れば変節 
 
このそしりを免れませんね 
 
知事になりたくて 
 
辺野古反対に舵を切らなければ沖縄では選挙に勝てない 
 
そう思って主張を180度変えた 
 
そう思われても仕方がないと思います。 
 
が 
 
なぜ沖縄では人気があるかと言うと 
 
残念ながら今回の国勢調査でも沖縄ネット利用が全国最下位ですから 
 
沖縄ではネットが本土と比べて使われてない訳です。 
 
ですから 
 
私が沖縄に帰って聞いても 
 
翁長知事の過去の発言を知る人はほとんどいません 
 
またネトウヨからも叩かれてるように 
 
沖縄の新聞もあえてその辺は追求しませんので 
 
翁長知事の変節は問題にならない訳です。 
 
まあしかし私はあまり好きにはなれませんが 
 
ではネットで過去を調べて追及する事が全て正しいか? 
 
なんて事になるとそれも間違いだと思いますね。 
 
最近は民主党の岡田代表が 
 
かつては集団的自衛権容認の発言をしてた 
 
なんて事が暴露され 
 
大変困ってましたが 
 
政治家の皆さんは 
 
多分過去の発言に全て現在の政治姿勢との整合性を求められたら 
 
多分誰一人合格点はもらえないのでは? 
 
なんて気もします。 
 
これは政治家だけではありません 
 
人間はそもそも人生経験を積めば 
 
考えは変わるものです。 
 
私自身 
 
過去の自分の発言と 
 
今の考えと 
 
180度変わってる事はたくさんあります。 
 
時々古い社員はそこをするどく突いて 
 
私に食ってかかる事もあります。 
 
そしてそんな時には 
 
私が私自身の変化を一番理解していますから 
 
言い訳もしなければ 
 
逆切れもしません 
 
ただ若かった頃は未熟でした 
 
そう言って謝るだけです。 
 
ですから 
 
私は翁長知事はそのパフォーマンスを見るたびに 
 
県民を騙してるように見えて不快になりますが 
 
しかしこの私の考えを広めようとも思ってない訳です。 
 
まあしかし 
 
このネットの時代はある意味本当に厳しいですよね 
 
政治のレベルに限らず 
 
一般の人も過去を晒されてしまう訳ですから 
 
過去にやらかした人は 
 
残りの人生をビクビクして生きなければなりません 
 
子供に厳しく躾をしてるお母さんも 
 
もしかしたら若い時に興味本位でAV出演なんて事があるかも知れません 
 
そうすると 
 
万一ネットでその映像が子供の目に入った時には 
 
子供からは軽蔑され 
 
ご主人は怒り狂い 
 
家庭は崩壊する可能性も高い訳です。 
 
また今の時代は 
 
少年法で守られてるはずの未成年ですらも 
 
犯罪を犯せばネットで晒されますから 
 
一生ついて回る可能性が高い訳です。 
 
ですから 
 
今忘れられる権利 
 
なんてこれまで聞いた事がない概念が生まれる訳です。 
 
アパートの入居者審査の時に 
 
その人間が過去に犯罪を犯してないかどうか? 
 
あるいは暴力団の構成員かどうか? 
 
なんて事をネットで調べますが 
 
よほどの凶悪犯罪でない限り 
 
検索にはかかりませんね 
 
ですから 
 
あまり神経質になる必要もないかも知れませんが 
 
逆に言えば犯罪でなければ消される事もありませんから 
 
AV出演なんてが一番ヤバイ訳です。 
 
さしずめ私のように長くブログを書いて心配なのは 
 
私もブログを書き始めてからも 
 
加齢とともに考えも変わってますし 
 
また記憶も置き換わってるかも知れません 
 
もし私が政治家になったら 
 
政敵は細かい矛盾も徹底的に調べるでしょうから 
 
とてもそれには耐えられない気がしますね 
 
政治家になる能力も財力もありませんが 
 
まず私は絶対に政治家にはなりたくありません 
 
零細企業の経営者が限界です。 
 
 
まあそんな訳で 
 
今の時代は 
 
自分の言動行動が 
 
もしかしたら一生ついて回る 
 
そんな時代だって事です。 
 
当社で入居申し込みをしたお客様 
 
担当がツイッターとフェイスブックで調べたら 
 
刺青を見せつけてる暴走族時代の写真がゴッソリあって 
 
審査を落としました。 
 
すると血相を変えて怒鳴りこんできましたが 
 
怒鳴りこんでも手遅れですね 
 
ですから 
 
私たちは知り得た情報をすべて大家には説明する事 
 
そして入居の許可を出すのは大家さんである事をなんとか粘り強く説明して 
 
納得してもらう以外にありません。 
 
で 
 
落ち着いた頃を見計らって 
 
 
部屋探しをするのであればSNSは一旦抹消した方が良いですよ 
 
なんてアドバイスしたら 
 
IDもパスワードも秘密の質問も忘れちまった 
 
ですって 
 
お気の毒 
 
 
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筋金入りのバタバタ経営

2015年09月28日 | 社内事情
まだ9月なのに 
 
私の息子がスタッドレスタイヤを買ったそうです。 
 
で買ってもまだ履き替える訳ではありませんので 
 
そのまま店で12月まで預かって貰ってるそうです。 
 
なぜそんなに早く買うかと言うと 
 
今買うと安いからだそうです。 
 
この何気ない話を聞いて 
 
自分の息子でありながら 
 
私とは全く違う人格 
 
これを強く感じました。 
 
理由は 
 
私はそんな先の事を考えて行動するのが苦手だからです。 
 
例えば私の友人の中には 
 
2か月も先の食事を誘って来る人がいますが 
 
私はそんな事はあまりしません 
 
酒が飲みたくなれば 
 
友人に電話して 
 
“今晩空いてる?” 
 
って感じがほとんどです 
 
ほとんど断れて終わりです。 
 
ゴルフもお誘いをいただいて予定を入れていますが 
 
たまにポツンと空く時があります 
 
そんな時に寸前に仲間に電話を入れて誘ったりしますが 
 
大体断わられます。 
 
よく考えれば当たり前ですよね 
 
私自身が寸前に誘われても予定が入ってる訳ですから・・ 
 
まあしかし私はこんな感じで 
 
先の予定を組むのが苦手な訳です。 
 
どうしてそうかと言うと 
 
実は私だけではありません 
 
人間がそもそも先の予定を嫌う 
 
そんな生き物だそうです。 
 
具体的には心理学のこんな実験があります。 
 
会社から50ドルのボーナスが出るとして 
 
そのボーナス今すぐに貰えば50ドルですが 
 
1か月後に貰えば55ドルになる 
 
その選択を与えると 
 
ほとんどの人が今すぐに50ドルをもらう 
 
そんな決断をするようです。
 
しかしこれは大変不合理な決断ですよね 
 
普段預金金利やローン金利の小数点以下のパーセントにこだわってる人が 
 
その前提が狂えば10%以上の利息に無頓着になる訳です。 
 
この話し 
 
反論も来そうですね 
 
先の事は分からないんだから 
 
安全のために少なくても今貰う 
 
その選択がどうして愚かと言えるのか? 
 
と 
 
確かに1か月後は会社が無くなってる可能性もあるし 
 
自分自身も不慮の事故で死んでしまうかも知れません 
 
ですから不透明な将来より確実な現在 
 
この選択は間違いではない 
 
そんな風にも思えます 
 
が 
 
これが不合理だと言うのは 
 
続いてこんな実験結果があるからです。 
 
1か月後の55ドルより現在の50ドル 
 
こんな決断をする人たちが 
 
同じ1か月のスパンでも 
 
12か月後に50ドルのボーナスを払うが 
 
13か月後でよければ55ドル 
 
こんな条件にすると 
 
迷う事無く13か月を選択するそうです。
  
この話 
 
興味深いですよね 
 
つまり 
 
時間を価値に置き換えると 
 
直近の1か月は先の1か月より価値が高いって事になります。 
 
私自身せっかちですから 
 
この話はよく理解できます。 
 
楽天で色んな物を買いますが 
 
私の場合は真っ先に考慮するのは即納です 
 
1週間後の発送とか何とかってのは多少安くてもまず買いません。 
 
この時間と価値の変化 
 
ビジネスをするのであれば 
 
常に意識した方が良いでしょうね。 
 
さしずめ不動産であれば 
 
即入居をうたい文句にしますが 
 
これが決断を促す要因だからそうする訳です 
 
が 
 
即入居と言う事は 
 
新築の家であれば完成まで売れなかったと言う事ですから 
 
元来魅力は薄れておかしくないのですが 
 
逆に即入居に惹かれて行動する人は多い訳です。 
 
賃貸でも年に何棟か新築を募集しますが 
 
完成前は全く申し込みがなくて焦る事があります 
 
しかしこれも 
 
完成して即入居をうたえるようになると 
 
バタバタと申込みが入り満室 
 
よくある話です。 
 
まあしかし 
 
私のようなせっかちは元来実業家には向いていませんね 
 
長期的な戦略を立てて経営に臨む 
 
これが王道だろうと思いますが 
 
私自身は会社経営もせっかちです 
 
ですから 
 
長期的な戦略はほとんど立てません 
 
行きあたりばったりって感じです。 
 
ここまで読んで 
 
よくそんなんで会社が潰れないな? 
 
なんて思う人いますよね 
 
でも 
 
私は 
 
意識して長期的な思考は排除してる部分もあるのですよ 
 
理由はですね 
 
いくら先を予想しても 
 
それは外れる事が多いからです 
 
ですから 
 
逆に言えば 
 
変化に対して素早く対応するには 
 
長期戦略は立てない方が良い 
 
そう思ってる訳です。 
 
ですから 
 
見方によってはバタバタした経営ですが 
 
私自身はその方が安全 
 
そう確信してる訳です。 
 
野球で言えば 
 
ピッチャーの球種を予想して打つバッターは外れれば三振ですが 
 
球種を見てから打つタイプは 
 
打ち損じてもファールは出来ますから 
 
アウトにはなりません 
 
私は後者をイメージして生き残ってる訳です。 
 
 
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トークを武器に

2015年09月26日 | 社内事情

駅前に店舗を構えてると良い事がたくさんありますが 
 
その一つに 
 
飲食店が目の前にあるって事です。 
 
社員と飲む時には 
 
大体1~2分の距離しか歩きません 
 
おとといも会議が終わった後 
 
人身事故で電車が止まったために 
 
すぐに帰れない社員がいましたので 
 
軽く飲もうって事になり5~6人で目の前の居酒屋に行きました。 
 
以前は軽く飲むはずが 
 
いつの間にか日付が変わってた 
 
なんて事が普通でしたが 
 
最近はそんな事は無くなりました 
 
それは長く居れば内田の酒癖が悪いために 
 
険悪になりますから 
 
皆内田のスイッチが入った途端にお開き 
 
これが暗黙の了解となっています。 
 
おとといも 
 
内田が人の話を遮り 
 
一方的に機関銃のようにしゃべりまくりましたので 
 
皆、一斉に立ち上がりました 
 
内田はまだいくらでも飲めますから必死に止めていましたが 
 
誰も耳を傾ける人はいません 
 
とっととレジを済ませ 
 
“お疲れ様” 
 
と挨拶を済ませ店の前で解散 
 
で 
 
私は 
 
一人会社に戻り 
 
置いてある荷物を取り自宅へ向かう 
 
そんなつもりで 
 
誰もいない会社のカギを開けて 
 
準備して出ようとすると 
 
大量に飲んだ酒のせいで 
 
尿意が・・ 
 
で 
 
トイレで放尿を始めた途端 
 
トイレのドアがバタンと開きました 
 
驚きました 
 
で 
 
すぐに怒鳴り声が聞こえました 
 
あっそんな所で何やってるんですか? 
 
 
内田です 
 
何やってるんですかって見りゃ分かりますよね 
 
でそのままオシッコをしてると 
 
内田が 
 
早くしてくださいよ、私漏れそうなんですから 
 
 
勝手に後から入って来てムチャクチャな話です 
 
でもこの酔っぱらい 
 
本当に漏らした日にゃ 
 
私が大変ですから 
 
あわてて放尿しましたが 
 
なんせ大量に膀胱に溜まってますから 
 
すぐには終わりません 
 
で内田 
 
あ~もれちゃう、もれちゃう 
 
もうあっしは漏らしますよ 
 
 
と叫びました 
 
焦りましたよね 
 
でとにかくすぐに終えようと頑張ってると 
 
なんとこのウチダ 
 
私の横に割り込んできて・・・ 
 
 
まあ悲惨な状態でした 
 
翌日トイレ掃除をした宮川が激怒してました・・ 
 
知らないよウチダ・・ 
 
 
まあそんな感じで大変でしたが 
 
何とか内田のズボンを脱がして替える 
 
なんて最悪の事態は逃れました 
 
で 
 
帰る方向が一緒ですから 
 
二人で並んで帰りました 
 
すると 
 
歩きながらも口は止まりません 
 
何であっしを置いて帰ったんですか? 
 
もうお前はヤバイからね・・ 
 
あっしは酔っぱらってませんよ 
 
酔っぱらいはみんなそう言うんだよ 
 
なんですかそれ・・ 
 
最近社長はアッシに冷たいですよね 
 
そんな事ないよ 
 
良いですか社長アッシは会社に大変な貢献をしてるんですよ 
 
そうなの?成績は鳴かず飛ばずだけど・・ 
 
そんな事大した話じゃないですよ 
 
じゃ何? 
 
あっしはですね後輩たちの見本になってるんです 
 
どんな風に? 
 
後輩たちは皆アッシの接客を見て本当に感動してるんですから 
 
何て言ってた? 
 
ウチダさんはすごいって・・ 
 
それだけ? 
 
あっ社長あっしの会話力ナメてますね 
 
なめるも何も見た事ないし・・ 
 
ああそれなら一度見せなきゃ分からないな 
 
そうなの一度見たいものだね 
 
分かりましたじゃ明日長津田店に来てください 
 
そうか・・そんなに感動的なのか? 
 
それはすごいですよ・・ 
 
どんな風に? 
 
あっしのトークは半端ないんですよ 
 
だからどんな風に半端ないの? 
 
アッシのトーク力はですね多分日本一ですよ 
 
だからどんな風に日本一なの? 
 
アッシのトーク半端ないんですよ 
 
・・・・・・ 
 
あっしのトークはみんな感動するんですよ 
 
・・・・・・・ 
 
あっしのトーク力は誰にも負けませんよ 
 
・・・・・・ 
 
あっしは恵まれたトーク力で他の不動産屋をバシバシ潰しますから 
 
・・・・・・・ 
 
あっしのトーク力は無敵の武器なんですよ 
 
・・・・・・・・・ 
 
 
 
で 
 
途中で分かれ道に差し掛かり 
 
じゃ内田また明日・・ 
 
と 
 
サヨナラ 
 
ふぅ やっと逃れられた・・ 
 
 
 
で 
 
翌日 
 
ウチダ今日お前のトーク力見せてくれるんだよね 
 
なんですかそれ? 
 
昨日俺に見せるって言ったじゃん? 
 
どこでですか? 
 
一緒に飲んで帰る時に・・・ 
 
はあアタシは一人で帰りましたよ・・ 
 
一緒に帰ったけど・・・ 
 
覚えてません 
 
もしかした会社のトイレでの騒ぎは 
 
あっしは会社に寄ったんですか 
 
覚えてないの? 
 
私は居酒屋の途中から全く記憶がありません 
 
 
 
まあそんな感じです 
 
皆さん 
 
酔っぱらいは絶対にまともに取り合ってはいけませんよ 
 
まともに相手するだけ損です 
 
 
何ウチダ? 
 
奥さんも見てるからブログに書くなってか? 
 
あのね 
 
せめてブログに書かないと 
 
私のストレスは行き場がないでしょう? 
 
書くよアッシは・・・ 

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辛さから逃れたいのであればただ汗を流せば良い

2015年09月25日 | 人生一般
最近身近な人の不幸の知らせが多くなりました。 
 
今までになく人の死について考えさせられます。 
 
身近な人の死はどんな人でも辛い物です 
 
が 
 
この身近な人の死 
 
これによる残された人のダメージは全く異なります。 
 
お年寄りであれば 
 
もう周りは死が迫ってるのは覚悟していますから 
 
亡くなるのは想定済 
 
一時動揺しても 
 
すぐに普通の生活に戻ります 
 
これが若い人の死となると 
 
身近な人 
 
とりわけ両親のショックは当然ですがかなり大きいものです 
 
それによって親の寿命も縮まる 
 
そんな気もします。 
 
しかしそれよりもショックの大きさの違いは 
 
どれだけたくさんの人と付き合ってるか 
 
それによる部分も大きいですね。 
 
沖縄に帰った時に身内の方の突然の訃報がありました。 
 
周りは一瞬大変なショックを受ける訳ですが 
 
立ち直る早さも見ていて感じました。 
 
それは 
 
その亡くなった方の周りには 
 
たくさんの若い子や孫 
 
それが取り囲んでたからです。 
 
つまり 
 
新しい命がたくさん見守る 
 
と言う事は残された人がたくさんいると言う事ですから 
 
お互いのつながりは続きますので 
 
そのショックからの立ち直りはたやすいのです 
 
理由は 
 
たくさんの命が周りにあれば 
 
いつまでも嘆いていられないのです。 
 
その方の場合は 
 
家族は 
 
まだ小さな子供がたくさんいて世話をしなければなりませんし。 
 
その子供を守るために 
 
すぐに仕事に戻らなければなりません。 
 
ですから 
 
悲しみはすぐに吹っ飛んでしまう訳です。 
 
これが逆に 
 
年老いた夫婦と結婚しない子供の家庭で 
 
収入は年金だけ 
 
近所付き合いも無い 
 
なんて人達 
 
家族が無くなるとその衝撃はすざましいですね 
 
時間は有り余ってますから 
 
毎日朝から晩まで悲しんでるって感じです。 
 
そしてその生活の中心は墓参り 
 
そんな感じになります。 
 
これでは長生きできませんね。 
 
しかし 
 
日本の社会の核家族化は 
 
まさにそのケースが増えてる 
 
そんな感じなんです。 
 
ですから 
 
今の時代に生きるには 
 
身近な人の死 
 
このショックを和らげたいのであれば 
 
なるべくたくさんの人と接する 
 
これが大切なんです。 
 
私自身も数年前に 
 
父親を亡くしてショックでしたが 
 
しかし私は 
 
父親が横たわってるその前で 
 
頭の中の半分は 
 
管理物件の清算だとか 
 
あるいは社員の給与の準備だとか 
 
そんな事が駆け巡っていました 
 
だから 
 
私自身は 
 
悲しみも少なかった訳です。 
 
私の母親は 
 
私が子供の頃 
 
反抗的な態度を取ると 
 
すぐに畑に引きずっていって手伝いをさせました。 
 
母親は 
 
有り余る時間が 
 
人の心を悪い方向に導く 
 
これを自分の体験から分ってたのです。 
 
ですから 
 
辛い事 
 
悲しい事があれば 
 
必死に働け 
 
そうすればそんなものは全て吹っ飛ぶ 
 
そう言っていました。 
 
この教え 
 
私にとっては本当に財産になりました 
 
私も今まで 
 
仕事で行き詰った事は何度もあります。 
 
そんな時には 
 
私はある時点で思考を停止しました 
 
そして思考を停止したら 
 
あとはただやみくもに動くだけ 
 
これによって 
 
悩みも吹っ飛び 
 
そして売り上げも伸びてきました。 
 
ですから 
 
ここまで生き残れたのは 
 
その母の教えがあったからです。 
 
この母の教え 
 
今度は社員に叩き込みたいと思います。 
 
散々考える時間を与えましたが 
 
それが行動につながらない 
 
そんな風に見受けれます 
 
ダラけた人間が生き残れるほど 
 
この世界は甘くありません。 
 
悩むのであれば 
 
まず行動 
 
こんな話を近い内しようかと思っています。 
 
 
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次の時代へ

2015年09月23日 | 不動産業界
時代の変化で都市化が進み 
 
人間の関係が流動的になると 
 
それまでの社会のシステムが時代に合わなくなる 
 
そんな事がたくさんあります。 
 
一番感じるのは冠婚葬祭ですね 
 
村社会で 
 
大半の人が生まれた場所で人生を終わるのであれば 
 
お互いに支え合う体制ができてた訳ですが 
 
今の時代は 
 
葬式でも結婚式でも 
 
呼べる人は激減しています。 
 
しかしこの時代の変化 
 
面白い事に同じ冠婚葬祭施設でも 
 
結婚式場は苦しくなり 
 
葬儀場は繁盛する 
 
そんな感じですね 
 
葬儀は昔は自宅で行いましたが 
 
今の時代は手伝う人が確保できませんので 
 
葬儀場で行います 
 
結婚式は昔から結婚式場ですが 
 
招待客が少ないですから 
 
こじんまりとした結婚式ばかりになって 
 
儲からない 
 
それと 
 
少子高齢化は 
 
結婚式をする若者は減り 
 
死ぬお年寄りは増えるって事ですから 
 
その意味でも葬儀場の方が活況って事になります。 
 
また私達の仕事で時代の変化の不都合を感じるのは 
 
連帯保証人ですね 
 
住居を借りるのに保証人は欠かせませんが 
 
保証人を頼めるほどの深い関係の身内はいない 
 
なんてのが多くなる一方です。 
 
ですから 
 
そんな時代の変化をいち早くビジネスにつなげた保証会社は 
 
これまた大成功を収めてる訳です。 
 
そんな訳で 
 
連帯保証人もお金を払って頼む時代になりましたが 
 
ではお金を払えば 
 
連帯保証人は全く要らないかと言うと 
 
まだまだ連帯保証人を要求する 
 
そんなケースはまだ残ってます。 
 
この連帯保証人 
 
部屋を貸したり 
 
あるいはお金を貸したり 
 
なんて立場からすれば 
 
安全のために是非とも確保したい所ですが 
 
しかし先ほど述べたように時代の変化で 
 
連帯保証人はその確保が大変難しくなってますので 
 
それを条件にすると 
 
借主も融資先も限定されてしまいますから 
 
ビジネスと言う意味では大きな障害になります。 
 
ですから 
 
連帯保証人にこだわれば 
 
部屋は決まらず 
 
金融機関は融資が伸びない 
 
そんな事が当然の結果となります。 
 
そんな苦境に陥って 
 
例えば銀行は住宅ローンは随分前から連帯保証人を求めなくなりましたし 
 
大家さんも条件を緩めるケースが増えてきます。 
 
こんな変化を見てきて 
 
つくづく思いますが 
 
ビジネスは 
 
結局最後は境界線に落ち着きますね 
 
つまり 
 
銀行であれば 
 
貸し倒れギリギリの所にチャンスがありますし 
 
家主であれば 
 
ある程度リスクを負いながら部屋を貸す 
 
そんな感じです。 
 
昔は家主は借り手の確保に困りませんでしたから 
 
ガチガチに安全確認をして貸す 
 
なんて事が許された訳ですが 
 
今は 
 
あまりうるさい事を言うと 
 
不動産屋が相手にしません 
 
その結果空室だらけになります。 
 
ですから 
 
昔は厳しかった大家さんも 
 
時代の変化と共に 
 
ある程度妥協する 
 
そんな姿勢に変わってくる訳です。 
 
では 
 
その時代の変化 
 
どこまで行くのでしょうか? 
 
まあ行きつく所まで来たって感じもありますね。 
 
昔は大家さんはアパートを貸すと 
 
賃料以外に礼金が入りましたが 
 
20年位前から 
 
この礼金は広告宣伝費として不動産屋に行くようになり 
 
そして10年位前からは 
 
礼金敷金ゼロが増えましたから 
 
そうなると不動産屋の収益は 
 
大家さんから出してもらうしかありませんので 
 
部屋は決まっても 
 
大家さんはお金を持ち出す 
 
そんな事が当たり前になりました 
 
で 
 
その持ち出し 
 
増える一方で 
 
最近ある大家さんから聞いた話ですが 
 
不動産屋から要求されたのが3か月だそうで 
 
それでも空室よりは良いですからね 
 
支払ったそうですが 
 
いずれにしても 
 
不動産賃貸業も 
 
ここまで厳しくなってるって事です。 
 
昔の感覚で 
 
不労所得に憧れるだけでは 
 
厳しい結果が待ってる 
 
そんな時代です。 
 
まぁしかし苦しくなるのはもちろん大家さんだけではありませんよね 
 
私達不動産業者は 
 
いくらでも大家さんから搾り取れる訳ではありません。 
 
大家さんが苦しくなれば 
 
賃貸専門の仲介も苦しくなる 
 
必然です 
 
ですから 
 
生きのこりたいのであれば 
 
必死に次を模索する訳です。 
 
私自身は 
 
不動産賃貸の仲介を止める気はありませんが 
 
それを収益の柱に据える事はありません 
 
感覚的には 
 
大魚を捉えるためには 
 
エサとなる小魚も 
 
一生懸命捕る 
 
そんなイメージを描いて次に進みます。 
 
 
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軽薄産業から重厚産業へ

2015年09月22日 | 不動産業界
仕事は 
 
速くて正確 
 
これが理想です。 
 
この二つが備わればどこの会社でも大切にされますよね。 
 
そしてその逆 
 
遅くて雑 
 
なんて人は 
 
原則的に排除の対象となります。 
 
まぁしかしこうやって書けば単純ですが 
 
実際の仕事の場面では 
 
そんな両極端の人間は滅多にいるものではありません。 
 
スピードと正確さ 
 
この相反する条件のどこかで折り合いをつけてる 
 
これが大半の人間です。 
 
当社で見ても 
 
仕事は早いのですが 
 
中身はどうしても薄い 
 
そんな社員もいれば 
 
仕事はじっくり丁寧にこなしますが 
 
どうしても処理できる数が少ない 
 
そんな社員もいます。 
 
ですから 
 
多分どんな会社も 
 
その視点から見ると多様な社員を抱えてる 
 
そんな事なんだろうと思います。 
 
では 
 
スピード重視型と 
 
正確さを重視するタイプ 
 
強いて言えばどちらが良いのでしょうか? 
 
まぁいちがいには言えませんね 
 
ミスが許されない金融機関とか 
 
あるいはたくさんの生命に直接関わる飛行機の整備とか 
 
これは正確さに少しでも問題があると大変危険ですし 
 
また逆に 
 
次から次へと大量に仕事が押し寄せる 
 
例えば建築関係の職人とか 
 
あるいは宅配便とか 
 
こんな仕事は 
 
スピードが備わらないと 
 
他の社員の負担になりますから 
 
ドン臭い人は居られないでしょう。 
 
では不動産業界は? 
 
私は長くこの世界にいて 
 
明らかに要求される人間が変わってる 
 
この事を感じますね。 
 
どんな風に感じるかと言うと 
 
スピード重視から正確さ重視 
 
これにシフトしてるのです。 
 
私がこの世界に入りたての頃は 
 
まぁ雑な営業マンが多かったですね 
 
重説も契約書も紙切れ一枚の時代ですから 
 
ロクすっぽ物件の調査もせず 
 
ただお客様を煽って契約する 
 
そんな人がトップセールスマン 
 
なんて時代でした。 
 
逆に丁寧に書類を仕上げてると 
 
“こんな事に時間をかる位なら客に電話しろ” 
 
なんて上司もたくさんいました。 
 
これが 
 
時代と共に 
 
取引の安全が第一 
 
そんな風に世の中の空気が変わって来ました 
 
ですから 
 
適当な事をペレペラ話して 
 
とにかく契約をまとめる 
 
そんなタイプは消えて行った訳です。 
 
それと時代は 
 
法規が厳しくなり 
 
高度な知識を要求されるようになりました 
 
こうなると 
 
軽い人間は通用しません。 
 
大して学ぶ事もせず 
 
口先だけで切り抜けようとしても 
 
お客様は大きくレベルアップしていますから 
 
その人間の軽さは 
 
すぐに見透かされてしまいます。 
 
こんな感じで 
 
不動産業界に求められる人材が変化してる 
 
これがはっきり分かります 
 
自社の社員だけを見ても中々分かりませんが 
 
たまに契約の時に他社の社員と話すと 
 
もう確実に違いますね 
 
知識も情熱も持ってる 
 
そんな人間しか残れない 
 
これがはっきり分かります。 
 
そうやって考えると 
 
当社の社員はまだまだ勉強しなければなりませんね。 
 
40代の社員はもう自覚に任せるしかありませんが 
 
若い社員達は 
 
なんとか時代について行けるようにしたい 
 
そんな事をあれこれ考えてる毎日です。 
 
 
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天知る 地知る 我知る

2015年09月21日 | 社内事情

今ヨーロッパでは 
 
戦乱を逃れて押し寄せる数十万単位の難民が社会問題になっていますが 
 
その映像を見て救いなのは 
 
たくさんの大人たちの不安げな表情の中に 
 
無邪気な子供の笑顔が見えた時ですね 
 
親がそばにいればどんな状況でも守ってる 
 
その思いが見てとれます。 
 
しかし親は大変ですよね 
 
見ず知らずの土地に 
 
大した財産も持たずに逃げて来る訳ですから 
 
将来の不安に押しつぶされそうなのが 
 
その表情から伝わってきます。 
 
私たちは今このような難民の苦難は体験せずにすみますが 
 
しかし少し遡れば 
 
私達の親の世代ですらそんな体験ををした人がたくさんいます。 
 
満州から引き揚げてきた人達の中には 
 
小さな子供を中国人に預けて逃げた 
 
なんて人がたくさんいて 
 
これが中国残留孤児問題として 
 
今に至るまで完全に解決する事はない訳です。 
 
しかし私達から見れば 
 
どうしようもない絶望的な中を生き延びた体験 
 
その辛さは想像するしかありませんが 
 
私達の世代は実際にそれを体験した人の話を聞く事ができた 
 
と言う意味では今の世代とは少し違います。 
 
私自身沖縄戦の激戦地の村で生まれ育ちましたから 
 
子供の頃は嫌というほど戦争体験を聞かされましたし 
 
成人してこの仕事をしてからも 
 
お年寄りと接する機会の多い仕事ですから 
 
東京大空襲だの満州の混乱 
 
そして南洋からの引き揚げ 
 
なんて話を体験者からたくさん聞く事ができました。 
 
そんな話を聞く時に 
 
若い頃はただ辛かった体験話 
 
そうとらえていましたが 
 
最近はまた少し違う視点から 
 
そんな話をとらえるようになりました。 
 
それは 
 
私自身が戦争体験とは比べ物になりませんが 
 
一時大変辛い時期があった訳です。 
 
でその辛い体験の真っ最中 
 
死を考えるほど苦しみました 
 
が 
 
今になって思うと 
 
あの頃の自分は 
 
本当によく頑張ったと愛おしくなります。 
 
もしあの時の自分に出う事が可能なら 
 
抱きしめて思い切りほめてあげたい 
 
心底そう思います。 
 
つまり 
 
辛い時期を乗り越えた自分 
 
誰に語る訳でもありませんが 
 
それが自分の誇りである訳です。 
 
この思いが強くなってから 
 
私が昔散々聞いた戦争の体験話 
 
実はそれを語る人たちは 
 
単に辛さを語る訳ではなく 
 
それを乗り越えた自分の誇り 
 
この気持ちが自然に言葉に出て来ていた 
 
そう思うようになった訳です。 
 
私の母は96歳でもう認知症が進んでいます 
 
にも関わらず 
 
戦争の時に小さい子供たちを連れて山を逃げ回り 
 
食料を探し続けた体験話は 
 
今でも昔と変わらず語ります。 
 
つまり 
 
私の母は 
 
あの時代に子供も自分も生き延びた 
 
この事が人生で一番の誇りな訳です。 
 
また 
 
逆に 
 
戦争の話は一切しない 
 
そんな人もいました 
 
その人達の話を聞く機会はありませんが 
 
周りからは何があったのか 
 
漏れ伝わってきます。 
 
すると 
 
そこには 
 
必ずと言ってよいほど 
 
戦火の中で異常な行動をした事 
 
これが心の重荷になっています。 
 
具体的には 
 
生まれたばかりの自分の子供を手にかけたとか 
 
歩けなくなった家族を置き去りにしたとか 
 
そんな悲惨な話です。 
 
ですから 
 
戦争の中で止む得ず行った事とは言え 
 
いつまでも自分を苦しめる訳です。 
 
そんな訳で 
 
戦争では 
 
その戦争体験が誇りになったり 
 
あるいは一生自分を苦しめたりする訳ですが 
 
この構造は私達の日々の生活でもいたる所にあります。 
 
例えば 
 
私自身は中学生の時に 
 
不良の先輩たちからいくら暴行を受けて強要されても 
 
後輩からお金を巻き上げたり 
 
暴行を加えるなんて事はしませんでしたが 
 
それが誇りですから今でも堂々と故郷に帰れます 

 ところが加害者の皆さんは 
 
中学を卒業したら地元にはいられません 
 
沖縄にもどったら消息を聞きますが 
 
最悪だった男たちは皆どこでどうしてるか? 
 
誰に聞いても分かりません。 


子供の頃の出来事ですら 
 
今に至るまで人生に大きく影響を与える訳です。 
 
また 
 
仕事でも 
 
私たちは競争の中で生きていますから 
 
時に行き詰る事があります 
 
そんな時に 
 
顧客を裏切ったり 
 
あるいは犯罪まがいの方に走れば 
 
もう自分の過去に誇りが持てなくなります。 
 
ですから 
 
辛い時があっても 
 
将来の自分の目に耐えられる 
 
そんな生き方をしなければならないのです。 
 
まあそんな訳です。 
 
社員の皆さん分かりましたか? 
 
今成績が延びずに苦しんでる人もいるかと思いますが 
 
不正な方向には絶対に行かせませんよ 
 
私はここまで頑張ってきましたから 
 
自分の会社が 
 
将来の自分の評価に耐えられないのであれば 
 
とっとと閉める 
 
これが私のブレない信念です。 
 
周りからは 
 
景気の良い話が伝わってくれば揺れるかも知れませんが 
 
他所は他所 
 
当社は当社 
 
人格と同じで会社も 
 
それぞれ違うのが当たり前です。 
 
貧しくとも自分自身に恥ずかしくない 
 
そんな生き方を目指すのが集う 
 
それが当社だって事です。 

 
 
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二つの新聞を読めば世の中のカラクリが見えてきます

2015年09月20日 | 社内事情
表現の自由は民主主義の根幹 
 
なんて言われます 
 
その事に疑いはありませんが 
 
これは勘違いされやすいですよね 
 
この表現の自由と言うのは 
 
国家が干渉しないと言う意味であって 
 
民間レベルでは実際には保証されてません 
 
メディアにおいてさえも 
 
記者個人は企業の方針に沿った記事しかかけない 
 
この事が日本の2大新聞を見るとよく分かります。 
 
私は毎日この2紙の社説を読みますが 
 
書いてる人達がそれぞれの読者と 
 
また会社の上層部の方針 
 
これかから逸脱できないのがよく分かります。 
 
特に今回の安保法制に関しては 
 
この2紙は意見がまっ二つです。 
 
また特に読売は 
 
世論調査に関しても 
 
その質問内容を見ると 
 
世論を誘導する意図が感じられます 
 
どうしてそうなるかと言うと 
 
新聞も所詮ビジネスだからです 
 
その意味では皮肉ですがこの2紙は大成功だと思いますね。 
 
読売と朝日 
 
それぞれの読者の棲み分けが見事に行われて 
 
実質的に寡占状態を作り上げてる訳です。 
 
この中に割って入るために 
 
独自の戦略をとってるのが産経新聞です 
 
右寄りの過激な記事を書く事によって 
 
読売のシェアを奪う 
 
その姿勢がよく見て取れます。 
 
新聞は 
 
戦前は国策記事ばかりを書いて軍部の暴走を助け 
 
戦後は国民に向かって反省を示した訳ですが 
 
なぜ朝日新聞まで国策記事に走ったかと言うと 
 
威勢のよい記事を書く事によって 
 
売上が大きく伸びたからです。 
 
つまり 
 
我々は表現の自由から 
 
新聞の良心 
 
そんなものを想像しますが 
 
実際の記事は 
 
会社の利益を意識して書かれてるって事です。 
 
これをしっかり理解して 
 
この国が間違った方向に行かないように 
 
国民一人一人が考えるべきです。 
 
ではどうすれば良いのでしょうか? 
 
簡単です 
 
私のように二つの新聞を毎日読み比べれば良いのです。 
 
比較する事によって 
 
いずれの新聞の利益のための団体 
 
それがはっきり分かります 
 
それが分れば 
 
国民が過剰に右に寄ったり 
 
あるいは左に寄ったり 
 
なんて事が起らない訳です。 
 
また政治の矛盾もよく見えます。 
 
具体的には 
 
カルト宗教と政治は同じです。 
 
どこが同じかと言うと 
 
カルトは終末思想で信者を脅し 
 
そして救済を持ち出してコントロールします。 
 
政治も 
 
常に危機感を国民に持たせ 
 
そして投票してもらう 
 
その部分が全く一緒って訳です。 
 
今、日本を取り巻く安全保障環境は大きく変化した 
 
なんて言ってますが 
 
同じ話を 
 
私が若い頃から政治家は言い続けています。 
 
30年位前までは 
 
石原慎太郎なんか 
 
いつソ連が攻めて来てもおかしくない 
 
なんて事を言ってましたが 
 
ソ連が崩壊すると 
 
今度はシナがどうのこうのって話に変わりましたね 
 
大体冷戦期にはソ連と対峙する中国は味方 
 
みたいな感じでしたよね 
 
だからアメリカも日本も中国と国交を回復した訳です。 
 
また左翼の皆さんは全く逆で 
 
北朝鮮は労働者の天国 
 
みたいな捉え方でしたよね 
 
協力してアメリカ帝国主義に対峙する 
 
そんな姿勢だったように思います 
 
そう言えば左翼の皆さん 
 
あれほど声高に叫んでたアメリカ帝国主義 
 
この言葉を最近言わなくなりましたね 
 
 
そんな訳で 
 
私達の生きる世界は 
 
常に為政者が危機を持ち上げ 
 
そして新聞社はそれぞれに読者を意識してその危機への記事を書く訳です。 
 
その構造を冷めた目で見て 
 
くれぐれも 
 
政治の話題で 
 
身近にいる人たちと気まずい関係にならないように 
 
それを意識した方が良いですね 
 
そのためには主要2紙を読むのがベストですが 
 
それができなければ 
 
どちらも読まない方が良いかも知れません 
 
考えが偏れば 
 
視野も世間も狭くなる 
 
これは間違いありません 
 
どうしても1紙って人は 
 
逆に自分の思想とは逆の新聞を読むべきですね 
 
特に最近増えたネトウヨ系の皆さんは 
 
絶対に朝日新聞を購読するべきでしょう 
 
朝日新聞を批判して 
 
右翼系知識人気取りで舞い上がってますが 
 
その批判する新聞を実際に読んでないとすれば 
 
単なる軽薄な人間です。 
 
その代表みたい百田ナントかって人は 
 
読んだ事もないのに 
 
沖縄の新聞は潰さなイカンですからね 
 
無知の極みです。 
 
私には考えられません 
 
 
この世は 
 
政治家が笛を吹き 
 
マスコミが鐘や太鼓を叩き 
 
そして 
 
踊るのが右や左のダンナ様達って世界です。 
 
見物人からバカにされないように 
 
踊るのもほどほどにしましょう。 
 
 
さて 
 
国会を舞台の第1幕は終わりましたが 
 
次の第2幕 
 
今度は私達国民がしっかり政治家の皆さんの評価を下す番になりますよ 
 
忘れっぽい国民ですが 
 
しっかり今回何が起こったのか検証して 
 
来年夏 
 
また政党の成績表 
 
しっかりつけて上げましょう。 
 
 
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新脳皮質の機能が低下しただけで私達は野獣に変身します

2015年09月19日 | 人生一般
埼玉で起きたペルー人の殺人事件 
 
あれ典型的な統合失調症でしたね 
 
まあもっともらしい病名ですが 
 
簡単に言えばキチガイって事です。 
 
精神病院に隔離すべきですが 
 
警察で一度身柄を確保しながら 
 
それをしなかったのは大変な落ち度ですね 
 
亡くなった方達 
 
特に母親と小さな女の子二人 
 
まともにニュースを見る気にもなれませんね 
 
気の毒で仕方がありません 
 
残されたお父さんも心配になります 
 
私が当事者ならとても生きていられない 
 
そんな気もします。 
 
さらにやりきれないのは 
 
この加害者お兄さんはペールで25人も人を殺してるのに 
 
精神鑑定で刑事責任は問われない事になったそうです。 
 
今回の加害者も今は意識不明のようですが 
 
回復しても責任が問えないでしょうね。 
 
犯行時は精神が錯乱状態って事になりますね。 
 
皮肉な事に事件の前に警察に拘束されたのが 
 
その異常な状態の証拠となるでしょう・・・ 
 
私たちは人間として誰しも等しく人権がありますが 
 
しかしこれ 
 
かなり不具合がありますよね 
 
人権と言う事は 
 
人間に特別に与えられた権利って事になる訳ですが 
 
脳が狂えば人間は動物以下になります 
 
動物は命がけで子供を守りますが 
 
最近は自分の子供を虐待して殺す 
 
なんて信じられない親もたくさんいるようです。 
 
そうは言っても普通の人は 
 
そんな危険な人と接する機会は無いかと思いますが 
 
私達の仕事をしてると 
 
この精神が病んだ人 
 
周りにたくさんいるって事がよく分かります。 
 
ほとんどの皆さんが治療を受けてますので 
 
事件にはなりませんが 
 
これが野放しになると 
 
本当にヤバイ 
 
そう思いますね 
 
精神が病んだ人は動物より危険ですが 
 
皆さん人権がありますから 
 
事件を起こさない限りは社会に溶け込んでる 
 
これが普通に見られますが 
 
しかし今回のように 
 
最初の事件の犠牲者はたまりませんよね 
 
もう少し人権に踏み込んだ対応ができないかと思いますね。 
 
今政治は 
 
中国恐怖症の安倍総理の仲間が 
 
日本の安全のために 
 
なんて言葉を連発して暴走してますが 
 
私達にとっては中国より隣人が怖い 
 
こんな事がゴソゴソあるんだって事をしっかり理解して 
 
どうせ憲法をないがしろにするのであれば 
 
中国への備えより 
 
精神的に病んだ人達への備え 
 
こっちの方が優先だと思うのですが・・ 
 
 
しかし精神的に異常 
 
なんて言葉 
 
統合失調症と診断されるのは誰でも分かりますが 
 
実際には病気とは診断されなくても 
 
頭がおかしい 
 
なんて思われる人はたくさんいますよね。 
 
女性のスカートを盗撮して 
 
それまでの地位も退職金も全てパア 
 
なんて校長先生も時々報道されますが 
 
まぁ精神が病んでると思いますね。 
 
しかし 
 
私たちはよく日頃 
 
あの人はおかしい 
 
なんて言いますが 
 
この言葉 
 
使い過ぎに注意ですよ 
 
私は経験的に分かりますが 
 
この他人批判が多い人 
 
逆に自分の精神を疑うべきですね。 
 
しかし 
 
このケース 
 
元来私達人間は誰でもそうなる危険性があります。 
 
それは 
 
世界は広いのですが 
 
実際に自分にとっての世界は 
 
自分を中心に広がってる訳です 
 
ですから 
 
自分の立場からしか物を見る事ができないと 
 
世の中は皆おかしいって事になる訳です。 
 
例えば 
 
私から見れば 
 
私が苦手なカラオケに毎日のように行ってる人はおかしいって事になりますし 
 
服に大金をかける人もおかしいって事になります 
 
そんな感じで 
 
自分の価値が全ての価値の基準になってる 
 
そんな人は 
 
必然的に他人批判が多くなる訳です。 
 
先日も私の知り合いが 
 
私に冗談で 
 
“ゴルファーって雨の日に合羽着てやるけど少し頭がおかしくない?” 
 
なんて言ってましたが 
 
私は 
 
“私から見れば、たばこの煙がもうもうとしてる中で 
 
年輩のママさん相手に毎日飲んでる○○さんの方がおかしいですよ“ 
 
なんて返しましたが 
 
この方とのやりとりはお互い冗談ですから問題がありませんが 
 
そんな感じで他人の行動をああだこうだと本気で言うようになったら 
 
少し始まってるかも知れませんね。 
 
自分を基準に物事を見る傾向が強い人は 
 
視野は狭くなるし 
 
頭の成長は止まるし 
 
ロクな事はありません 
 
ですから 
 
他人に対して非難的な言葉を発する事が多いアナタ 
 
やばいですよ 
 
かなり精神が病んでるかも知れませんよ 
 
早めの治療をお勧めします。 
 
 
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環境に恵まれてもその環境に見合うだけの努力は必要です

2015年09月18日 | 人生一般

今年は8月から雨が多くて気温が一気に下がりました 
 
いつもより暑さから早く解放されましたので 
 
嬉しい反面、私が大嫌いな冬に近づくのかと思うと 
 
少し暗い気持ちも湧く 
 
そんな今日この頃です。 
 
今朝は寒ささえ感じました。 
 
季節は変わりますが 
 
この季節の変化は地球が太陽を中心に回転する事によるものですから 
 
1年で1回転するたびに季節が繰り返される訳です 
 
ですから 
 
私達の年齢は 
 
何回太陽の回りを回ったのか? 
 
その表れでもある訳です。 
 
そうやって考えると人生はせいぜい数十回の話しですから 
 
まぁ短いものです。 
 
太陽は有難いものです 
 
私達に光を与え 
 
光合成によって食べ物も与えてくれます 
 
そしてその熱によって 
 
生命に欠かせない水を循環させ私達に与えてくれる訳です。 
 
古代より太陽を神として崇めた人たちの気持ちはよく分かりますね。 
 
しかしこの太陽の恵み 
 
これだけでは地球にこれだけ生命が繁栄する事はありません 
 
地球そのものに大気があり 
 
そして自転をする事によってまんべんなく太陽の熱を受けるから 
 
そこには生命が存在する訳です。 
 
つまり 
 
太陽は大変有難い恵を与えてくれますが 
 
それを受け取る地球もその環境が備わる必要がある訳です 
 
いくら太陽が頑張ってもお隣の火星やら金星やらには生命は存在できないのです。 
 
ですから 
 
私たちは何気なく生きていますが 
 
実際には太陽と地球の信じられない位に見事な調和によって 
 
生命の存在が可能になってる訳です。 
 
そしてその太陽と地球の関係 
 
これは私達社会の中でも 
 
全く同じだと感じる事があります。 
 
たとえば 
 
どんなに立派な親であっても 
 
その価値を享受できるだけの生まれ持ったものが備わらないと 
 
結局それはなんの恵みにもなりません。 
 
親は立派なのに 
 
子供は刑務所 
 
なんて話はゴソゴソあります。 
 
また 
 
せっかく親が膨大な資産を残したのに 
 
それを子供があっと言う間に失う 
 
そんなシーンもたくさん目にしました。 
 
ですから私はいつも思います 
 
子供に資産を残したいと思えば 
 
まずその子供がその資産を自分の糧とできるか 
 
ここに少し心を配るべきだと・・ 
 
親が資産を残し過ぎたために 
 
勤労意欲を失い 
 
結果社会での成長の機会が失われ 
 
厳しい人生を歩んでる人を具体的に知っていますが 
 
その方はその資産さえなければ 
 
普通に幸せな人生を歩んでたのでは? 
 
なんてふと感じる事があります。 
 
それだけの能力も良識も元来備わってる方です。 
 
そんな訳で 
 
資産を残せば 
 
それを土台に人生を築く人もたくさんいる反面 
 
それによって社会からの隔離につながる 
 
そんな人もある訳ですから 
 
資産は子供の勤労意欲を悪化させないかどうか? 
 
その辺をいつも見極めながら相続税対策もするべきでしょうね。 
 
またこの仕事をして思うのは 
 
大金をかけて大きな家を建てても 
 
その家に見合うだけの美的感覚が備わってないと 
 
結果ムダ金となりますね 
 
物が捨てられないタイプは 
 
家が大きくなれば大きくなるほどガラクタの量が増えます。 
 
そんなシーンを見ていると 
 
ゴミを溜め込むために大金をかけて大きな家を作ってる 
 
そんな風に見えます。 
 
で 
 
その方が亡くなって 
 
売却のために資産を処分するお手伝いをする訳ですが 
 
その大切に溜め込んだ物は 
 
大金を払って廃棄物業者に処分してもらう事になる訳です 
 
ですから 
 
いつも思います 
 
物が捨てられない方は 
 
なるべく狭い家に住むべきだと・・ 
 
そんな感じで 
 
太陽の恵みと一緒で 
 
受け取る方もそれなりの資質がないと恵が仇になる 
 
そんな事も私達人間社会にはたくさんあるって事です。 
 
そしてそのミスマッチ 
 
一番感じるのは夫婦ですね 
 
どんなに立派な人に恵まれても 
 
相手に合わせて自分も進歩しないと 
 
結局仲はうまく行きません 
 
過去を隠して 
 
お金持ちと結婚して喜んでも 
 
時間が経つうちに 
 
化けの皮がはがれ 
 
裁判で離婚が決まり 
 
そしてまた一人になったら 
 
もう歳をとって 
 
以前のように男は寄ってこない 
 
仕方なく 
 
キャバクラ時代のお客様に電話 
 
そして一緒に暮らしたら 
 
シャブを打たれ中毒に・・ 
 
私が具体的知ってる女性の話しです。 
 
そうならないように 
 
恵まれた人と出会えば 
 
それに見合った進歩 
 
これを心掛けましょう。 

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受信だけでは自己満足 発信すれば社会の評価が高まります

2015年09月17日 | 社内事情
携帯電話にデジカメの機能が備わって 
 
誰でもどこでも好きな時に写真が撮れるようになりました 
 
アナログの時代は 
 
カメラが無ければ撮れませんでしたし 
 
撮った写真も現像して焼き付けなければ見る事ができませんから 
 
お金も時間もかかりましたから 
 
やたら撮る訳には行きません 
 
したがって 
 
時代を遡れば遡る程 
 
写真の数は少なくなります 
 
って事は 
 
今の時代は写真の価値はあまり感じませんが 
 
昔の写真の価値は画像が不鮮明にもかかわらず 
 
高くなって行きます。 
 
私も若い頃の写真はあまりありませんが 
 
今は大切にとってあります。 
 
しかし今の画像や動画が氾濫する時代 
 
その価値を高めるにはどうすれば良いか? 
 
それはその撮影した場面の価値が高ければ 
 
たくさんの人が興味を持ちます 
 
中東の殺し合いもネットで無数に流れますが 
 
人の首が落とされるシーンは今の時代でも 
 
たくさんの人が競って見る訳です。 
 
まあしかし一般の人はそんな出来事には滅多に出会えません 
 
でも特ダネ欲求がある 
 
この事が新しい犯罪を誘導したりしますね 
 
日本では店員に土下座をさせたり 
 
あるいは韓国では自分で学校を爆破して撮影したり 
 
なんて愚か者も今の時代だから出てくる訳です。 
 
で 
 
この犯罪によらずに自分の優越感をアピールできる 
 
この一つが著名な人とのツーショットですよね 
 
偶然町で出会った芸能人とツーショットを撮って 
 
それをさも友人かの如くブログにアップすれば 
 
自分は優越感に浸る事ができます。 
 
これに警戒したのか 
 
最近は有名人も町で簡単に写真は撮らせないようですね 
 
よく勝手に取ってトラブルになった 
 
なんて話も流れてきます。 
 
簡単に写真を撮れるようになりましたが 
 
逆に芸能人は簡単には撮影できない 
 
そんな時代に変わってきました。 
 
芸能人に限らず 
 
私達は社会的に知れた方と写真を撮る事ができれば 
 
自分の価値を高く見せる事ができますよね 
 
私も何度か国会議員の方達が参加する会に出席した事がありますが 
 
まあモテモテですよね 
 
皆さんツーショットを撮りたがりますから 
 
議員の方達延々と笑顔で撮影に応じたりなんかしています。 
 
人間の価値は中々分かりませんが 
 
少なくともその付き合ってる相手によって 
 
少しは判断する事ができる 
 
これも事実ですから 
 
自分の価値を高く見せたいのであれば 
 
価値の高い人との付き合いをアピールする 
 
これも人間の本質だろうと思います。 
 
結婚式でもこれがよく見られますよね 
 
大きな会社であれば 
 
社員の結婚式に重役が出席すれば 
 
社内での価値は高まるでしょうし 
 
芸能人や国会議員がスピーチをすれば 
 
それだけで結婚式全体の格が上がる 
 
そんな空気があります。 
 
まあしかし芸能人や国会議員を呼べる人は滅多にいませんので 
 
せいぜい会社の上司 
 
なんてのが普通ですが 
 
しかしこの会社の上司の方達 
 
中には国会議員に負けないほど頭が良い 
 
なんて方もたまにいます。 
 
また私達のお客様の中にも 
 
ものすごい学歴の方もたくさんいます 
 
なんせJAXAも当社のお客様ですからね・・ 
 
つまり 
 
私達の周りには 
 
有名人に負けないほどの頭の良い人はゴソゴソいる訳です。 
 
ではどうして有名人になったりそうでなかったりするのでしょうか? 
 
一番の理由は別に有名人になりたいと思ってないからだと思いますね。 
 
有名になるのは窮屈ですから 
 
あえて目立ちたくない 
 
そんな人が多いのだろうと思います。 
 
私自身も目立つのは嫌いですからその仲間です 
 
ただし私の場合は目立ちたくてもその才能がありませんから 
 
その意味では良かったと思っています。 
 
で 
 
頭は良いのにあまり出世できない 
 
このもう一つの理由が発信能力です。 
 
つまり 
 
知識を吸収する能力は優れてるのに 
 
その吸収した知識を発信する 
 
この能力のバランスが取れてない 
 
そんなパターンがあります。 
 
結婚式のスピーチで言えば 
 
アメリカの大学で博士の称号を得てるのに 
 
ぼそぼそと話して何を言ってるのか分からない 
 
そんな人もいました。 
 
つまり 
 
私達人間社会は 
 
知識を吸収する事は大切ですが 
 
その得た知識を発信する事によって 
 
初めて評価される 
 
そんな世界だって事です。 
 
ですから 
 
いくら頭が良くて吸収能力が高くても 
 
それを発信しなければ 
 
少なくとも社会では意味がないとも言える訳です。 
 
この受信能力と発信能力 
 
特に私達の仕事では意識しなければいけません 
 
私は社員に 
 
これからは勉強しなければこの世界では生き残れない 
 
これを言い続けていますが 
 
これもただ頭の中に知識を入れただけではだめです 
 
その吸収した知識を 
 
お客様が理解できるように説明できて初めて 
 
その知識が生きる訳です。 
 
ですから 
 
知識を得たら 
 
その知識を他人に分かりやすく伝える 
 
この能力も必要な訳です。 
 
そのためには 
 
日ごろから文章を読んで 
 
発信能力を高める 
 
これが欠かせまません 
 
不動産屋を長く続けるのであれば 
 
少なくとも毎日活字に目を通す 
 
これを意識しましょう。 
 
 
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時が過ぎれば評価が上がる

2015年09月16日 | 人生一般
古代文明の遺跡を破壊するイスラム過激派 
 
世界中から非難されてますが 
 
まぁそんな事はお構いなしですね。 
 
ユネスコ遺産やらなんら迷う事無く爆弾で吹き飛ばします。 
 
しかし形あるものは消えるのが定め 
 
しょせん人間が造ったものですから 
 
過剰に嘆かずに諦めるしかありませんね。 
 
しかしこの遺跡を造った人達はどう思うでしょうかね? 
 
まぁ遺跡を造った人 
 
なんて定義も実は一つではありませんよね 
 
まずその遺跡を造る事を命じた権力者 
 
これが一般的には歴史に名を残します 
 
秦の始皇帝が万里の長城を造りました 
 
なんて学校では教える訳です 
 
が 
 
実際には万里の長城は始皇帝が造った訳ではありません 
 
たくさんの駆り出された労働者が造ったのです。 
 
日々の暮らしがあるのに 
 
無理やり動員させられた人々 
 
本当に困ったでしょうね 
 
そしてたくさんの人が命を落とした事も想像できます。 
 
私が子供の頃 
 
エジプトのピラミッドを造る物語に 
 
奴隷がムチで打たれながら大きな石を運ぶ 
 
そんな挿絵がついていましたが 
 
古代の遺跡は奴隷の存在なしでは作れなかった 
 
そうも言える訳です 
 
って事は 
 
今破壊されてる遺跡を見ると 
 
それを造らせた支配者は嘆くかもしれませんが 
 
実際ムチで打たれて苦役を強いらえた奴隷たちは 
 
歓喜の声を上げるかもしれませんね 
 
権力者の権威のために造られた訳ですから 
 
破壊すればその権威が落ちるって事になります。 
 
被支配者からすればこれほどの喜びはないでしょう。 
 
つまり 
 
皮肉な話ですが 
 
今の時代 
 
貴重な遺跡を破壊するISは悪魔のように言われますが 
 
その当時遺跡を造らされた人たちにとっては 
 
ISは正義の象徴 
 
そんな感じかもしれません。 
 
そうやって考えると 
 
私達が日々大切だと思って疑わない物 
 
この多くは 
 
実はそれが出来た当時は 
 
たくさんの人が嘆き悲しんだ 
 
そんな事も多いって事です。 
 
今は私たちはアメリカと友好関係にありますが 
 
鬼畜米英と教えられた当時の日本人は 
 
その悪魔のような人たちに支配される 
 
これが現実味を帯びた時にはどうだったんでしょうね。 
 
恐ろしかったと思いますね。 
 
ですから 
 
私達が今有難いと思ってる国民主権も 
 
天皇主権が染みついた 
 
当時の人は不安だったはずです。 
 
この時が過ぎれば評価が変わる 
 
これを自衛隊やら日米安全保障条約で体験した安倍総理は 
 
今安保法制に対する国民の反発が強くても 
 
いずれ理解される日が来る 
 
これを疑わずに突き進んでる訳ですが 
 
まぁしかし今回はダメですね 
 
国会審議が進んで国民の理解が進めば進むほど反対が増える訳ですから 
 
仕切り直しが一番です。 
 
どうなりますかね? 
 
明日は日本の歴史に残る 
 
そんな日になりそうです。 
 
しかし歴史は 
 
どっちかと言うと時代が進むにつれて評価は上がる 
 
そんな傾向がありますね。 
 
例えば初代の首相 
 
伊藤博文なんてのは 
 
お札でも刷られて私達の尊敬の対象になってますが 
 
当時の周りの評価は色狂いですからね 
 
特に趣味が無い人だったようですが 
 
唯一の趣味が女性で 
 
下半身は制御不能だったようです。 
 
まあそんな訳で 
 
私たちは 
 
時が過ぎれば 
 
過去の失態は周りの記憶から消えますから 
 
時間の経過とともに評価は上がり続ける 
 
そんな傾向も間違いなくあります 
 
田中角栄ですら 
 
今は高い評価を受けつつありますよね 
 
私達が大学生の頃は悪の象徴みたいなものでしたので 
 
本当に隔世の感があります。 
 
身近でも先日 
 
ある老人の元同業者をみかけましたが 
 
お孫さんにまとわりつかれて 
 
ほんとうに良いおじいさんって感じで 
 
とても幸せそうでした 
 
ただ 
 
私はその人の過去を良く知ってますので 
 
とても尊敬なんてできませんが 
 
せめて 
 
知らんぷり 
 
これが私ができる精一杯の事です。 
 
私が知らないふりをすると 
 
軽く目で会釈をしました 
 
私の気持ちが通じたんでしょうね。 
 
長く生きると 
 
色んな事があるって話です。 
 
人生はその過程では 
 
綺麗ごとばかりでは生きて行けませんが 
 
その時に体についた汚れは 
 
何もしなくても 
 
時が綺麗に洗い流してくれる 
 
これも人生の有難い所です。 
 
ですから 
 
汚れきった皆さん 
 
長生きして 
 
綺麗になってあの世に行きましょう。 
 
最後の姿が子孫にとってはアナタの姿ですから 
 
くれぐれも垢落としには時間がかかるって事を理解して 
 
早めの対策 
 
しっかり行いましょう。 
 
 
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家は命より大事

2015年09月15日 | 不動産業界
こないだの洪水災害で逃げ遅れた人達 
 
そのインタビューがテレビで流れていました 
 
行政無線が避難を呼びかけ 
 
近所の人も 
 
また家族も逃げたのに 
 
一人だけ家に残ったお爺さんが残った理由を聞かれ 
 
“高齢なって初めて買った家だから守りたかった” 
 
そうポツリと漏らしていました 
 
命より大事な訳がないのに 
 
家に残ったからと言って守れる訳ではないのに・・ 
 
似た話が沖縄の私の村にはたくさんあります 
 
沖縄戦が迫った時に 
 
私の母親は戦火を避けるために 
 
小さな子供たちをたくさん連れてヤンバルに避難しましたが 
 
祖母は一人爆弾が雨のように降る家に残りました 
 
残った理由が 
 
“家を守るため” 
 
そう話していました。 
 
子供ながらにいつも思っていました 
 
米軍相手におばあさんが一人でどうやって守るの? 
 
って 
 
結果は家は爆弾で破壊 
 
本人は体中に無数の破片が当たり 
 
それでも奇跡的に命はとりとめましたが 
 
地獄の苦しみを味わった訳です。 
 
そんな訳で 
 
家と言うのは 
 
時には人間が命を犠牲にしてもそこに残ろうとするほど愛着がある 
 
これを私たちはしかり理解する必要がある訳です。 
 
私は若い頃それが理解できずに 
 
例えば契約寸前に売主が 
 
“どうしてもお爺さんが契約しないと言い出して” 
 
なんて電話がかかってくると 
 
なんで大人なのに自分で言った事が守れないのか? 
 
そんな思いが湧いて不快になったものです。 
 
ですから言葉もつい詰問調の厳しい口調になっていました。 
 
しかしある事をきっかけに 
 
私は家を扱う仕事でありながら 
 
そんな人の本質に思いが至らなかった 
 
そう思い知らされました 
 
それは 
 
今から17年前 
 
自分自身の家を買い替えた時です。 
 
家が広く新しくなる訳ですから 
 
家族も喜ぶ 
 
そう信じ切って 
 
子供達には最後に話して驚かせる 
 
そんな思いから 
 
引っ越す寸前まで黙ってました 
 
で 
 
いよいよ建物が完成して 
 
息子達にそれを話すと 
 
驚いた事に 
 
3人とも猛反対です。 
 
当時4年生だった3男は大声で泣き出しました。 
 
その時に初めて思い知らされたのです 
 
人間の家に対する思いを・・ 
 
私たちは日頃家を商品として扱ってますから 
 
それに対する思いは車程度の感覚ですが 
 
実際には家は 
 
人によっては 
 
どんなボロ家でも 
 
かけがえの無い物 
 
それに気づかされた訳です。 
 
それ以来 
 
私の中では 
 
家を売却する事の重みをしっかり心に刻む事ができましたので 
 
お客様のドタキャンは全て想定の範囲内になりました 
 
ところが不思議な事に 
 
このドタキャンは当たり前 
 
これが前提になると 
 
キャンセルは激減しました。 
 
理由ははっきり分かります 
 
契約を設定する前に 
 
お客様の心が揺れてないかどうか 
 
ここに対する感覚が増したのです 
 
で 
 
揺れてると思えば 
 
契約日時を設定する前に 
 
“よく考えてから契約しましょう” 
 
なんてこちらから言うようになった訳です。 
 
また私は自分が接するお客様には 
 
相手の心は変わる事がある 
 
だから 
 
契約は前日にキャンセルになる事が多い 
 
これも最初に話ますから 
 
一方の契約キャンセルによる 
 
もう一方のお客様に対する申し訳無さから来る 
 
心理的負担も最初から排除してる訳です。 
 
まあこれが出来たから 
 
これだけ長く不動産の世界で生きて来れた訳です。 
 
お客様がドタキャンすると狼狽して 
 
攻撃的な言葉を投げかける同業者を見ると 
 
若い頃の自分と同じで 
 
辛い不動産屋人生だろうな 
 
なんて思い 
 
同情心が湧いてきます。 
 
 
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