One-Leg Playerの奮闘記

障害を持っていても松葉つえ1本でいろんなスポーツにチャレンジしています。

看取った家族の1人として

2017-07-17 17:11:14 | 親父の闘病記

16日にある緩和ケア病院のホスピス病棟のスタッフさん一同から、今回、大切な方を看取られた家族をお招きし、思い出や近況報告などを語り合う茶話会を催したいので、ご参加くださいとの案内状を頂いた。

まだ、2カ月先の話しですが今は迷っています。

親父が亡くなって約9カ月が経ち、やっと吹っ切れるかなぁと思っていた矢先に、また親父の思い出話しや私の近況報告などを語り合うホスピス家族会へのお招きは複雑な心境です。

病院側としては、残された家族の精神的なケアも含めての心遣いだとは思いますが、これからの緩和治療をさらに良くする為にも看取った家族の悩みや意見を参考にされたいのだろうと思われます。

やはり、在宅医療から緩和ケアへ移行するタイミングが非常に悩みました。それと家族は担当医師や看護師さんとは違って緩和ケアへの基本的な知識不足から医師と意見の喰い違いや微妙な思いにズレが生じたことです。

手の施しようのない癌の末期患者の痛みを和らげ精神的な不安のコントロールが緩和ケアなのですが、家族が驚くのは、痛みを和らげてくれるのはいいのですが、一日で意識が無くなったり、白目をむき、どこを眺めているのかも分からず、言葉もしゃべれなくなる姿を目の当たりにしたことです。

実は、親父が一番恐れていた事なのです。(親父のお姉さんが、ある病院へ入院して、その日は元気だったのが、薬の投入により一日で植物人間のようになったことを長い間その話しを私たちは聞かされて来ました。)

家族の勝手な思い込みですが、医療技術の発達により老衰のように徐々にしゃべれなくなり、意識も緩やかに薄れ眠るように最後を迎えると自分の中ではそうイメージしていたのが本音です。

病院側とすれば、痛みは脳を遮断しない限り痛みは取れず、当然、意識障害が起こるのは必然で、徐々に微調整するには日数も費用もかかることから経済的な面と患者本人の病状の進み具合いや介護する家族の状況なども考えてのことで難しい判断を求められるのです。

延命治療は行わないと本人も家族も承諾したにも関わらず、矛盾した複雑な思いの家族と、ある程度割り切りが必要な担当医との考え方のギャップが生じるのは止むを得ないことだと理解しています。

長い間一緒に暮らし絆が深い家族であればあるほど、そう簡単に割り切れるものではなく、1分1秒でも生きていて欲しいと思ったり、介護生活から早く解放されたいと思ったり、心が揺れ動くものなのです。しかし、だからと言ってそればかりに引きずられて悲しむべきではなく、前向きに新たな目標に向かって進むべきで、そうでないと亡くなった親は、そんな事を望んでいないからです。

今、治療に当たっておられる先生方も現状に満足することなく、日々技術を磨かれ少しでも患者さんの意に添った、精神的な面でのフォローと苦しみを和らげる治療の高度な技術の改善と短絡的な処置に走りがちな医療経営の中で、自分が納得のゆく治療は今の医療制度では、かなり厳しいとは思いますが、それを追い求めて欲しいのが患者家族としての気持ちです。

訪問診療の先生と看護師さん、ホスピス病棟の担当医の先生、看護師さんには、本当に親父がいろいろと、お世話になり有り難うございました。再度、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 

 

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