ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸のフクロウ(3)

2018-11-30 18:46:42 | 水戸

 リンゴのネズミによる食害対策にフクロウが有効だとか、新幹線のパンタグラフにフクロウの風切り羽を参考にした形を取り込んで騒音を削減したとか、フクロウなどのいるカフェができたとかいうニュースは聞いたことがあります。でも、自然の風景の中でフクロウを見たことはありません。水戸でフクロウを見たいなと思います。

 

ファイヤーライフ(河和田町315-1)
 ウェルカムと下方に彫られた大きなフクロウが、あまり目立たないところに置かれていました。

 

屋外彫刻(レッツ文化村 鯉淵町)
 浅賀正治作・英知という題のフクロウが団地メインロードにありまそた。

 

地蔵院(内原町908)
 罹災の碑と、そのとなりにある木の切り株の上に、フクロウが置かれていました。

 

栗崎町
 フクロウとカエルの両方が家の入口左右に置かれていました。こうした縁起物が置かれるようになったのはそれほど古いことではないような気がするのですが、水戸ではたいへんよく見かけます。

 

めんや 梟(ふくろう 笠原町483-542)
 ふくろうという名前の店はいくつかあるようです。このラーメン店は常連の多い店のようでした。

水戸のフクロウ(2)

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水戸の二十三夜塔(3)

2018-11-29 19:10:23 | 水戸

 二十三夜塔などの石造物は、必ずしも寺社の敷地内ばかりではなく、道ばたにも建てられたようです。そうした二十三夜塔を、建てられた順に並べました。11月に建てられたものが多いようです。

 

大塚町(大塚農民館(大塚町1223-2)北側の道路沿い)
 二十三夜塔、寛政10年(1798)とあります。本尊である勢至菩薩のサクと読む梵字が刻まれています。ここには大きな出羽三山碑などがたくさん並んでいます。

 

酒門町(酒門六叉路信号西約100m)
 廿三夜供養塔、女人講中十五人、享和3年(1803)とあります。碑の左右側面は、道しるべになっています。

 

萱場町(セブン-イレブン水戸萱場町店(萱場町92-3)のある信号から道路東方約100m)
 二十三夜供養塔、文化7年(1810)とあります。上部に二十三夜の下弦の月と日が彫られています。ほかに子安観音2体、地蔵1体の石仏が並んでいます。

 

元吉田町(魚いちず(元吉田町1415-2)道向かい)
 二十三夜塔、嘉永2年(1849)とあります。子安観音等、全部で4基の石造物が並んでいます。

 

加倉井町(ハンサム自動車工場(加倉井町1253-10)斜め道向かい)
 二十三夜塔、松山・原講中、慶応元年(1865)とあります。となりには弘化3年(1846)の庚申塔があります。

 

鯉淵町(鈴木自転車店(鯉淵町3007-1)斜め道向かい)
 二十三夜塔、明治13年(1880)とあり、下部に17名の男性名が彫られています。いっしょに、地蔵、如意輪観音等、たくさんの石造物があります。

水戸の二十三夜塔(2)

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水戸のイチョウの黄葉(2)

2018-11-28 20:03:22 | 水戸

 イチョウの黄葉はピークを過ぎつつあるようです。それでも、遅めに色づく樹木では、まだまだ美しさを楽しめるようです。

 

鯉淵学園(鯉淵町5965)撮影11/24
  校内通路沿いに植えられたイチョウ並木は2ヵ所ありますので、両方見ていってください。

 

茨城県立近代美術館前歩道(千波町666-1(美術館)近く)撮影11/24
  この道路では、美術館向って左の歩道両側にイチョウが植えられています。道路右の歩道はケヤキです。

 

銀杏坂(南町1あたり)撮影11/28
 日照が関係するのでしょうか、写真で道路左側のイチョウはまだ少ししか色づいていませんでした。

 

農業技術研修館(鯉淵町5930−1)撮影11/24
 構内にきれいなイチョウ並木が続いていました。

 

祇園寺(八幡町11-69)撮影11/17
  開山堂前あたりの黄葉です。すこし早めのようでした。

 

水戸一高(三の丸3-10-1)撮影11/25
  入口にある紅葉と混じったイチョウの黄葉です。右に見えるのは水戸城薬医門です。

水戸のイチョウの黄葉(1)

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水戸の震災復興碑(1)

2018-11-27 20:59:29 | 水戸

 東日本大震災では、水戸も大きな被害をこうむったそうです。今も、倒れたままになっているお墓があちこちで見られますが、被災の姿を残している建物もまれではありますがまだ見かけます。
 復興記念碑の多くは寺社で見られるようですが、復興の記念だけではなくて、今後起きるであろう似たような天災に対する決意表明のようにも見えます。またそうでなければいけないのでしょう。

 

回天神社(松本町13-33)
 東日本大震災復旧記念碑とあります。忠魂塔や殉難烈士の墓等に被害があったようです。その年(平成23年)のうちに復旧できたようです。

 

仏性寺(栗崎町1984)
 東日本大震災之碑とあります。平成24年に、被災からの早い復興と、この出来事が語りつがれて行くように建てられたようです。本堂の八角堂が再建されたのは平成26年だそうです。

 

下河原稲荷神社(青柳町)
 東日本大震災による倒壊鳥居の復興記念碑とあります。建物等に被害があり、特に鳥居が全壊したため、平成23年のうちに地鎮祭がすんだことを記念して、平成24年に建てられた記念碑だそうです。

 

吉田神社(宮内町3193-2)
 東日本大震災復興記念碑とあります。平成28年に、おおくの篤志によって復興できたようです。碑の裏面には篤志者の名前が刻されています。

 

薬王院(元吉田町682)
 報恩慰霊之碑とあります。平成25年に復旧事業実行委員会が組織されて、その後、仏像、建物などの復興が成就し、平成29年にその記念として碑が建てられたそうです。

 

稲荷神社(平須町1009)
 東日本大震災復興記念之碑とあります。本殿、玉垣、鳥居、灯籠が改修されたそうです。

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水戸のお茶(2)

2018-11-26 20:54:20 | 水戸

茶対(好文亭何陋庵(かろうあん 茶室)待合 常磐町1-3-3)
 「茶を学んだかと問われるとまだだと答えるが、こんなことを聞いた。茶の味は苦くてしかも甘い。器は粗末で清らかだ。茶室は素朴で静かである。庭は狭くて幽玄である。交わりは睦みあって礼儀正しい。しばしばつどって費用はかけない。茶はこのように楽しんで奢らないものだ。それに反する者を私は知らない。」といった徳川斉昭の書を刻んだものだそうです。写真左の景山は、斉昭の号です。

 


 
移動式茶室(東照宮 宮町2-5-13)
  正式には「安神車写シ銅造移動式茶室」というそうで、藤森照信が東照宮の安神車を見たことがきっかけでつくった茶室だそうです。車輪にのってにじり口から入る構造なのでしょうか。それにしても入口の畳縁(たたみべり)が高そうです。

 

茶室・双宜庵(茨城県立歴史館  緑町2-1-15)
 歴史館の建物から下段の庭園に向かう途中の林の中にあります。これも「たがいにむつびあう」という心なのでしょう。

 

茶席(偕楽園  常磐町1-3-3)
 梅まつりには、露天の立礼(りゅうれい)茶会が連日催されていました。これは学生主催の茶会のようです。

 

お茶葛餅(茶舗牧ノ原本店 宮町2-4-24)
  三の丸ホテルで開催された、いばらき県央おいしい手土産品評会2018に出品されていました。まっ茶、せん茶、ほうじ茶、げんまい茶の4種がありました。

水戸のお茶(1)

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