ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の壁画(6)

2022-08-31 20:15:01 | 水戸

下水道施設管理事務所(若宮1-1-1)
 公園化した敷地内から見えた建物にある壁画です。波と海鳥なのでしょうか。波を縦棒だけであらわしていました。

 

小吹運動公園体育館(小吹町820-2)
 運動公園らしい壁画です。この体育館の竣工は昭和61年だそうですからすでに36年くらい経っているようです。屋内運動場のアリーナ部分と屋内プールがあるようです。水戸市植物公園の隣にあります。

 

茨城大学教育学部附属幼稚園(三の丸2-6-8)
 四季をあらわしたらしい壁画です。春の花とお三階、夏の花火と千波湖風景、秋のイチョウと運動会、冬の雪華と雪だるまのように見えました。

 

沢渡川緑地(36°23'00.6"N 140°26'22.6"Eあたり)
 常盤大学道向かいにある公園内のトイレです。タイルを貼りの壁画でした。

 

梅香トンネル(36°22'34.7"N 140°27'56.9"Eあたり)
 梅香側の壁面にある花火の絵です。千波湖の花火は、水戸で夏の代表的イベントなのでしょう。平成14年に開通したそうですが、これによる、交通混雑緩和効果はそうとうなものだったことでしょう。

水戸の壁画(5)

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徳川光圀の話あれこれ(13)

2022-08-30 19:53:30 | 水戸

文京区・江戸川公園・神田上水旧蹟碑記

 

 光圀はただ一人の水戸で生まれた水戸藩主で、歴代藩主のうちでは、一番水戸(藩内)に滞在した期間が長かったそうです。水戸で生まれてから約5年間、引退して西山荘に住んだ約10年間と、11回の帰藩の期間を合計すると22年くらいになるそうです。73歳で没したそうですから、一生の3割は水戸にいたことになるそうです。一方では、一度も水戸に来ることのなかった8代斉脩(なりのぶ)もいるそうです。定府だったらしい水戸藩は、江戸住まいがどの藩主も長かったようです。

 

 若いころ、馬術の練習に励み、馬上で棹(さお)立ちになったり、落馬したように見せる、逆さになる技をしたりしたそうで、侍医だった井上玄桐は、その技術を「究竟(くきょう)の御上手」と「玄桐筆記」でほめたたえているそうです。馬がモグラの穴に足を踏み入れて倒れ、鞍が割れたこともあったそうですが、落馬して投げ出されたものの、なんともない様子だったそうです。

 

 延宝2年(1674)に自分の食事を倹約するよう指示したそうで、お膳部の覚えによると、「朝夕の膳は有り合わせのもので一汁三菜以下とする」「菓子は無用である」「朝夕酒は出さない」などの項目ががあったそうです。また外にも、食事は朝夕一汁三菜で、野菜の精進料理を好み、野菜の時は食が進み、魚鳥の時は、あまり食べなかった、脂っこいものを食べると胸につかえて悩んだという記事が「玄桐筆記」にあるそうです。

 

 光圀は、元禄1年(1688)に、貧者借金の利率を1割に抑える法令を出したそうです。2-3割の金利が普通だった当時、貧者だけを対象に引き下げたそうで、その他は相対(あいたい)で決めるとしたそうです。後に、藤田幽谷は、それを扶弱抑強(ふじゃくよくきょう)の令といったそうです。

 

 光圀は、同時代人として、松尾芭蕉を意識していたそうです。奈良時代に建てられたという、多賀城跡の壺碑(つぼのいしぶみ)が、当時土中から発掘されて注目されていたそうです。その碑は、西行や実朝が詠ったという歌枕であり、感激した芭蕉は「羇旅(きりょ)の労をわすれて、泪(なみだ)も落つるばかりなり」と、奥の細道に書いたそうです。そのことを知ったからなのでしょうか、芭蕉が旅から江戸に帰った元禄4年(1691)年に、光圀は家臣を多賀城跡へ派遣して大日本史のための調査をし、仙台藩主に鞘堂(さやどう)の建築を勧め、そしてその依頼はかなえられたそうです。芭蕉は水戸藩邸の上水道工事に関係したということもあったそうです。光圀は、奥の細道の旅費を出したのでは、という人もいるそうです。写真は、文京区江戸川公園にある、芭蕉の関与を記した、「神田上水旧蹟碑記」です。(随分前の写真です。)

徳川光圀の話あれこれ(12)

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水戸のサルスベリ(2)

2022-08-29 09:17:22 | 水戸

新荘市民センター(新荘2-11-2)
 濃い赤色の花がびっしりと咲いていました。いい形で成長しているようです。

 

石川
 民家のサルスベリです。赤と白の2本が並んでいましたが、花数が多く、見ごたえがありました。

 

千波町
 これも民家のサルスベリです。そうとうな高木になっているようで、高い所に赤い花がたくさん咲いていました。

 

水戸八幡宮(八幡町8-54)
 随身門(ずいじんもん)近くにあるサルスベリです。そうとう広く枝をのばしているようでした。

 

水戸地方気象台(金町1-4-6)
 入口に至る道脇に何本かのサルスベリが咲いていました。昭和10年竣工の建物だそうですが、古さを感じさせないデザインで、サルスベリも何となく現代的に見えるようでした。 

水戸のサルスベリ(1)

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水戸の昆虫(10)

2022-08-28 19:52:49 | 水戸

アブラゼミ(水戸市植物公園 小吹町504)
 セミ科。探すのが下手なようで、蝉時雨の中でも、なかなかセミを見つけることができません。ようやく、アブラゼミを撮ることができました。アブラゼミの鳴き声は、セミの合奏の中で、BGMのような感じがします。どれも今月に撮った写真です。

 

オオチャバネセセリ(水戸市植物公園 小吹町504)
 セセリチョウ科。外側の模様が一直線でなく少し乱れているので、オオチャバネセセリだろうと思いました。セセリチョウは、せわしく動くのでついた名前のようです。

 

キアゲハ(水戸市植物公園 小吹町504)
 アゲハチョウ科。小さいころ知らないで幼虫をつかんだら、その強烈なにおいに閉口したことが思いだされます。

 

ハネナガイナゴ(常照寺池脇36°21'25.9"N 140°29'32.2"Eあたり)
 バッタ科。コバネイナゴかもしれませんが、羽が長いのでハネナガイナゴとしておきます。近くに田もありますので、食べ物に事欠くことはないでしょう。

 

ヒメウラナミジャノメ(常照寺池脇36°21'25.9"N 140°29'32.2"Eあたり)
 タテハチョウ科。羽裏の波模様と、後羽の5つ丸が特徴のようです。なぜか、常照寺池脇では、昆虫や野草がいろいろ見られます。

水戸の昆虫(9)

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水戸のご神木(1)

2022-08-27 21:02:09 | 水戸

 神社では、ご神木といわれる樹木がときどき見られます。自然を崇拝する伝統的な信仰では、古木や樹林がその対象の一つになったり、神様が降臨する依代(よりしろ)とも考えられていたようです。そうした伝統から、神社境内にある古木にしめ縄をはって今でも信仰されているようです。ご神木が枯れると、次のご神木があとを継ぐということが繰り返されてきたのでしょう。

 

別雷皇太神(元山町1-1-57)
 いかにもご神木らしい、立派なしめ縄がはられたケヤキです。境内に、かっこうなこかげを提供しているようでした。

 

香取神社(木葉下町1)
 風雪を経てきたように見える、樹齢330年というアカガシの古木です。本殿背後にあるスギの古木(写真右に一部が写っています)にも、しめ縄がはられていました。

 

鹿島神社(大塚町36.382812, 140.391222あたり)
 すらりと高く成長するスギは、神社に似合うようで、スギのご神木はあちこちにあるようです。このスギの樹齢は400年だそうです。

 

鹿島神社(全隈町255)
 樹齢400年のスギだそうです。近くにある広葉樹のヤマザクラの古木とともに、境内に並立しているようです。

 

藤内神社(藤井町874)
 参道に育つスギの大木です。これなどは後継木なのでしょう。

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