ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸に本店がある常陽銀行の文化貢献(1)

2019-11-30 20:35:46 | 水戸
 経済の変遷とともに、銀行の経済的位置が大きく変わってきている現在のようですが、昭和10年に出発した常陽銀行による、多くの文化的、社会的貢献は、水戸市内のいろいろなところでも見ることができるようです。そのいくつかをご覧下さい。
 
 
 
 
経済研究室(文京2-1-1)
 昭和27年に、茨城大学へ経済研究室を寄贈したそうです。その後も、平成5年に、常陽亀山記念館を茨城大学へ寄贈したようです。亀山は、昭和10年に常陽銀行が創立した時の初代頭取の名前(亀山甚)のようです。写真は、常陽亀山記念館です。
 
 
 
 
義烈館(常磐町1-3-1)
  昭和32年に、20周年記念事業として、常磐神社へ、徳川光圀と斉昭を紹介する歴史博物館としての義烈館を寄贈したそうです。
 
 
 
 
藝文センタ-(三の丸1-5-18)
 昭和57年に、50周年記念事業として設立した文化財団で、芸術文化を通じて郷土づくりや個人生活づくりに寄与することを目指しているそうです。「藝文」という地域紹介の出版や、ギャラリー、文化保存のための録画などが行われていて、メセナ大賞や文化庁長官賞を受賞しているそうです。
 
 
 
 
常陽資料館(備前町6-71)
 平成7年に、60周年記念事業として開館したそうです。貨幣ギャラリー(貨幣や銀行の博物館)、郷土文化や金融に関する文献を集めた資料ライブラリー、企画展示を行うアートスポットがあるそうです。
 
 
 
 
吉子歌碑(三の丸1-6-29)
 徳川斉昭の妻・吉子がもたらした、桜のひこばえをもらって花を咲かせた、弘道館の職員だった小沢敏行が、その桜を詠んだ吉子の和歌碑を自宅に建てたそうです。その後、その地は常陽銀行の所有となり、小沢家の了解のもとに、碑は弘道館に寄贈されたそうです。
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水戸の自然アート (1)

2019-11-29 21:48:55 | 水戸

 人の手が加わらない自然の形には、いいなと思うものがしばしば見られます。そのいくつかをご紹介します。

 

 

カモ(逆川合流点)
 ふくら雀ということばがありますが、これは、寒さに耐えるふくら鴨でしょう。

 

 

カワエビ(弓道場下湧水)
 流れのある池のあちこちで見ることができますが、これは弓道場下湧水で見られたカワエビが移動した後にできる模様です。

 

 

ダイコン(酒門町)
 寒さで葉がたれさがってしまった大根です。

 

 

ツル(若宮市民運動場付近)
 カナムグラの巻いたツルのようです。毛だらけの巻いたツルの姿は見ごたえがあります。

 

 

水草(桜川)
 川草が水面に映った様子です。

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水戸のくねくね道

2019-11-28 20:06:38 | 水戸
 くねくねした道路は、車には向いていないでしょうが、風景を楽しみながら散歩したりするのにはうれしいものです。
 
 
 
 
中河内町(生田目酒店(中河内町106-2)近くの農道)
 畑中のくねくね道で、これが一番本来の形でしょう。
 
 
 

新荘1(くらもち輪業(新荘1-7-1)のある通り)
 まちなかの道路ですが、この道だけがくねくねしています。これが元々の道だったそうです。周囲の道はその後新しく作られたらしく、直線になっています。
 
 
 

田谷町(県道169号線田谷町信号先の上の台地ににのぼるあたり)
 最近きれいになった道路のようです。標高差があるので曲げられているのでしょうか。
 
 
 

平須町(東山近隣公園(平須町1828-695)近く)
 ボンエルフという表示がありました。ボンエルフはオランダ語で、「生活の庭」という意味だそうで、車を走りにくくして歩行者との共存を図るという発想の道だそうです。ここは左右交互に樹木が植えられています。
 
 
 

平須町(東山近隣公園(平須町1828-695)近く)
 ここの住宅地では2か所でボンエルフを見かけました。こちらは、一方だけにはみ出して樹木が植えられています。
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水戸の装飾石垣(2)

2019-11-27 18:18:33 | 水戸
  水戸の装飾石垣(1)の後、町で見た装飾石垣のいくつかです。
 
 
 
 
百合が丘町 装飾石垣ならではの曲線が印象的です。
 
 
 

双葉台 切り込み接(は)ぎ風に色違いの石をきれいに貼り付けています。
 
 
 

栗崎町 横長の石をあまりコンクリートが目立たないように積んでいます。
 
 
 

根本 土台部分に自然石を並べた石垣です。このあたりは洪水が多いそうですので、かさ上げのためのものかもしれません。
 
 
 

備前町 色違いの石をコンクリートの壁に散らしています。
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水戸の庚申塔(5)

2019-11-26 21:08:28 | 水戸

 今回は、建てられた年のわかる碑を選びました。庚申年である寛政12年に建てられた碑が二つあります。




奉供養庚申為二世安楽(上中妻小学校(大塚町1086-2)西三叉路)
 寛保3年(1743)とあります。道角の石造物群の中にあります。二世安楽のためにという様式の碑を見るのは二つ目です。

 

 

庚申供養塚(子安神社 パンダ公園(元石川町)北方約300m)
 左右の側面が道しるべになっている庚申供養塚です。天保5年(1834)とあります。

 

 

庚申塚(川又観音 川又町)
 寛政12年(1800)とあります。川又観音にはいくつかの庚申塔があるようですが、風化が進んできていて、わからなくなりつつあります。川又観音ではいろいろなタイプの石造物を見ることができます。

 

 

庚申塚(折居神社 塩崎町1)
 寛政12年(1800)とあります。鳥居の外側にありました。

 

 

庚申塚(佐川急便茨城営業所(見川町2131-315)北西方約200m)
 昭和45年、水久保、東原、下の内講中とあります。直ぐ隣には山の神が祀られています。天保年間に選定されたという河和田十勝の一つ、「庚申台帰馬(こうしんだいのきば)」の立て札があって、桜野牧の名残の地でもあるようです。

水戸の庚申塔(4)

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