ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の猫(6)

2024-03-31 21:08:44 | 水戸

  今回は、本物の猫以外のものばかりです。

 

ネコノシッポ(水戸市植物公園 小吹町504)
 ヒルデウィンティラという名前の、南米、北米が原産のサボテンだそうです。ヒモサボテン、サルノシッポともいうそうです。きもかわ系のようです。

 

猫の顔(水戸市植物公園 小吹町504)
 多肉植物でつくった猫の顔のようです。大温室で見ました。

 

招き猫(居酒屋 金魚 宮町2-3-3)
 大きな招き猫がウィンドウの中から両手をあげて客を招いているようでした。招き猫にはめでたい四文字熟語がたくさん書かれています。千客万来、金運来福、家内安全、福徳円満、健康長寿、満願成就、商売繁盛、開運招福。これだけかなえてくれるのなら、すごい猫たちなのでしょう。

 

クラフト店(KANE CRAFT 本町1-5-4)
 店の2Fに白黒の猫が2匹いました。

 

花火(千波湖)
 上下のある画像を花火で表現するのは、そうとうむずかしいようです。写真は、何発か打ち上げたらしい猫花火の一つです。右に耳があるようです。去年の水戸黄門まつりで見ました。

水戸の猫(5)

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水戸市植物公園・椿展で見た花々

2024-03-30 21:51:39 | 水戸

 水戸市植物公園で、長寿の木 椿展が開催されていました。いろいろな花がありましたので、少しご紹介してみます。

 

曙(あけぼの)
 淡い桃色、一重咲きの大輪で、古くからあるヤブツバキ系の品種だそうです。

 

出雲大社赤藪(あかやぶ)
 鮮紅色、一重咲きで、小輪のヤブツバキ系の品種で、松江の出雲大社付近のヤブツバキから改良されたようです。

 

大唐子(おおからこ)
 大唐子は咲き方のようです。雄しべや葯の部分がまとまった小さな花弁になった花のようです。

 

乙女椿
 花は、淡い桃色、花弁が沢山重なって雄しべなどがほとんど見えない千重咲き(せんえざき)で、中輪のユキツバキ系の品種だそうです。

 

参平椿
 桃色の地に紅絞り、白覆輪(白い縁取り)の一重咲きで、中輪のヤブツバキ系の品種だそうです。知多半島の民家に原木があるそうです。

 

玉の浦
 濃紅色の地に白覆輪の一重咲きで、中輪のヤブツバキ系の品種だそうです。長崎県の父が岳で発見された品種だそうです。広く知られた品種のようです。

 

春の台(はるのうてな)
 白から淡い桃色の地に紅色縦絞りがある八重咲きで、大輪の花を咲かせるヤブツバキ系の品種だそうです。

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水戸藩初代・徳川頼房の話あれこれ(6)

2024-03-29 21:36:16 | 水戸

 徳川頼房の実母は、江川太郎左衛門の養女ということで、家康の側室となった万(お万の方 養珠院)という女性だそうで、紀州藩主になった頼房の兄である賴宣(よりのぶ)の母でもあるそうです。同じ側室で、家康が寵愛していたという聡明なおかち(お梶の方 英勝院)の娘が死んだことから、家康は頼房をその養子にしたそうです。おかちは、頼房の跡取りとして選ばれた幼い光圀を、将軍・家光に対面させたそうです。おかちは家康没後尼となり、家光からもらった鎌倉の土地に尼寺・英勝寺を建てて住職になったそうです。写真は水戸市立博物館で見た頼房の黒印です。

 

 頼房は、儒学に興味を持ち、京都から人見卜幽(ぼくゆう 林塘(りんとう))と、辻端亭(たんてい)を侍講(じこう 君主に学問を教える人)として招いて学んだそうです。この二人は光圀の侍講にもなったそうです。また、萩原兼従(かねより)について唯一神道を学んだそうです。

 

 寛永11年(1634)に将軍・家光が京都にのぼることになり、その帰りがけに御三家の一つで、頼房の兄である尾張の徳川義直のもとに休息することになったものの、義直謀反が疑われたそうです。しかし、頼房の迅速な判断によって、家光は名古屋城に入ったそうです。ただし、これは水戸の文献にあるエピソードのようで、通説にはなっていないようです。

 

 将軍・家光の子である家綱の袴着の祝で、猿楽がおこなわれたそうです。頼房の進言で、この祝は一般に公開されたそうです。大変な人数が訪れたそうですが、来た者には折り箱の引き物まで出たそうです。さすがは水戸様だと大評判になったそうです。

 

 千波湖を横断する新道・柳堤(柳堤の名前は次代・光圀の時で、当時は新道といわれたそうです)が慶安4年(1651)にできたとき、通り始めに頼房が向かおうとすると、その前に鈴木石見守重好が騎乗で往復したそうです。怒色で何事かと頼房が問うと、重好は、もしものことを考えて不敬を顧みずおこなったとの答えで、頼房は機嫌を直して柳堤を渡ったそうです。

水戸藩初代・徳川頼房の話あれこれ(5)

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水戸の桜の話題(3)

2024-03-28 21:26:30 | 水戸

桜町(さくらまち 金町2あたり)
 江戸時代初めは寺院が多くあって、上寺町といわれたそうです。武家屋敷造成のために延宝年間(1673-1681)に寺は移転したそうです。枝垂れ桜があり、それが美しかったので、桜町となったそうです。その後、由来の桜はなくなったそうですが、東照宮の祭礼には、その桜の姿を再現したものが使われたそうです。

 

徳川吉子
 徳川斉昭の正室として宮家である有栖川宮から嫁いできた吉子(幼名は登美宮(とみのみや)、院号は貞芳院(ていほういん)、諡(おくりな)は文明夫人)は、紫宸殿・左近の桜の鉢植えを小石川の藩邸にもたらしたそうです。その後、桜は弘道館玄関前に移植されて、現在3代目が育っているそうです。その桜の一株が、北辰一刀流の達人で水府流水術の指南でもあった、当時弘道館司吏・小沢敏行がもらって桜町(現・金町2)の自宅に植えたそうです。その木が花を咲かせるようになり、小沢は、吉子に由来と歌を、桜の花を松平雪江(せっこう)にかいてもらい、石碑にして建てたそうです。その碑は現在、弘道館入口付近に建てられています。歌は「天(あま)さかる ひな(鄙)にはあれど さくら花 雲のうへまで さき匂はなむ(咲き匂わなん)」です。この桜は、妙霞台(みょうかだい)の桜ともいわれたそうです。桜町の写真で見える背後の建物のあるあたりに、小沢の屋敷があったようです。石碑の写真では、左右と上に桜が描かれていて、中央に吉子の歌と文があるようです。

 

版木
 版木には桜、桂、朴などの木や、シナベニヤ(シナノキの合板)などが、現在使用されているようです。桜は材が固くて、細かい表現ができるので、浮世絵などに使われたそうです。水戸藩主や藩士の遺墨を拓本したという水戸拓(みとたく)も、桜の版木が使われているそうです。写真は水戸市立博物館で見た、岩田咸章堂(かんしょうどう)で使用された水戸拓の版木だそうです。拓本の版木なので、鏡文字になっていません。

 

朱舜水(朱舜水像 舜水祠堂跡 36°22'48.1"N 140°28'14.1"Eあたり)
 徳川光圀が師として招いた、明の亡命僧・朱舜水は桜が好きで、中国にこの木があったなら、まさに百花に冠たるものだったろうといったそうです。ソメイヨシノは幕末に交配でできたそうですから、朱舜水の好んだのは、山桜などの古くからの品種だったのでしょう。今はありませんが、かつて水戸につくられた舜水祠堂(大町3)には、山桜が植えられていたそうです。写真はNTT東日本茨城支店前にある朱舜水像です。

 

桜宮(さくらのみや 護国神社 見川1-2-1)
 護国神社の拝殿に向かう参道の途中に、赤い鳥居の桜宮があります。祭神は木花開耶姫(このはなさくやひめ)だそうです。桜山にあるので、それに関係しているのでしょうか。

水戸の桜の話題(2)

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ぶらっと歩きの風景in水戸(2-45)

2024-03-27 21:12:35 | 水戸

サクラとサンシュユが満開(茨城県立図書館(三の丸1-5-38)前庭)
 先週からサクラとサンシュユ(サクラの奥)が満開になっていました。このサクラは、花に赤味がある早咲きのオオカンザクラ(大寒桜)だそうです。花の大きな寒桜という意味だそうです。ソメイヨシノより1週間くらい早く咲くそうですが、今年はもっと早いようです。サンシュユの黄花もきれいでした。(撮影 3/16)

 

殺虫剤注入(百合が丘公園 百合が丘町10-43)
 ナラ枯れの原因になる、カシノナガキクイムシを駆除するための薬剤を、公園内にあるブナ科の樹木全部に注入しているようでした。通し番号や、薬剤注入口の数などを書いた札が貼られていました。(撮影 3/17) 

 

花手水(六地蔵寺 六反田町767)
 六地蔵寺では桜祭りが始まっていました。名物のシダレザクラはまだ半開の状態(写真下)で、ガクの赤い色が目立ちましたが、観桜の人たちはけっこう訪れてきているようでした。花手水(はなちょうず 写真上)があって、水底にはビー玉が敷きつめられていました。(撮影 3/27)

 

茨城デザイン振興協議会(IDPC)設立30周年事業(南町)
 IDPCは、まちなかリビング作戦に参加して、パークレットを設置しているようです。写真は、学校の教室をイメージしているようで、黒板に似たボードに絵を描いているようでした。ボードの左上隅にはIDPCのロゴマークが描かれているようでした。(撮影 3/27)

 

自販機設置表示(水戸市民会館 泉町1-7-1)
 たぶん要望に応えることになったのでしょう、市民会館に自販機が置かれるようです。ただし、4月から運用開始のようでした。写真は1Fサービスカウンター脇にできた自販機置場です。(撮影 3/27)

ぶらっと歩きの風景in水戸(2-44)

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