ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の方言(13)

2021-04-30 20:27:17 | 水戸

 今回も名詞です。出典は、「岩根今昔物語」「郷土史(飯富町)」「大塚の民俗」です。括弧内は、私のつぶやきです。

いれし
 後添えの夫(「全国方言辞典」では茨城県稲敷郡、千葉県印旛郡の方言で、入夫とあります。「いれ」は「入」なのでしょうが「し」は何なのでしょう。「嗣」ではないような気はするのですが。 後日 ひょっとすると、「衆」かもしれないと思いました。)

おふかけ
 俄雨(にわかあめ)、雷雨(「茨城弁大辞典」では、「おふかけ」を雷としていますので、似た意味を持った言葉なのでしょう。)

があだく
 ごみ(「茨城県茨城町近辺の面白茨城弁辞典」では、「がらくた」のことを「がーたく」としていますので、このあたりに類似した言葉なのしょう。)

かっこ
 下駄(「昔の茨城弁」に幼児語とあります。ぽっくりなどと同様の擬音語なのでしょう。)

こさ
 木蔭(大言海では「木塞(こさえ)」の意味だろうとしています。古語が残って使われていたのでしょう。)

でれすけ
 おろか者(「大言海」では、「でれ」はだれるとして、女色に溺れる男としています。そうすると単なるおろか者ということでもなさそうな気もします)

どったて
 間に合わせのにわか仕事

とんぴくりん
 おっちょこちょい、落ち着きがない人(「全国方言辞典」では茨城県新治郡、山梨の方言となっています。「昔の茨城弁集」には、江戸時代に軽率な者を「とひょうもの」といったことからとあります。とんぴくりんはどこかで使えそうな言葉です。)

にしゃどっち
 蚕のさなぎ(「大言海」では、語源として、子供が土中にいる虫のさなぎを指でつまんで、西何処(どち)、東何処というと、体を動かして東西を教えるということからという意味のことが書かれていますが、古い言葉のようです。これは面白いですね。)

ぽっぽり
 香のもの(子供が言うとあります。ポリポリといった、上手にできた漬け物の音なのでしょう。)

水戸の方言(12)

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水戸の俗信(2)

2021-04-29 20:35:27 | 水戸

紫色のサトイモの花が咲くと悪いことがある
 サトイモは、ミズバショウに似た(というか、ミズバショウはサトイモ科です)花を、10月頃まれに咲かせるそうです。滅多にないことがおこると、吉か凶の前兆のように見えることがあるのでしょう。紫の花のように見えるのはホウだそうです。写真は、畑で見た里芋の葉です。

 

百日咳(ひゃくにちぜき)追い払いはしゃもじに限る
 しゃもじを入口に打ち付けておくと、百日咳を追い払うことができるということのようです。最近まで行われていたそうです。「おしゃもじさま」という風邪に効験がある神社が全国各地にあるようですので、その流れにあるものなのでしょう。しゃもじ(しゃくし)は、霊験のあるという石神(しゃくじ(ん))信仰と関係あるようです。

 

ミンミンゼミの鳴き声多き時は稲実り多し
 明治時代にいわれていたようです。「ミンミンゼミが早く鳴いた年は霜が早い」は、広くいわれているようです。

 

月見にあげたススキを大根畑にさすと虫がつかない
 お月見には、神霊の祭祀や収穫祭などが含まれていたようです。祭祀で霊力を増したススキで除虫をするということなのでしょうか。

 

お月見さんの供えたものが、こっそり盗まれると縁起がいい
 これも各地で行われた行事のようです。本来、祭のときに供えられたものをもらって歩く風習があって、それがこっそり取るという形に変化したのではないかという説明がありました。

水戸の俗信(1)

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水戸の伝説(8)

2021-04-28 18:52:14 | 水戸

 神崎寺(かみさきじ 天王町8-17)あたりのようですが、かつて一盛(いちもり)長者の台所があったという伝説があるそうです。千波湖はその流し水の溜まりだったそうで、ダイダラボウ並みのスケールの大きな伝説です。一盛長者の館は、渡里町(わたりちょう)の長者山にあったそうです。写真は春の神崎寺です。

 

 大場家の先祖が、鹿島神宮(鹿嶋市宮中 2306-1)を参拝して、その帰りに、馬で運ぶ荷物の釣り合いを取るために、神宮の裏山で拾った石を鞍に乗せてきたそうです。庭に石を置いたところ、夜光るので、お鹿島様としてお祀りしたそうです。その石はだんだん大きくなって、子どもができ、その子石も次第に大きくなったそうです。写真は鹿島神宮です。

 

 大塚村(現・大塚町)の平吉という信心深い男が、夢枕で満福寺の阿弥陀さまに呼ばれたので、寺に駆けつけると、仏の入った厨子(ずし)を背負った盗人が重いといって動けなくなっていたそうです。盗人は仏が金でできているというので盗もうとしたそうですが、平吉は仏が無事だったので、許してやったそうです。写真は満福寺跡に立つお堂です。

 

 岩根町に弁天社があり、そこに殺生石という霊石があったそうです。これを人が動かしたり土足で触れたりすると、病気や災難にあったり死んだりしたそうです。いまその地は畑地になっているそうです。

 

 徳川斉昭が江戸で藩主に就く前の部屋住みのころの話だそうです。家臣の子供が稲荷社の近くに不浄物を捨てたところ、その晩から狂いだしたそうです。斉昭は他の家臣に稲荷社へ行かせ、「不浄物は片づけるから今夜中に静まれ、そうしたら明朝赤飯を進上するが、そうならなかったら駒込(水戸藩中屋敷あたりなのでしょう)中の狐狩りをする」といわせたそうです。斉昭にはこうした伝説のようなものがいくつかあるようです。

水戸の伝説(7)

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水戸の歩道敷石(7)

2021-04-27 20:32:57 | 水戸

青柳町(36°23'10.6"N 140°28'57.5"Eあたり)
 住宅街の小路に、ここだけ変わった敷石がありました。波型にうねっています。

 

県営千波西アパート(千波町)
 大小2色の正方形を並べています。シンプルで飽きのこないという感じでしょうか。

 

「地区センター前信号」にある小公園(双葉台)
 長い長方形を縦横に並べていくスタイルです。なぜか強い印象を受けます。信号のある十字路の3つの角にそれぞれ小公園が設置されていて、写真はその一つの公園です。残る一角はオハナコートの入口です。

 

北関東マツダ水戸千波店あたり(千波町2770-71)
 レンガを二枚ずつ並べて正方形を作りそれを縦横に並べて模様化しています。

 

アダストリアみとアリーナ(緑町2-3)
 境界で敷石の色を左右反転させているように見えますが、それぞれ、右から左に向かって濃くなるグラデーションになっているようです。写真中央の敷石は、先に見える階段をのぼる導線になっているようでした。

水戸の歩道敷石(6)

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水戸の顔さがし(7)

2021-04-26 20:24:09 | 水戸

人物埴輪(水戸市埋蔵文化財センター 塩崎町1064-1)
 酒門町・荷鞍坂遺跡の円墳から出土した人物埴輪だそうです。古墳時代後期に作られたもののようです。写真左は兜をかぶった男性、右は壺を頭に乗せた女性だそうです。ともに顔はあまりいかつい感じではなく、うりざねがおといった表現があたっているように見えます。

 

ドウダンツツジ生垣(河和田町)
 ドウダンツツジを刈り込んで、3つの顔ができていました。父母と子供なのでしょうか。写真左方外にも、動物の顔らしい刈り込みがありました。

 

笑顔の書(水戸八幡宮 八幡町8-54)
 去年の正月に、水戸八幡宮の社前に、書家・川又南岳が書いた、「子 二〇二〇年の笑顔」という書が掲げてありました。いかにも[笑顔」らしい書き方です。

 

㈱祐月本店ロゴマーク(水戸西流通センター 谷津町細田1-37)
 梅の花をロゴマークにしたようですが、顔のようにも見えますし、踊っている人のようにも見えます。祐月からは、15代水戸市長・和田祐之介が出ています。

 

㈱こしば石材置場(見川町2131-256)
 防犯に役立つのでしょうか、見川の石材置場の入口に、ローマの「真実の口」を模した顔がありました。本来はマンホールの蓋だったという説もあるようです。

水戸の顔さがし(6)

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