ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の鉄棒

2020-01-31 19:39:29 | 水戸

 ほとんどの公園に設置されている鉄棒です。すべり台ほど多様性はないようですが、それでもいろいろな形があるようです。

 

矢田町公園(酒門町609)
 3連の鉄棒の中央が、左右の高低をつなぐということのようで、曲がっていました。

 

桜台児童遊園ごきんじょ広場(見和1-356-46)
 石彫が棒を持つようなかたちをしたユニークな鉄棒です。川井一彦の作品だそうです。

 

赤塚小学校(河和田2-2116-1)
 あちこちで見られますが、逆上がりの練習用設備なのでしょう。

 

元石川町乗越沢(のっこえざわ)第2児童遊園(元石川町)
 柱をカラフルにした鉄棒もあちこちで見られます。

 

平須町皿久保児童遊園(平須町1821-53)
 柱がコンクリート製の鉄棒で、ほとんど見ることのないスタイルです。

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水戸のアーチ(2)

2020-01-30 20:11:25 | 水戸

倉庫(萱場町 玉道玉里・水戸線沿い)
 入口がいい感じで曲がっています。半分石造りの倉庫です。残しておいてほしい建物だなあと思いました。

 

水戸市水道低区配水塔(三の丸緑地  北見町2-11)
 てっぺんにある小さな展望階の窓も含めて、全ての窓がアーチ形になっているようです。昭和7年に作られた、低地である下市方面の給水に使われた上市にある鉄筋コンクリート製の施設で、国の登録文化財だそうです。

 

備前堀(本町1・備前町の間)
 雨水溝の出口のようです。それほど厚い石ではないのでしょうが、それぞれ切ってアーチ状に組んでいるようで、恵まれた時代につくられたのだなあと思いました。なかなかよい雰囲気ですが、水が流れていないときだけしか全体は見えません。

 

円花橋(百合が丘町)
 最近の橋は平らになって、アーチがあまり見られなくなってしまいました。水戸ではほとんど見られないアーチ橋ですが、この橋は、百合が丘公園側から見ると風景の一部になっているようです。

 

吉沢町歩道(さくら通り)
 時季外れですが、サクラのアーチです。街路樹で、あまりきれいなアーチが見られないのは、枝の落下などの問題があるからなのでしょうか。この道路は、電柱の地下化が行われるともっとサクラが楽しめそうです。

水戸のアーチ(1)

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水戸の学校で見られる標語(3)

2020-01-29 20:14:40 | 水戸

第三中学校(朝日町2882-1)
  「つくろうよ 笑顔であいさつ できる町」、「おかえりと 言われるたびに 笑顔咲く」などがありました。もっとたくさんの標語が飾られていました。

 

稲荷第二小学校(百合が丘町997-204)
 「あいさつと えがおがにあう いなりの子」、「あいさつは 友だちふやす おまじない」などがありました。その後学校前を通ったところ、「いじめゼロ みんなでつくろう 世界の輪」という大きな横断幕が張られていて、立て看板は減っていました。

 

上大野小学校(東大野106-1)
  「あいさつで えがおあふれる つうがくろ」、「思いやり みんなをつなげる 心のわ」などがありました。小規模特認校のせいでしょう、環境大臣表彰受賞という横断幕が標語のとなりに架けられていました。

 

妻里小学校(中原町682)
  「あいさつは まいにちわたせる おくりもの」、「育てよう やさしい心は 家族から」などがありました。立て看はほかにもありました。

 

柳川小学校(柳河町318-1)
  「どんな日も むかえてくれる おかえりと 言われて気づく 家族のきずな」、「ふれあいと 出会いがつくる よい地域」などがありました。中には短歌調の標語もありました。

水戸の学校で見られる標語(2)

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水戸の佐竹氏ゆかり(3)

2020-01-28 20:52:25 | 水戸

 今、水戸市役所1F多目的スペースで、来月8日まで、「常陸佐竹展」という、佐竹氏のパネル展示が行われています。

 

金採掘跡(木葉下町 森林公園西南の登り口あたり、有賀町 かたくりの里(有賀町1806))
 佐竹氏は数多くの金山開発を行ったそうで、今でも木葉下(あぼっけ)町や有賀町にその採掘跡が残っています。豊臣秀吉の重臣となった佐竹義宣(よしのぶ)は、「分一」という鉱山産出額の一割の運上を秀吉に納めていたそうです。徳川氏の時代には、採算的にあわなくなっていたようで、「佐竹がいなくなって、金が石灰になってしまった」などという伝説が語られたそうです。写真は平成28年に撮した木葉下町の遺跡です。

 

吉田城(常照寺 元吉田町2723)
 吉田城は大掾氏の一族である、吉田氏を称した盛幹(もりもと)が築き、江戸氏を経て、佐竹氏の水戸進出とともに、重臣である車丹波守(たんばのかみ)の居城となったそうです。佐竹氏の秋田転封に伴い廃城になったそうです。今は常照寺になっていて、本堂が本丸の地だったそうですので、車丹波守の住まいもそのあたりにあったのでしょう。写真は誠照寺本堂です。

 

竹熊城(表示石柱 竹隈市民センター(柳町2-5-8))
  竹熊城は、常陸平氏の石川望幹が、地名の武熊(今は竹隈という漢字になっています)を名乗って館を築いたことにはじまるそうです。佐竹氏時代には、一族の佐竹東家の佐竹義久が3万石で居住したそうです。竹隈市民センターにある解説の石碑、東台という地名(佐竹東家からともいわれるそうです)、桜川の搦手橋(からめてばし)が、竹熊城の名残といっていいのでしょう。徳川氏の時代になって、湿地を埋め立てて下市を造成したときに、武熊城のあった高台は崩されて、埋め立ての土石として使われたそうです。佐竹色をなくすという意味もあったのでしょうか。

 

薬王院(元吉田町682)
 佐竹氏は、本拠地・常陸太田から一条院を移し、一族の僧侶を院主として、天台宗だった薬王院を、真言宗の寺院にしたそうです。佐竹氏が秋田へ去って、一条院も秋田へ移り、水戸の一乗院は再び天台宗の薬王院に戻ったそうです。水戸に一部残った一条院は、今の那珂市(法満山一乗院 那珂市飯田1085)へ移ったそうです。

 

光台寺(上水戸3-1-39)
  浄土宗・光台寺は、天正11年(1583)に、佐竹義宣によって並松町に建立され、開山は雲雪上人だったそうです。寛永年間(1624- 1644)に徳川光圀によって今の地へ移ったそうです。写真は光台寺本堂です。

水戸の佐竹氏ゆかり(2)

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水戸の芽(6)

2020-01-27 20:56:31 | 水戸

アカシデ(水戸市役所 中央1-4-1)
 カバノキ科。シデの木をソロというそうで、アカシデはアカソロともいうようです。(撮影 R2/1)

 

メグスリノキ(千波公園少年の森 千波町508-33)
 ムクロジ科。昔は樹皮を煎じて目薬として使われたそうです。脇に献眼顕彰碑があるので、その関係で植樹されたのでしょう。(撮影 R2/1)

 

カリン(偕楽園 常盤町1-3-3)
 バラ科。漢方で、実は木瓜(もっか)といって、咳止め、利尿などの効能があるそうです。(撮影 H31/2)

 

アカメガシワ(逆川緑地 千波町)
 トウダイグサ科。新芽が赤くて、昔、食物を盛ったカシワの葉に似ているので代わりに使われたからだそうです。(撮影 R1/12) 

 

アラカシ(逆川緑地 千波町)
 ブナ科。葉や枝振りが粗(あら)っぽいのでいわれたそうです。葉の先半分に鋸歯があるのが特徴のようです。(撮影 R1/12)

水戸の芽(5)

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